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血戦

  目次

 煉獄滅理が、軋みを上げていた。
 ただ一人の悪鬼の妄念は、圧力を増す森の歪律領域ヌミノースによって、絞り上げられるようにその効果範囲を狭めていった。
 剣戟の音色がさまざまな感情とともに木霊し、死合う両雄の間で壮絶な交響を奏でる。
 霊妙なる神韻を発する刀と、濡れ羽色の焔をまとう魔剣が、幾度も噛み合い、絡み合う。
 それは至上の剣舞であり、同時に絶唱を極めたデュオであった。総十郎とギデオンの魂が、ひとつの楽曲を紡ぎ上げている。激突の度に、多彩に音色を変える神韻が、二人の剣士の想いと信念を歌い上げていた。

 ――ほんのかすり傷でもつけることができれば。

 研ぎ澄まされた戦闘感覚が、勝利への道筋を模索し続けている。絞り上げられ、濃度を増した煉獄滅理ならば、ただそれだけの負傷でもギデオンの肉体を八つ裂きに滅することができるであろう。
 だがそれは、総十郎とて同じこと。己に比肩する剣腕の持ち主を前にして、それでも確実に首級を獲るには、常識を超えた方策が必要なことは明らかであった。
 迅雷の踏み込みとともに袈裟の一刀。ギデオンはそれを悠々とかいくぐり、すれ違いざまの胴抜き。
 寒気を催すほどに容赦のない後の先であったが、その刃は総十郎の腹筋を掻っ捌く寸前で止まる。普段は空中に張り付けて足場として活用する霊符が、ほんのひとときギデオンの神統器レガリアを押しとどめていた。
 と同時に、総十郎の爪先が跳ね上がって〈黒き宿命の吟じ手カースシンガー〉の鍔元を蹴り上げる。回転しながら宙を舞う魔剣には目もくれず、札化していた神韻短刀を投げ打った。銀の流星と化してギデオンの胸元を射抜くかに思えた神速の投擲だが、所詮直進しかしない攻撃手段だ。常人の動体視力では認識不可能な短刀の柄を、闇の英雄は嘲笑うかのように掴み取る。直後に神統器レガリアがその手元に戻ってきた。

「はッ、浅はかだな。その程度で私の意表を突けるとでも?」
「思っておるとも。そら、次の手管である。」

 ぽん、と音を立てて、神韻短刀が総十郎の姿に変化した。身代わり札の表裏転換。登録されている動作は静殺傷性に富んだ暗殺技。
 神籟孤影流斬魔剣、武式伍伝――〈うみやめぼし〉。
 敵の腕をぐいと引き、背後から頸椎に左腕を回り込ませる。そのまま鋏を閉じるがごとく肘関節を曲げ、上腕と前腕の骨をもって敵の首を圧迫。さらに右腕が箍のように左手首を固定し、技は完成する。

「――安息せよ。」

 身代わり総十郎がそう呟くと同時に、ごきりと鈍い音がした。
 窒息や血流阻害などは〈うみやめぼし〉の本義ではない。速やかな頸椎の破砕こそが技の要諦だ。通常、このような密着する体術は幽鬼王レイスロードに対して悪手である。その総身から溢れる瘴気によって生命力を減衰させられ、こちらが逆に追い詰められることは自明。
 だが、不動明王の加護によって発生する身代わりは、厳密には「触れることもできる幻」であり、尋常な意味での生命活動など行っていない。不死化の瘴気など、身代わり総十郎には何の意味もないのだ。
 だが、意味がないと言えばアンデッドに対して首の骨を砕く行いもまた、意味がない。闇の呪力は即座にギデオンの物理的損傷を修復しはじめる――
 ――はずであった。
 ギデオンがもがく。だが身代わり総十郎は離れない。万力のように力を込めつづけている。再生が進まない。治る端から砕かれ続けている。
 否、それどころか身代わり総十郎の左腕はますます閉まってゆく。最終的に、この技は敵の首を物理的に断裂せしめるのだ。闇の剣士は〈黒き宿命の吟じ手カースシンガー〉を逆手に持ち替えて背後の敵を刺し貫くが、拘束が緩む気配はない。

「愛深きが故に道を外れた哀しき魔よ、この一刀にて御身を救わん。あるべき輪に還るべし。」

 喝とギデオンの目が開き、その口が「だまれ」と動いた。
 不浄の幻炎が沸き起こり、幽鬼王レイスロードの姿が消滅する。霊体化だ。身代わり総十郎も巻き込んで、異界へと入り込んだ。

 ――かかった。

 今の発言はブラフである。身代わりを絡み付かせて動きを鈍らせたのち、神韻の一刀にて浄滅する――などという常識的な戦法で彼を討ち果たせないことはわかり切っていた。これより総十郎が成すのは、より悪辣なる怨霊調伏法である。
 現在ギデオンに絡み付いている身代わり総十郎は、敵の霊体化に引っ張られて非物質領域インマテリウムへの突入を余儀なくされた。
 強制的に、霊体化させられた。
 結果何が起こるのか。
 今まで札の形で物体としての殻に包まれていた不動明王の霊力が、堰を切ったように溢れだし、爆発的に拡がったのだ。
 この世ならざる空間を隔て、ギデオンの絶叫が轟き渡る。
 不動明王の慈悲は無限なれど、さすがにアンデッドがごとき理に反した怨霊に対しては「滅却」以外の対応など取るまい。
 たとえ彼の人品が悪とは到底言えぬとしても、こればかりはどうにもならぬ。かの神格が放つ浄滅の迦楼羅焔は、元来三千世界すべてを覆い尽くす規模のものだ。いかに霊体化して一般相対性理論の軛を脱した者と言えど、どこにも逃げ場などない。

 ●

 この世界に存在するアンデッドのうち、この瞬間たまたま霊体化していた怨霊たちは、すべて、ことごとく、根こそぎ、滅び去った。その怨恨も、渇望も、未練も、なにもかも、遍く宇宙に広がる不動明王の大威光によって焼き滅ぼされ、消滅した。
 霊感に優れる僧侶の中には、人々の間に蔓延る霊障が明らかに減ったことに気づいた者もいたが、その原因を解き明かすことはついになかった。

 ●

 ――この世界に輪廻の理が存在してゐるかは定かならぬが、どうか御身の黄泉路が安らかならんことを。

 総十郎は、祈った。だが、何に祈れば良いのかはわからなかった。
 奇妙な敗北感があった。総十郎はこれまで多くの戦いを潜り抜けてきたが、苦い結末に至ったことなどない。それは、故郷の世界においてはもちろん、過去三度の異世界召喚の折すら例外ではない。良き人々は必ず笑顔を取り戻し、看過しえぬ悪は滅し、同情の余地のある悪にも適切な裁きと救いをもたらした。総十郎はそれらの結末を、常に余裕をもって悠々と勝ち取ってきたのだ。

 ――なんたるざまであるか。

 ギデオンは滅んだ。総十郎が滅ぼした。だが、その性は邪悪には程遠かった。抱いた願いは尊かった。彼との和解を望む妻子もいた。
 それらすべての想いを踏みにじり、総十郎は王国を救った。
 どれほど思考を巡らせても、こうする以外の道筋を見いだせない。

【続く】

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