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教育移住の理由は、英語でも進学でもない2020年6月30日、自由な香港が終わった日

教育移住の原点は、英語でも進学でもない。
2020年6月30日、国家安全維持法施行前夜。
「自由な香港」が終わると分かっていた日、私はカイタックの夕日を見に行った。
小学生を育てる場所として、ここは終わったと判断した理由を、当事者として記します。

教育移住の話をすると、
よく「勇気がありますね」「思い切りましたね」と言われます。

でも正直に言うと、
私の人生で一番悲しかった日は、
海外に出た日でも、日本を離れた日でもありません。

2020年6月30日。
香港で国家安全維持法が施行される、その前日。

「自由な香港」が、終わると分かっていた日です。

あの日、私はカイタックに夕陽を見に行った

その日は、特別なイベントがあったわけでもありません。
誰かと約束をしたわけでもない。

ただ、「今日で終わる」と分かっていたからです。

私は一人で、カイタックに夕陽を見に行きました。

出典

香港島には渡航して最初の1カ月だけ住んだだけ。
2009-2020年の香港在住期間のほぼすべてを、私は九龍半島側に住んで過ごしました。
私にとっての香港は九龍半島側のこと。
そしてカイタックは、旧空港があった場所です。

出典


出典

かつて空港があった場所。
夕方になると、風が通って、
香港らしい湿った空気の中に、オレンジ色の光が落ちていく場所。

観光地でもなく、SNS映えする場所でもない、でもむしろ大好きなボロいビル。
私が好きだった香港が、全部そこにありました。
そして、夕陽を見に来ていていたのは私だけではなかった。
その時30人は来ていました。
きっと同じ気持ちだったんだろうと思います。

香港は「住む場所」じゃなく「生き方」だった

私は香港に10年以上住んでいました。
先に香港で起業していた夫と結婚し、子どもを産み、育て、広東語を覚え、香港のノリに合わせ自分も変えつつ、この街で人生を組み立てるつもりでした。
娘たちにも将来香港で働いて欲しい、そういうつもりでした。

香港は、雑で、うるさくて、でも静かなのなんて香港じゃない。
ビジネスは効率最優先なのに、下町のおばちゃんは大阪そっくりのノー距離お節介。
香港人と大陸系中国人はいっつも新聞上でケンカしてる。
フィリピン人ヘルパーたちは日曜日道端でピクニックして歌い踊り、インドネシア人ヘルパーたちもガールズトーク。
重慶マンションを通れば『ニセモノ時計あるよ』と話しかけてくるインド人たち。
子供の小学校の親のメッセンジャーグループでは、インド母さんやネパール母さんが『子どもの漢字の宿題の答えだれか教えて!』とヘルプし合って、毎日それでも漢字を頑張り、外国人だって香港人だってそこでは自由と仲良しがあった。

政治の話をしてもいい
政府を批判してもいい
違う意見を言っても、逮捕されたりしない

それが、当たり前だと思っていました。

でも、その「当たり前」が、その夕陽が沈んだ瞬間に終わると分かっていた。次の日から法律がガラッと変わって、別の国みたいになる。本質的には『みたい』ではなくて、別の国になることを香港在住者全員知っていました。
それが私の2020年6月30日です。

国家安全維持法が意味していたこと

2020年7月1日から施行される国家安全維持法は、

・世界中の人に適用され
・過去の言動にも遡及し
・何が罪になるかも明確でない

これが法律の形をした、思想・言論弾圧でなくてなんなのか。

「何を言ったらアウトか分からない」というものすごいプレッシャー。

その空気が、もう前日から、街に漂っていました。

そしてこれだけ多くの人がそれに抵抗しても、ダメなのか。
21世紀にこんなこと起こっていいのか。
それも感じていました。

中には言葉を封じられてもジェスチャーで闘おうとしていた人もいました。ベティ撮影

香港の当時の雰囲気をご覧になりたい方のために
写真をGアルバムにしてここに置きますね。

(記者や研究者の方へ:写真はお仕事上の資料として使用してくださってかまいません)

小学生を育てる場所として、ここは終わった

私は政治活動家ではありません。
デモにも一度も行ったわけではないし、両陣営ともに暴力手段(ガラスを割る)を使うのに辟易もしていました。

でも、
「言いたいことを言えないどころか、『頭の中で考えること』すら刷り込まれるような場所で、子どもを育てられるか」
と考えたとき、答えは明確でした。
香港を出なければ。

子どもは、親が言葉を選ぶ姿を見て育ちます。

本音を飲み込み、空気を読み、
「これは言わない方がいい」と学ぶ社会。
大人が二陣営に分かれていがみあっている社会。

それを、私は2人の娘に見せたくなかったのです。

夕陽を見ながら、私は泣いた

その日もカイタックの夕陽は、
いつもと同じように、静かでした。

海も、空も、
何も変わっていない。

でも私は分かっていた。

今日で終わる。
明日からは、別の街になる。

好きだった人が、死ぬ前の日みたいでした。

その日、私は泣きました。
声を出さずに、ただ、立ったまま。

教育移住の原点は「自由が終わった日」

私が教育移住を語るとき、
その原点はいつも、ここに戻ります。

英語でも
学歴でも
グローバルでもない。

「自由がない場所では、子どもを育てない」

それだけです。

教育は、キラキラした成功談じゃない。

時には、失ったものを抱えたまま、
別の場所でやり直す話でもあります。


2020年6月30日。
自由な香港、最後の日。

私は、あの夕陽を
一生、忘れません。


(続く)
このあと「香港→沖縄→オランダ」につながっていく話を書いていきます。
フォローして待ってもらえたら嬉しいです。

2025.12.21
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