【後編】超並列思考のバイオテックの豪傑 "カールハンセン" 【アブセレラバイオロジクスCEO】
前編では、カール・ハンセンがCaltech(カリフォルニア工科大学)時代に見せた、他人の1年分の実験をわずか7日間で終わらせる「変態的なハック」のエピソードを紹介しました。
後編となる今回は、その「超並列思考の怪物」が、いかにして世界の創薬ビジネスそのものをリエンジニアリングし、人類の時間を買い戻そうとしているのか。経営者カール・ハンセンの真骨頂に迫ります。
創薬という「ギャンブル」を「確率」に変えたビジネスモデル
バイオベンチャーの世界は、長らく「ギャンブル」だった。
数千億円の資金と10年以上の歳月をかけ、たった一つの新薬候補が治験に成功するかどうかにすべてを賭ける。成功すれば千金、失敗すれば倒産。これがこの世界の常識だった。
しかし、合理主義の塊であるカールにとって、この非効率な構造は耐え難いものだった。そこで彼が2012年に立ち上げたアブセラ(AbCellera)のモデルは、根本から違った。
「自社でリスクを取って薬(木)を育てるのではない。他社が薬を作るための『探索プロセス(最強の斧)』を貸し出し、その成果から分け前をもらう」
ゴールドラッシュで自ら金を掘りに行くのではない。最も効率的に金を見つけ出す「最新鋭のスコップ」を独占的に提供する。
そして、そのスコップで掘り当てられた金の一部を、将来にわたってロイヤリティ(権利金)として受け取る。創薬という不確実な世界を、徹底的に「勝率の高いプラットフォームビジネス」へと書き換えたのだ。
11日間の奇跡:世界を圧倒した伏線回収
この「仕組み化」への執念が、世界を救う形で証明されたのが2020年のコロナ禍だ。
米製薬大手イーライリリーから、回復した患者の血液サンプルがアブセラのラボに届いた。普通のプロセスなら、そこから有効な抗体を特定し、治験の準備を整えるまでには数ヶ月、あるいは数年を要する。
しかし、カールは動じなかった。彼は即座に主要研究員を社内に完全隔離し、ラボを24時間ノンストップで稼働させる「戦時体制」を構築した。カールの頭の中には、学生時代から磨き上げてきた「超並列・全自動」のパイプラインが完成していたからだ。
結果は驚異的だった。
500万個以上の免疫細胞をスキャンし、ウイルスを無力化する抗体を特定するまで、わずか「11日間」。
かつて、名門バークレーの天才たちを置き去りにし、1年分の実験をクリアしたあの伝説の「7日間」。それこそが、パンデミックという人類の危機において、通常なら数年かかるステップをわずか「11日間」に凝縮して世界を圧倒するための、壮大な伏線だったのだ。
人間の手作業(アナログ)を徹底的に排除し、仕組み(システム)にレバレッジをかければ、時間はいくらでも縮められる。彼が20代の初めにCaltechのラボで確信した狂気的な合理性は、最悪の舞台で完璧に証明された。
「自社工場」という名の狂気的なインフラへの執念
しかし、カールの変態的な合理主義はそこでは止まらない。
「AIでどれだけ早く最高の抗体を見つけても、それを人間に臨床試験用の薬として製造(スケールアップ)させるプロセスで数ヶ月も待たせるなんて、時間の致命的なロスだ。探索から製造まで、すべてのボトルネックを我が社の『全自動システム』で垂直統合しなければ意味がない」
そう考えたカールが下した決断は、周囲の度肝を抜いた。莫大な巨費を投じて、カナダのバンクーバーに、臨床試験用の薬を自社で一気通貫で製造できる「巨大な自社工場(CMC製造施設)」を建設したのだ。
普通のバイオテック企業は、リスクを避けるために製造は外部の専門業者に委託する。自社で巨大な工場という固定資産を持つのは、経営のセオリーとしては「狂気の沙汰」だ。
しかし、カールにとって、この工場は単なるハコモノではない。
学生時代にCaltechで開発した「切手サイズの全自動チップ(小さな仕組み)」を、そのまま巨大なビル(物理インフラ)へとスケールアップさせた「最強の斧」なのだ。
「他人の作った切れない斧(外部委託)を借りるために並んで待つくらいなら、最初から世界一強靭な自社のインフラ(工場)を作って、いつでも世界最速でフル稼働させるほうが圧倒的に合理的だ」
この、周囲の声を無視してインフラを自社で丸ごと抱え込む圧倒的な執念。これこそが、アブセラを他の有象無象のAI創薬ベンチャーから隔絶させ、誰も追いつけない絶対的な壁(モート)を生み出す、カールの怪物たる所以なのだ。
市場の過小評価を喰い物にする狡猾なビジネスマン
カールの狂気的な合理主義は、研究室や工場の中に留まらない。ウォール街という「資本市場」に対しても、彼は全く同じ冷徹なロジックでハックを仕掛けている。
アブセラの株価が市場の短期的な地合いやノイズによって急落し、低迷を続けていた時のことだ。空売り残高が積み上がり、普通の経営者なら胃を痛めるような局面で、カールは全く違う目をして市場を見ていた。
「甘く見ている連中には、事実と結果をもって後悔してもらおう。まずは目の前に落ちている、この割安すぎる美味しい株を購入しよう」
彼は、市場が「目先の赤字」や「バイオセクターの冷え込み」という表面的な数字に右往左往している間に、自社のインフラが着実に進化し、将来莫大なロイヤリティを生み出す『最強の資産』であることを誰よりも確信していた。
だからこそ、市場がアブセラを過小評価して投げ売った瞬間を最高のボーナスタイムと捉え、躊躇なく巨額の「自社株買い」を実行したのだ。
株価を『維持』するためではなく、合理的に計算して『今、自社株を買うのが一番投資効率が良いから』という冷徹な算盤(そろばん)だけで動く。相手が「バークレーの天才院生の手作業」から「ウォール街の投資家の思惑」に変わっただけで、非効率なボトルネックを自分のロジックでハックするカールのOSは、1ミリもブレていない。
「投資家への手紙」:ジェフ・ベゾスに並ぶ冷徹なロジック
そんなカールの思想が最も色濃く現れるのが、株主に向けて書く「手紙(Shareholder Letters)」だ。投資家の間では「現代のジェフ・ベゾス(Amazon創業者)の再来」とも囁かれる。
多くのCEOが「今期の利益」をアピールする中、カールの手紙は驚くほど冷徹だ。
「目先の株価や利益に一喜一憂する投資家は、我が社の価値を理解できていない。私は10年後、20年後に創薬のインフラを支配するシステムを作っているのだ」と言わんばかりの論理が、科学論文のような緻密さで展開される。
彼は投資家に媚びない。
「今期、我々のAIがどれだけ賢くなったか」「何千もの抗体を並列で処理できる自社工場がどれだけ完成に近づいたか」。それこそが本質的な資産であり、そこから生まれる将来の膨大なキャッシュフロー(権利金)を見ろと説く。
「自分のロジックが理解できないなら、去ってくれて構わない」という超然とした態度は、彼が自分の作った「仕組み」の絶対的な正しさを確信しているからに他ならない。
アブセラ公式:2025年次報告書カール・ハンセンの株主への手紙(PDF)
人類の未来を「仕組み」で買い戻す怪物
カール・ハンセン。
彼は単なる「頭の良い科学者」でも、単なる「やり手の経営者」でもない。
世界に蔓延する非効率を憎み、人間の手作業や感情というボトルネックを嫌悪し、すべてのプロセスを「超並列のシステム」へと昇華させることに狂気を燃やす、現代のアーキテクト(構築者)だ。
彼がAbCelleraというプラットフォーム、反映させた巨大な自社工場、そして資本市場での冷徹な立ち回りを通じてやろうとしているのは、創薬を加速させることだけではない。病気という「死」に至るまでの時間を、テクノロジーの力で人類に取り戻そうとしているのだ。
「異常者」「変態」「あたおか」――
最高級の敬意を込めてそう呼ばざるを得ないこの
歴史上最も合理的な男が作り出す創薬の未来が、楽しみで仕方ない。
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