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暴力と信仰の映画史|マーティン・スコセッシの世界(1977–1999)

Part.2 堕落と栄光 アメリカを映す鏡として(1977–1999)

映画の幕は、いつも光の中で開く。だがスコセッシのその日々は、光の中で崩れ落ちた。『ニューヨーク・ニューヨーク』の現場。華やかなジャズ、輝くドレス、笑顔の裏で監督の体と精神は限界を迎えていた。

(Photo by Steve Schapiro/Corbis via Getty Images)

前作『タクシードライバー』の成功で天才と呼ばれ、スタジオからも自由を与えられたが、それは毒にも似た贈り物だった。

何を撮っても称賛され、何を撮っても“次は違うものを”と求められる。映画監督という職業の中で、彼は“神の不在”を感じ始めていた。

『ニューヨーク・ニューヨーク』の主役に選ばれたのは、スコセッシのもうひとりの分身、ロバート・デ・ニーロだった。

Robert De Niro(getty images)

デ・ニーロは現実でもスコセッシを支える友人であり、撮影現場では彼の精神の鏡のような存在だった。

スコセッシはミュージカルの皮をかぶった“愛と芸術の地獄”を描こうとした。音楽家ジミー(デ・ニーロ)と歌手フランシーヌ(ライザ・ミネリ)は愛し合いながらも、互いの才能に嫉妬し、傷つけ、離れていく。

スコセッシはこの関係に、自分と映画の関係を重ねた。

愛しながらも壊してしまう──
それが彼の運命だった。

現場では緊張が続いた。スコセッシは即興演出にこだわり、俳優たちに脚本を超えて感情をぶつけ合うよう求めた。だが編集は混乱を極め、上映時間は三時間を超えた。

スタジオは削るよう要求し、彼は屈辱の中で妥協した。

完成した作品は、華やかなジャズの旋律と裏腹に、観客を突き放す暗さを帯びていた。愛の終わり、芸術の孤独、そしてアメリカという夢の瓦解。

スコセッシが描いたのは、戦後の幸福神話の崩壊だった。

だが、観客はそんな“現実”を求めていなかった。興行成績は惨敗し、批評家も沈黙した。 失意のスコセッシは、現実の世界でも自己破壊へ向かっていく。コカインに手を出し、夜ごとパーティーと喧噪に逃げ込んだ。撮影現場では自信を失い、周囲の人々と衝突を繰り返した。

名声を得た代償として、彼は信仰も、健康も、映画への確信も失っていた。デ・ニーロはそんな彼を見かねて、何度も病室を訪ねた。

スコセッシは薬物過多で倒れ、血を吐き、医師から「もう一本撮れば命を落とす」と告げられた。それでもデ・ニーロは語りかけた。「マーティ、まだやれる。お前にはあのボクサーがいるだろう」。

それは『レイジング・ブル』の脚本だった。



▽Part.1

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第六章 友情と破滅

デ・ニーロは何年もその物語を温めていた。堕落したボクサー、ジェイク・ラモッタの生涯、勝利と暴力、名声と孤独、愛と破滅。スコセッシは最初、それを拒んだ。自分と重なりすぎていたからだ。

Scorsese & De Niro On 'Taxi Driver' Set (Photo by Steve Schapiro/Corbis via Getty Images)

しかし、ある日ふと気づく。
「俺が彼を撮らなければ、誰も救われない」。

このとき、映画が再び彼の信仰となった。

『ニューヨーク・ニューヨーク』の失敗は、彼に“純粋な虚無”を見せた。だが、その虚無こそが新しい創造の始まりだった。

破滅を見つめ、そこに神を探す。

その覚悟が、次の傑作『レイジング・ブル』を生む。血、肉体、赦し、そして祈り。彼はもう“映画を撮るために生きる”のではなく、“生き延びるために映画を撮る”人間になっていた。


第七章 自己破壊の記録 『レイジング・ブル』 と狂気の撮影現場

1980年、『レイジング・ブル』が公開された。モノクロームの画面に映し出される拳、汗、血、沈黙。その映像は、映画というよりも祈りの儀式のようだった。

ボクサー、ジェイク・ラモッタ。

Jake LaMotta

実在の人物であり、成功と破滅を往復し続けた男。スコセッシはその人生に、自らの生の写し鏡を見ていた。暴力は信仰の代替であり、リングは懺悔室。殴ることが祈りであり、血を流すことが赦しだった。

撮影が始まる頃、スコセッシはようやく病院のベッドを離れたばかりだった。体は弱り、精神は不安定だったが、カメラを構えた瞬間、全身が再び動き始めた。

(Photo by United Artists/Archive Photos/Getty Images)

デ・ニーロは徹底した役作りに入り、体重を増減させ、実際に試合を行った。彼の呼吸音、唸り、吐息がスタジオ全体に響く。スコセッシは一切の演出を排し、ボクシングを“戦い”ではなく“信仰の行為”として撮ろうとした。

リングの照明は聖堂の光のように計算され、血しぶきは聖水のように舞った。スローモーションで流れる汗の粒ひとつひとつが、彼にとっては「人間という存在の記号」だった。

撮影現場は極限の緊張に包まれていた。

デ・ニーロは役にのめり込み、仲間との会話すら拒んだ。スコセッシはその狂気を見つめながら、かつての自分を重ねていた。映画に命を捧げることと、破滅に身を委ねることは紙一重だった。スタッフたちは監督の体調を案じたが、彼は撮影を止めようとしなかった。むしろ、そこに“生きる理由”を見いだしていた。

彼にとって、カメラの前に立つデ・ニーロは、もはや俳優ではなく“告解する魂”だった。

一方で、この作品にはスコセッシの美学のすべてが凝縮されている。暴力は美しく、痛みは静かで、沈黙が最も雄弁に語る。編集では、ボクシングのリズムを音楽の拍のように扱い、一発のジャブ、一瞬のブレスに意味を与えた。テア・テローニのスコアが響く中、観客は拳の連打を越えて“罪の音”を聴く。

そして完成後、デ・ニーロが言った。

「マーティ、これはお前自身の映画だ」

Conversations with Scorsese(Richard Schickel, 2011)

スコセッシはその言葉に何も返せなかった。『レイジング・ブル』は、友情と破滅、信仰と暴力のすべてを凝縮した作品であり、同時に監督自身の“再生の告白”でもあった。

撮影を終えた彼は、薬を絶ち、酒をやめた。映画が彼を救ったのではない。映画を通して彼が自分を赦したのだ。

公開当初、批評家の評価は分かれた。

あまりにも冷たく、暗く、救いがないと評する声も多かった。しかし、時が経つにつれ、この作品はアメリカ映画史における金字塔として語られるようになる。

スコセッシはこの映画で、暴力の中に倫理を、肉体の崩壊の中に祈りを見つけた。「神が沈黙しても、映画はまだ語り続けられる」その確信が、彼を再び現実の世界へ導いた。

『レイジング・ブル』の後、スコセッシは再び映画の中心に戻る。

だが、彼のまなざしはもはや“芸術”のためではなく、“人間”のためにあった。次に彼が見つめるのは、神ではなく社会。罪ではなく欲望。80年代のアメリカという巨大な舞台の上で、スコセッシは“夢の終わり”を撮ることになる。


第八章 コカインと祈り 監督生命の瀬戸際

『レイジング・ブル』の完成後、スコセッシはようやく死の縁から戻った。しかし、その代償はあまりに大きかった。全身を使い果たして撮ったあの映画のあと、彼の中には再び空白が生まれていた。

名誉も賞賛も、彼を満たすことはなかった。周囲が喝采する中で、彼は静かに崩れていった。心の奥にはまだ、薬の誘惑と不眠が残っていたのだ。

80年代初頭、スコセッシは再びコカインに手を伸ばし、夜の街を漂い始める。名声を得た者の孤独が、彼を再び深淵へと引きずり込んでいった。

それでも、彼の中にはまだ“祈り”があった。『レイジング・ブル』で一度死に、再生した男が次に向かったのは、宗教の真の核心、神そのものだった。

1988年、『最後の誘惑』。この作品はイエス・キリストの人間的苦悩を描いた異端的な物語であり、原作はニコス・カザンザキス。

ニコス・カザンザキス

スコセッシにとって、これは少年時代から温めてきた夢の企画だった。だが、アメリカでは公開前から猛烈な非難が巻き起こった。

(Photo by Bromberger Hoover Photography/Getty Images)

教会団体は抗議デモを行い、上映館に爆破予告が届き、俳優たちは脅迫を受けた。スコセッシは信仰を冒涜したと糾弾され、メディアからも攻撃を受けた。それでも彼は一歩も退かなかった。

この作品を撮ることは、再び“死”と隣り合わせることでもあった。資金は減り、スタッフは離れ、友人たちからも忠告を受けた。それでも彼は止まらなかった。カメラを通してしか神を感じられない自分を、もう隠すことができなかったからだ。彼にとって“信仰”とは従うことではなく、問い続けることだった。

キリストが磔刑の瞬間に「なぜ私を見捨てたのか」と叫ぶように、スコセッシもまた映画を通して神に問いかけ続けたのである。

『最後の誘惑』は、公開後も議論を呼んだ。

批評家は賛否を分け、観客の反応も極端だった。しかし、それでもこの作品は彼のキャリアの転換点となった。信仰を“撮る”ことが彼の宿命であると、スコセッシ自身が受け入れた瞬間だった。神に近づこうとすればするほど、人間の醜さや暴力が見えてくる。その矛盾を抱えたまま、彼は再び立ち上がる。

そして90年代に入ると、スコセッシはもうひとつのテーマ、“アメリカという宗教”を撮り始める。暴力の儀式は国家の構造に変わり、信仰の形はマフィアの掟へと姿を変える。

彼が向かったのは、再びニューヨーク。

だが今度の舞台は路地ではなく、金と裏切りが渦巻くアメリカ資本主義の聖堂だった。

『グッドフェローズ』、そして『カジノ』。それは神の物語ではなく、金に取り憑かれた人間の“現代の黙示録”である。

薬物と孤独の地獄から戻ったスコセッシは、もはや清廉な信者ではなかった。彼は人間の醜さを愛するようになり、そこにしか真実がないと知っていた。

映画はもはや“救済”ではなく、“観察”だった。

だが、その観察の奥には、まだ祈りが残っていた。彼は一度も神を完全に捨てなかった。カメラが動く限り、沈黙の中に微かな“赦し”を探していたのだ。


第九章 “マフィア三部作”に刻まれたアメリカ

出典:https://cinemore.jp/jp/erudition/520/

『グッドフェローズ』(1990年)は、スコセッシの再誕を告げる一作となった。薬物依存と失意を経て戻った男が、再びカメラを握り、世界を切り裂くように撮った映画。その物語は単なるマフィア映画ではなく、アメリカという夢の構造そのものだった。

©Warner Bros.|写真:ゼータイメージ

主人公ヘンリー・ヒル(レイ・リオッタ)は、少年時代にマフィアに憧れ、やがてその世界に身を置く。暴力と金、忠誠と裏切り、家族と堕落。そのすべてが彼にとっての“アメリカン・ドリーム”だった。

スコセッシはその過程を、神の視点ではなく“共犯者の視点”で撮った。

観客はヘンリーの隣に座り、罪を犯し、嘘をつき、破滅していく。映画は懺悔ではなく、体験だった。

カメラは休まることなく動く。

レストランの裏口からホールへと抜ける名場面、あの長回し。ヘンリーと恋人が客席を抜け、スポットライトの中へ入るまでのわずか三分間に、スコセッシは“成功の陶酔と転落の予兆”を同時に刻み込んだ。

音楽はローリング・ストーンズ、クリーム、デレク&ドミノス。60年代のロックが暴力のテンポを支配し、編集はリズムそのものになった。スコセッシは映画を“切る”のではなく“鳴らす”ように編集したのである。

この作品で彼は、暴力を倫理の外へ置いた。

ヘンリーは殺しのたびに良心の呵責を感じず、観客もまたその快感に巻き込まれていく。これはスコセッシが長く抱えてきた神学的テーマの転倒でもあった。彼はもはや“罪を懺悔する映画”ではなく、“罪を構造として描く映画”を作っていたのだ。

Two Scorseses Film 'Goodfellas' (Photo by Brian Hamill/Getty Images)

『グッドフェローズ』はその鮮やかさによって、批評家たちに「アメリカ映画のリズムを取り戻した」と評された。スコセッシはカンヌで喝采を浴び、再び頂点に立つ。だが、その先にはさらに冷酷な“神話”が待っていた。

1995年、『カジノ』

(c)Photofest / Getty Images

この映画でスコセッシはアメリカの欲望を“信仰のシステム”として描く。舞台はラスベガス。砂漠の中に作られた人工の楽園で、人々は金を信じ、神を忘れる。

ロバート・デ・ニーロ演じるサム・“エース”・ロススティーンは、完璧を追い求める男でありながら、その完璧さゆえに破滅する。

妻ジンジャー(シャロン・ストーン)は欲望の象徴であり、友人ニッキー(ジョー・ペシ)は暴力の化身。三人の関係は聖書の寓話のように絡み合い、やがて崩壊していく。スコセッシはこの映画で、暴力の中に美を見た。

金色の照明、スローモーション、そして流れるバッハの旋律。そこには堕落を見つめる神のまなざしがあった。

一方で、スコセッシは“暴力の意味”を再定義していた。

『グッドフェローズ』では暴力は快楽だったが、『カジノ』では儀式に変わる。登場人物は自らの手で自分を罰し、暴力によって秩序を保とうとする。それはまるで信仰そのものだった。

スコセッシのカメラはもはや“神の眼”ではなく、“アメリカという宗教の祭壇”を記録する眼だった。

(c)Photofest / Getty Images

『カジノ』の最後に、ラスベガスが爆破され、砂漠に戻るシーンがある。すべての栄光が砂の中に消えるその瞬間、彼は静かに語りかける。「これは俺たちの時代だった」。その声は祈りにも似ていた。

そして2002年、『ギャング・オブ・ニューヨーク』。

(c)Photofest / Getty Images

スコセッシは再び歴史を遡り、アメリカの暴力の起源に挑んだ。十九世紀のニューヨーク、移民と権力、国家と暴力の誕生。

ダニエル・デイ=ルイス演じる“ブッチャー”は、血で国を築く男であり、アメリカの父そのものだった。スコセッシはここで“国家”を一つの宗教として描く。

『ギャング・オブ・ニューヨーク』(c)Photofest / Getty Images

国旗は聖旗に、銃声は讃美歌に、戦いは儀式に変わる。彼の描くアメリカは、信仰を失いながらもなお祈る国だった。

この“マフィア三部作”の中で、スコセッシは信仰を完全に外部化した。

もはや神は登場しない。代わりに、暴力と金が人々を導く。

だが、スコセッシはそれを断罪せず、ただ見つめる。
それがアメリカであり、それが現代だった。

『グッドフェローズ』『カジノ』『ギャング・オブ・ニューヨーク』この三作は、アメリカという文明の三部作である。成功、堕落、崩壊。そのすべてを祝福と同じ熱量で撮った監督は、もはや告解者ではなく記録者となった。

信仰はもはや救いではなく、観察だった。そしてその冷徹な観察の先に、彼は再び“沈黙する神”を見つけることになる。


第十章 沈黙の中の神 遠藤周作とスコセッシの対話

長い旅の果てに、マーティン・スコセッシは再び“神”のもとへ戻ってきた。だがその神は、もはや教会の天井に描かれた慈悲深い存在ではなかった。

沈黙し、見ているだけの神。
赦しを与えず、ただ問い返してくる神。

その姿を描いたのが、2016年の『沈黙-サイレンス-』である。

出典:https://www.nippon.com/ja/features/c03007/

原作は日本の作家・遠藤周作。スコセッシはこの小説を若い頃に読み、40年以上にわたって映画化を夢見続けてきた。彼が初めて“神の沈黙”という言葉に触れたのも、この作品だった。

物語の舞台は17世紀、日本の禁教時代。信仰を捨てたとされる宣教師フェレイラを探すために、二人の若き司祭が日本に渡る。彼らは拷問と裏切りの中で、神の声を求め続けるが、どれほど祈っても神は答えない。

スコセッシはこの物語に、自らの人生を重ねた。

信仰を持ちながら、それを表明するたびに否定され、傷つき、誤解され続けた映画人生。神を信じたいのに、神は沈黙する。遠藤が描いた苦悩は、スコセッシ自身のものだった。

台湾で撮影中のマーティン・スコセッシ監督(中央)と撮影監督のロドリゴ・プリエト(右)© 2016 FM Films, LLC. All Rights Reserved.


撮影は異例の厳しさを伴った。ロケ地は台湾、雨と泥の中での長期撮影。スコセッシは当時70代に入り、体力も衰えていた。それでも彼は現場に立ち続けた。キャメラの背後で祈るように立ち尽くす姿を、スタッフたちは「神父のようだった」と語る。

彼にとってこの映画は、もはや“作品”ではなかった。映画を撮ること自体が“告解”であり、“贖罪”だった。

『沈黙』には、スコセッシ映画のすべての要素が静かに息づいている。

暴力、信仰、裏切り、そして赦し。だが、どれもこれまでのような派手な演出ではなく、ほとんど動かないカメラで語られる。光は柔らかく、音は少なく、言葉はほとんどない。沈黙そのものが語り手となる。

彼はこの映画で、神を“存在”としてではなく、“問い”として描いた。神が答えないのは不在ではない。沈黙の中にこそ、神は潜んでいる。その考え方は、スコセッシの信仰観の最終形だった。

『沈黙』は興行的には成功しなかった。
だがスコセッシは気にしなかった。

この作品は、観客に向けたものではなく、神に宛てた手紙だったからだ。彼は語る。

「この映画を撮ったとき、私はようやく安らかになれた。信仰は理屈じゃない。生きることそのものなんだ」

出典:America Magazine interview, 2017 (“Scorsese: The Silence Was for God”)

それは70年以上に及ぶ探求の終着点であり、同時に新しい始まりでもあった。

『沈黙』以降、スコセッシの映画には穏やかな諦念と、それを超えた希望が宿る。『アイリッシュマン』『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』。それらの作品で彼は再び暴力を描くが、もはや血は救いを意味しない。

むしろ赦しの欠如を映す鏡として存在する。若き日のように怒りや信仰を叫ぶのではなく、ただ見つめる。そのまなざしは、老いた神父にも似ていた。

スコセッシはついに、映画と信仰を同じものとして受け入れた。神が沈黙しても、映画は語る。映画が沈黙しても、人間は祈る。

その往復こそが、彼の人生だった。


第十一章 映画とは何か

スコセッシは何度も“終わり”を撮ってきた。『タクシードライバー』の銃声、『カジノ』の砂漠、『沈黙』の踏み絵。

だが彼の映画は決して終わらなかった。どんな悲劇にも、その奥にはかすかな呼吸があった。暴力のあとに残る静けさ、滅びの先にある一筋の光。彼にとって、映画とは滅びを受け入れながら生を見つめる行為だった。フィルムが焼けても、そこに刻まれた光は消えない。

スコセッシの作品を貫くものは、“罪と赦し”という二項ではなく、その間にある“観察”だった。

(Photo by Fred W. McDarrah/The New York Historical via Getty Images)

若き日の彼は神の存在を証明しようとし、中年期には暴力と欲望を描き、晩年には沈黙の中に意味を探した。その歩みは、まるで神学者の変遷のようだった。信仰を説く者から、信仰を疑う者へ。そして最後に、疑いの中に信仰を見出す者へ。

彼の映画において、カメラはもはや神の眼ではなく、人間のまなざしだった。弱さを赦し、愚かさを愛し、沈黙を抱きしめる視線。そこにこそ、彼の“神”が宿っていた。

90年代以降、映画産業はデジタル化の波に呑まれ、ストリーミングが主流となった。だがスコセッシは、最後までフィルムの質感にこだわった。彼にとって映画は単なる物語ではなく、物質としての祈りだった。

光がスクリーンに当たり、闇の中で観客が息を合わせる。その瞬間こそが映画の“礼拝”だった。だからこそ、彼は若い映画人たちに何度も語りかけた。「映画を消費するな、信じろ」と。

そして彼は同時に、映画を未来へ託すために立ち上がる。

フィルム保存協会を設立し、過去の作品を修復し続けた。彼にとって“映画の歴史”は、“信仰の系譜”だった。どんなに時代が変わっても、ひとつのフィルムが誰かの心を照らすかぎり、映画は死なない。

スコセッシが守ろうとしたのは、ただの文化遺産ではない。人間が光に祈りを託した記憶そのものだった。

映画とは、沈黙と祈りの往復であり、暴力と赦しの記録であり、人間そのものだ。スコセッシのキャリアは、一人の人間が神を探し、神を失い、そして人間の中に神を見つけるまでの旅だった。

こうして20世紀から21世紀へ、アメリカ映画は新しい時代へ進む。

だが、その根底には今もスコセッシのまなざしが息づいている。光と影、罪と救い、暴力と祈り。彼が描いたのはアメリカの記録であり、人類の記録だった。

映画とは何か。


注記

本記事は、公開された資料・インタビュー・映画史的記録に基づいて再構成した記事です。実在の人物・団体・発言・出来事を扱っていますが、叙述の都合上、心情描写・場面の省略・発言の要約などを含みます。

そのため、一部の記述や表現は再現的・象徴的な演出を含み、実際の史実や発言内容と異なる可能性があります。

目的は、マーティン・スコセッシという映画作家の生涯と思想を、読者がひとつの物語として追体験できるよう再構築することにあります。

本記事は特定の思想・宗教・団体を支持または批判する意図を持つものではなく、映画史的・文化的観点からの文学的解釈として構成されています。

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▽Part.3

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