見出し画像

娘が“進んでいる”のは、ギフテッドだからではない(カナダの数学と、日本の土曜日の話)

私には、二人の娘がいる。

上の娘は、去年から高校生になった。九年生(日本では中学3年生)。現地校の中学の終わりの年に、ギフテッドの授業——こちらでは Partial Enrichment と言うのだが——に入って、そこで何かに火がついたらしく、高校はIB(国際バカロレア)のコースを選んだ。下の娘は、この六月に小学校を終えて、秋からは中学校の Full Enrichment、つまりギフテッドのクラスに入ることになっている。

親として、まったく誇らしくない、と言えば嘘になる。二人とも、現地校では算数や理科が「進んでいる」ほうだ、と言われる。ギフテッドのクラスに、と声がかかるくらいだから、そうなのだろう。

——だが、正直なところ、私はこれを、娘たちが特別に賢いからだとは、あまり思っていない。

種を明かせば、二人は毎週土曜日、日本語の補習校に通っている。日本のカリキュラムに、片足を突っ込んでいるわけだ。そして日本の算数・数学は、ご存じのとおり、計算をよく回す。だから、こちらの学校の進み方からすると、日本のカリキュラムでの算数や数学は、たいてい少し先に行っている。つまり、娘たちが「進んでいる」ように見えるのは、才能の話というより、土曜日に別のカリキュラムを一枚多く踏んでいる、という、それだけの話でもある。

カナダの学校の数学は遅い、とよく言われる。実際、日本と比べれば、進み方はのんびりしている。ただ、私はこれを、単純に「遅れている」とは思わない。こちらの数学は、計算そのものに、あまり重きを置かない。何桁の掛け算を速く正確に、とか、公式を暗記して、といったことを、あまり要求しない。私はもともと数学科の出身なのだが、この、暗記や反復にあまり寄りかからないやり方に、むしろ好感を持っている。数学の面白さは、計算の速さとは、本当は、あまり関係がないからだ。

だから、娘たちの「先取り」を、私はそれほど手放しでは喜べない。計算が速いことと、数学が分かることは、似ているようで、けっこう違う。土曜日に磨いているのは、たぶん前者のほうだ。

——と、ここまで書いてきて、気になるのは、これから日本で本格化するらしい、ギフテッド教育のことだ。

まだ状況証拠しかないが、正直、いやな予感がしている。今のところそれは、「できる子を、より速く、より先へ進ませる」仕組みとして受け取られている気がする。だとすると、たぶん、うまくいかない。というより、それは、また一つ、新しいラベルを増やすだけになる。ギフテッド、という名の、新しい選抜の札を。

日本は、ラベルを貼るのが、昔からうまい。偏差値、順位、〇〇校。そこにもう一枚、「ギフテッド」が加わるだけなら、子どもたちにとっては、ただ札の種類が増えるだけの話だ。

本当に要るのは、たぶん、そういうものではない。速く進ませることではなく、一人ひとりの進み方の、その差そのものに、柔軟につきあうことだと思う。速い子は速いなりに、ゆっくりの子はゆっくりなりに、別の入り口から入れること。進ませるだけが、ギフテッドではないはずだ。

うちの娘たちを見ていても、思う。上の娘に火がついたのは、先に進めたからではなく、たまたま、当人が好奇心を持ち、さらに深く知りたいと思う入り口に出会えたからだった。順番を早送りしたからではない。

子どもは、追い越し車線に乗せるレースの選手ではない。少なくとも、私はそう思っている。ラベルを一枚増やす前に、この当たり前のことだけは、どこかに書き留めておいてほしい。——数学科くずれの、一人の親の、勝手な願いではあるけれど。

少し前に、こんな記事も書いているので、興味あればご覧ください。


いいなと思ったら応援しよう!