【小説】さらば、愛しきポンコツ勇者たちよ 第6話 情シス部の勇者
彼が勇者と呼ばれたのは、皮肉なのか、親しみなのか──。
情シス、つまり情報システム部門の彼は、社内でもっとも見えづらく、もっとも謎めいた存在だった。 だが、ある種のカリスマ性があった。 ……たとえば、こんな伝説がある。
「ZIPファイルの作り方が分からない情シスがいる」
新卒1年目の営業部員がSlackに書き込んだ。
「すみません、顧客提出資料をZIPにして送るよう言われたんですが、やり方が……」
その投稿を見た情シスの彼は、即座にスレッドを閉じた。 ──10分後。
チャンネルには、手順書へのリンクが貼られていた。コメントは一行だけ。
「“まとめる”というのは、こういうことです」
だが、そこに貼られていた手順書は──なんと、3日前に彼自身が新人に作らせたばかりのものだった。 しかも、実際には彼もZIPの作成でミスをしており、こっそり総務の新人に聞いていたというのだから、もはや伝説である。
ある夜、営業部が大手クライアントへの提出資料をアップロードしようとしたとき、ファイル共有サーバにアクセスできなくなった。
「情シスの方、いらっしゃいますか?」 「今日中提出なんです、お願いです……!」
Slackには悲痛なメッセージが並ぶが──誰も、反応しない。 上司が“緊急対応窓口”に電話をかけた。 ……留守電だった。
翌朝、彼は何事もなかったかのように出社し、一言。 「すみません、Slack通知切ってて」
その日以降、社内ではこう囁かれるようになった。
──「魔物が出るのは夜。でも、勇者は昼しか働かない」
彼には、他にも逸話が多い。 メール添付ファイルのパスワード付きZIPが社内で問題になった時、セキュリティ方針の策定を一任された。
彼が提示したドラフトは、なぜか“手動でのZIP圧縮”と“別メールでのPW送信”を奨励する、逆行仕様。
「それ、今まさにセキュリティ事故の温床って言われてるやつでは?」
と経営企画部から突っ込まれても、彼は微動だにせず言い切った。
「“手動”こそ、最高のセキュリティです」
それでも、彼が一部から信頼されていたのは、社内の“灰色ゾーン”に手を差し伸べてくれる存在だったからだ。
・管理部の古いAccessデータベースを、無言で再構築してくれていた。
・社長が気に入っていた旧メールソフトを、裏で仮想環境に残して動かし続けていた。
・全社共通フォルダの謎ファイル「new_new_最新版(マジ).xlsx」を、誰よりも先に削除していた。
誰も表立って感謝はしないが、みんななんとなく「いてくれてよかった」と思っていた。
──ただし、“問題が起きるまでは”。
定例のIT統制レビューで、社外監査人から指摘が入った。
「ユーザー権限管理が属人的です。ログの保存期間も短すぎる」
その時、彼は小さく頷いた。
「……情シスも、属人で回してますので」
その言葉に、一同は絶句した。
最終的に、経営層は彼の異動を決めた。 新たな体制構築のため、よりセキュリティ強化された運用を──と。
異動の発表は唐突だった。 「来月から、社内ラーニング部門のシステム企画に異動になります」
Slackには「お疲れ様でした」のスタンプが並び、彼はこうDMを返したという。
「ZIPより、心の解凍が難しかったです笑」
送別会での彼は、変わらず淡々としていた。
だが、一次会の最後、酔った若手が言った。
「結局、“情シスの勇者”って、何してたんですかね?」
すると隣の先輩が、ポツリと返した。
「……あいつ、たぶん“守ってた”んだよ。いろんなものを、音もなく」
それが何を意味していたか、今もよく分からない。
けれど、彼がいたことで、確かにいくつかの混乱は避けられていた。
供養録: 「次こそは、ZIPより“夜の一報”を届けてくれると信じているよ」
(最終話へ続く)
