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教育を人生設計として考える連載のおまけ。「バイリンガル」「トリリンガル」とか、気軽に言うな

海外生活14年、教育移住4回。
香港やヨーロッパで暮らしてきて、「バイリンガル」「トリリンガル」という言葉が話題になる場面に一度も出会わなかった。なぜ日本では、それが特別なラベルになるのか。
言語はゴールではない。生きるためのインフラ。教育を構造で考え続けてきたベティによる、連載読了者向けの補遺。

こんにちは。
教育移住を4回、海外生活14年。
インターナショナルスクール、公教育、撤退、立て直しまで一通り見てきたリアル孟母ベティです。

連載①〜⑥では、

  • 思考停止がいちばん危険なこと

  • 母語とCALPが壊れる構造

  • 「どこにも行けない」状態が生まれる理由

  • それでも立て直せる家庭の共通点

  • 年齢別に、今から打てる現実的な手

を、かなり真面目に書いてきました。

今日は、その全部を読んでくれた人にだけ向けて、
どうしても言っておきたいおまけです。

申し訳ないけど、以前から吐きたいと思っていた毒があるんですよ。
毒見たくない人はここでブラウザバックでお願いしますね!

それは「バイリンガル」「トリリンガル」なんて珍妙な英単語
海外でたら使いもしないってことです。


「バイリンガル」という言葉自体が、すでに日本的すぎる

正直に言います。

海外で14年暮らしてきて、
「あの子バイリンガルだよね」
「トリリンガルでさ」
なんて会話を、私は一度も聞いたことがありません。

香港でも、ヨーロッパでも、
それは話題にするほど特別なことではなかったからです。

だって、向こうではそれが「普通」だから。

香港は、広東語・北京語・英語が出来て当たり前。
オランダも、英語が出来て当たり前だし、ヨーロッパは隣の国の言葉が話せる人多数なのは有名な話ですよね。

「目が2個あるわよ!」って、わざわざ言わないのと同じ

考えてみてください。

「あの子、目が2個あるのよ!」
「えっ!左右に2個も!?」

っていう会話を人生でしたことはありますか?ないですよね?

私がいた香港やヨーロッパでは、
複数言語を使うことは、まさにそれと同じ扱いでした。
むしろ「えっ英語話せないの?!(目が1個しかないの)」なら話題になるでしょうね

なので私はNOTEで、自分の子どもをバイリンガルだのトリリンガルだの呼んだことは一回もありませんし、これからもそのつもりでいます。

向こうでは「何語話せる?」じゃなく「何ができる?」

海外で聞かれるのは、

・どこの学校?
・今、何を勉強してる?
・何に興味があるの?
・将来、何がしたいの?

であって、

「何リンガル?」
「家庭内言語は?」
ではありません。

言語は能力そのものではなく、道具
だから「何語を話すか」よりも、

その言語で、何を考えられるか
何を作れるか
どこに参加できるか

のほうが、ずっと重要視されている。

目が1個だろうが2個だろうが3個だろうがですね、
「その身体を使って何がしたいの、何ができるの」
という話なんだと思っています。
なので社会参加できて経済的自立できるなら
モノリンガル(一言語)でも全然かまわない。

日本で「バイリンガル」が特別扱いされる理由


正直バイリンガルだのトリリンガルだのと
「子どものラベル」「育児のラベル」が
乱用される状況に違和感を覚えているんですよね、ごめんね。

逆に、日本ではなぜここまで
「バイリンガル」「トリリンガル」が
特別な肩書きのように扱われるのか。

理由はシンプルですよね。

日本が、単一言語社会だったから

だから、

・英語が話せる=すごい
・複数言語=才能
・バイリンガル=成功の証

という幻想が生まれやすい。

でもそれは、
世界基準ではかなりローカルな感覚です。
はっきりいえば、グローバルスタンダード教育から見ると「珍妙な感覚」です。
なんか目の数自慢して廻ってる子がいるーみたいな。

危険なのは「育児をラベル化した瞬間」

本当に危険なのは、ここです。

「うちの子はバイリンガルだから大丈夫」
「トリリンガルになる予定だから将来安泰」

こうして、
言語数が“能力のラベル”だと誤解された瞬間
思考が止まる。

・その言語で論証できる?
・抽象的な議論ができる?
・社会制度を理解できる?
・所属できるコミュニティはどこ?

この問いが、消える。
言語の数だけ増やせばいいっていう問題じゃないだろう、という話なんですよ。

そんなん言いだせばうちの長女は
日本語と英語とスペイン語とオランダ語と広東語と
北京語とあと趣味でやってるロシア語がわかりますよ。
でもそんなこと私にとっては全然重要じゃない。

この間沖縄から大阪行くときに「パスポート持った?」って
沖縄あるあるギャグをこの子に振ったら、
長女はマジでパスポートをカバンに入れだした世間知らずです。
なので、そんな話せる言語の数だけ数えても意味がない。

世界では「バイリンガル」はゴールじゃない

海外では、

バイリンガル=到達点
ではありません。

スタート地点か、前提条件です。

その上で、

・どんな思考をするのか
・どんな仕事をするのか
・どんな価値を生み出すのか

が問われる。

だからこそ、
海外で長く生きている人ほど、
「バイリンガル」という言葉を使わない。

だから、バイリンガルとか気軽に言うな

「バイリンガル教育」
「トリリンガル育児」

その言葉自体を、
私は全否定したいわけじゃありません。

でも、
それをゴールのように語るな
安心材料にするな
思考停止の免罪符にするな

と言いたい。
だから私は、この連載で一貫して「言語の数」ではなく「戻れる構造」を書いてきました。

で、そんなに外国語が好きなら子どもに習わせるだけじゃなくて、
自分がやればいいじゃないですか?って思っています。

言語はラベルじゃない。
言語は、生きるためのインフラです。

目が2個あることを自慢しないように、
言語も「持っていること」ではなく、
どう使えているかを見ていきましょうよ。

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