『シュジュギア -帝都神韻機鋼譚-』 #2
「総ちゃん総ちゃん! すごい火光獣つかまえたんよ! 見て見て!」
「おや/\、意外に早かったな。」
すぐ隣で午睡していた双子の姉弟が、目をこすりながら起き上がり始めるのを尻目に、総十郎は玄関に向かう。
おかっぱ頭の童女が、虫篭片手に元気よく駆けてきた。
籠の中には、白く発光する小さな鼠が落ち着きなく内部を走り回ってゐる。
「ほう。」
総十郎は感嘆した。
「見事な光度である。こゝまでのものは小生も初めて見るぞ。」
「へっへん! すごいでしょ!」
火光獣は、産業革命以前ならば、特別な霊的素養のある人間にしか見えぬ怪異の一種であったが、今となってはたゞの珍しい小動物と言って良い。
普通は燃え盛るような色彩の光を放つが、この個体は特別生命力が強いようだ。
「わぁ、たまちゃんすげえ!」
さきほど似顔絵を描いていた幼児が、総十郎の隣ではしゃいでゐる。
「どこでつかまえたの?」
「うむ、小生もそれは気になる。」
星気によって認識可能となった幻想種の動植物は、総十郎にとっては個人的な研究テヱマのひとつであった。
「内緒なんよ。あそこはウチだけの場所なんよ」
「えええ、けち!」
「うゝむ、そこをなんとか……」
「だめ/\! こゝだけのはなしなんてないんよ!」
虫篭を抱きすくめると、童女は二人の横を通り過ぎて鵺火探偵事務所に入ってゆく。
苦笑しながら後を追って踵を返すと、腕の中の赤子がむずがりはじめた。
やがて控えめな泣き声が漂い始める。
「おや/\、麗しの君は相変わらず泣き声が奥ゆかしいな。もっと思い切り声を出して良いのだぞ?」
優しく目を細めて、総十郎は囁きかける。
「おしめかな? おしめこうかんかな?」
「いや、この様子だとお腹がすいたのであろう。ミルクの用意をせねば。」
「ぼくもてつだう!」
二人で台所の星気冷蔵箱に向かうのであった。
ことほど左様に、鵺火探偵事務所は探偵事務所というより託児所、あるいは近所の子供たちのたまり場として八面六臂の活躍をする平常運転に戻ってゐったのであった。
●
みんなで火光獣の観察日記をつけて夏休みの宿題を凌ごうという話になり、総十郎が幻想生物の基本的な生態と飼育方法を簡単にレクチヤアしていると、再び事務所の玄関が派手な音を立てて開かれた。
「くぉら総十郎! 今月の家賃はどうしたぁ!」
娘の声が轟き渡り、どす/\という足音が廊下を近づいてくる。
「む。これはいかん。総員、衝撃に備えるべし。」
りょうかい、と口々に答える子供たち。その幼い顔ゝには苦笑めいたものが浮かんでゐる。
ほどなく、応接間の扉が大きな音を立てて開かれ、矢絣柄の小袖に紫の袴姿の娘が現れた。
年の頃は十代半ば。艶やかな黒髪が肩まで流れ、頂には大きなリボンが乗ってゐる。
美しく澄んだ瞳がまん丸に見開かれ、総十郎を真正面から睨み付けた。
ものすごい眼力である。並みの男ならのけぞってしまうことだろう。
「やあ、祀くん。今日はまた一段と美しいな。君があと十五年若ければ小生としても愛の言葉を囁くにやぶさかではなかったろう。」
「それでご機嫌を取ってるつもりか! 相変わらず頭おかしいわね総十郎!」
「それほどでもない。」
褒めてはいない。
祀はため息を一つつくと、細い腰に手を当てて応接間を見渡す。
「もう、まあた遊んでるし。お金の工面はできてるわけ?」
「まあ待ちたまえ祀くん。世の万象には流れと波というものがあり、巡り合わせによっては不本意な結果を招くこともあるが、これはもちろん誰が悪いというわけでもなく、我々はお互いに寛容な心で許しあわねばならないと思うのだよ。」
「つまり今月も滞納すると。」
「否ゝ、そう結論を急いてはいけない。払わないとは言ってゐないのだ。ただ、あんな災厄が収まったばかりなのだ。つねひごろ小生に依頼をもたらすために事件を起こしてくれる心ある犯罪者諸兄も、しばらくは鳴りを潜めるつもりなのであろう。復興のためにまる一丸となってゐる帝都臣民の邪魔になってはならないと身を慎む彼らの奥ゆかしい心意気に小生はいたく感銘を受けた。彼らに倣ってこの鵺火総十郎もしばらくは開店休業状態に服するつもりであおごふっ。」
素早く伸びてきた親指と人差し指が、総十郎の両頬をつまんだ。
「ほが/\。」
口が閉じられない総十郎。
「そんなことだろうと思ってお客さんを連れてきてあげたわ。」
「ほが?」
祀は手を放すと、廊下に出て行った。
ぽかんと見送る総十郎と子供たち。
ほどなく戻ってきた祀は、二人の人物を引き連れてゐた。
「さあ、どうぞお掛けください。すぐに珈琲をお持ちしますね。」
総十郎に対してとは比較にならぬほど丁寧な口調で、祀は二人に声をかけた。
しかし、それに頷いて腰を下ろしたのは、片方の人物だけであった。
「あの、できれば……」
その人物は、やゝ困惑したような眼差しで子供たちを一瞥する。
「あゝ、なるほど。」
すぐに祀は察して、子供たちのそばに歩み寄る。
「ほら、あんたたち。うちで西瓜が冷えてるから来なさい。」
「まじで!」
「わあ、まつりねえちゃんだいすき!」
「うん、素直でよろしい。」
祀はふんぞり返って頷くと、子供たちを引き連れてがや/\と事務所から出て行った。
去り際、「しっかり稼げよ。」と言わんばかりの鋭い一瞥を残して。
●
――ふむ。
総十郎は、目の前に座る小柄な人物と、その傍らに控える長身の人物を軽く観察する。
燃え盛るような紅い髪が、ゆるく波打ってゐる。
白いレヱスがふんだんにあしらわれたドレスを纏い、ちょこんと揃えられた両足の先を美しいヱナメルのパンプスで覆ってゐた。
ぎゅっと握られた両手が膝の上で凝っており、彼女の緊張を物語ってゐる。
異人の、幼き令嬢であった。
そのそばには、濃紺のドレスにフリルのついたピナフォアとカチュウシャを身に着けた長身の女中が、人形めいた無表情のままで立ってゐる。
思わず背筋を伸ばしてしまうような、峻険な美貌を持つ二人であった。
しかし総十郎は、そんな二人の緊張を柔らかく包み込むように微笑んだ。
「ようこそ、鵺火探偵事務所へ。貴女のような麗しい方を迎えることができて光栄だ。小生は所長にして唯一の従業員である鵺火総十郎と申す。お名前を伺ってもよろしいだろうか。」
令嬢は、息を呑んだ。
そして全身の緊張を軽くほぐすように軽く肩を動かすと、意を決して口を開いた。
「わ、わたくしは、故あって家名や素性を明かすことができません。ピナハ、とだけお呼びください。」
「了解したピナハ嬢。して、いかなる依頼であろうか?」
「それは……」
胸元でこぶしを握り締め、目に力を込めて口を開いた。
「人を、探してゐます。」
「ふむ。」
「わたくしの、父を殺めた者です。」
「なんと、無体なことをする者もいたものであるな。」
総十郎は目を閉じてひとつうなずくと、重々しく言った。
「相分かった。その依頼、引き受けよう。この鵺火総十郎、必ずやお父上の仇を目の前に引っ立てゝくると約束しよう。」
「いゝえ、その必要はありません。」
その声色は、一段低いものだった。
「もう見つけましたから。」
瞬間、女中の右腕が三倍以上に伸長し、剣呑な輝きとともに振り下ろされた。
轟音。革張りのソファが真っ二つに両断され、中の綿が飛散する。
「さて……」
軽やかに着地した総十郎は、すたすたと台所に向かう。
「詳しい話を伺う前に、茶を入れて来よう。」
「っ!」
ピナハは柳眉を逆立てた。両手を秘文字めいた形に組み合わせ、魔術印を切る。
「雷石を投じ死に至らしめよ!」
すると女中の左腕が花開くように展開。星気を雷撃に変換する魔術紋様が刻まれた銃身が現れ、激しい明滅光とともに光弾が連射された。
分隊規模の戦力なら真正面から粉砕できるであろう壮絶な制圧火力。
だが――総十郎の手にはすでに刀が握られてゐた。
抜く手も見せぬ抜刀瞬撃が大気を細切れに裁断し、無数の軌跡が大輪の花のごとく空間に灼き付いてゐる。
雷撃弾はことごとく斬り消され、本来持っていた破壊力を発揮せぬまゝ終わった。
「おや/\、珈琲の方がお好みだったかな?」
悪戯げに笑いながら、総十郎は刀を収める。
「〈黄昏熾示録盟約団〉聖別神官、位階《4=7》、ピナハ・ガリギュラヰザア。今こそ我が創造者にして我が父、リュングヴィ・ガリギュラヰザアの報仇を成させてもらう!」
あくまで戦意を崩さない令嬢。炯と睨み付けてくるその瞳は、緊張と覚悟でかすかに揺れてゐる。
総十郎はひとつ息をつくと、笑顔を引っ込めた。
「うむ。なるほどな。確かに小生は三か月前にリュングヴィ・ガリギュラヰザア氏の首を間違いなく刎ねてゐる。貴女がその娘だというのなら、復讐する正当な権利があろうな。」
「そうだ! 父の無念、わ、わたしが雪ぐ! 刀を抜け!」
「それはお断り申し上げる。小生、ロリコンなれば、貴女のような美しい人に向ける刃など持ち合わせてはおらぬよ。」
「ろ……何ですって?」
「ロ、リ、コ、ン、である。ピナハ嬢のような愛らしく麗しい淑女を守り慈しむ真なる紳士への尊称である。」
「た、た、誑かすつもりか! 恥知らずめ!」
怒りと羞恥で頬を紅潮させながら、ピナハは再び女中へ攻撃を命じんと印を切った。
が――
「え……」
女中は動かない。
「あゝ、貴女の頼りになる従者どのには、少し休んでいたゞいている。手荒なことはしてゐないので安心されよ。」
見ると、星気駆動式戦闘人形の肩に擬人式神が止まって、首筋の星気回路に霊符を張り付けてゐた。
「阿明、祝良、巨乗、禺強。四海の大神、百鬼を退け、凶災を祓う。急々如律令。」
涼やかな詠唱とともに霊符の文様が光り、女中は機能停止。がくりとくずおれる。
「な……そんな……」
愕然と目を見開くピナハ。
「さて。」
そこへ歩み寄る総十郎。
「よ、寄るな!」
戦闘能力を失ったピナハは、一歩下がる。
その眼には怯えがあった。
総十郎は応えず、無表情のまゝずん/\と近づいてゆく。
ついにピナハを壁際まで追い詰め、そのそばにしゃがみ込んだ。
二人の目線が等しくなる。
ふと、寂しげな表情が総十郎の目元を通り過ぎていった。
「すまなかったな。」
一言、そう言った。
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