【小説】さらば、愛しきポンコツ勇者たちよ 第5話 総務部の勇者
「──また、“旗振り役”でお願いします」
その言葉が出るたびに、彼は少しだけ笑った。嬉しそうに──ではなく、どこか、照れくさそうに。
総務部の彼は、社内プロジェクトの“旗振り役”として、何度も抜擢されてきた。
部門横断のDX推進PJ。新社屋移転のタスクフォース。全社イベントの企画運営。 ……そのどれもが、混沌の中に消えていった。
彼は、誠実だった。 どんな案件も、まず丁寧に全体像を把握しようとし、参加者にヒアリングを行った。 資料も手作り。議事録も即日作成。Slackのスレッドもわかりやすく整えられていた。
──でも、会議が始まると、誰も話さなかった。
部門同士の利害はぶつかり合い、現場のリソースは不足していた。 「それ、うちのチームだけじゃ無理です」「そのスケジュール、さすがに非現実的では?」
空気は凍りつく。 そして、彼は言うのだ。
「……一度、持ち帰って整理します」
それが、定例会議で何度も繰り返される“結論”になっていた。
「総務って、なんでも屋ですよね」
ある日、若手社員が漏らした言葉に、彼は頷いていた。
「そうですね。なんでも屋で、誰の味方でもあるべきですから」
──でも、誰の味方にもなれない瞬間がある。
誰かの側に立てば、誰かから距離を取ることになる。 だから、彼はいつも中立でいようとした。 公平に、丁寧に、全体を見渡すこと。
だが、プロジェクトとは“誰かが決めなければ”進まないものだった。
「全員の意見を聞いた結果、動けなくなりました」 それは、丁寧の果てに起きた停滞だった。
彼には、決める力がなかった。 いや、正確には、“決めていい”と思っていなかった。
「これは、あくまで現場が主体のプロジェクトですから」 「我々はあくまで、調整役として……」
調整役。潤滑油。旗振り。 ──だが旗を振る者には、先導する覚悟が求められた。
誰も動かないなら、自ら一歩を踏み出すこと。 彼は、それを“越権”と捉えていた。
定例会議のあと、企画部の若手がSlackでつぶやいた。
「また振り出しか……何ヶ月も何やってたんだっけ」
彼は即座に反応した。
「気を悪くさせたらすみません。次回は必ず方向性を出します」
でもその「次回」も、また意見が割れた。 そのまた次も、同じだった。
やがて、プロジェクトは自然消滅する。
Slackのスレッドは更新されず、誰も「終わった」と言わないまま、時だけが流れていった。
彼には、過去に一度だけ“強く出た”経験がある。 それは、福利厚生制度の改訂案に関する全社説明会だった。
「現場の声を反映して、制度を刷新しました」 彼はそう語った。
──だが、その「現場の声」は、実際には役員陣が気にした予算制限の意向が色濃く反映されていた。
説明会後、若手のひとりがSlackで書き込んだ。 「なんか、聞いてた話と違う……」
彼は、それに反応しなかった。
そしていつの間にか、誰も制度のことを話題にしなくなった。
あるとき、会社の周年イベントの責任者を任された。 社長や役員も参加する重要イベント。彼は準備に奔走した。
「全社が一つになるきっかけにしたい」
その熱意は本物だった。
だが、当日──機材トラブルが起きた。
オープニングムービーが再生されず、司会の進行も混乱。
彼は慌てて駆け回った。 関係各所に指示を飛ばし、マイクを手に取り、フォローに回った。
終わった後、彼は深く頭を下げた。 「至らず、申し訳ありませんでした」
参加者の多くは、「ああいうのもトラブルのうちだよ」とフォローした。 でも、彼の目の奥にあった悔しさは、誰よりも深かった。
彼の異動が知らされたのは、異動内示の前日だった。
「次は、社内広報に行くことになりました」
笑顔で報告する彼に、部内は少しざわついた。
「……なんか、終わったって感じですね」
誰かが言った。 その一言に、プロジェクトの終焉を感じ取った者もいた。
送別会の帰り道、若手の一人が言った。
「いつも中立だったけど、あの人が先に動いてくれたら、もうちょっと違ってたかもな」
誰かが返す。 「……でも、あの人がいたから、ギリギリ揉めずに済んだ部分もあったよ」
正解なんて、きっとなかった。
供養録: 「次こそは、“旗”を振るだけじゃなく、前に立てるといいね」
(第6話へ続く)
