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専業主婦は2億円損をする

 「働かなくてもいいよ」と言われて、嬉しくならない人はいないだろう。
 朝の満員電車に揺られることもない。面倒な人間関係も、ストレスフルな納期もない。好きな時間に起きて、子どもとゆっくり過ごし、スーパーでお得な商品を選ぶ余裕のある毎日。いわゆる「専業主婦」の生活だ。

 だがその選択が、人生で2億円の損失を生んでいるとしたら?

 数字だけ見ればセンセーショナルだ。だがこれは、決して煽りでも極論でもない。実際、ファイナンシャルプランナーや経済学者の間では、極めて合理的な計算として語られている。

 厚生労働省所管の調査機関から刊行された「ユースフル労働統計2018」(314頁)の賃金構造基本統計調査によると、大卒女性が60歳までフルタイムの正社員として働き続けた時の平均的な生涯賃金は、退職金を除いても2億4千万円あるとされる。

 だが、これは単なる金銭的損失の話ではない。
 問題は、金を稼ぐという行為が、社会的に「評価」されるという現実にある。どれだけ家事や育児に尽力しても、賃金が発生しなければ、GDPにはカウントされない。
 それどころか、「働いてない人」として扱われ、住宅ローン審査すら不利になる。「家庭を守っている」と称賛されるのは建前で、本音では『経済に参加していない人』と見なされてしまうのだ。

 これは構造的な差別でもあり、同時に非常に巧妙なトリックでもある。

 専業主婦という存在は、経済にとって都合の良い「影の労働力」だ。
 その働きがなければ、多くの家庭は日々の営みを維持できない。
 だが、その貢献には値札はついていない。
 したがって、社会的な「労働市場」には転化されない……。

 皮肉な話だが、家族を支えれば支えるほど、自分の選択肢は減っていく。
 夫に万が一のことがあれば、再就職の道は厳しい。
 年齢やキャリアの空白期間を理由に、面接であっさりと門前払いされることも珍しくない。それなのに、「感謝されないなら離婚すればいい」と簡単に言う人がいる。だが、感謝だけで生きていけるなら、誰も困らないのだ。

 ここで勘違いしてはいけない。
 問題なのは「専業主婦になること」そのものではない。
 そういう選択肢を取ったときに、構造的に評価も報酬も用意されていないという、この社会の仕組みだ。

 そしてこの仕組みは、変わらないまま、静かに人の一生を変えていく。

 「子どもが小さいうちは家にいたい」「夫の転勤に合わせて引っ越すから正社員は無理」──それらの声は本物だ。
 だが、だからといって『一生を支配されるリスク』を見過ごしていいわけではない。「今が快適」だからといって、「将来も安泰」とは限らない。

 専業主婦を経た後、パートや短時間労働で人生を立て直そうとする人もいる。だがそこに待っているのは、時給1,100円の世界である。

 スキルがなく、キャリアの証明もできず、評価の対象にもなりにくい。
 「家族のために尽くしてきた」ことが、社会では何の資格にもならないのだ。

もちろん、それでも「私はこの生き方で幸せ」と言える人はいる。
だが問題は、それが“本当に自分で選んだ幸せ”なのかどうか、という点にある。

 子どものため。夫のため。家族のため。
 そう言いながら、自分の人生を後回しにしているとしたら──。
 それは「愛情」ではなく「構造」によって仕組まれた犠牲かもしれない。

 誰かの幸せのために、自分を犠牲にしてもいい。だがその選択の代償が、2億円であるということは、知っておいて損はない。

 それが「損かどうか」は、あなたが自分で決めるべきなのだ。

 こんなこと、教科書に書いてなかったんだよな。


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