日本の教育システム、特に都市部の『お受験』を巡る空気感に、なんとも言えない息苦しさを感じているのは私だけではないはずです。
麹町中学校を巡る議論がSNS上で燃えています。
私が暮らす長野県での日常と、都会の教育環境との落差について改めて考えてみました。
今、日本の教育システム、特に都市部の「お受験」を巡る空気感に、なんとも言えない息苦しさを感じているのは私だけではないはずです。
ここ長野県には、首都圏のような熾烈な中学受験文化はほとんど存在しません。同じ日本なのに。教育県と言われる長野なのに。
そもそも私立中学校がそんなに多くありませんから、小学校や中学校を受験する子供がクラスにそれほど多くありません。
地方の子どもたちは、放課後になれば友達と遊び、季節の移り変わりを感じ、ごく普通の少年少女時代を過ごしています。
文字通り、のびのびと生きているように見えます(もちろん、地方なりの悩みや課題もありますが)。
一方で、最近増えているのが都市部からの教育移住です。 長野に引っ越して来られるご家族とお話しすると、口を揃えておっしゃいます。
「今の都市部の教育環境・競争システムに疑問を持ったから」。
首都圏で過酷な中学受験に走る親御さんたちを、単に親のエゴや見栄と一蹴することはできません。
不安なのです。
子どもを想う気持ちが人一倍強いからこそ、逃げ場のない環境に追い込まれているのだと感じます。
周りの空気(みんな塾に行っているという圧力)
情報過多(SNSやネットにあふれる偏差値と合格実績)
不安を煽る教育ビジネス(今やらないと遅れるという恐怖訴求)
少子化が進む中、教育ビジネス界隈は生き残りをかけて過当競争に陥っています。
結果としてターゲットにされるのは、親の「子どもをより良い環境で学ばせてあげたい」という切実な想いです。
溢れかえる情報と恐怖心に包まれ、ノイローゼ寸前になりながら塾の送迎をする親御さん。
そして、10歳や11歳という年齢で、放課後のすべてを受験勉強に捧げる子どもたち。
都会の街全体が、教育という名のもとに窒息しかけているように見えてなりません。
都会では夜の9時10時に、塾帰りの子供が暗い夜道をひとりで歩いて、又は自転車で帰宅しています。明日はまた学校だと言うのに。
いつ、遊ぶんだ。
失われている数値化できない時間
受験勉強によって得られる能力は数値化しやすいが、失うものは数値化しにくいという指摘があります。
例えば、
放課後に集まり、何をして遊ぶか決める
ケンカして、仲直りする
年下の子を仲間に入れる
新しい遊びを創る
このような、一見、生産的なことをしていない時間にこそ、人間関係を学び、他者と協調する力が育まれます。
私は小中学生の頃はいじめられ、無視され、仲間には入れてもらえませんでしたが、空想系インドア派(引きこもり)でしたから、救われました。
そして、県立のバンカラな(死語)商業高校で、世の中の理不尽さや、大人(先生)には情熱的、ただのサラリーマン、人としておかしなやつがいることを学び、この『偏差値』外の学びが会社を起こしてから、どれだけ役に立っているか、計り知れません。
地方は豊かだなと思うのは、都会と違い、暮らしている人の心に余裕があるので、子供もそこまで窮屈ではない。
車を少し走らせれば森や川があり、日帰り温泉に行けば、土地のじいさん、ばあさんに混ざって湯船に浸かる。若い子は、まあ必ず地元の、じいさんばあさんから話しかけられる。
こんな、地方でしかできない経験こそが、幼少期から思春期にかけての、子供たちの発達に欠かせないのではないか。
その視点を中学受験は奪ってしまうのではないかと、危惧します。
AIが人間をはるかに超えた知識や処理を軽々とこなす時代、本当に必要なのは「入試問題集を早く正確に解く力」でしょうか?
それとも、「答えのない問いに対して、自分の意見を持ち、他人と対話し、行動に移すしたたかさ」でしょうか。
12歳の冬、大勝負を大人にセットされ、勝った子も、叶わなかった子も競争のレールから降りられない。降ろしてもらえない。
そんな大人が作った構造の中で、かけがえのない成長機会が奪われている気がしてなりません。
おかしいなと思ったら避難してもいい
中学受験そのものを全否定するつもりはありません。難問を楽しめる子や、特定の私立校が持つ独自の価値観(世間の勝ち組とは異なる物差し)に惹かれて挑戦することは素晴らしい体験になり得ます。
とは言え、「周りがみんな受けるから」「公立に行かせるのが不安だから」という消極的な理由で、家庭ごと狂騒曲に巻き込まれて疲弊しているのであれば、一度立ち止まってもいいのではないでしょうか。
子供は最大の犠牲者ですが、お母さんやお父さんも苦しいはずです。おばあちゃんも巻き込まれて大変だと言うご家族を知っています。
都市部のおかしな空気や息苦しさに限界を感じたら、地方に避難する(教育移住やローカルな暮らしを選択する)のも、決して逃げではなく立派な「戦略的転身」です。
のびのびとした環境の中で、よく遊び、本を読み、地域社会と触れ合い、しっかり悩みながら大人になっていく。大人になったとき、その子の中に残っている本当の強さとは何か。
「どの学校に行かせるか」という目先の偏差値ではなく、「どんな人生を歩んでほしいか」という長期的で温かな視点に立ち返る時期が来ているのだと思います。
長野県に移住して来られるご家族から聞いた話しでは、例えば、修学旅行の行き先やプランを自分たちで決める。旅行会社を入れない。
すごいなと思いました。これは大人になっても必ず役に立ちます。
文化祭のお化け屋敷では、先生がお化け役で、子供たちがお客さん。笑えますよね。
勉強はできないより、できたほうがいいのは当然ですが、他にもたくさんある『本当に大切なことは何か』を、社会全体で議論して行く必要があると感じます。
長野はとても良いところですよ。田舎だから、まあ色々ありますが、少なくとも満員電車とギスギスした空気はありません。駐車場はほとんど無料。軽井沢に近寄らなければ渋滞とも無縁。野菜と水が美味しい。
親御さんの気持ちと生活にゆとりがあってこその受験だと思うのです。まずは、親御さんを社会が守ってあげないと。
そのくらい、今の受験教育ビジネスは一線を超えていると思います。
皆さんは、今の日本の加熱する中学受験について、どう思われますか。
ご意見をぜひ、聞かせてください。
そして、受験だけではない、地方の心の豊かさをもっと伝えていきたいです。
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