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【前編】超並列思考のバイオテックの怪物 "カール・ハンセン" 【アブセレラバイオロジクスCEO】

今回は北米のとあるバイオテック企業の最高責任者について共有します。


「1年かかる実験を、わずか1週間で終わらせる」
もしこれが漫画のキャラクターのセリフなら、「そんな馬鹿な」と笑い飛ばして終わりだろう。しかし、世界最高峰の科学技術を誇るカリフォルニア工科大学(Caltech)の公式記録(アーカイブ)には、実在する一人の男の若き日の伝説として、この事実がまざまざと刻まれている。
男の名はカール・ハンセン。
現在、バイオテクノロジー界で最も注目を集めるAI創薬プラットフォーム企業、アブセレラ・バイオロジクス(AbCellera Biologics)のCEOだ。
「度を超えた合理主義の怪物」が、いかにして現在の創薬インフラをハックする豪傑へとなっていったのか。アブセレラを立ち上げるまでの、彼の「変態的」とも言える天才性の原点を紐解く。


周りが「生物」を学ぶ中、一人だけ「物理と数学」の武器で殴り込んだ

カールのバックグラウンドは、バイオの世界にいる他の優秀な研究者たちとは最初から一線を画していた。
多くの学生が生物学や化学といった「暗記や観察、手作業の実験」をベースにしたキャリアを歩む中、カールがブリティッシュコロンビア大学(UBC)で専攻したのは「工学物理(Engineering Physics)」と「名誉数学(Honors Mathematics)」だった。
彼が持っていたのは、顕微鏡を覗いて細胞を観察するレンズではない。「あらゆる複雑なプロセスを数式と物理システムに落とし込み、全自動で最適化する」という、工学的な設計図(アーキテクチャ)を描く脳内OSだった。
「周りのみんなが『難しすぎる、無理だ』と言って避けていたから、あえて物理と数学の道を選んだ」と後に本人が語る通り、彼は学生時代から、常人が無理難題と呼ぶボトルネックをハックすることに異様な快感を覚えるタイプだった。
その変態的な頭脳が、世界最高峰の天才の密室「Caltech(カリフォルニア工科大学)」へ足を踏み入れたとき、歴史的な化学反応が起きる。

「自動化の神様」との出会いと、課された無理難題

Caltechは、学生教員数に対するノーベル賞受賞者の割合が世界一という、濃縮された天才しか存在しない聖域だ。そこでカールは、バイオテクノロジー界の伝説、スティーブン・クエイク(Stephen Quake)教授の門を叩く。
クエイク教授は、微細な管で細胞を操る「マイクロ流体チップ(Microfluidics)」の自動化を世界で初めて進めた、いわば「バイオの自動化・チップ化の開祖」。
当時、クエイク教授は新しく発明したマイクロ流体バルブの技術について、「何かに使えるとは思うが、まだ具体的な使い道が分からない」という状態だった。そこに他大学の権威から「タンパク質の結晶化実験に使ってみたらどうだ?実験数が膨大で、自動化・小型化にうってつけの超難題だ」と持ちかけられる。
そこでクエイク教授が白羽の矢を立てたのが、研究室に入ったばかりの若き大学院生、カール・ハンセンだった。
「カール、これをやってみないか? チップの中でタンパク質の結晶を作ってみよう」
まだ右も左も分からないはずの新人院生に対し、教授は「世界的な無理難題を最先端の未開拓技術で自動化しろ」という、丸投げに近い超難題を突きつけたのだ。

伝説の「1週間 vs 1年」:掛け算の次元を変えたハック

普通の優秀な院生なら、ここから何ヶ月もかけて試行錯誤するだろう。しかしカールは違った。ラボに入った初日にプロセス全体の無駄な待ち時間や手作業(ボトルネック)を完全にスキャンし、頭の中で「全自動・超並列のパイプライン」を組み立ててしまった。
カールは、人間が手作業でピペット(スポイトのような実験器具)を動かすことの遅さと不正確さを徹底的に嫌悪した。そして、切手サイズの1枚のチップの中に、数千個の微小なバルブと部屋を配置し、あらゆる実験条件を同時に、全自動で走らせるシステムを本当に完成させてしまったのだ。
このシステムを引っ提げ、カールはあるトップレベルの研究室へ1週間送り込まれることになる。クエイク教授は、当時の公式インタビューでその時の衝撃をこう振り返っている。

「それから私は彼をジェームズのラボに1週間送り込んだ。すると彼はわずか1週間で、ジェームズのところの『最も優秀な(best)』大学院生が『1年(a year)』かけてやる以上の実験をこなしてしまったんだ。この時、我々はとんでもないものを手に入れたと確信した!」

Caltech Steve Quake インタビュー(https://heritageproject.caltech.edu/interviews/steve-quake)より

世界トップクラスの天才が、1本の斧で1年かけて必死に木を切り倒している横で、カールは自作の「全自動・超並列チップ(最強の斧)」を起動し、わずか7日間でその森を丸ごと更地にしてしまった。
カールの頭脳が超並列だっただけでなく、彼が作った「仕組み」の処理能力が、人間の手作業に対して数千倍のレバレッジをかけていた。テクノロジーの次元を丸ごと変えてしまうこの圧倒的な合理性こそ、彼の真骨頂だ。
この時にカールが開発したツールは、単なる学生の論文発表に留まらず、バイオ大手のFluidigm社の初代製品としてライセンスされ、世界中の研究を劇的に加速させる本物のインフラとなった。

そしてこの伝説の7日間は後の「11日間」という伝説の伏線でもあった。

アカデミア(ノーベル賞の道)を捨て、怪物はビジネスの戦場へ

その後、カールは母校であるブリティッシュコロンビア大学(UBC)に戻り、終身教授(テニュア)という、研究者として最高峰の安定と名誉を手にする。そのまま研究を続けていれば、生命科学のシステム化への貢献度から、将来ノーベル賞の有力候補に名を連ねていても全くおかしくない道筋にいた。
しかし、この度を超えた合理主義者は、その地位をあっさりと投げ捨てる。
大学のラボという枠組みの中で、論文を書いていつか貰えるか分からない賞を待つことよりも、「自ら会社を興し、この超高速自動化の仕組みを世界中の製薬会社に配備して、今すぐ人類の創薬スピードを100倍にするほうが、圧倒的に合理的でエキサイティングだ」と判断したからだ。
「不経済、非効率、時間の無駄」をテクノロジーで徹底的にハックし、世界のインフラを再構築する。
こうして2012年、カール・ハンセンは「アブセラ・バイオロジクス」を立ち上げ、一発当たればラッキーという創薬のギャンブルビジネスそのものを根底から破壊する、次なる変態的なハックへと向かうことになる。

後編へ続く

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