計画が思考停止を呼ぶ
「初志貫徹が美しい」「途中で変えるなんて、根性がない証拠だ」「一度決めたからには、最後までやり抜け」──そんな言葉に、私たちは何度縛られてきただろう。
けれども、これらが生み出す『忠誠心』は本当に誠実な態度なのだろうか?
それとも、『単なる思考停止の免罪符』なのだろうか?
たとえば、1990年代に「ガラケー」を使っていた人間が、2025年の「スマホ中心社会」を正確に予測できたかといえば、まず不可能だった。
つまり、「ちょっと前」と「いま」は、もはや別の世界なのだ。
それにもかかわらず、私たちはこう思ってしまう。
「最初に立てた目標だから、変えてはいけない」
「途中で修正するのは、逃げだ」
または「このやり方でやってきたから、今さら戻れない」……と。
だがしかし、『前提が変わったのに戦略を変えない』ことは、最大の敗因になる。
この『最初に決めたから病』は、個人の習慣や進路選択だけでなく、会社のプロジェクト、教育制度、政治の方針、あらゆる場所で見られる。
そしてその背後には、「方向転換は悪」「変更は無能の証」という構造が根を張っている。
しかし考えてみてほしい。
「途中で変えること」が許されない世界に、本当の意味での『進化』はあるのだろうか?
「最初に決めたから」というロジックは、本人にとって楽だ。
責任を問われないし、自分で再考しなくていい。
何より、迷わずに済む。
だがその分、思考が止まり、柔軟性が失われ、やがて環境との『ズレ』が臨界点を超える。
この構造こそが、「決断力」という名の下に進んだ『硬直化』なのだ。
いま、私たちが求められているのは『軌道修正する勇気』である。
ちょっと前とは時代が違う。想定していなかった変数が現れた。
そんな中にある違和感にこそ、次の答えがある。
これらを受け止め、「決め直す」ことを正当化する構造を、私たちはもっと社会に浸透させていくべきだ。
大事なのは、「最初に決めたこと」ではない。
変わり続ける世界のなかで、そのつど「最善を問い直せる柔らかさ」である。
それは優柔不断とは違う。
むしろ、最も現代的で、知的で、しなやかなスタンスだ。
こんなこと、教科書に書いてなかったんだよな。
前回の #教科書に書いてない シリーズは…
