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暴力と信仰の映画史|マーティン・スコセッシの世界 (1942–1976)

Part.1 誕生と覚醒 神の視点を持った映画青年(1942–1976)

 ニューヨーク、マンハッタン南部。古いアパートの窓の外からは、移民街リトル・イタリーの喧噪が絶えず聞こえていた。肉屋の怒号、車のクラクション、路地にたむろする少年たちの笑い声。

だが、その中で小柄な少年は外に出ることがほとんどなかった。喘息がひどく、走ることも、遊ぶことも許されなかったのだ。

マーティン・スコセッシ。

(Photo by Steve Schapiro/Corbis via Getty Images)

1942年、シチリア系の両親のもとに生まれたその少年にとって、世界は教会と映画館の二つに分かれていた。日曜には母に手を引かれ、聖パトリック教会へ向かう。

厳格なカトリック教育のもとで、神の存在は絶対だった。神は見ている、罪を犯せば地獄に落ちる。そんな恐怖と同時に、儀式の美しさや光の演出は、少年の中に深く刻まれた。神父の衣、聖歌の旋律、ステンドグラスから差し込む光。

「映画の構図や照明の感覚は、教会で覚えた」

『A Personal Journey with Martin Scorsese Through American Movies』(1995)


そしてもう一つの聖域、それが映画館だった。喘息のため外の世界から閉ざされた少年にとって、スクリーンの中の暴力と救済は、現実よりも鮮烈だった。

ジョン・フォード、ニコラス・レイ、パウエル&プレスバーガー。古いアメリカ映画に漂う“道徳”と“罪”のドラマは、少年にとってまさに福音書だった。

「スクリーンの中でしか生きられなかった」とスコセッシは回想する。

やがて彼の中で、映画と信仰は重なり始める。罪を告白するように物語を描き、暴力の中に救済を見出す。それがのちに「スコセッシ映画」の原型となった。

1960年代、彼はコロンビア大学で映画学を学び、当時の若き革命児たちと出会う。フランシス・フォード・コッポラ、ブライアン・デ・パルマ、ジョージ・ルーカス、スティーヴン・スピルバーグ。

Photo by Ron Galella, Ltd./Ron Galella Collection via Getty Images

いわゆる“ムービー・ブラッツ”と呼ばれる世代だ。

ハリウッドの黄金期が終焉を迎え、旧来の価値観が崩壊するなかで、彼らは映画を“個人の表現”として再定義しようとしていた。その中でもスコセッシは異質だった。宗教と暴力、そして罪の意識。彼の映画には、常に神がいた。だがその神は沈黙し、救いを与えない神だった。

1973年、『ミーン・ストリート』。リトル・イタリーを舞台に、若者たちが暴力と罪の狭間であがく姿を描いたこの作品で、スコセッシは自らの出発点に戻った。

主人公チャーリー(ハーヴェイ・カイテル)は、教会に通いながら裏社会の金を動かす青年だ。彼は祈りながらも、暴力の世界から抜け出せない。神に赦しを求めながら、罪を重ねる。それはスコセッシ自身の内面の投影だった。

映画の中で鳴り響くローリング・ストーンズの「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」は、信仰と破滅の矛盾を象徴する。スコセッシは後に言う。「それは私の懺悔だった」と。

しかし、真の衝撃はその3年後に訪れる。

1976年、『タクシードライバー』。ニューヨークの闇を彷徨う一人の退役兵トラヴィス・ビックル。孤独と暴力、そして救済への渇望。ポール・シュレイダーの脚本を得て、スコセッシは“罪と神”をアメリカの都市に投影した。ベトナム戦争後の虚無、宗教の失墜、個人の崩壊。映画のラストで流れる銃声と血しぶきは、祈りにも似た救済だった。

スコセッシは神を信じながら、神なき時代を描いた。まさにその矛盾こそ、彼の映画の核心である。



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第一章 教会とシネマスコープ 信仰と映画の交差点

 スコセッシにとって、映画は“祈り”だった。スクリーンの光は、聖堂のステンドグラスに差し込む光と同じ意味を持っていた。

祈りの対象が神からフィルムへと変わっただけで、その敬虔さは一度も失われていない。リトル・イタリーの教会で彼が見た神父たちの所作、儀式のリズム、沈黙の間。

それらはのちに『沈黙』や『ラスト・テンプテーション』の構図の根源となる。

映画とは、神の不在を記録する行為なのだと彼は信じていた。 少年期の彼は病弱で、同年代の子供たちのように外で暴れることができなかった。唯一許された娯楽が、映画館で過ごす時間だった。ニューヨークの街角にある古びた劇場。母の手に引かれながら入ったその暗闇で、彼はもうひとつの世界を見た。

1950年代のアメリカ映画は、第二次世界大戦後の道徳的再構築を模索していた。西部劇やギャング映画の中に、善悪の境界線が揺らぎ始めていたのだ。

駅馬車(1939年)

ジョン・フォードの『駅馬車』やニコラス・レイの『理由なき反抗』、パウエルとプレスバーガーの『黒水仙』、それらの映像に漂う“罪の香り”に、スコセッシは取り憑かれた。そこには、聖書のような寓話と暴力の交錯があった。

やがて、家庭用テレビが普及し始め、ハリウッドのスタジオシステムが揺らぐ時代を迎える。少年は教会と映画の両方が衰退していくのを見つめていた。神の威光が弱まり、映画もまた巨大産業から大衆の消費物へと変わりつつあった。その変化に対し、彼は早くも“映画とは何か”という問いを抱いていた。

彼にとって映画は娯楽ではなく、信仰の延長だった。そこにこそ、後のスコセッシ作品の根源的な矛盾がある。彼は宗教的な映像作家でありながら、同時に暴力を描くことによってしか“神”を語れない監督だった。

教会の懺悔室の薄闇の中で、自分の罪を語る人々。彼らの声に耳を傾けながら、少年スコセッシは“人間の本質”を見つめていた。

外では子供たちが野球をしていたが、彼は代わりに聖書とフィルムを読み込んでいた。やがて16ミリカメラを手に入れると、通りの人々を撮影し始める。老女がパンを買う姿、神父がドアを閉める瞬間。彼はそこに“物語”を見た。カメラは彼にとっての神の眼だった。どんな小さな罪も、隠れることはできない。

『ラスト・テンプテーション』を撮る数十年前から、彼の内面ではすでに“神の沈黙”というテーマが鳴り続けていた。神を信じながらも、なぜ神は沈黙するのか。彼はその問いを映画という形で問い返そうとした。だからこそ、スコセッシの映画には常に“宗教的構図”が存在する。

登場人物は罪を犯し、罰を受け、赦しを求める。暴力は必然であり、救済は幻想だ。彼にとって“映画を撮る”とは、“信仰を実験する”ことだったのである。


第二章 コロンビア大学時代の革命児たち(ルーカス、コッポラとの出会い)

ワシントン大行進で演説を行うキング牧師

 1960年代のアメリカ映画界は、静かに崩壊していた。戦後の黄金期を支えたスタジオシステムは老朽化し、観客はテレビへと流れ、興行収入は落ち込んでいた。

MGMもワーナーも、もはや「夢の工場」ではなかった。若者たちはベトナム戦争と公民権運動の時代に生き、スクリーンの中の理想的なアメリカを信じなくなっていた。古いスターは退場し、観客の感情を掴むのは“若い作家たち”の手に委ねられた。

その潮流が、のちに“アメリカン・ニューシネマ”と呼ばれる世代を生んだ。

マーティン・スコセッシがコロンビア大学大学院に進んだのは1960年代前半。彼はそこで映画理論と実践を学びながら、のちにアメリカ映画史を変える若者たちと交わる。

フランシス・フォード・コッポラ、ジョージ・ルーカス、ブライアン・デ・パルマ、スティーヴン・スピルバーグ、彼らはいずれも映画の“第二世代”だった。戦後の混乱を知らず、映画を宗教や国家の宣伝ではなく、個人の表現手段として捉えていた。

スコセッシだけは少し異質だった。

彼の映画には常に“罪”がつきまとい、光が射すたびに影が濃くなった。彼はアーティストであると同時に、懺悔者でもあった。 教授たちは当時、ハリウッドの凋落を“必然”とみなしていた。学生たちは実験映画やドキュメンタリーに傾き、フィルムで自己を語ろうとした。

スコセッシはその中心にいたが、彼が撮る映像はどこか宗教画のように重く、異端だった。彼の短編『The Big Shave』(1967)はその象徴である。

The Big Shave

浴室で青年が自らの顔を剃り続け、血だらけになるまで止まらない。やがてシンクいっぱいに真っ赤な血が溜まり、画面が真紅に染まる。その6分間の短編は、ベトナム戦争への寓意であり、人間の自己破壊への祈りでもあった。学生映画でありながら、すでにスコセッシの世界は完成していた。

一方、同時代の仲間たちは、別の方向を歩んでいた。

フランシス・フォード・コッポラ

コッポラは夢を見ようとした。『ゴッドファーザー』で描かれたのは暴力の美学でありながら、そこには家族と伝統へのノスタルジーがあった。

ジョージ・ルーカス(出典:FRANK TRAPPER//GETTY IMAGES)

ルーカスは神話を創った。『スター・ウォーズ』という神話体系で、善と悪を再び明確に線引きした。

スティーヴン・スピルバーグ

スピルバーグは奇跡を信じた。『未知との遭遇』『E.T.』、彼のカメラは空を見上げ、希望を映した。

だがスコセッシの視線は常に地面を這い、血に濡れた路地を映していた。彼は“神を信じながら、神なき世界”を撮っていたのだ。

同じニューシネマ世代でも、スコセッシの映画だけは神学的だった。

彼のカメラは暴力を観察するのではなく、暴力の内側に入る。登場人物が引き金を引く瞬間、観客は“なぜ彼はそうしたのか”ではなく、“神はどこにいるのか”を問わされる。

これはルーカスやスピルバーグにはなかった視点だった。

スコセッシにとって、映画とはエンターテインメントではなく、“罪と救いの実験場”だった。彼は教会の外で神を探していた。

卒業後、スコセッシはハリウッドに渡る。

しかし、当時のスタジオにとって彼のような作家は扱いにくい存在だった。暴力と信仰、血と沈黙を撮りたがる青年監督に、企画を任せるプロデューサーはいなかった。

Roger Corman(2012年)

だが、そこに光を見出したのがロジャー・コーマンだった。低予算映画の帝王として知られる彼は、無名の若者に機会を与えることで知られていた。

1972年、スコセッシはコーマンのもとで『ビッグ・シャブ』に続く劇場映画を手がけることになる。

これが、彼の長編デビュー作『Boxcar Bertha』である。

出典:IMDd

『Boxcar Bertha』は大恐慌時代のアメリカ南部を舞台にしたアウトロー物で、暴力・愛・社会への反逆が詰まった作品だった。スコセッシはこの撮影を通して、初めて“現場で生きる映画人”としての感覚を掴む。

彼にとって撮影現場は儀式だったのだ。

だが、スコセッシ自身は満足していなかった。『Boxcar Bertha』は興行的には成功したが、彼にとってそれは“借り物の映画”だった。暴力を娯楽として描くことに、どこか罪悪感のようなものを覚えたのだ。撮影を終えた彼は、友人のブライアン・デ・パルマにこう漏らしている。

「学びはあった。でもこれは俺の映画じゃない」

出典:Conversations with Scorsese (Richard Schickel, 2011)

その言葉の裏にあったのは、己の信仰、己の街、そして己の罪を見つめたいという切実な衝動だった。

その翌年、スコセッシは原点へ戻る決意をする。舞台は再びリトル・イタリー。タイトルは『ミーン・ストリート』、すべてはここから始まった。


第三章 “血”を撮るということ 『ミーン・ストリート』

(c)1973, Renewed (c)2001 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

 1973年、マーティン・スコセッシはついに“自分自身を撮る”映画にたどり着いた。タイトルは『ミーン・ストリート』。

リトル・イタリーの裏通りを意味するこの作品は、彼の故郷そのものであり、彼の内面の地図でもあった。

撮影当時、スコセッシはまだ30代前半。

ハリウッドのシステムにも属さず、金も名声もなかったが、カメラの中にはすでに“スコセッシ映画”のすべてが宿っていた。

物語の中心にいるのはチャーリー(ハーヴェイ・カイテル)。カトリックの教えを信じながら、裏社会の金を動かす若者だ。彼は街の中で小さな“正しさ”を保とうとするが、暴力と友情、愛と裏切りの渦に飲み込まれていく。

彼の友人ジョニー・ボーイ(ロバート・デ・ニーロ)は衝動的で、破滅に向かう存在。チャーリーは彼を救おうとするが、それは同時に自らの崩壊への道でもあった。この二人の関係性こそ、スコセッシが一生撮り続ける“人間の原罪”の縮図である。

引用:IMDb.com

教会で祈りを捧げるチャーリー。

だがその直後に、酒場で喧嘩を止められず、殴り、血を流す。祈りと暴力が同じ夜に交錯する。その構図は、まるで福音書の裏側のようだった。スコセッシはこの作品で、信仰と現実の矛盾を“映像の言語”で表現しようとした。

カメラは神の視点を持ちながらも、罪人の手触りを離さない。手持ちカメラの揺れ、赤い照明、汗と煙に包まれたバーの空気。そこには一切の装飾がないリアルがあった。

スコセッシはこう語る。

「あの映画で初めて、自分自身をカメラの前で晒した気がした。罪や信仰、暴力を他人ではなく“自分の内側”として撮ったんだ」

出典:Conversations with Scorsese, Richard Schickel 2011

そして忘れてはならないのが、音楽の革命である。

『ミーン・ストリート』でスコセッシはローリング・ストーンズやデレク・アンド・ザ・ドミノスなどのロックナンバーを劇中に使用した。

当時、ポップスを映画の“感情装置”として使うことはまだ珍しかった。だが彼は音楽を、登場人物の心理と罪の脈動そのものとして配置した。ジョニー・ボーイがバーに現れるシーンで流れる「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」。そのビートは暴力のリズムであり、救いのない興奮だった。

スコセッシは後年、この曲を“堕落のテーマ”と呼んでいる。

それまでのハリウッド映画が“物語を語る映画”だったとすれば、『ミーン・ストリート』は“心を記録する映画”だった。登場人物たちは成長も悟りも得ない。ただ衝動のままに街を歩き、嘘をつき、血を流し、そして夜が明ける。

スコセッシにとって、映画とは“救いのない現実をそのまま受け止めること”だった。祈っても神は答えない。ならばその沈黙を撮るしかない。

作品はニューヨークで公開されると、評論家たちは賛否両論で迎えた。

若い観客は熱狂した。そこには自分たちの街と同じ“本物の匂い”があったからだ。

ロジャー・イーバートは『ミーン・ストリート』を評してこう書いた。

これはギャングの物語ではない。ギャングであるということの物語だ。通りが残酷なのは、誠実に生きようとする者にとってだけだ。

出典:Roger Ebert, Mean Streets review, Chicago Sun-Times, Oct 14 1973.

それはまさに、スコセッシその人への定義だった。『ミーン・ストリート』の成功によって、スコセッシはようやく“自分の声”を見つけた。暴力の中に道徳を探し、破滅の中に神を探す。その矛盾こそが彼の真実だった。

彼の野心はここで終わらない。

次に彼が見つめたのは、リトル・イタリーの路地ではなく、アメリカ全体の病理だった。

1976年、彼は一人の孤独なタクシードライバーを通して、神の沈黙と人間の狂気を描き出すことになる。


第四章 孤独という地獄『タクシードライバー』

Photograph courtesy Everett

 夜のニューヨーク。雨に濡れたアスファルトが黄色い街灯を反射し、タクシーのライトが無数の幻のように通り過ぎていく。どこまでも続く闇とネオンの中、ひとりの男が運転席に座っていた。

トラヴィス・ビックル。ベトナム帰還兵であり、眠れぬ魂の放浪者。

1976年、マーティン・スコセッシはこの男を通して、戦後アメリカの“孤独という病”を描き出した。彼のカメラが映すのは、都市の光ではなく、光を飲み込む闇だった。

Paul Schrader

スコセッシと脚本家ポール・シュレイダーは、奇妙に似た背景を持っていた。どちらも敬虔なキリスト教的教育を受けながら、その教義の外で罪を見つめ続けた人間だった。

シュレイダーは脚本執筆時、失業し、心身ともに極限に追い込まれていた。孤独と自己嫌悪の果てで書かれた脚本は、ほとんど“告白書”だったといわれる。スコセッシはそのテキストに、自身の神学的テーマを見いだした。

暴力、救済、そして沈黙。それらが一本の映画の中でひとつに融け合う。

(c) Getty Images

主演のロバート・デ・ニーロは、役作りのために実際にニューヨークのタクシー会社に登録し、夜の街を走った。客を乗せ、チップを受け取り、売春婦や麻薬のやり取りを目撃した。彼は現実の“地獄”を体験しながら、トラヴィスの内側を構築していった。

デ・ニーロがミラー越しに自分を見つめ、「You talkin’ to me?(俺に言ってるのか?)」と呟くあの即興の台詞は、映画史に残る瞬間となる。あれは怒りではなく、神の不在に気づいた者の独白だった。

スコセッシはこの映画で、暴力を単なる描写ではなく、神学的行為として捉えていた。トラヴィスが銃を磨く姿は祈りであり、血を流す瞬間は浄化だった。

終盤、売春組織を皆殺しにしたあと、彼が血まみれの部屋で指をこめかみに当て“撃つ”仕草をする。

その後、上空からの俯瞰ショット。

まるで神の視点のように、彼の死体を見下ろすカメラが静かに後退していく。スコセッシはここで“神のカメラ”を提示した。

暴力を見下ろす神、沈黙する神。観客は神の位置に立たされながら、何も答えを与えられない。これこそが彼の“救済なき信仰”の映画美学である。

ニューヨークはこの映画で“聖地”から“地獄”へと変わった。ストリートには暴力と孤独が満ち、祈りは届かない。だが、スコセッシはその腐敗の中に美を見た。

カメラの動きは詩的であり、光の配置はまるで聖堂の内部のように緻密だった。夜霧のように漂うサックスの旋律、バーナード・ハーマンのラストスコア、それは鎮魂曲でもあり、告解の音楽でもあった。

スコセッシはハーマンの死(映画の完成直前)を知り、こう語った。

「彼が録音したあの音楽が、まるで自分の葬送曲になってしまった。それは彼自身のレクイエムだ。」

出典:Conversations with Scorsese(Richard Schickel, 2011)

しかし、『タクシードライバー』の完成はスコセッシ自身にとっても限界の到来を意味した。

映画はカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞し、批評的にも商業的にも大成功を収めたが、監督自身は燃え尽きていた。自分の中の“闇”をすべて吐き出してしまったからだ。暴力と信仰の交差点で、彼は神を見失い、同時に映画そのものに取り憑かれていた。

1970年代の終わり、スコセッシは薬物とアルコールに溺れ、次第に精神の均衡を失っていく。だが、その堕落の先で彼は再び“信仰”を取り戻すことになる。『タクシードライバー』は終わりではなく、第二の出発点だった。

神は沈黙している。しかし、映画はまだ語ることができる。

その確信が、彼を次の時代へ導くことになる。


第五章 映画に救済はあるのか。70年代の終わりに

 『タクシードライバー』の成功で、マーティン・スコセッシは一躍アメリカ映画の中心に躍り出た。だが、その光は同時に強烈な影を伴っていた。カンヌの喝采を浴びた直後、彼は燃え尽きていた。

映画を撮るためにすべてを削り取り、残ったのは疲労と空虚、そして「次に何を信じればいいのか」という深い問いだった。

彼はまだ三十代半ば、にもかかわらず、心の奥ではすでに“老い”のような倦怠を感じていた。

そんな時期に彼が手がけたのが、1977年の『ニューヨーク・ニューヨーク』である。

この作品は、明るく華やかなミュージカル映画として企画された。戦後のニューヨークを舞台に、音楽家と歌手の恋愛を描く物語。

主演はロバート・デ・ニーロとライザ・ミネリ。表向きは華やかな“愛の映画”だったが、スコセッシがそこに見ていたのは、愛と芸術の崩壊だった。

(c)Photofest / Getty Images

ジャズの即興演奏のように感情が衝突し、愛が互いを傷つけ合う。撮影現場は混乱を極め、デ・ニーロとミネリの即興芝居が延々と続き、編集も難航した。

スコセッシはこの撮影を“精神的拷問だった”と振り返っている。

結果、映画は興行的に失敗する。華やかなタイトルとは裏腹に、観客が見たのは「愛の不可能性」だった。スコセッシは批評家からも冷たく突き放され、自信を失っていく。

薬物とアルコールに溺れ、体重は激減。

彼を救ったのは、同じく苦しんでいたロバート・デ・ニーロだった。デ・ニーロは親友の崩壊を見かねて、こう言った。「お前にはまだ“撮るべき映画”がある」。

それが次の作品、『レイジング・ブル』への道を開く。

当時、スコセッシは本気で死を考えていた。薬と不眠、焦燥と幻覚の中で、彼は“映画が自分を救うのか、それとも殺すのか”を問い続けていた。

後年、彼は語っている。

俺は映画を撮るために生きていたが、
映画のせいで死にかけた

出典:Easy Riders, Raging Bulls(Peter Biskind, 1998)

デ・ニーロは彼に『レイジング・ブル』の脚本を何度も持ってきたが、スコセッシは拒み続けた。ボクサー、暴力、破滅。そんな物語を撮る気力など残っていなかったからだ。だが、ある夜、血を吐いて倒れた病院のベッドの上で、彼は悟る。「俺が撮らなきゃ、誰も撮らない」。それが、地獄の底からの復活だった。

70年代末、ハリウッドは変わりつつあった。

Michael Ochs Archives/Getty Images

『スター・ウォーズ』『ジョーズ』の成功によって、映画は再び“商品”に戻ろうとしていた。スコセッシのような内省的な作家に居場所はなくなりつつあった。それでも彼はカメラを手放さなかった。「神が沈黙しても、映画が語ることをやめない限り、自分はまだ生きられる」そう信じたからだ。

彼の映画は、もはや観客のためのものではなかった。それは、神への手紙だった。

『ニューヨーク・ニューヨーク』の失敗、そして『レイジング・ブル』の構想。この間に、スコセッシの中で“信仰”の形が変わった。彼は教会にではなく、フィルムに祈るようになった。

暴力を撮ることは罪の再現であり、同時に赦しの試みでもあった。彼は“映画によってしか救われない男”になったのだ。

『タクシードライバー』で神の沈黙を描いた彼が、次に挑むのは“肉体の神話”だった。神は遠く、暴力は近い。

そして、フィルムの中でだけ、人間はまだ戦うことができる。1980年、『レイジング・ブル』それは、血と祈りの復活の書となる。


注記

本記事は、公開された資料・インタビュー・映画史的記録に基づいて再構成した記事です。実在の人物・団体・発言・出来事を扱っていますが、叙述の都合上、心情描写・場面の省略・発言の要約などを含みます。

そのため、一部の記述や表現は再現的・象徴的な演出を含み、実際の史実や発言内容と異なる可能性があります。

目的は、マーティン・スコセッシという映画作家の生涯と思想を、読者がひとつの物語として追体験できるよう再構築することにあります。

本記事は特定の思想・宗教・団体を支持または批判する意図を持つものではなく、映画史的・文化的観点からの文学的解釈として構成されています。

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