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『シュジュギア -帝都神韻機鋼譚-』 #3

  目次

「なにをいまさら……っ! 謝るくらいなら、どうして殺した!」
「お父君がこの国に生きるすべての者にとって重大な脅威であったからだ。このことに関して小生は微塵の悔いも抱いてはゐない。」
「……っ!」

 ピナハの顔が歪み、俯いた。
 リュングヴィ・ガリギュラヰザアの所業について、彼女自身納得してゐるわけではなかったのだろう。だが、古き良き貴族的倫理に生きる彼女は、家長たる者に全面的に従った。そしてリュングヴィの死を知るや、残された者の義務として復讐の道を選んだのだ。
 それが、魔導貴族ガリギュラヰザアの威名を頂く者たちの生き方であり、絆であったから。

「だが――それでも、すまなかった。お父君と敵対したことについて謝るつもりは毛頭ないが、しかし残された者にそこまでの苦悩を強いたことについては小生の片手落ちであったといえるだろう。我が撃刀たちかきは斬魔ののりなれば、その刃を人に向けるということの重みを小生は正しく認識できてゐなかったかもしれない。すまなかった。本当に。」
「う……うぅ……っ。」

 総十郎は幼き貴族の肩に手を置くと、真正面からその眼を見据えた。

「ピナハ嬢。正直に言ってほしい。お父君に会いたいだろうか?

 びくり、と、ピナハの矮躯が震える。
 総十郎が何を言いたいかは明白であった。
 ぎゅっと目をつむり、湧き上がってゐるであろう恐怖に耐えてゐる。
 だが、やがて青き血脈の末裔すえとしての誇りが彼女を律したようだ。
 目を見開くと、そこには冷厳なる支配者としての眼光が――父と同じ光が、宿っていた。

「この身はすでに敗れた。敗者のさだめに従おう。父上もヴァルハラできっと褒めてくださるはずだ。さっさと連れてゆくがいゝ。」

 清澄な啖呵が、総十郎の胸を打った。
 どこか神聖な沈黙が降り積もる。毅然と胸を張る幼き姫君と、その御前に跪く騎士を描いた絵画のごとき荘厳な空気が二人を包み込んだ。
 総十郎の麗貌に、蒲公英たんぽぽのような笑みが咲いた。

「そうか……あゝ、そうか。」
「きゃっ! な、なにをする!」

 ピナハを胸の中に抱き寄せる。顔を赤らめてじたばたもがく幼女の紅い髪に顔をうずめ、馥郁たる香りに陶然と目を細めた。

「よろしい。その意志確かに受け取った。参るとしよう。」
「え?」

 と、そこへ威勢のいい娘の声が飛んできた。

「くぉら総十郎! さっきの物音はなんだぁ! 何か壊したら承知しないわよ!」

 どす/\と階段を上ってくる音。
 総十郎の顔が、さっと青ざめる。

「い、いかん。急ぐとしよう。」
「はわっ。」

 ピナハを抱き上げ、前腕の上へ座らせた。書斎机の上に置かれていた制帽を頭に乗せる。
 そして窓を引き開けると、萃星気すいじょうきの薫風舞う外へと、軽やかに跳躍していった。
 なお、崖に面した三階である。
 ピナハの悲鳴が、街に響き渡った。

 ●

 星気機関の発明と、それに伴う生産、物流、情報など多岐方面における技術的文化的大躍進を、産業革命と総称する。
 産業革命以前と以後では、世界の様相が文字通り天と地ほども違う。
 神州大和もまた例外ではない。

「やあ、今日も萃星気に煙る帝都が美しい。そうは思わないかねピナハ嬢。」

 返事は悲鳴ばかりであった。
 軽く肩をすくめ、落下がもたらす快い慣性に身を任せる。
 二人の眼前に、世界有数の星気機関化都市たる帝都銀座通りの威容が広がってゐた。
 瓦屋根の純和風高層建築が、天を摩するがごとく林立し、大小さまざまな絵看板が煌びやかに飾られてゐた。うち半分程度の屋上には空中神社が建立されてゐる。
 それらの合間を縫うように、半透明の大小さまざまな幻想生物や妖怪変化、小神格などが気ままに空を漂ってゐた。
 さらに遠方では、魚のヒレのようなスタビラヰザアをいくつも動かしながら航行する星気飛行船の巨躯が、大気に霞んでゐる。
 地表に目を向ければ、こんもりとした木々に交じって葉脈のごとく星気鉄道が走り回り、人と物を運び続けてゐた。
 やがて崖下の平屋の屋根に音もなく着地。その反動で再び天空に舞いあがる総十郎。

「こ、これは……!?」
「小生、神州の風神たる志那都比古神しなつひこのかみとマブダチなれば、起風のしゅは呼吸と同程度に習熟しておる。」
「ま、まぶ、え?」

 ――おっと、いかんな。

 総十郎は苦笑する。

「いや、すまない。この世界にはない言葉だったな。どうも身に染みついてしまっていかん。まぁ、あまり気にされぬことだ。」
「さっきからわけのわからぬことを……。」

 半眼で睨まれる。
 慣れた反応である。ロリコンやマブダチといった、皇紀二千五百八十年の世にはまだ誕生すらしてゐない言葉を総十郎が知ってゐることには理由があるのだが、それを正直に話しても誰にも信じてもらえそうにないので黙ってゐるのであった
 さておき今はピナハ嬢のことである。
 総十郎の腕の中で、身を縮こまらせている。こちらの制服の襟首をぎゅっと掴んでいるのがいじらしい。

「安心めされよ。決して離したりはしない。」
「ご、誤解を招くような言い方はやめろ! 今どこに向かってゐるのだ!」

 制帽を手で押さえながら、総十郎は涼やかに微笑む。

「無論、貴女のお父君のもとにお連れする。」
「だ、だから! どうしてこんなに移動する必要がある!」

 生真面目な様子に苦笑する。

「そんなに固くなることはない。勇気が必要なのは一瞬だけだ。」
「うぐぅっ。」

 さらに固くなる。目尻に涙が溜まっている。

「……この結末は、貴女自身が手繰り寄せたものだ。」

 目を閉ざし、噛みしめるように言う。

「貴女が義に篤く、真に誇り高い人で良かった。そしてさりげなく子供たちの避難を求める心優しき人で良かった。だからこそ、小生はようやく依頼を果たすことができる。
「えゝい、少しはわかるように言わんかっ!」
「ふむ、着いたぞ。」
「え……?」

 街の片隅にひとつだけぽつねんと立っている苔むした古い鳥居を、総十郎は通過した。
 瞬間、空気の質が、明らかに変化した。
 世界を律する法が、別のものに置き換わった。
 豊かな停滞の気配
 帝都の喧噪も、高層建築も消え去り、ただ静謐で清浄な萃星気が、静止した世界を作り出してゐた。
 石畳の階段が、二人の前に出現してゐた。遥か上方まで伸びており、終わりが見えない。左右は紅葉した原生林が豊かに繁茂してゐる。
 聳え立つ朱い鳥居が、その情景の額縁のように屹立してゐた
 視界すべてが暖色系の色合いを帯びている。どこか暖かく、しかし切なくなるような郷愁が、濃密に溶け込んだ空間であった。
 ひら/\と、紅葉が舞い散ってゐる。今は春だというのに。
 黄昏の斜陽が、優しく厳かに地上を照らしてゐる。今は昼だというのに。

「ここは……!?」
「神州にはこのような大霊場が数多く現存してゐる。もっとも、ここを守護していた神格は、とある事情で幽世の存在となった。おかげでこの近所の星脈は荒廃し、妖怪、雑霊、魑魅魍魎らが無秩序に悪さをするようになってゐたものである。」
「だが、さっきの街は霊相的に安定してゐたぞ。その神格が戻ってきたのか?」
「否、彼はもはや現世こちらに戻ってくるつもりはあるまい。それゆえ、小生は代役を立てることにした。参詣するとしよう。」

 言って、総十郎はピナハを丁重に下ろし、颯爽と階段に向かい始める。

「待て/\! 登るのか!? こゝを!?」
「問題ない。すぐに着く。」

 総十郎が鳥居に近づくと、階段の光景がぐにゃりと歪み、神社の境内の様子が映し出された。
 否、映ってゐるのではない。まさにそこにあるのだ。長い長い階段の頂と底辺が、鳥居によって繋がってゐるのだ。
 総十郎はこともなげに鳥居をくぐり、境内に足を踏み入れた。

「さぁ、ピナハ嬢。こちらへ。」

 そして振り返り、微笑んで手を差し出す。
 ピナハはひとつ唾を飲み込むと、意を決したようにその手をとった。

 ●

 どのような重病人でもたちまち起き出してしまいそうな、生命活力に満たされた聖域であった。
 境内の森には、さまざまな幻想生物らがくる/\と舞い踊り、新たな主を讃えてゐる。それらの体は強い星気を帯びて光り輝き、外にいる同種とは比較にならぬほど強い生命力を持ってゐることが見て取れた。
 ほとんど水中にいるかのような萃星気の密度に、ピナハはこの神社の奥に鎮座する「代役」が、どれほど強大な存在であるかを感じ取る。

「まさか、この気配――」

 総十郎が頷く。

「小生は、“彼”とある約定を交わした。その御首級みしるしを頂戴する代わりに、〈神韻探偵〉たるこの身に対して無料で一度依頼をしても良いという。」
「む、無料……」

 微妙にみゝっちい約定であった。

「そして“彼”はひとつの依頼を小生にした。実に意外な内容であったが、約定は約定。そして今、ようやくその依頼は果たされた。」

 瞬間、場の圧迫感が跳ね上がった。ほとんど息苦しさすら覚えるほどだ。
 ピナハは跪きたくなる衝動に襲われる。膝ががく/\と震え、今にも力が抜けそうだ。
 懐かしい、この感じ。
 いるのだ。すぐそばに。ピナハがいつも畏怖と憧憬を感じていた存在が、そこに現れたのだ。

〈本当に、連れてきたのか。〉

 荘厳なる、その声。低く、深く、澄んだ声。やや呆れを含んだ、聞き覚えのある声。

「依頼であるからな。小生、学生と探偵の不安定な二足の草鞋なれば、信用第一をモットオにしておる。」
〈暇な男だな、貴公も。〉
「なに、こゝで日がな一日魑魅魍魎と戯れてゐるだけの御身ほどではないとも。」

 ピナハは唖然と、この気の抜けた会話を聞いていた。
 総十郎の視線の先には誰もいない。だが、強大な気配だけはある。
 幼くして位階《4=7フィロソフィアス》の魔術師となったピナハは、己が眼に〈霊視〉の術式をかけた。
 星気通信の周波数を合わせるように視覚の霊的感度を調節し――ついにその姿を捉えることに成功した。
 ピナハと同じ、紅い髪。剛毅つよく美しい顔容。金銀妖眼。威圧的な長身。そしてその全身から投射される、王者の気風。
 リュングヴィ・ガリギュラヰザア。
 生前と変わらぬ、雄々しく荘厳なその姿。
 だが、変わってゐる点もあった。
 何故かこの極東の島国の貴族装束――衣冠、というのだったか――を着こなしてゐること。
 そして、何故か、その首はすっぱりと断ち切られ、自分の顔を腕に抱えてゐること。

【続く】

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