正論パンチはやめて差し上げろ
――ギデオンはこの時、ひとつのミスを犯していた。
刀身に触れた存在の帯びる威力を吸収する〈黒き宿命の吟じ手〉。
物理攻撃に対しては無敵ともいえる性質を持つが――実はひとつだけ例外があった。
確定で無敵ではなくなる瞬間が存在しているのだ。
●
そのとき何が起こったのか、ギデオンは一瞬理解が遅れた。
ぎん、と音を立てて打ち払われた黒き魔剣を、呆然と眺める。
振り向きざまの裏拳。それがギデオンの手から佩剣を奪ったものの正体であった。
――威力解放の機を狙われた……!
溜めた力を解き放つ。その瞬間だけは絶対に吸収の力が働かないのだ。
吸収と解放。正反対のふたつを、同時に行うことなどできようはずもなかった。
そして。
左拳による旋回裏拳の勢いを乗せ、右拳が爆速で叩き込まれた。
霊体化による回避すら間に合わない。ギデオンの反射神経を完全に上回る、無拍子の一撃であった。
「――ッッ!」
何かを思う暇すらなかった。
そして――自らの意識がまだ継続していることに違和感を覚える。
目の前には、烈火の巨大な拳があった。
絶大な風圧が、仮面に吹き付けた。暗灰色の衣が激しくはためき、この身に宿る瘴気が一瞬完全に吹き散らされた。
だが――烈火の拳は、振り抜かれなかった。
「けっ」
拳が引き戻されてゆく。その顔には、困惑するような、ふてくされたような色があった。
「……何のつもりだ、貴様」
「なに、って言われてもなぁオイ」
頭をかく。
「お前、シャーリィの親父だろ」
思わず、歯が軋んだ。
我が娘の名を貴様ごときが軽々しく口にするな――と言いかけて、止まる。今更シャーリィの父親面などと、おこがましいにもほどがある。
身勝手な理由で妻子を捨てておいて。
ぴし、と音が鳴った。今しがたの顔面への一撃が、仮面にひびを入れていたのだ。亀裂は上下に伸びてゆき、やがて鉄仮面は砕け散った。
「ふーん、もっと腐汁でデロデロのゾンビゾンビした感じかと思ったら、青白いだけかよ」
反射的に腕で顔を覆う。
いっそ見るも無残に腐敗してくれれば、仮面で素顔を隠す必要もなかったのだ。
「おいダメ親父。とっとと家族に詫び入れろや。見てらんねーんだよあいつらテメーの話が出るたびに辛気臭えツラしやがってうっおとしいったらありゃしねえ」
「黙れよ、部外者」
「うっせえ知るか!!!! この俺様がうっおとしいっつったら世界のすべてはその解決のために右往左往して東奔西走する義務があんだよボケェ!!!! つかねお前はっきり言ってみっともないわダサすぎて草不可避。アレだろ? 僕ちゃん家族に顔向けできないれすぅ~☆とかいう感じだろどーせ。くっっっっっっさ!!!!」
ギデオンは、言い返さなかった。言い返す必要を認めなかった。
だが、次の一言には反応した。
「……甘ったれるなよてめえ」
「何だと」
「てめーがなんで森に攻め込んで来てんのかなんてどーでもいいしまったく興味ねえけどよ、自分のくっっっさいオレルールがそんなに大事かよてめー。家族泣かして謳歌する自由は愉しいか? あ? そーゆーのは所帯持つ前に卒業しとけやアホが」
「貴様に理解できようとは思わんが、彼女らをこれ以上泣かさぬためのことだ」
瞬間、胸ぐらをつかまれた。
体が宙に浮く。幽鬼王の瘴気にまるで蝕まれることのない、強壮そのものの拳だった。
凄愴なる瞋恚が、その眼光には宿っている。
「――今!! 泣いてんだよあいつらはボケコラカスコラァ!!!!」
「言いたいことはそれだけか? 矮小な視点の感情論ごときでは何も響かないな。百年しか生きられぬ人族にも、緑の牢獄で骨抜きにされたエルフ族にも、どだい理解などできぬこと。もとより賞賛が欲しくて始めたことではない。私にしかエルフは救えぬ」
「わかるように喋れやぁ!!!!」
「では問おう。エルフ族と人族の男女が恋におち、禁忌を破って森を出奔することは稀にあった。そうして人族の社会に入り込んだエルフは、その後どういう人生を送ると思う?」
「あァ? しらねーよ。なんかそれなりに暮らしていくんだろうよ」
「暮らせんよ。人を疑わず、物に執着せず、善意を向ければ善意が返ってくると思い込んでいるエルフは、人族の社会では食い物にされるしかない。それでも伴侶が生きているうちは守ってもらえるかもしれんが、それも数十年で老いて死ぬ。ひとり残されたエルフの末路は、餓死か、ゴミを漁る浮浪者か、奴隷じみた小作農か、娼婦となって病をうつされ、短い生涯を終えるか。いずれにせよ惨めなものだ」
「それがなんだっつーんだよ」
「ではもうひとつ問おう。オブスキュア王国はこのままいつまでも続くと思うか?」
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