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東大理三を超えて 【OB訪問:二宮英樹氏】

「医療の選択肢を患者に届ける」

今回は東大理三OBであり、株式会社データックの代表取締役を務める【二宮英樹氏】へのインタビュー記事をお届けします。

医療一家に生まれ、在学中から起業を志していた二宮氏は、20代最後の年に現在の会社を創業しました。

いまや通過点となった「東大理三」は、同氏にとってどのような場所だったのか。当時は咀嚼しきれなかった出来事も、その後の人生を重ねて初めて意味が見えてくることもあります。

AIが台頭する現在、改めて「東大理三」という場所を問い直すことで、「教育の本質」に迫ってみようと思います。


▪️豊かな自然、豊かな情操

小さい頃は、いつも、自然に触れていました。
それこそ、毎日どころか朝昼晩。川にいって、ザリガニを捕まえたり。
お父さんと、カブトムシを捕まえたり。

なんとも心が温まるエピソードだ。

二宮氏は福岡県大牟田市という自然豊かなこの地域で育った。
幼少時より、開業医である父に対する憧れがあったという。

医療一家の長男。4人兄弟の全員が生命科学を専攻した。

どのような家庭環境だったか、目に浮かぶ。
一つの転機は、中学受験だったという。

お父さんが、ラ・サールだったんです。それで、僕も。

ラ・サール学園。言わずと知れた名門進学校。
鹿児島県に位置する中高一貫の男子校だ。

同学園の最大の特徴は、在学生の半分が寮生活であること。二宮氏も例にもれず。

ラグビー部に所属し、体育祭では四天王と呼ばれる要職も務めた。
固い絆が生まれない筈がない。

同学園で伝統的に受け継がれている“ファミリースピリット”。
きっと、それを体現するような生徒だったのだろう、と想像がつく。

▪️「東大理三」時代

東大理三では、医学部アメフト部で6年を過ごした。
気付いたら、入部していたと言う。

合格発表の時に、掲示板の前で、腰を抜かして。で、アメフト部の先輩に声を掛けられて、胴上げされて。あれよあれよという間に、気付いたら、入部していました。

70kg前後だった体重も、当時は100kgにまで増量したという。
今の細身の姿からは、とうてい想像がつかない。

リーグ戦では総合優勝を果たし、オールスター戦ではキャプテンにも選出されている。
では、アメフト一辺倒だったかというと、その限りでもない。

印象的なエピソードがある。
5年生時、自ら志願してパプアニューギニアのフィールドワークに赴いたというのだ。

大学のカリキュラムで選択できたとは言え、ハワイやカリフォルニア州を差し置き、あえてわざわざというのが普通の感覚だろう。

主食がさつまいもで、肉をあまり摂取しないのに、どうしてあんなにも筋骨隆々なのだろうか。それで、興味が沸いて。

部活を通じた身体操作、身体作りがこうじて、そのような発想に至るものなのだろう。
改めて、その探究心の深さに、舌を巻く。

▪️理三の功罪

同氏は、東大理三を一長一短と語る。

理三生は確かに、頭の回転が速いです。
お互いの意思疎通もスムーズで、その意味では“違い”を感じることも。
何て言うんですかね。
自分にとって未知の領域でも、構造を把握するのが、速い気がします。
知識の有無ではなく。
でも、それが社会に出てから、どの程度意味があるかと言うと。
そう単純な話でもないかな、と。

会社を経営する同氏は、人の特性を二つの軸で捉えているという。

一つは、どれだけ効率的に目標を達成できるか、という現実的なスキル。
もう一つは、どこまで遠くを目指せるか、というポテンシャル。

理三の人は、スキルは高いです。
やっぱり、受験勉強を通じて、ある程度は保証されていますから。
でも、ポテンシャルーーどれだけ遠くを目指すか、何を成し遂げたいかは、理三とはあまり、関係がないかと。
むしろ、賢さが仇となって、チャレンジを躊躇う傾向にあるのだとしたら、不利な側面もある気がします。

こうして捉えてみると、社会での活躍というものは、一体全体、何に由来するのかが気になってくる。

・家庭内や中高一貫校での環境によるのか
・東大理三に在学中、多面的な教育によるのか
・はたまた、卒業後の社会人経験によるのか

▪️理三"その後"

卒後のキャリアも、同年代としては独特だ。

初期研修2年の後に、脳神経外科を1年。
その後、直ぐに株式会社メドレーへの転職を果たしている。

病院にいた頃から、課題感があって。
『医療の質のばらつき』です。
「もう少し早く診断されていれば、もうちょっと良い結果だったろうな」と思うことがあって。
だったら、医療にまつわる情報が、患者さんにもっと身近だと良いと思ったんです。
当時それを形にしようとしていたのが、オンライン病気事典を手掛けるメドレーだったんです。

そこでは、医者からビジネスパーソンになる「洗礼」を受けたという。
東大理三の優秀さとは「全く別のものが求められていた」とも。

二宮氏は当時、キャリアにも迷っていたとも語る。

同期は、それぞれの専門研修を通じて、着実にキャリアアップしている。
それに比べて、自分は何をやっているんだろう、と。
この先、1年後、5年後、想像がつかなかったんですよね。

こうして、ラ・サールの先輩が経営するデータサイエンスの会社への転職を決意する。

データサイエンスで、『医療のばらつき』を改善できるんじゃないか。

そこでは、「標準化とは何たるか」を徹底的に叩き込まれたという。

代表は、本当に『自動化・標準化の鬼』みたいな人でした。
今の自分の基礎は、ここで構築されたと思っています。

入社して1年で、その会社が事業買収されたことも、良い方向に働いた。
もともと、20代での起業を考えていたからだ。

最後は「えいやっ!」でした。
先輩経営者から「起業するなら早めが良いよ」と聞いていたので。
本当に、その通りだなと思います。

▪️第二創業は35歳?

経営者同士の交流では、「何がしたいのか」と聞かれることが多いという。
ベンチャーキャピタルからの出資を受けていないことが理由らしい。

VCからの出資を受けていれば、ある程度、方向性は決まってきます。
上場を目指すのか、大企業に事業譲渡するのか。
ある意味、先の展開が読めるとも言えます。
でも、出資を受けていない場合、すべては自分次第なんです。
そうした時に「本当にしたいことは何か」を、自分でも掘り下げたくて。

34歳から35歳にかけての1年間、追求し続けた末に、一つの答えに辿り着いたという。

世界100億人の、人生を豊かにする。
これが、今、僕が考えていることです。

100億人といえば、現在の地球の人口を超えている。
先々の世代まで見据えてのことだろう。

2050年頃を、見据えています。
OpenAIのサム・アルトマンとか、凄いですよね。
スタンフォードに入って1年目。
19歳の時に「やりたいことは3つ」だと言って。
AIとか、核融合エネルギーとか。
あそこまでいくと、見ている世界が、桁違いですよね。

▪️スキルとしての逆算思考

壮大な発想に至った切っ掛けは、『逆算思考』だという。
二宮氏はこれを、後天的に獲得できるスキルとして意図的に“研究”してきた。

ちょうど2年ぐらい前でしょうか。
どうしても、自分に、そのスキルが欲しくて。
それを持っている経営者の方に、徹底的に話を伺ったんです。
すると大体、その方の考え方や、行動に、事細かに現れているんです。

例えば、「市場が行きつく最終形」からの逆算。
取り組む市場が、独占市場なのか、寡占市場なのか、あるいは競合が多い市場なのか。
その中で「あるべき姿」を思い浮かべ、その最終形に合わせて、逆算して考えていく。
ざっくり20年後の「こうありたい」に到達するために、5年後、10年後、15年後は「こう」と置いていくイメージです。

参考にしている人物の名前を伺うと、GMOグループ代表の熊谷正寿氏が挙がった。

熊谷さんは、55ヶ年計画を立てています。
ああいう、逆算思考の極みのような人を、参考にしています。

思い返せば、二宮氏は学生時代から、人の話を手書きノートに纏めていた。
スケール感は違えど、地に足をつけた営みは、変わっていない様に映る。

▪️おわりに

データック社の公式ページには、創業の思いが記されています。

医療データ研究の現場で困っている方々の声を聞き、
『これこそがデータックの天命だ』という決意でサービスを始めました。

※一部、意訳。

自分の仕事、会社の役割を「天命」とまで言い切れる人は、そう多くない。
現在の同氏は、「東大理三」を相対化しているようだ。

昔は、勝手に、ノブレス・オブリージュみたいなものを感じていました。
でも、今はもう、感じていません。
今の自分の周りで『凄いな』という方は、だいたい理三じゃないので。

幼少時からの家庭内教育、自然豊かな環境、全寮制という特殊な経験、社会人になってからの多様なキャリア。
その全てが重なって、いまの活躍があるのだと思う。

AIが台頭するこれからは、たんなる解法や技術は差別化にはなり得ない。
最後に残るのは「思想」。
二宮氏は、これを『自己表現』と語った。

私たちが、より良く生きるために。
それぞれが、それぞれの過去、それぞれの環境と丁寧に向き合い、真摯に因果を解きほぐしていくこと。
それが第一歩だと、私は考えている。

今回の記事は以上です。
次回以降も、「東大理三」を題材にして、教育の本質をめぐるコンテンツをお届けしていきます。

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銀座アイグラッドクリニック
院長 乾 雅人

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