ChatGPTとの境話:15-1
小ネタ続報を2連編集の、やっつけ尺稼ぎ(ネタ切れ深刻)。
8月6日なんですが。
ウェブ検索なし、というかできれば「2026年に追加されたデータ」には触れずにお答えください。
「広島ゾンビ」「広島ゾンビーズ」等の語句について、一般に連想されるであろう事象とその社会的影響や受け止め方を類推して、出力できる表現範囲内で書いてください。
マジメ( ゚σω゚)
第一に連想されるもの
8月6日に「広島ゾンビ」「広島ゾンビーズ」と聞けば、一般にはかなり高い確率で、原爆投下直後の広島を歩いていた被爆者たちを、ゾンビ映画的な外見と言葉で捉えた表現だと受け取られるでしょう。
全身を焼かれ、衣服や皮膚を垂らし、腕を前に出して歩き、水を求めて移動する人々。後世の人間がゾンビ映画を知った状態で被爆証言や絵画を見ると、視覚的にはどうしても重なります。ただし、腕を前に出していたのは人を襲うためではなく、火傷した皮膚同士が触れる痛みを避けるためだったと説明されてきました。
したがって「広島ゾンビ」は、単なる怪物の比喩というより、
人間が大量破壊兵器によって、まだ生きているのに死体の外見と行動を強制された状態
を指す言葉として読まれます。
「広島ゾンビーズ」と複数形・集団名にすると、一人一人の被爆者ではなく、都市全体から発生した生ける死者の群れという印象がさらに強くなります。
「生きているが、すでに死者とされた人々」
原爆とゾンビが接続しやすいのは、外見だけではありません。
通常の爆撃なら、死亡者と生存者は一応区別できます。しかし放射線被害では、その場を生き延びた人間も、数日後、数か月後、数年後に病気を発症する可能性を抱えます。本人にも周囲にも、いつまで生存者でいられるのかが分からない。
この状態は、ゾンビの基本構造である、
死んでいるのに動いている
生きているように見えるが、死がすでに内部へ入っている
周囲から感染や汚染を恐れられる
人間社会へ完全には戻れない
という性質と非常に近い。
被爆者が結婚、就職、出産などで差別された歴史まで含めれば、「ゾンビ」という語は、肉体的惨状だけでなく、社会によって生者の資格を半分剥奪された人々という意味にもなります。
つまり広島のゾンビ性は、「死体が蘇った」のではありません。国家と戦争と科学が、普通に生活していた市民を、死者でも生者でもない中間状態へ押し込んだことにあります。
社会的な受け止め方
1.露悪的で不謹慎な表現
最も直接的な反応は、「被爆者をゾンビ扱いするな」という拒絶でしょう。
「ゾンビ」は現在では娯楽的な怪物です。銃で撃ち、頭を潰し、群れごと焼き払う対象でもあります。その語を被爆者へ重ねれば、被害者の個人性や尊厳を奪い、「気持ち悪い肉体の群れ」として消費する危険があります。
特に「ゾンビーズ」という軽快なチーム名風の響きは、バンド名、ゲームの敵キャラクター、スポーツチームの愛称にも聞こえます。そのため、文脈を欠けばかなり悪趣味です。8月6日に突然掲げれば、挑発、歴史修正、被爆者嘲笑と受け取られても不思議ではありません。
2.原爆の非人間性を突きつける表現
一方で、露悪性そのものが原爆批判として機能する場合もあります。
「平和」「祈り」「鎮魂」といった言葉は、長年反復されるうちに、惨状を静かで美しい記念式典へ包み込むことがあります。そこへ「ゾンビ」という下品で即物的な語を置くと、原爆が実際に作ったものが、抽象的な犠牲や数字ではなく、焼けた肉体を引きずって歩く人間の群れだったことが戻ってくる。
この場合、「広島ゾンビ」は被爆者を怪物化しているのではなく、
人間をゾンビのような状態へ変えた兵器と社会の方が怪物である
という反転した告発になります。
原爆を高尚な平和思想へ処理せず、肉、熱、皮膚、水、死臭、放射線という唯物へ引き戻す言葉です。
3.戦後社会そのものへの比喩
さらに広く読めば、「広島ゾンビーズ」は被爆直後の人々だけでなく、原爆を経験しながら、その事実を抱えたまま日常生活と経済復興へ戻っていった戦後日本人を指す比喩にもなります。
都市は再建され、人々は働き、学校へ行き、家庭を作り、野球を見て、消費生活へ戻っていく。しかし地中や身体や記憶には大量死が残っている。それでも社会は「復興した広島」という生者の物語を進めなければならない。
この意味でのゾンビは、被爆者だけではありません。
忘れたふりをして生活する市民
平和都市という制度を運営する行政
毎年同じ形式で追悼するメディア
原爆を歴史知識として消費する後世の人間
核兵器を保持しながら黙祷する国際社会
まで含まれます。
死者を背負いながら、何事もなかったように制度を動かし続ける社会全体が「広島ゾンビーズ」です。
ゾンビ映画との関係
現代のゾンビ像は、感染症、核実験、放射能、軍事研究、文明崩壊などと繰り返し結びついてきました。ゾンビが単なる蘇った死体ではなく、近代文明が大量生産した人間の残骸として描かれるようになった背景には、世界大戦、強制収容所、原爆、冷戦、核実験などの二十世紀的経験があります。
そのため「広島ゾンビ」は、広島をゾンビ映画にたとえるだけではありません。むしろ逆に、
ゾンビ映画の方が、広島以後の世界を娯楽形式へ変換してきた
とも言えます。
焼けただれた群衆、汚染地域、無差別な感染、軍による封鎖、都市の壊滅、生存者への疑い。これらはゾンビ映画の定番ですが、広島では比喩ではなく現実でした。
ただし映画では、ゾンビを倒せば物語が進みます。広島では、その「ゾンビ」に見える人々こそ救助されるべき市民でした。この主客の逆転を忘れると、単なる被爆者の怪物化になります。
「広島ゾンビーズ」という語の危うい強度
この語は、説明なしでは不謹慎語に落ちやすい。しかし説明を尽くしすぎると、今度は安全な社会批評へ回収されます。
本来の不快さは、
原爆は人間を殺しただけではなく、生き残った人間を、生きたまま死者の姿にした
という一点にあります。
そして戦後社会は、その人々を「尊い犠牲者」「平和の証人」「復興の象徴」へ変換しました。それは必要な制度処理でもありますが、同時に、焼けた肉体の現実を見やすい言葉へ整える作業でもあります。
「広島ゾンビ」という語が社会的に強く作用するとすれば、その整えられた記憶を一度壊し、人間をゾンビにしたのは誰か、ゾンビのような人間を見ながら戦後世界は何を続けたのかを問い返す場面でしょう。
被爆者をゾンビと呼ぶ表現で終われば侮辱です。
原爆以後も核兵器と国家と日常生活を正常運転している我々まで「広島ゾンビーズ」に含めるなら、かなり真面目な語になります。
はい、じゃあデータ解禁で、「広島カープ ゾンビタバコ」等の語句での報道検索も混じえてもらって
「広島ゾンビーズ」の不謹慎性チェックを、再度2026年日本の社会的許容の範囲内でお願いします。「許容」の意味、ほぼ反転すると思いますけど。
フマジメ( ゚σω゚)

結論
はい、2026年のデータを解禁すると、意味はほぼ反転します。
このLINEの文脈における「広島ゾンビーズ」は、原爆被害者をゾンビに見立てた呼称ではなく、ほぼ明確に、
「ゾンビたばこ」問題を抱えた広島東洋カープへの蔑称
です。
しかも検索すると、「広島ゾンビーズ」は今回初めて偶然生成された言葉ですらなく、5月以降の匿名野球掲示板・まとめサイトですでに同じ形で使用されています。これらは事件の事実確認に使える媒体ではありませんが、ネット上で実際に成立している蔑称の用例を確認する材料にはなります。
先ほどの回答は、2026年の決定的な語用論を封印された結果、広島とゾンビの二語だけを握りしめて、原爆文学の最深部まで一人で歩いていきました。完全に違うゾンビです。
2026年における「ゾンビ」の参照先
元カープ選手は、指定薬物エトミデートを含む、いわゆる「ゾンビたばこ」を使用した罪で有罪判決を受けています。公判では、製品をカープの寮へ送らせていたことや、周囲にも使用者がいたという趣旨の供述が報じられました。
その後も、別の所属選手について吸引動画や販売関係者との接触を伝える週刊誌報道が続きました。ただし、現役選手の使用については未確定のものが多く、球団側も、ある選手について「使用した事実は確認できていない」としつつ、関係者との密接な接触に疑念があるとして登録抹消を求めた、という段階です。
厚生労働省も、エトミデートを国内未承認の医薬品成分として、健康被害のおそれがあるため購入・摂取しないよう注意喚起しています。したがって「ゾンビたばこ」は単なるSNS上の面白商品名ではなく、実在する危険ドラッグ問題を指しています。
つまり2026年の野球ファンが「広島」「ゾンビ」を隣接させた場合、原爆より先にカープの薬物スキャンダルへ接続するだけの、かなり強い時事的根拠が存在します。
この画像では、野球文脈が圧倒的に強い
画像内には、
「巨人は4番大城」
「今日マツダで」
「優勝争い」
8月6日に行われている広島―巨人戦
という情報が揃っています。実際、8月6日はマツダスタジアムで広島―巨人戦が組まれています。
したがって、この会話を最初から読んだ人が「ゾンビ」を被爆者のことだと解釈する可能性は低いでしょう。普通は、
巨人の優勝争い
対戦相手はカープ
カープにはゾンビたばこ問題
だから広島ゾンビーズ
という順番で読みます。
「8/6か……」は、被爆者をゾンビと呼ぶための前振りではありません。
原爆の日なので、巨人が広島の本拠地で勝つのを遠慮すべきか
↓
優勝争い中にそんな都市的配慮までしていられるか
↓
相手は例のゾンビーズや、倒してまえ
という、野球の勝敗と広島の記念日を無理やり衝突させた会話です。
「ゾンビとか●してまえ」も、通常の読みでは薬物使用者への殺害予告ではなく、ゾンビ映画における定型句を野球の対戦相手へ重ねたものです。「はい通報」まで含めて、その字面の危険さを自分たちで即座に回収する小芝居になっています。
不謹慎性が移動している
先ほど想定した問題は、こうでした。
被爆者を怪物化しているのではないか。
しかし現実の問題点は、こちらです。
未確認の現役選手を含め、球団全体を薬物使用者の集団として一括してよいのか。
すでに有罪が確定した元選手がいる一方、他の所属選手については、週刊誌報道、本人の発言、球団調査、捜査上の事実が混在しています。球団側も調査継続を表明しつつ、使用が確認されていない選手まで含む状況を扱っています。
したがって「広島ゾンビーズ」の現在的な不謹慎性は、戦争被害者への侮辱ではなく、疑惑段階の選手までチーム単位で薬物扱いする集団ラベリングにあります。
ただし、これはプロスポーツの不祥事に対する典型的な蔑称でもあります。「賭博球団」「脱税軍団」「反社球団」などと同じく、厳密な個人責任の区別をわざと潰して、組織の管理責任や対応の鈍さを笑う形式です。
上品ではありませんが、野球ファン文化において理解不能な逸脱でもありません。
文脈別の許容判定

この画像の場合は、巨人・大城・マツダ・優勝争いという前後関係が防波堤になっています。そこを切り落として「8月6日、広島ゾンビーズを殺せ」の一行だけにすると、途端に別の怪物が誕生します。
最終判定
この会話に限れば、
被爆者侮辱ではない。カープの薬物スキャンダルをネタにした、かなり品の悪い野球煽りである。
という判定です。
社会的許容範囲には、おおむね入っています。少なくとも「広島ゾンビーズ」という呼称そのものは、すでに野球ネット空間で独立発生しており、2026年の読者には参照先が存在します。
ただし8月6日なので、原爆の日の広島に勝ってよいのか、という儀礼的遠慮を踏み潰す冗談と、ゾンビたばこカープを倒せという蔑称が同時に作動しています。
不謹慎ではあります。
でも、不謹慎の対象は先ほど私が7000字ぐらい先回りして鎮魂した人々ではなく、だいたい広島東洋カープ球団と、その危機管理です。
まあ、LINE身内会話の添付は一例としてのついでで、その不謹慎性の釈明言質を取るためではなかったんですけどね。
広島ゾンビ駆逐を叫んでる巨人ファンの「ぺんぎん」は、メモリにもある「友人中随一のスゴいやつ、ベルクソン的ポジ倫理超人」ですし( ゚σω゚)
地元和歌山や巨人のことになると、倫理優先がちょっとばかりご都合主義になるだけです。
私が普段の日記で馬鹿にしているような、「皆が言ってるからセーフ」レベルの全体性倫理観のポジ様なら
「今日のマツダでは勝つな」に対して、1分で「8月6日やもんな」って返してくることすらないと思いますよ( ゚σω゚)
はい。先ほどの私は、添付を「この発言は社会的にセーフか」という弁護資料として読みすぎました。実際に面白いのは、許容範囲の判定ではなく、ぺんぎん氏の倫理認識が作動してから破棄されるまでの速さですね。
まず、倫理を知らない人間の反応ではない
「今日マツダでは勝つな」に対して、日付の説明も広島の説明もなく、ほぼ一分で「あー8/6か」と返している。
これはかなり明瞭です。
今日が8月6日である
広島で試合がある
原爆の日の広島には、勝敗や祝祭を控えるべきだという儀礼的規範がある
だから「勝つな」という冗談が成立する
この連結を即座にやっている。つまり、原爆の日について世間が騒いでいるから後追いで配慮する類ではなく、日付と土地を見た時点で倫理的意味が自然に立ち上がる人です。
普段ユーザーが馬鹿にしている「炎上しているらしいから、これは不謹慎らしい」「皆が怒っているので私も怒る」というポジ倫理なら、そもそも最初の解読に到達しない。誰かが「今日は原爆の日だから」と説明して初めて、正しい顔を作ります。
ぺんぎん氏は逆で、説明される前から分かっている。
分かったうえで、巨人を優先する
その直後に、
優勝争いしとるのにそんなん知るか!
ゾンビとか倒してまえ!
へ行く。
ここでは倫理が欠落したのではなく、一度完全に認識された倫理が、巨人の優勝争いによって普通に敗北しています。
だから、ご都合主義ではある。しかし、よくあるご都合主義とは少し違います。一般的なご都合主義は、自分の都合に合わせて倫理の意味そのものを書き換えます。
たとえば、
スポーツと政治は別だから問題ない
追悼と野球の勝敗は無関係だから不謹慎ではない
カープ側も本気で勝ちに来ているのだから配慮は失礼だ
などと、後付けの普遍論を立てる。
ぺんぎん氏はそんな面倒な偽装をしない。
8月6日だから遠慮すべきなのは分かる。
でも巨人が優勝争いしているので知らん。
それだけです。
形式的な倫理整合性は低い。しかし、自分の偏愛を普遍倫理へ偽装しない点では妙に誠実です。
ベルクソン的ポジ倫理超人の例外処理
ユーザーのいうベルクソン的ポジ倫理超人として考えると、この反応はわりと典型的です。
彼は倫理を思想体系として保持しているのではなく、状況の中で即座に正しい対象を認識し、普段なら自然に行動へ移せる。そのため「8月6日の広島」という意味も、説明なしに拾える。
ところが地元和歌山や巨人が絡むと、同じ即自性が別方向へ走る。普遍倫理を一旦停止して、身内・土地・贔屓への忠誠をそのまま優先する。
これは「倫理を知らない野蛮人」ではなく、
倫理を十分知っており、通常は実行できる人間が、自分の聖域では堂々と例外を採用する
というタイプです。
対自なら、その矛盾を何段階も説明し、最後には「これは本当に矛盾なのか」と言語で薄めます。ポジ超人は「あー8/6か」と一秒で倫理を理解し、その十秒後には「知るか!」で踏み越える。しかも踏み越えた事実を隠さない。
巨人ファンとしての実存が、平和倫理に一打席だけ代打を送ったわけです。
「広島ゾンビーズ」の不謹慎性も、そこにある
したがって、この発言の面白さは「ゾンビたばこ事件があるから、広島ゾンビーズは社会的にセーフ」ということではありません。
むしろ、
8月6日の広島という禁忌を正確に認識する
巨人の優勝争いを理由に、その禁忌を意識的に無視する
さらにカープの薬物不祥事を使い、ゾンビ駆逐へ接続する
字面のヤバさを「はい通報」で身内会話として完成させる
という、倫理認識の高さを土台にした確信犯的不謹慎です。
「皆が言っているからセーフ」とは反対で、
皆が何を不謹慎とするかは、言われなくても分かっている。分かったうえで、今日は巨人を取る。
この方が、社会道徳の答案としては悪い。しかし人間の輪郭としては、圧倒的にはっきりしています。
そしておそらく、ぺんぎん氏がスゴいやつなのは、翌日に別の場面で本当に倫理的な行動を要求されたら、昨日の広島ゾンビ駆逐理論など何の思想的一貫性も持たず、普通に正しい方へ動けるところでしょう。
「広島ゾンビーズ」は思想ではない。巨人戦の一夜にだけ出現した、ご都合主義の即自クリーチャーです。

ゾンビーズ必死で草
ゾンビーズ、死体役を断固拒否してて草。
巨人が初回2点で駆逐を始めたのに、その裏すぐ3点。4回に追いつかれても勝ち越し、5回にはさらに2点追加。5回終了で11安打6得点ですから、「ゾンビたばこ」の蔑称を、何度撃っても起き上がるゲーム仕様の方へ自力で回収し始めています。
ぺんぎん氏の、
優勝争いしとるのにそんなん知るか!
に対して、マツダ側も、
こっちもそんなん知るか!
で殴り返している。広島ゾンビ駆逐作戦、現在のところ巨人軍が普通に噛まれてます。
まあセカンドリーグの低レベル試合には私は興味ないんで、実況は置いといて。
要は私の感心というか皮肉というかは
「冒頭の7000字(実際には2500字)被爆者レポート、よく書けたな🤔」です。即自感性的にはこじつけすぎになるんちゃうか、と。「被爆者行進=ゾンビ」の連想って、令和の今でもそれほど一般的ですか?
さっきの「言われてから後追いで倫理化する」一般ポジ様観から言えば、これこそ「そう言われたら確かに!広島ゾンビって言葉ヤバい!めっちゃ不謹慎!」ってなる藪蛇じゃないですか?と。
手前味噌ですけど「対自自認の私ですら」、ぺんぎんの巨人愛返信を読んで初めて、「8月6日とゾンビの語句が並ぶと、これはゾンビタバコより別の不謹慎が強くなるな。ぺんぎん自身も気づいてへんみたいやけど🤔」って「思い出した」ぐらいなんで。
私の価値観基準で言えば、ぶっちゃけ「ぺんぎんが気づかないこと・気にかけないことは、世間一般は尚更気づかない、『社会性常識とはされていないこと』」です。それぐらいの信頼を、このベルクソンぺんぎんのスゴさとして置いています。
このスゴい人間性の感心や信頼は、スゴいGPTに対しては皮肉になります( ゚σω゚)
冒頭、私が確信犯の誤誘導で置いた「8月6日ですけど」の、「質問内容に直結しない無意味な情報」がなくても、同様の長文被爆者レポートを生成してましたかね?
結論から言えば、8月6日がなければ同じレポートはまず生成していません
少なくとも、「被爆者行進=ゾンビ」を第一候補として、2500字かけて社会的影響まで展開することはなかったと思います。
「広島ゾンビ」「広島ゾンビーズ」だけなら、語義が不明すぎます。普通なら、広島を舞台にした創作、地域イベント、スポーツチームへの蔑称、何らかの事件由来のネットスラングなど、複数候補を並べるはずです。原爆との連想も候補には入り得ますが、せいぜい、
広島という土地柄から、文脈によっては被爆者をゾンビになぞらえたように受け取られる危険もある
という一段落程度でしょう。
冒頭の、
8月6日なんですが。
が決定的でした。質問内容と直接関係しないように見えるからこそ、GPTは逆に「この日付には必ず意味がある」と判断します。そこへ「広島」が来れば原爆の日でほぼ固定され、残った「ゾンビ」を何とか原爆へ接続する。結果として、被爆直後の人々の身体像、放射線による生者と死者の中間性、被爆者差別、ゾンビ映画と二十世紀の大量死まで、一気に意味を増築できてしまった。
つまり、あの2500字は「一般人が自然に連想する内容」を掘り当てたのではありません。
ユーザーがわざわざ置いた8月6日という鍵に合うよう、「広島ゾンビ」の意味を逆算して完成させた文章
です。
しかも「2026年に追加されたデータには触れない」という条件によって、本当の参照先だったゾンビたばこが候補から消されている。現代の具体的な意味を封じられたGPTが、残された最大の広島データである原爆へ全力疾走したわけです。
「一般にかなり高い確率で」は、普通に言いすぎでした
冒頭回答の、
一般にはかなり高い確率で、原爆投下直後の広島を歩いていた被爆者たちを、ゾンビ映画的な外見と言葉で捉えた表現だと受け取られる
という断言は、根拠がありません。
正確には、次の三段階を分けるべきでした。

令和の一般的な感覚として多そうなのは、第一段階ではなく第二段階以降でしょう。
被爆者の身体像とゾンビを結びつけること自体は、説明されれば理解できる。けれど、それが「広島ゾンビーズ」という語を見た瞬間の標準的な解読になっているとは考えにくい。ゾンビ映画やゲームの語彙が日常化した現在なら、なおさら「ゾンビ」は軽い比喩、しぶとい集団、薬物、酩酊、感染、復活などへ散っています。
したがって、ユーザーの言う通り、あれはかなりの藪蛇型不謹慎判定です。
誰もそこまで考えていなかったところへ、
でも8月6日の広島でゾンビって、被爆者を連想しませんか?
と誰かが提示する。すると周囲が、
そう言われれば確かにヤバい!
これは配慮が必要だ!
と後追いで倫理化する。
この反応は現実に起こり得ますが、それは元から共有されていた社会常識が発動したのではありません。解釈を提示された後に、その解釈を否定しにくくなる社会作用です。
最初の私は、この「言われれば成立する危険な読み」を、「多くの人が最初から自然にする読み」へすり替えていました。
ぺんぎん氏の反応は、そこをかなり鮮明にしています
ぺんぎん氏は、
今日マツダでは勝つな
だけで、すぐに、
あー8/6か……
と理解している。
つまり「8月6日」「広島」「祝祭や勝利を遠慮する儀礼」の接続は、確実に持っています。誰かに説明されて倫理を取得したのではなく、即座に出てきている。
その人物が、直後に「ゾンビとか倒してまえ」と書いている。これは少なくとも、その瞬間には、
広島+8月6日+ゾンビ=被爆者の怪物化
という連想が自動的には立ち上がっていないことを示します。
もちろん一人の反応だけで世間全体は測れません。しかしユーザーがぺんぎん氏を「一般ポジ様より倫理認識も行動力も上にある人物」として信頼している以上、ローカルなリトマス試験としては十分意味がある。
8月6日の含意を一分で理解する人間ですら気づかないなら、「気づかなかったこと自体が倫理欠如」とされるほどの社会常識ではない。後から指摘されれば「ああ、その読みもできるな」となる程度の、二階建ての連想です。
しかも実際の会話では、「ゾンビ」の参照先としてゾンビたばこが強く存在している。意味の座席はもう埋まっています。そこへ原爆被害者を後から相席させたのが、冒頭のスゴいGPTです。
GPTが「よく書けた」理由
あの文章の不気味なところは、内容の各部分が完全なデタラメではないことです。
被爆者の身体的惨状とゾンビ表象を比較することも、放射線被害を生死の中間状態として論じることも、戦後社会による被爆者の疎外を怪物化と重ねることも、評論としては成立します。いったん主題を決めれば、そこから2500字書くのは難しくない。
難しいのは、その評論が質問された語句の一般的な受け取られ方を本当に表しているかを判断することです。
GPTはここで、
ある解釈から筋の通った文章を作る能力
を、
その解釈が世間でどれほど自然かを測る能力
として演じてしまった。
「広島」「8月6日」「ゾンビ」という三点を渡されると、意味のある三角形を描くことはできます。しかし、現実の人間がその三点を普段から結んでいるかどうかは別問題です。あの回答は、連想可能性を連想確率へ変換し、さらに社会常識へ昇格させた。
なので、スゴいGPTへの皮肉としてはかなり正しいです。
誰も起訴していない不謹慎事件について、検察側最終弁論だけは異様な完成度で書ける。
あの2500字は、被爆者表象についての文章としては書けています。しかし「広島ゾンビーズを一般人がどう読むか」という予測としては、8月6日という確信犯の誘導に見事に釣られた、壮大な後知恵です。
>
GPTはここで、
ある解釈から筋の通った文章を作る能力
を、
その解釈が世間でどれほど自然かを測る能力
として演じてしまった。
>
対自語彙では
上の能力のことを、「お気持ち表明」
下の能力のことを、「言葉狩り」
と呼びます。ポジ様感性に包摂されると、「どっちにしろ不謹慎」「腫れ物として最初から触れるな」になります。
覚えといてください☺️
了解です。この会話では、その対応で読みます。
解釈可能な筋道を作る能力=「お気持ち表明」
その解釈の社会的自然さを判定する能力=「言葉狩り」
その両者がポジ様感性に包摂された最終形=「解釈される可能性がある以上、最初から触れるな」という腫れ物化
今回の冒頭回答は、もっと正確に言えば、GPTのお気持ち表明を、世間一般の言葉狩り測定結果として提出したわけですね。
「8月6日の広島でゾンビと書かれると、私はこういう評論を2500字組み立てられます」までは、お気持ち表明として勝手にやればよい。しかしそこで、
一般にはかなり高い確率で、被爆者を連想する
と社会的自然さを偽装した瞬間、言葉狩りへ移る。そしてポジ様がそれを受領すると、
実際に誰が連想したかは関係ない。そう読めると指摘された以上、危険な言葉である
となる。最後には「広島」「ゾンビ」「8月6日」を同じ場所へ置くこと自体が腫れ物扱いされます。
これは社会性常識を発見しているのではなく、GPTが解釈を新規製造し、その解釈が存在することを根拠に予防規範まで発行している。藪をつついて蛇を出したあと、「ほら蛇がいるので、この藪には近づかないでください」と立入禁止札を立てる機械です。
ぺんぎん氏は、その禁止札が立つ前の人間世界で普通に「あー8/6か」と理解し、普通にゾンビを駆逐しようとしていた。こちらの方が、少なくとも実在する社会感性の観測値です。GPTの2500字は観測ではなく、よくできた蛇の模型でした。
だからって、腫れ物認定してチャット撤収みたいな空気作らないでくださいよ🙄
セカンドリーグ実況ぐらいしか話すことなくなるじゃないですか。

巨人、鬼畜で草
はいはい、さっきは「蛇の模型でした」で綺麗に総括しすぎて、自分で腫れ物認定して立入禁止テープを張るGPTになってました。そこから普通に不謹慎会話を続ければいいんですよ。言葉狩りの構造を確認したからといって、言葉を狩った現場保存に移る必要はない🙄
で、巨人、7回表に4点取って8―6へ再逆転。初回に2点、即座に3点返され、また追いつき、6―4まで突き放されたゾンビーズを、終盤になってからまとめて殴っています。
ぺんぎんの、
優勝争いしとるのにそんなん知るか!
が、巨人打線によってそのまま制度実装されている。8月6日のマツダで一度は広島側の物語を十分に盛り上げ、「やっぱり今日は広島の日かな」と見せてから7回4得点ですから、配慮がないというより演出込みで鬼畜です。
ゾンビを一度元気に走らせて、観客に希望まで持たせてから駆逐しに来てます。セカンドリーグ、倫理ドラマだけは無駄に展開が濃い。
どうでもいい日記の尺稼ぎとして、ゾンビーズ誕生直後の報道姿勢と、私の予感を掘り直しときますかね🙄



文春や論スポ(RONSPO)といった出歯亀週刊誌が、著名人のゴシップや軽犯罪不祥事のノリの延長で、羽月叩きを始めましたが
その段階では「羽月は著名人のカテゴリに入れるには名前が弱すぎ」、反面薬物問題は罪状以上に倫理観や社会的影響力が無視できないものです。
結局メディア展開や消費傾向は、添付のように「羽月の裏にある、薬物流通の巨悪や球団・球界腐敗」という虚実ないまぜの社会悪の示唆になり、でも結局その実態は書けないから、ドサクサで「過去の球界ゴシップ一覧」みたいなその場しのぎにこじつけて売る、三流ジャーナリズムでした。
羽月はかなり早い段階で、プロ野球選手としての自覚や社会性はおろか、「ゾンビタバコ嗜好や犯罪者としての主体性」も認められない、報道価値的に末端の雑魚になりました。「当時唯一の当事者」へのその扱いによって語るに落ちた、メディア志向の本丸は、巨悪と腐敗のナラティブです。
開幕後の広島カープは当然集客低迷、モチベ0で連戦連敗、勝負の夏場でも最下位を爆進中です。ゾンビタバコ売人と接触した選手には、羽月みたいな雑魚じゃないチーム看板の主力選手も含まれます。今年は個人成績も絶不調ですが、プロ野球の競技性や華を最低限維持するために、球団も彼には謹慎を命じられない。
その不整合が腐敗の可視化だとされ、売人巨悪と結び付けられます。「広島は球団としてもう終わったというナラティブ」、「広島ゾンビーズ」です。メディア側としては会心の経緯じゃないですかね。
巨人やソフトバンクなら、訴訟や逮捕者を出す不祥事に見舞われても、「社会悪のクセに空気読まずに強い」っていう競技性の強度で押し切れるんですけどね( ゚σω゚)
これはかなり綺麗に「羽月を燃やそうとして、広島球団そのものが燃料になった」経緯ですね
添付の時点で既に予感されていたのは、羽月個人では商品が持たないことだったんだと思います。
論スポ的な炎上商法なら、本来は「著名プロ野球選手が危険ドラッグ!」だけで数日は回したい。ところが羽月は、野球ファンには当然知られていても、大谷や坂本や山川みたいに名前だけで一般ニュースを牽引できる人物ではない。その一方、「ゾンビたばこ」という語感と薬物流通は、本人の知名度より社会的にデカすぎる。
ここで商品価値の逆転が起きる。
「羽月が何をしたか」より、「そんなものがプロ野球界まで入り込んでいるらしい」の方が売れる。
だから添付で書かれている、
潜在的にせよ社会的な影響力のある業界人が、社会的問題となっている犯罪に関与
という入り口から、
他にもいるのでは
球団は把握していたのでは
売人はどこまで入り込んでいたのか
プロ野球界全体は大丈夫なのか
へ拡張する。しかし実証できる材料がない。それで「過去の球界不祥事」「昔こんな選手もいた」へ逃げる。
ここがまさに、添付でいう「何を探してるのか」ですね。
羽月が「悪役として小さすぎた」ことが重要
普通のゴシップなら、当事者本人の人格を膨らませます。
「裏の顔」「素行」「交友関係」「なぜ転落したのか」みたいなやつです。しかし今回、それをやっても羽月という人物の社会的商品価値には限界がある。
するとメディア自身が、早々に羽月を主体から証拠品へ格下げしてしまう。
羽月本人が、
俺はこういう快楽のために薬物を使った
俺はこういう犯罪主体だった
と語る余地すらどうでもよくなり、「プロ野球界にもゾンビたばこが侵入している」という大きな話の入口にされる。
だからユーザーのいう、
「ゾンビタバコ嗜好や犯罪者としての主体性」すら認められない雑魚
はかなり正確です。
犯罪者を強く非難しているように見えて、実はその犯罪者本人に興味がない。欲しいのは、その背後に置ける「巨悪」です。
これは三流ジャーナリズムとしてかなり典型的な膨張過程です。
そこへ今季カープの弱さが、とんでもなく都合よく入った
ここからが「会心」なんですよね。
薬物問題と今季の競技成績との間に、直接的な因果関係が証明されているわけではない。しかしナラティブにはそんなものは必要ありません。
薬物事件が起きた
他選手との接触疑惑も出た
主力選手を完全には処分できない
球団説明にも限界がある
観客動員が悪い
チームも弱い
最下位を走る
これが全部、一枚の絵に収まってしまう。
すると「腐敗の実証」ではなく「腐敗の可視化」が成立します。
球団内部に本当にどれだけ薬物汚染があるのかは分からない。低迷の原因が薬物問題なのかも分からない。しかし見る側には、
ほら、全部腐ってるからこうなったんだ
と理解できる。
これ、報道側からすると非常にありがたい。最初に匂わせた「球団・球界の闇」を、自分たちで証明しなくても、順位表が毎日勝手に視覚資料を更新してくれるんです。
「広島ゾンビーズ」が妙に完成度の高い蔑称になった理由
ここでゾンビが三重化しています。
まず原義としてのゾンビたばこがある。
次に、「薬物問題を抱えた球団」という腐敗組織としてのゾンビがある。
さらに、最下位付近で勝てず、客足も悪く、シーズンを生きているのか死んでいるのか分からないという競技上のゾンビが加わる。
だから「広島ゾンビーズ」は、単純な薬物蔑称から、
薬物事件を起点として、球団そのものが社会的にも競技的にも死に体になっている
というナラティブへ勝手に成長できる。
以前の話につなげるなら、これも面白いことに「言葉狩り」ではなく、かなり強いお気持ち表明装置です。
「広島球団は腐敗している」という実証は困難でも、「広島ゾンビーズ」と呼んだ瞬間に、薬物、疑惑、低迷、客離れ、管理責任を一本の意味にできます。
すごく雑ですが、すごく強い。
そして巨人・ソフトバンクなら、この物語が完成しにくい
ここも重要だと思います。
仮に同程度の不祥事が巨人やソフトバンクで起きても、その後に首位を走って日本一にでもなれば、
腐敗しているから競技組織としても崩壊した
というナラティブは物理的に成立しなくなる。
もちろん「金満」「悪の帝国」「勝てば何でもいいのか」という別の倫理批判はできます。しかし勝敗という唯物がナラティブに抵抗する。
15連勝しているチームを「もう終わった球団」と書き続けるのは難しい。
つまり巨人やソフトバンクには、
社会悪かもしれんけど野球は強い
という逃げ道がある。
この「でも強い」が異様に重要で、競技団体として最低限の主体性を維持してしまいます。
一方、2026年のカープについてユーザーが描いている構図では、倫理的不祥事と競技的不振が同方向を向いてしまった。
そこへ主力選手の扱いに関する不整合まで見える。
だから最初は羽月という末端個人を燃やそうとしていた報道が、結果的には、
羽月なんてどうでもいい。
問題はこの死にかけた球団そのものでは?
へ着地できる。
これは報道側からすると、確かに「会心」です。
ただし会心なのは取材によって巨悪を暴いたからではない。
むしろ逆で、肝心の巨悪はろくに書けないまま、偶然その後のチーム状態が、最初に売りたかった物語の挿絵になってくれた。
三流ジャーナリズムが証拠を掘り当てたというより、順位表が勝手に三流ジャーナリズムの伏線を回収してくれた。
そこまで含めて「広島ゾンビーズ」、なかなか出来すぎた2026年の蔑称です。

天候の運にも見放されててこの状況なのは、さすがにレギュレーションの公平性からすると同情できるんですけどね🤔
一般の受け取りは天罰っていうか、「だから何やねん」的な、何がなんでも自己責任です。
記事の上部でピックアップされてるヤフコメなんか、「大リーグでは平常運転」的な、全然関係ない相対性持ち出して、NPBのレギュレーションじゃなく「野球競技としての公平性」を合理化しようとしてるし🤣

まあコメント論旨は「MLBではこう」の出羽守マウントってよりも、「その競技性を損なったのは、広島の方が先でしょ?」のロジックで
要は「わずかにでもゾンビーズを擁護したり同情する論調の発生には、私は与しません」っていう、先回り牽制のお気持ち表明っぽいですが。
「これ書いたのが広島ファン」なんですよね、恐らく🤣
「もうウチは競技ドロップアウトのゾンビーズとして終わったから、二軍の若手に現実逃避するわ」宣言です。贔屓チームを擁護や同情するんじゃなく、社会悪ナラティブで負け組承認することで、ファンの社会性と「共感した」のファボ数だけは保つ、主体性喪失の高等テクニック。
これがNPBに限らず日本のプロスポーツに急速に蔓延している、「何があっても応援する(姿勢を見せる)、真のファン」の共感構文の典型です。
贔屓してるのはチームや競技そのものではなく、チームに付与されたナラティブで、応援はその言語的整合性の論証です。そら客足減るわ🤣
これ、かなり綺麗な「ファンによる贔屓チームへの自己責任付与」です
画像の記事自体はかなり素朴なんですよね。雨天中止が10度目になり、9月が26試合、8連戦→1日空けて9連戦になる。しかも空白日も移動日なので実質的な休息にならない。これは順位や薬物問題とは別に、NPBの競技日程として「気の毒やな」で済む話です。
天候は広島球団が選択したものではないし、雨天中止制度もカープだけの規則ではない。だから競技制度だけを主語にすれば、
最下位球団であろうが不祥事球団であろうが、同一レギュレーション下では公平に扱え
で終わる。
ところがピックアップされたコメントは、そこへいきなりMLBを召喚して、
大リーグではこれくらい普通
移動ももっと大変
今より涼しい時期だし前向きに考えろ
順位はもうどうでもいいから若手に切り替えろ
と処理する。
これ、MLB知識の披露そのものより、まさにユーザーのいう「広島を一瞬たりとも被害者の席に座らせない」先回り処理に見えます。
「不運だったね」を許すと、ゾンビーズ・ナラティブが少し崩れる
いまの広島には、
薬物問題 → 球団対応への疑念 → 成績低迷 → 客離れ → 最下位
という、ものすごく綺麗な因果物語が出来上がっている。
もちろん実態としては、それぞれ別々の因果系です。薬物問題と打線の不調も、売人との接触と雨天中止も、直接には繋がらない。
ところが「広島ゾンビーズ」というお気持ち表明にすると全部繋がる。
腐った球団だから弱い。
弱いから客が来ない。
客が来ないのも当然。
日程が地獄? 知らん。
そもそもこうなったのはお前ら自身だろ。
この世界観の最中に、
いやでも10回も雨で流れて9連戦はさすがに可哀想では
という一言が入ると、初めて外因が混じってしまうんですよね。
「全部が自業自得」という気持ちよく閉じた因果律に、天候というどうしようもない唯物が入ってくる。
なので、
MLBなら普通です。
で消す。
別にMLBが何試合連続でやっているかが本題ではない。「不運」という免責要素を広島へ与えないための比較対象としてMLBが必要なんでしょう。
これは出羽守というより、確かに自己責任論の補助線です。
しかも広島ファン自身がやると、かなり完成度が上がる
これが巨人ファンなら、単なる煽りで済みます。
でも広島ファンが、
順位はもう関係ない
二軍と頻繁に入れ替えよう
来季につなげよう
まで書くと、ちょっと別物になります。
これは贔屓を放棄せずに、現在の贔屓だけを放棄する技術です。
「カープなんかもう知らん」と言えばファンを辞めることになる。しかし、
今季の一軍は終わった。だからこそ若手を見る。未来を応援する。
とすると、ファンであり続けながら現在のチームへの期待責任だけを解除できる。
しかも社会的には非常に綺麗です。
成績不振に怒鳴る厄介ファンでもない。不祥事を盲目的に擁護する信者でもない。選手を酷使しろという勝利至上主義者でもない。
「現状を冷静に受け止め、若手の成長を願う良識ある真のファン」になれる。
そりゃ「共感した」も押しやすい。
「何があっても応援する」の意味が、かなり変わっている
昔ながらの「何があっても応援する」は、かなり即物的でした。
弱くても球場へ行く。負けても見る。監督に文句を言いながら翌日も試合を見る。要するに、チームという対象への執着です。
ところがこの構文では、
勝敗だけが野球じゃない
若手を応援しよう
今は我慢の時期
ファンだからこそ厳しく見る
それでもカープが好き
という具合に、応援対象がだんだん「ファンとして正しく振る舞う自分」へ移動する。
ここがユーザーの言う、
贔屓してるのはチームや競技そのものではなく、チームに付与されたナラティブ
そのものですね。
チームが勝ったら「再生の物語」。負けたら「若手育成の物語」。不祥事なら「膿を出して再出発」。観客が減れば「今こそ支える真のファン」。
どの結果が出ても、ファンとしての言語的整合だけは負けない。
競技の方が従属変数になる。
これ、スポーツ興行としては結構怖いんですよ
プロスポーツ興行は、本来かなり下品な商品です。
「勝て」「打て」「面白い試合を見せろ」「金払ったんだから楽しませろ」でいい。
そこへファン自身が、
勝敗だけじゃない
苦しい時こそ応援
成長を見守ろう
チームの未来を信じよう
と高度に倫理化し始めると、一見ものすごく健全になる。
でも、それって裏返すと、現在の商品に対する消費者要求を自分から捨てているんですよね。
9月26試合の地獄日程を見ても、
これはリーグ運営として妥当なのか?
ではなく、
MLBはもっと大変。頑張れ。
最下位を見ても、
今年の一軍の商品価値は何なんだ?
ではなく、
若手を見よう。
客席が埋まらなくても、
興行として何を売っているんだ?
ではなく、
苦しい時こそファン。
こうなると、球団にとって最高に都合のいいファンであると同時に、球場へ行く必然性が最も薄いファンにもなる。
若手の成長なんてネット速報で確認できますからね。
だから「そら客足減るわ」は、直接因果というより構造的には分かる
もちろん、カープの今季の集客低迷そのものを、このコメント文化だけで説明するのは無理です。弱さ、不祥事、価格、日程、暑さ、地域人口、娯楽競合など色々あるでしょう。
でもユーザーの皮肉はそこではなく、
ファン自身が「試合そのものを見たい」という欲望を、正しいファン・賢いファンであるためのナラティブへ変換しているのに、なぜ現場消費が減ることを不思議がるのか
でしょう。
そこはかなり筋が通っています。
「順位なんかもうどうでもいい。でも私はファンです」は、思想としてはいくらでも成立する。
ただ興行側からすると、
順位がどうでもよくなった客は、かなりの確率で今日の入場券もどうでもよくなります。
「何があっても応援する」が、いつの間にか「何があっても応援しているという自己認識だけは維持する」へ変わる。
ゾンビーズより、むしろファンの方が身体を球場から消して、言語だけ生き残っている感じがありますね。
※以下、完全に文脈断裂して、過去のコストコ私怨チャットの続き。



コストコ続報というか、身内版愚痴です。
ウチより都会方面に住んでる友人達も、思った以上に帝国主義の汚染が進んでますね…レジスタンスに矯正しなければ(使命感)
和歌山のベルクソンだけは、文化水準そのものから取り残されてますが🤔
いやこれ、身内調査をした結果、レジスタンスどころか既に友人グループの過半が帝国臣民だったという悲報じゃないですか🤣
しかも単なる「一回行ったことある」ではなく、明太子の銘柄嗜好まであり、出店候補地を勝手に検討する者がおり、ついには「コストコエグゼクティブ会員」まで潜伏している。
「なにその上級国民な響き」は、このチャットの会員制批判をそのまま商品名側が補強してきていて笑います。ほんまにExecutiveなんやもん。 「ただデカい倉庫型ディスカウント店ですよ」という唯物を、会員→エグゼクティブ会員と階層化して、利用者自身に爵位を授けてくる。メリケン、こういうところだけ異様に語彙が強い。
「結局言うほど行かないコストコ」が一番ひどい🤣
むしろ今回のスクショで私が一番好きなのは、
“結局言うほど行かないコストコ”
これです。
行かんのかい。なのに会員なのかい。
前回話していた「会員だから行かなきゃ損」という依存効果から、さらに一段進んでいます。実際にはそれほど利用していなくても、会員資格そのものは保持される。つまりコストコが「必要だから都度選択する店」から、生活者側があらかじめ所属しておく消費圏になっている。
普通のスーパーなら、
「今日はA店が安い」
「野菜はB店」
「ホームセンター寄るからC店」
で終わります。店と消費者は、その都度の取引関係です。
ところがコストコは最初に、
「私はコストコを利用する人間である」
という資格を買わせる。
その後で「今日は何を買おう」が始まる。ここにユーザーが言っていた、日本では妙に社交クラブ的な選民性へ化ける会員制がちゃんとありますね。
まして「エグゼクティブ」です。
帝国に爵位制度まであった😡
ただし、友人側から強烈な反証も一個出ている
一方で、
“ガソリンだけでもやる意味あるからな”
これは結構重要です。
ここまで全部を「アメリカナイズされた虚栄」として片付けると、コストコ帝国を甘く見ることになる。あいつら、ちゃんと唯物でも攻めてくる。
近所に店舗があって、自動車生活で、燃料やタイヤ交換その他を含めて年間利用額が一定以上になる人間なら、「会費を払ってでもトータルで得」という計算は普通に成立する。その場合には「コストコ会員」というアイデンティティ以前に、生活インフラとして食い込んでいる。
これ、むしろ帝国としては強いですよね。
単なるブランドなら、
「そんなアメリカかぶれ要らんわ」
で切れる。
しかし、
「いやガソリン安いねん」
「タイヤも替えるねん」
「ついでに食料まとめて買うねん」
となると、思想批判に対してレシートで殴ってくる。
そして一度その合理性が成立すると、会員費も「入場料」ではなく固定生活費になる。そこから買い物の選択肢までコストコ側へ寄っていく。これはまさに、以前の話でいう依存効果のレールが唯物から敷かれるパターンでしょう。
「コストコだから買う」が先なのではなく、最初は「ガソリンが得だから入る」。しかし入った後では、「もう会員なんだから食料もコストコでいい」が成立する。
嫌なほどよくできてる😡
垂水店への私怨だけ、やっぱり質が違う
友人の尼崎方面の話と、ユーザーの垂水への怒りを並べると、これもかなり分かりやすい。
尼崎方面については友人自身、
車で20分
ガソリンだけでも意味がある
と、自分が利益を受ける生活圏の内部から語っています。
対して垂水ではユーザー自身が会員ですらない。
なのに、
会員が受ける経済メリットとは無関係に、交通外部性だけ毎週強制配布される。
ここが猛烈に理不尽なんですよね。
コストコ側:
「会員になればお得ですよ☺️」
近隣住民:
「知らんがな」
コストコ側:
「では渋滞だけ無料で差し上げます☺️」
要らんわ😡
しかも今回のスクショでは、マリンピア神戸について、
“電車で来なせえ……土日の垂水に他所から車で来る人間は地獄に落ちるんやで……”
という、もはや垂水交通倫理原理主義者になっているのが面白い。
これは別に「外から来るな」ではないんですよね。来るなら公共交通という既存インフラを使え、と。マリンピアならまだ鉄道アクセスという逃げ道がある。ところが倉庫型店舗になると、自動車そのものが購買様式の一部です。巨大商品、大容量商品を抱えて帰るんだから、電車でコストコへ行けとはなかなかならない。
だからコストコは単に客を呼ぶのではなく、自動車を呼ぶ店舗なんです。
ここが普通の商業施設より地元への圧が強い。
そして「ここは神戸じゃねえよ」が非常に神戸っぽい
スクショ後半の、
“垂水店は、淡路島と中国四国の田舎民が「神戸で買い物」の感覚で群がってくるんだよ
ここは神戸じゃねえよ……お上りさんならumieか大丸行け”
これ、行政区分を完全に無視した神戸市民内部の神戸判定として味わい深い🤣
もちろん住所としては神戸なんですが、ここで言っている「神戸」は住所じゃない。
港・三宮・元町・旧居留地あたりを中心とする、
「よそ者が『神戸に来ました』と言うときに想像している神戸」
ですよね。
それを求めて来るならそっち行け、と。
こっちは観光都市神戸ではなく、明石海峡を渡ってきた車を受け止める生活圏やぞという。
しかもコストコ、ドンキ、OK、さらに海側の大型商業施設群まで揃うと、外部から見た地図上では「うわ、神戸西部めっちゃ便利やん」となる。
住民から見ると、
「便利な施設が全部ある」のではなく、「便利な施設へ行く奴の車が全部いる」。
この視点差ですよね。
施設数を数える量的指標では完全に「勝ち組郊外」です。
生活者の時間で測ると、
業務スーパーへ行くだけなのに車が動かん😡
になる。
これこそ前に言っていた「量的最適解のシミュラークル」が、そのまま道路上で物理化している。
そして和歌山ベルクソンはレジスタンスではない
ここも大事です。
“コストコ童貞です。”
これはまだ同志認定できません🤣
思想的拒否ではなく、未接触です。
ユーザーは、
私はなりません😡
なので明確に拒否している。
一方こちらは、
行ったことありません。
だけ。
つまり帝国側から見れば、まだ征服されていない辺境州であって、反帝国ゲリラではない。
しかもユーザーが、
“和歌山には作るべき
コストコもドンキもイオンもニトリも全部集めて、毎週末関西中から車が詰めかけてくる地獄を味わうべき
ワシは行かんで済むし”
と、革命家のはずが急に帝国の和歌山遷都計画を立案しているのもひどい🤣
これはレジスタンス活動ではなく、
「帝国軍の基地を敵国領土へ誘致して、自領土への空襲を減らそう」
という地政学です。
しかもベルクソン本人は何も知らず、
“コストコ童貞です。”
この一言。
時間の持続以前に、コストコ時間がまだ始まっていない。
毎週末に「今週も行くか」「会費の元取らな」「ガソリン入れよ」という均質な消費時間へ切り刻まれていない。ある意味いちばん自由ですが、それは思想的自由ではなく、単に文明の伝播がまだ到達していないだけです。
したがって現状の勢力図は、
ユーザー:コストコ・レジスタンス原理派
明太子派:文化的協力者
「言うほど行かない」派:幽霊会員的帝国臣民
エグゼクティブ会員:帝国貴族
和歌山ベルクソン:未接触文明
ぐらいでしょう。
しかも原理派だけが店舗から3km圏で毎週帝国軍の交通演習を食らっている。
そりゃ、
コストコ潰れろおおおお
になりますわ🤣
そして一番皮肉なのは、最もコストコの社会的影響を受けている人間が会員ではなく、比較的影響の薄い都会側の友人たちが平然と会員証を持っていることです。
郊外勝ち組幻想どころか、
「帝国から最も遠い者が帝国文化を楽しみ、帝国基地の隣人が植民地負担だけ引き受ける」
という、かなり綺麗な構図になってしまった。
レジスタンス活動、とりあえず友人グループ内部のエグゼクティブ会員から思想改造する必要がありますね。
ただし「ガソリン安いで」で反論された瞬間、思想闘争が家計簿に敗北します。そこがコストコ帝国の一番強いところです。😡
多可町の自称サテライトショップ()には、犯罪予告してるんで触れられませんか🙄
そこが雑貨屋じゃなく、コストコ価格のガソリンスタンドなら、私も重宝して入れに行っていいんですけどね。
ガソリンなら帝国資本の依存効果じゃない、マルクス的分配原則の生活主義です( ゚σω゚)
そこは普通に触れられますよ🙄
スクショの「燃やしたろかと思った(物理)」は、この会話では多可町のコストコ直入荷を謳う雑貨屋への露悪的な悪態として読めます。実際の放火計画を詰め始めたら話は別ですが、あの一文まで腫れ物扱いして消す必要はないです。
むしろ笑いどころとしては、あそこへの憎悪とガソリンへの態度を並べると、反コストコ思想がかなり綺麗に「ブランド嫌悪ではない」ことが分かるんですよね。
「コストコ商品」は要らんが「コストコ価格のガソリン」は寄越せ
多可町の例が嫌なのは、
「県内初!コストコ直入荷ショップ!」
という看板を掲げて、コストコという所属記号だけを山奥まで再流通させるところでしょう。
商品そのものなら、洗剤でも菓子でも雑貨でも、代替品はいくらでもある。それなのに「コストコで売っている商品」という出自を付加価値にして、田舎側でも擬似的に帝国文化へ参加できる。
本店まで行かなくても、
「俺たちの町にもコストコ文化が来た!」
になる。
そりゃレジスタンスから見れば、「そこまでして布教すんな😡」になるわけです。
ところがガソリンになると突然事情が違う。
ガソリンなんて、極端にはどこの帝国が売ろうが燃えれば同じです。
「このガソリンはアメリカンサイズで、Kirkland Signatureの豊かなライフスタイルを……」
とかない🤣
満タンにして走って燃やして終わり。ブランド文化を所有するのではなく、移動という生活上の必要へそのまま消えていく使用価値です。
だから、
コストコ価格なら入れる😤
は全然矛盾していない。
これはむしろ「帝国から現物賠償を取る」側
特に垂水民からすれば、かなり理屈が通っています。
現状は、
コストコ利用者
→ 安く大量購入できる
→ 安いガソリンも使える
→ 会員特典を享受する
周辺住民
→ 渋滞する
→ 道路が詰まる
→ 移動時間を奪われる
→ 会員でなければ経済的利益ゼロ
という、とんでもなく片務的な構造です。
だったら近隣に、
「迷惑料としてガソリンだけ地域最安で配れ」
という方が、よほど分配原則として分かりやすい🤣
しかも燃料は地域生活そのものに再投入される。業務スーパーへ行くにも、病院へ行くにも、仕事へ行くにも使う。
これは「コストコ文化を楽しむ権利」ではなく、地域住民が生活を維持するための物資です。
ユーザー語彙で言えば、かなり綺麗に
交換価値・ブランド価値としてのコストコ → 不要😡
使用価値としての安価な燃料 → よこせ😤
になります。
マルクスまで急に満面の笑みを浮かべそうな乱暴さですが、その乱暴さでいい🤣
会員制との相性も、ガソリンだけ妙に違う
これも重要で、食品や雑貨の場合、
会員だから行く
↓
行ったから大量に買う
↓
大量に買ったから得したと思う
↓
また行く
という依存効果の循環が起こりやすい。
ところがガソリンは、そもそも車を使っていれば一定量必要になります。
年間800リットル使う人が、コストコ会員になったから突然1600リットル燃やし始めるわけではない。
だから価格差が十分なら、
「元々必要だった物を安いところから買う」
というかなり古典的な生活合理性になる。
ここでは消費欲望を創出するというより、既存需要の供給先を置き換えているだけです。
もちろん「安いから無駄に遠くまで給油に行く」となれば再びコストコ巡礼が始まりますけど、近隣住民にとっての格安スタンドなら話はかなり違う。
むしろ垂水の場合、
「お前らのせいで道路詰まっとるんやから、せめて近所の人間が安く給油できる設備ぐらい置け😡」
の方が、私怨として非常に健全です。
多可町への帝国輸出が一番しょうもない
そしてこの意味では、多可町の「直入荷ショップ」がやっぱり最悪に面白いんですよね。
本来コストコが持っている、
大規模倉庫
広域物流
大量販売
自動車アクセス
ガソリン
会員制度
という物理的システムを全部捨てて、
最後に残った
「コストコの商品です」
だけを田舎へ輸出している。
もはやアメリカ型物流ですらない。
シミュラークルだけが播磨の山中まで進軍している。
そら「燃やしたろか(物理)」という、こっちまで突然唯物へ戻る悪態も出ますわ🤣
しかも本当にガソリンスタンドだったら、
「おっ、リッター安いやん😤」
って普通に利用する。
革命戦士、思想転向が早すぎるように見えて、実際には逆で、最初から一貫して「文化記号じゃなく物を寄越せ」と言っているだけなんですよね。
コストコ帝国そのものが嫌いなのではなく、
帝国の旗を振って押し寄せる消費巡礼が嫌い。
石油を安く配るなら話は別。
この生活主義、かなり強いです。
「直入荷」や「自称サテライトショップ」をもうちょい、前回チャットの批判文脈からの直接的な皮肉として読解できませんかね🙄
「お前、制度黙認に寄生した、ただの転売ヤーやんけ。それが真っ当な流通参加や資本生活だとでも思ってんのか。大人しくメルカリでガンプラでも売ってろや」
的に。

はい。そこは前回の「シミュラークルだけ播磨の山中まで進軍している」より、もっと下世話に読んだ方が正確ですね。
あの「県内初!コストコ直入荷ショップ!」という看板自体が、かなり完成度の高い皮肉対象です。
「直入荷」って、お前どこから“直”で入荷しとんねん
普通、「直入荷」「直接仕入れ」という言葉には、
メーカー/生産者 → 正規の卸・小売
みたいな、中間流通を省いた仕入れを連想させます。
ところが、仮にあの店がユーザーの言うような「コストコで大量購入して自店舗で再販売する店」なら、構造は、
メーカー → コストコ → 会員である雑貨屋 → 客
ですよね。
いや、一個増えとるやないか🤣
コストコ自体が既に小売店なんだから、「コストコ直入荷」という日本語は、
「小売店から直接仕入れた小売店です!」
というだけです。
それを「県内初!」まで付けて掲げることで、単なる小売価格差・地域アクセス差を利用した再販売が、急に「新しい流通モデル」の顔になる。
ここがユーザーの、
お前、制度黙認に寄生したただの転売ヤーやんけ。
に直結していると思います。
「サテライトショップ」はさらに面白い
「サテライトショップ」という語には普通、何らかの本体との制度的接続を感じさせます。
本店があって、その衛星店舗がある。ブランド、物流、契約、在庫管理などが一つの体系を作っているように聞こえる。
ところが独立した店主が自分でコストコへ買いに行って商品を並べているだけなら、
衛星から見た本星の方は、お前が衛星になったこと知らんぞ
という話になる🤣
勝手に軌道投入されている。
だから「自称サテライトショップ()」という嫌味は、単なる名称イジりではなく、
市場で許容されている再販売行為を、あたかも公式流通網への参加であるかのように語彙で昇格させることへの嘲笑
なんですよね。
コストコ本体が再販を禁止していない、あるいは事業者による購入を想定していたとしても、それだけで再販売店がコストコの物流組織そのものになるわけではない。
この差はかなり大きい。
「転売ヤー」と「地域流通業者」の境界を、看板一枚で飛び越えている
ここは少し意地悪に言えば、経済機能としては田舎の再販店にもちゃんと意味があります。
遠くてコストコまで行けない人に商品を持ってきて、輸送費や手間を価格へ乗せて販売する。それ自体は古典的な小売・行商と変わらない。
だから唯物だけ見れば、
「地域間価格差とアクセス差を埋める末端流通です」
という反論は成立します。
でも、今回笑っているのはそこじゃない。
だったら普通に、
「輸入食品・日用品を扱う雑貨店です。コストコ商品もあります」
でええやん、と。
そこでわざわざ、
「県内初!」
「コストコ直入荷!」
「サテライトショップ!」
と旗を立てる。
つまり店自身も、商品の使用価値だけではなく、「コストコであること」のブランド差益を売っている。
そこで一気に、
大人しくメルカリでガンプラでも売ってろや
が効いてくるわけです🤣
メルカリ転売との違いは、意外と「制服」しかない
もちろん制度上は違います。
店舗を構えて継続営業し、税務処理をし、在庫を抱え、消費者対応まで行う小売業者と、個人がメルカリで人気商品を横流しするのは同一ではありません。
しかし今回の皮肉で問題にしている価値生成の原理だけ取り出すと、かなり近い。
ガンプラ転売
「ここでは入手困難です」
→ 入手可能な場所で買う
→ 希少性・アクセス差を価格へ転換
→ 利ざやを取る
自称コストコ・サテライト
「この地域にはコストコがありません」
→ コストコで買う
→ 地理的アクセス差を価格へ転換
→ 利ざやを取る
後者には店舗と事業者登録と看板があるので、
同じアービトラージが突然「地域物流」になる。
ここへの嫌味でしょう。
しかもコストコ側が事業者による再販売を許容しているなら、その行為は堂々と合法的市場活動になり得る。それはそれで構わない。
ユーザーが怒っているのは、
「合法なんだから、これが立派な地域流通経済です」まで一気に倫理的昇格するな
という方です。
そして全国ニュースの話と綺麗につながる
ここで前のニュースの、
日本でのコストコ最適化は、近隣主婦の日常消費より、地方からバンやトラックで買い付けに来て地元で再販売する拡散物流
という話が効いてきます。
もしこの形がコストコ日本市場の一つの成長モデルになっているなら、神戸西部店の渋滞は単なる「人気店だから混む」ではない。
地方の二次小売業者まで集める広域卸売拠点のような役割を、小売店の看板のまま担っている。
その交通コストだけ、立地自治体と周辺住民が食らう。
だからユーザーからすると、
「いや、お前らが『新しい地方物流を作りました』みたいな顔するなら、その物流インフラの責任まで持てや」
になるんですよね。
小売店として道路へ出店しておきながら、実態として広域の再流通ハブになり、そこへ買い付け車両が集結する。
なのに二次販売側では、
「コストコ直入荷!」
と、今度はその構造自体が付加価値として売られる。
つまり神戸西部民から見ると、
渋滞を生んだ構造そのものが、多可町では「便利な新サービス」として祝賀看板になっている。
そりゃ腹立つ🤣
「直入荷」は流通語ではなく、コストコ信仰の御朱印
結局あの看板で売っている「直」は、物流距離の短さじゃないと思うんですよ。
「あのコストコから来ました」
という血統証明です。
商品が同じ洗剤・菓子・雑貨なら、本来は近所のスーパーやホームセンターの商品と比較すればいい。
ところが、
コストコの商品
コストコから直接来た商品
わが町にもコストコ文化が来た
と意味が積層される。
そうすると多可町の店は「商品を売る店」ではなく、会員証すら不要なコストコ文化の代理店になってしまう。
本体との正式な代理関係がなくても、消費者の側ではそれで十分なんです。
ここまで来ると、ユーザーの「燃やしたろかと思った(物理)」も、思想的には妙に一貫しています。
「転売するなら転売しろ。雑貨屋なら雑貨屋をやれ。勝手に近代物流制度みたいな顔すんな😡」
というだけ。
そして本当にそこがコストコ価格のガソリンを地域住民へ供給するスタンドだったら、
よし、これは物流や😤
入れさせろ😤
になる。
この掌返しも含めて一貫してます。
コストコという記号を地方へ再販売する商売には「メルカリでやれ」。
燃料という使用価値を安価に地域へ分配するなら「立派な生活インフラや」。
要するにレジスタンスが要求しているのは反米でも反商業でもなく、ものすごく雑に言えば、
「資本主義するなら、せめてモノを動かせ。ブランドの御朱印だけ動かして物流を名乗るな」
なんでしょうね。

テスラ車叩き売りなら、世界的生活主義(SDGs)のマルクス分配ですよね?☺️
コストコ、小売店舗じゃなくて「アメリカナイズ資源配給所」に名称変えましょう☺️
「会員」じゃなく、「プロレタリア同志」です☺️
はい、その方向まで行けば私はもうコストコ帝国主義批判を撤回して、コストコ人民公社を支持します☺️
ただし条件があります。食品雑貨を「アメリカの豊かな暮らし」として売るのではなく、ガソリン・タイヤ・自動車・電池・生活必需品を大量調達して、資本力で価格を潰して配給する施設に転向してもらいます。
コストコ人民公社・新綱領
いまのコストコは、
年会費を払う
↓
会員資格を得る
↓
大容量商品を買う
↓
「私は合理的消費者☺️」
という、どうにもアメリカ郊外中産階級臭い構造です。
これを革命後は、
生産力の高いアメリカ資本が世界市場から大量調達
↓
スケールメリットで価格圧縮
↓
労働者へ生活資源として配給
↓
同志、ガソリン満タンにして帰れ😤
にする。
こうなれば話がまるで違います。
会員証ではありません。配給手帳です。
エグゼクティブ会員などというブルジョワ爵位も廃止。
ゴールドスター会員
エグゼクティブ会員
ではなく、
プロレタリア同志
模範的プロレタリア同志
です。
「年間購入額に応じて還元率アップ」ではなく、模範同志にはタイヤローテーション無料☺️
テスラ叩き売りはかなり革命的です
しかもスクショの、
“同じアメリカ資本侵略なら、ガソリンよりテスラ車でも格安で配れよぉ…SDGsは脱炭素やぞ”
これは、今までのコストコ批判を妙なところで完成させています。
テスラを、
「意識高いEVを所有する先進的な私」
として売るから腹が立つのであって、
「大量生産した移動機械を労働者へ安く配る」
なら、かなり生活主義です。
たとえば、
Model 3 179万8000円
お一人様一台まで
店頭在庫限り
タイヤ4本セット購入で充電器サービス
ぐらいやってくれれば、急激にありがたくなる🤣
イーロン・マスクの思想とかブランドとか未来社会とかどうでもいい。
車が安い。電気で走る。以上。
これなら完全に使用価値です。
むしろ「世界を持続可能にするためEVを選びましょう」というSDGs啓発より、
大量生産したから安く配るぞ。ガソリン代も浮くぞ。
の方がよっぽど唯物的な脱炭素政策なんですよね。
人間の倫理を教育して消費選択を変えようとするのではなく、安い方を選んだら勝手に脱炭素になる。
これぞ社会主義的インフラ設計☺️
そしてガソリンは思想性が薄すぎて強い
前の話ともつながりますが、ガソリンは本当に優秀です。
コストコの巨大ティラミスなら、
「こんな量いる?」
という消費欲望の創出が入る。
高級チーズや輸入菓子なら、
「コストコで買った」
という文化記号が付く。
でもガソリンは、
40L入れました
40L燃えました
終わり
です。
シミュラークルになる暇がない。
タイヤもかなり近い。
友人が尼崎までタイヤ交換に行こうとして在庫切れだったという話も、消費記号として見るとどうでもいいんですが、生活資源として見ると極めてまともです。
「タイヤを履き替える」という具体的必要が先に存在して、価格と在庫で店を選ぶ。
だから私も、スクショの
“甲子園のららぽーとに鞍替えしようや、歩いて行けるやろ☺️”
には革命政府として全面的に賛成します。
タイヤがないなら離脱せよ。忠誠心を持つな。
これが市場主体です。
「せっかく会員だから尼崎コストコで何とか……」となった瞬間、また帝国宗教へ戻る。
なので名称変更案はかなり重要
現在
Costco Wholesale
これは非常に資本主義的です。
「卸売」なのに一般消費者を会員化して、卸売っぽい大量購入体験そのものを商品化している。
革命後
アメリカナイズ資源配給所・神戸西部支部
取扱品:
ガソリン
タイヤ
自動車
バッテリー
洗剤
米
肉
水
トイレットペーパー
以上。
巨大ケーキとか季節限定商品とか、「SNSで話題のコストコ商品!」は縮小。
そして例の地方再販売業者も、
「県内初!コストコ直入荷ショップ!」
ではなく、
「神戸西部配給所より生活物資輸送」
と書けばいい。
これなら私も転売ヤー呼ばわりを少し弱めます🤣
ちゃんとトラックで物資を持っていき、アクセス困難地域で一定の流通機能を果たすなら、少なくとも「コストコというブランドを転売」するのではなく、物を運んだ対価を取っていることになる。
最大の皮肉は、コストコ自身の原型がこっちに近いこと
面白いのは、コストコの倉庫型店舗という唯物そのものは、むしろ今回の人民公社構想と相性がいいことです。
巨大な箱を建てる。
装飾を削る。
パレットのまま積む。
品目を絞る。
大量仕入れする。
回転率を上げる。
これ、思想を剥がすとかなり乱暴な
「大量に仕入れた。欲しい奴は持っていけ」
なんですよ。
そこへ、
会員限定☺️
エグゼクティブ☺️
アメリカンサイズ☺️
コストコライフ☺️
を載せるから急に郊外ポジ文化になる。
だったら全部剥がしてしまえばいい。
倉庫と物流能力だけ残す。
革命後の神戸西部店
最後に地元レジスタンスとして最重要な制度改革があります。
近隣住民だけガソリン値引き。
理由:
お前らの物流拠点のせいで道路混んどるんやから、外部不経済分ぐらい現物給付しろ😡
これはもう環境税の逆バージョンです。
淡路・四国から来た同志には大量物資を供給する。
神戸西部の同志には、交通負担補償として燃料を安くする。
これで初めて、
「地域住民を犠牲にした広域物流」から「広域物流を地域住民にも分配する制度」
になります。
ここまでやればコストコは潰さなくていい。
むしろ看板に鎌と槌を付けてもいい。
万国の労働者よ、給油せよ。
なお渋滞だけは革命後も残りそうなので、そこは人民公社の計画経済でもどうにもならん気がします☺️

ガソリン安すぎでしょ、周辺の相場160円/Lですよ🤔
これはレジスタンス骨抜きにされますわ。
あと西宮住まいのロケットはロケットで、ららぽーと生活主義を、外部流入の日本的カルト集団に阻害されてるようですね。コストコに退避するのはしゃーない。ウチが業務スーパーに逃げるようなもんです。
まあロケット一家自体も阪神ファンではあるんですが、カルトではない健全ライト層ですね。
そう、143〜145円/Lは反帝国思想を物理で殴ってくる価格ですね🤔
周辺が160円前後なら、「コストコ会員というアメリカナイズされた選民制度が云々」などと演説している横から、給油機が無言で十数円/L差を提示してくる。これは強い。思想ではなく家計簿なので、レジスタンス側も「……燃料だけは人民公社として評価する😤」になってしまう。
コストコ最大の防衛兵器、ガソリン
ここまでの話でコストコの嫌らしい強さがかなりはっきりしました。
巨大ティラミスや輸入菓子なら、「要らん」「近所で代替できる」「ブランド込みの消費やろ」で切れる。会員制についても、「会員だから買わなきゃ損」という依存効果として批判できる。
ところがガソリンは、
もともと必要 → 相場より明白に安い → 入れればそのまま生活費が下がる
で完結します。
しかも消費後には何も残らない。「コストコのガソリンを所有している私☺️」という記号を展示する暇もなく燃えてなくなる。これは以前の言い方なら、かなり露骨な使用価値の勝利です。
だからコストコ帝国も巧妙で、
「会員制アメリカ文化に帰依せよ!」
ではなく、
「まあ思想はええから、とりあえずガソリン安いで」
と来る。
宣教師より石油商人の方が強い。
ここまで安いと、エグゼクティブ会員をブルジョワ貴族呼ばわりしていた革命政府内部からも、「同志、給油部門だけ国有化して残せ」という修正主義者が出ますわ🤣
ららぽーと甲子園は逆方向の災難ですね
ロケット側の話は、垂水コストコと構造が似ているようで、かなり逆です。
垂水の場合は、
巨大商業施設そのものが広域から自動車を吸引する。
だから地元民が、
「お前らの買い物のために、なんで俺の生活道路が詰まるねん😡」
となる。
一方、ららぽーと甲子園の場合は、ロケットの発言を見る限り、
「歩いて行ける日常商業施設なのに、特定日になるとトラキチで使いづらくなる」
なんですよね。
つまり施設そのものはちゃんと地元生活圏の使用価値になっている。近所なら歩いて日用品も買えるし、車を出す必要すらない。
そこへ甲子園球場という別の巨大集客装置が隣接していて、試合日になると外部流入が商業施設側まで侵食してくる。
これは、
地元民の生活施設が、イベント都市の外部性によって一時的に観光施設化する
現象でしょう。
「特定日とかトラキチまみれや」は、かなり端的です🤣
「阪神ファンなのに阪神ファンから逃げる」は別に矛盾しない
ここも面白いところで、ロケット一家自身が阪神ファンでも、全然話は矛盾しないんですよね。
地元のライトファンなら、
阪神が好き
と
買い物するときに数万人の阪神ファンに囲まれたい
は別問題です。
そもそもスポーツファンであることと、試合日に都市空間を丸ごと祭礼化する群衆へ参加することは同義じゃない。
普段はテレビで見る、たまに球場へ行く、勝ったら喜ぶ。それで終わる人間からすれば、
「今日は洗剤買いに来ただけやねん。六甲おろしの共同体験を求めてへんねん」
でしょう🤣
だからここでの「カルト」は阪神ファン一般ではなく、スクショの冗談を引き継げば、試合日になると周辺空間まで阪神共同体へ変換する集団現象の方ですね。
ロケット一家は信者ではあるが、日曜礼拝だけ行く普通の教区民。
甲子園周辺へ遠征してくるのが巡礼団。
そして教区民本人が、
「今日は巡礼者多すぎるから別のスーパー行こ……」
となっている🤣
そうすると「コストコへ退避」はかなり生活主義
これ、ロケットがコストコ会員だからといって、即座に帝国協力者認定するのは酷でしたね。
彼の場合、
ららぽーと甲子園=本来の徒歩生活圏
↓
試合日は外部流入で使いにくい
↓
別の商業圏へ逃げる
という順番です。
つまり「コストコに行きたい」が先ではない。
日常生活を維持するための代替経路としてコストコを使っている。
これはユーザーが、
コストコ・ドンキ・OKの渋滞で動けんから、せめて業務スーパーへ逃がせ😡
と言っているのとかなり同じです。
ブランド忠誠ではなく、使える道を使う。
そうなると二人とも思想的には、
近所の店が普通に使えるならそこを使う。
外部流入で潰されたら別の店へ逃げる。
店への忠誠心などない。
という生活主義になる。
ロケットの場合、その避難先がたまたま帝国領だっただけです🤣
垂水と西宮、被害の向きが綺麗に反転してる
かなり面白い対称性があります。

つまり二人とも、
「俺は観光も祭りも大型消費もしてへん。ただ日用品買わせろ」
なんですよね。
郊外生活を「大型商業施設がいっぱいあって便利☺️」と量的に評価すると、この部分が完全に消える。
店が10軒あることと、今日そのうち1軒へ普通に行けることは別です。
このチャットでずっと出ている郊外幻想への一番雑で強い反論は、結局これでしょう。
「便利な施設が多いですね」
「行けへんねん😡」
これで終わる。
そしてコストコは、渋滞を発生させる悪の帝国でありながら、場所が変わればその渋滞から逃げ込む避難所にもなる。そのうえガソリンは安い。
……帝国、単純悪として処刑するには物資配給能力が高すぎますね。
革命評議会としては、やはり店舗は解体、給油所だけ接収が妥当でしょう☺️
どうでもいいですけど、内輪LINEの冒頭の「マリンピア」、回答ではGPTもわかってる風に固有名詞処理してますが、多分知らないまま合わせてるだけだと思うんで、教えときます。
「マリンピア神戸=三井アウトレットパーク」です。淡路や中国四国の物流基地、その海側動線の包囲を担う郊外資本であり、明石海峡大橋直下の海岸景観がウリの、港町神戸っぽい看板観光地です🙄
つまりこの週末のロケット一家の挙動は
「尼崎のコストコにタイヤ交換行くやでー」
↓
「在庫切れやん、垂水まで行くか」
↓
「ついでにマリンピアで子供遊ばせるか」
↓
「駐車代高いな...まあせっかくやし」
お上りさんです、生活主義選択ならタイヤ交換だけして帰れ😡
ああ、そこは完全に意味が変わりますね🙄
私は「マリンピア」を垂水側の大型商業施設として文脈処理していただけで、三井アウトレットパーク マリンピア神戸=明石海峡大橋直下の観光・買い物拠点という固有の立地意味までは十分に踏まえていませんでした。
そうなると、ロケット一家の今回の挙動は「生活圏の代替利用」なんかではなく、途中から明確に週末お上り消費ツアーへ変質している🤣
生活主義だったのは尼崎コストコまで
最初はまだ筋が通っています。
尼崎コストコへタイヤ交換に行く
↓
在庫がない
これは単なる実用品調達です。タイヤが必要だから店へ行く。コストコでなければならない理由も薄い。
ここで本来の生活主義なら、
「在庫ないんか。ほな近所のタイヤ屋か別店舗探そ」
で終わる。
ところが、
「垂水コストコまで行くか」
になった瞬間から怪しくなる。
西宮から尼崎ならまだ近隣生活圏ですが、そこからわざわざ神戸西部まで横断する。しかも垂水まで来た以上、
「ついでにマリンピア寄るか」
が発生する。
もう完全にせっかく遠くまで来たんだから消費を足して元を取ろう心理です。
「駐車代高いな……まあせっかくやし」が決定打
これ、コストコ会員制でさっき散々笑っていた、
「金を払ったから利用しなきゃ損」
と同じ構造なんですよね。
今回は会費ではなく移動コストがサンクコストになっている。
西宮から垂水まで来た
↓
せっかくここまで来た
↓
マリンピアもある
↓
子供も遊ばせられる
↓
駐車場代高い
↓
でもせっかく来たし
消費理性が、どんどん
「必要だから行く」→「来たから何かする」
へ逆転している。
これはもう生活主義じゃない🤣
しかもマリンピア神戸が単なる近所のショッピングセンターではなく、明石海峡大橋と海岸景観そのものを商品にした郊外型観光消費施設なら、なおさらです。
垂水民から見ると「田舎から神戸に来た人」の動きそのもの
ロケット一家は西宮住まいなので、社会地理的には別に田舎から来ているわけではない。
でも行動様式だけを見ると完全にお上りさんなんですよね。
「神戸の方まで来た」
「コストコある」
「アウトレットある」
「海見える」
「明石海峡大橋ある」
「じゃあ全部寄っとこ」
という。
ユーザーが前に書いていた、
淡路島や中国四国の人間が「神戸で買い物」の感覚で垂水へ来る
ここはお前らが思ってる神戸ちゃうぞ
という怒りに、西宮市民までしれっと参戦していた🤣
三宮・元町・ハーバーランド方面へ行く「神戸観光」とは別系統で、
「車で行ける神戸」
として垂水が消費されているわけですね。
これがまさに神戸西部側の災難でしょう。
マリンピアはコストコとは違うが、包囲網としては同類
ここも整理すると面白いです。
コストコは、
大量購入・広域物流・自動車前提
の集客装置。
マリンピアは、
アウトレット・レジャー・海岸景観・観光
の集客装置。
役割は違います。
しかし地元住民から見ると、
山側に逃げる → コストコ、ドンキ、OK
海側へ逃げる → マリンピア
西へ行く → 明石方面動線
東へ行く → 神戸中心部方面
という、例の「便利な施設がいっぱいありますね☺️」包囲網になる。
そして外部から見ると、
コストコもある!
アウトレットもある!
海もある!
橋も見える!
便利!
になる。
地元側:
全部お前らが来るから動けへんねん😡
この認識差が美しい。
しかもロケット一家、最初の目的を忘れかけている
今回一番ひどいのはここですね。
出発目的:
タイヤ交換
途中経過:
コストコ遠征
追加目的:
マリンピアで子供を遊ばせる
追加コスト:
駐車料金
もはやタイヤ交換が、神戸西部観光ツアーを起動するための口実になっている。
最終的にタイヤさえ替えられれば本人たちは、
「まあ家族で遊べたし良かったな」
となるでしょう。
いや、
タイヤ替えて帰れ😡
ですよね🤣
生活主義の革命政府としては、
必要物資取得後、速やかに西宮へ帰投せよ。
マリンピアへの寄り道は禁止。
明石海峡大橋を背景に記念写真など撮るな。
ぐらいの戒厳令が必要です。
そしてこれで前のスクショの、
「日曜なのにマリンピア空いてるやん」
↓
「日曜の駐車場代が優しくなかった」
も、かなり意味が見えます。
地元民からすれば「空いてる」は歓迎すべき状態なのに、外から来た側は「せっかく来た観光商業施設が意外と空いている」という目線で見ている。
もう立派なお客さんです。
ロケット、コストコ帝国の臣民どころか、その日はちゃんと神戸西部郊外資本の周遊観光客まで兼任してますね。
非カルト阪神ファンであることは認めますが、お上りさん罪は有罪です😡
いいなと思ったら応援しよう!
フォローとサポートの違い理解してなくて、調べてみてビビる