節約は不安を増す
前回の「 #お金について考えたい 」は…
財布の中身は、以前よりも整っている。
ポイントカードは整理され、無駄なサブスクも解約した。安い日を選んで買い物をし、まとめ買いも覚えた。なのに、不安だけが減らない。むしろ、前よりも増えている気さえする。夜、布団に入ってから、何も起きていない未来の心配が、静かに身体を締めつけてくる。
節約とは、本来、安心を買う行為だったはずだ。
余分を削り、備えをつくり、少し先の自分を楽にする。そのためにやっている。そう信じて始めたはずなのに、現実は逆向きに進んでいく。削れば削るほど、心が乾いていく。気づくと、息を吸う量まで少なくなっている。
理由は単純だ。節約は「足りない」という前提から始まる。
ここが足りない、あれが多すぎる、もっと抑えなければならない。毎日その確認を繰り返していると、頭も身体も、「私は足りていない」という状態に慣れてしまう。数字は減っていなくても、感覚だけが先に痩せていく。
しかも、この社会では、節約は美徳として扱われる。
がまんできる人、我慢を続けられる人ほど立派だと言われる。だから不安を感じても、やめる理由が見つからない。苦しいのは、まだ努力が足りない証拠だと思い込んでしまう。
その結果、不安は個人の根性論として、体の内側に押し込められる。
ここで少し視点を変えてみる。
もし、節約しているのに不安が増えるのだとしたら、それは節約のやり方が悪いのではなく、節約に頼らなければ安心できない構造そのものが、すでに不自然なのではないか。そう考えると、胸の奥にあった緊張が、わずかにゆるむ。
人は、本当の意味で安心しているとき、数字を何度も確認しない。
残高を見返し、将来を何度も計算し、最悪のケースを想像するのは、安心が足りない証拠だ。
そしてその不足は、個人の性格ではなく、先が見えにくい社会の設計から生まれている。
節約を続けてきたあなたが、もし疲れているのだとしたら、それは怠けているからではない。ずっと緊張した状態で生きてきたからだ。
小さくなる呼吸を、毎日意識しながら暮らしてきたからだ。その事実に気づくだけでも、節約の意味は少し変わる。
この連載でやりたいのは「やめよう」と言うことではない。
「もっとがんばろう」とも言わない。ただ、不安が増えていく仕組みを、静かに言葉にしていく。その過程で、誰かと話せる余白を取り戻すことだ。
節約しているのに不安が消えない。その感覚は、失敗ではない。むしろ、何かがおかしいと気づいている身体からの、正確なサインなのかもしれない。
次は、その不安が、いつから「自分の責任」だと思わされてきたのか、その経路をたどってみたい。
