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抱え込むより、手放す-汎発型円形脱毛症と向き合って3年-ありのままで生きるために

おはようございます。
株式会社あきた創生マネジメント代表の阿波野聖一です。

約1年前、私は「汎発型円形脱毛症と向き合う ― 孤立と孤独の狭間で ―」という記事を書きました。

▼1年前の記事はこちら

当時は発症から約2年。
髪の毛だけでなく、眉毛やまつ毛、体毛も失い、喪失感と共に自分自身の変化と向き合いながら、「孤立」と「孤独」の違いについて考えていました。

あれから1年…

そして発症から約3年が経った今、改めて振り返ると、私が向き合っていたのは病気だけではなかったように思います。

それは、

自分はどう生きたいのか

という問いでした。


失ったものより、得たもの


実は数か月前から、少しずつ変化が現れ始めました。

頭部には産毛のような柔らかい白い毛が出てきました。

眉毛には数本ですが黒い毛が混じり始め、まつ毛や鼻毛、髭も少しずつ生えてきました。
病気になった当初は、「また生えてほしい」と願っていました。
ただ時間が経つごとに、生えてきて欲しいという願望から、病気を治すことより、受け止め方を変え、気長に自然に身を任せることにしました。 

だから本来なら、とても嬉しい出来事のはずです。

もちろん今も嬉しいです。

しかし不思議なことに、以前ほど「元に戻ること」に執着している自分はいません。

この3年間で私が本当に取り戻したかったものは、髪の毛ではなかったのかもしれません。

人は何かを失った時に初めて、その奥にある本質に気づくことがあります。

私にとってそれは、「人の価値とは何か」という問いでした。

外見なのか。

肩書きなのか。

実績なのか。

病気になる前は、気づかないうちにそうしたものに自分の価値を重ねていた部分もあったように思います。

しかし、それらが揺らいだ時に見えてきたものがあります。

それは、人の価値は「何を持っているか」ではなく、「どう生きるか」に表れるということです。

2.2K views · 184 reactions | 💫病気からの気づき💫 昨年の今頃から円形脱毛が増え、多発性円形脱毛に数年前にも同じ症状だったから"またか…"と思っていたら、年明けくらいまでにはさらに進行し汎発(ばんぱつ)型円形脱毛症になり毛髪だけでなく、眉毛、まつ毛、鼻毛、体毛が全て無くなりました…当初は喪失感でメンタルもまぁまぁな状況になりました。病院も何回か変え、話を聞き、治療も変えました。でもやっぱり時間がかかると割り切りました。"ないものはない、なかったら付けたそう"と教えて頂き、3月からウィッグと眉毛シールも付け仕事、生活しています。今はもっと欲が出てきて、おしゃれなウィッグを探しながら、病気と付き合っています。自身が病気になった事でマイノリティになった事に気づき、この気づきのお陰で今まで以上に弱さを知り、強くなったと思っています。病気になってからの様々なご縁、繋がりもできました。そしてこの汎発(ばんぱつ)型円形脱毛症の情報が少ない事で悩んでいる方もいらっしゃるかと勝手に思って情報をアップしました。同じ病気で悩む方が少しでも気づきになれば幸いです。 #話が重く感じる人はスルーしてください | 阿波野聖一 💫病気からの気づき💫... www.facebook.com


孤立と孤独から見えた景色


1年前の記事では、「孤立」と「孤独」の違いについて書きました。

今もその考えは変わりません。

しかし今はもう一歩先のことを考えるようになりました。

人は誰もが何かしらのマイノリティなのではないか。

病気を抱えている人。

生きづらさを抱えている人。

介護をしている人。

外国人として日本で暮らしている人。

家庭や仕事で悩みを抱えている人。

表面には見えなくても、それぞれが何かを抱えながら生きています。

自分自身がマイノリティの立場になって初めて、そのことを実感しました。

だから私は、人を評価するよりも、その人の背景を知ろうとする人でありたいと思っています。

正しさより受け止める。

評価より対話。

この価値観は、病気を経験したからこそ私の中に根づいたものです。

翻訳したから伝わったわけではない


介護の現場でも、海外人材との関わりでも感じることがあります。

翻訳したから伝わったわけではない。

説明したから理解されたわけでもない。

大切なのは、お互いが理解しようとする姿勢そのものです。

多様性とは、違いを認めることではなく、違いがある前提で対話し続けること。

病気になったことで、私は以前よりも人の痛みや不安、戸惑いに目を向けられるようになりました。

人を変えることよりも、環境を整えること。

正解を押し付けることよりも、共に考えること。

それが今の私の大切にしている姿勢です。

抱え込むより、手放す


この3年間で私が学んだ最も大きなことがあります。

それは、抱え込むより手放すことです。

強く見せること。

期待に応えようとすること。

平気なふりをすること。

周りからどう見られるかを気にすること。

そうしたものを少しずつ手放してきました。

ありのままで生きるためには、何かを足すことよりも、余計なものを手放すことの方が大切なのかもしれません。

失うことは不幸ではありません。

失うことでしか見えない景色もあります。

好かれることをやめる


以前の私は、人からどう見られるかを気にしていました。

できるだけ嫌われないように。

できるだけ期待に応えられるように。

でも今は違います。

全ての人に好かれることをやめました。

全ての人に理解されようとすることもやめました。

その代わりに、自分の大切な人、大切な想い、大切な価値観を守ることを選ぶようになりました。

だから好かれようとすることはやめた。

人の期待を生きるのではなく、自分の問いを生きるために。

気をつかうより、心をつかう


人間関係の捉え方も変わりました。

以前は、人に嫌われないように気を使うことが大切だと思っていました。

しかし今は、ただ相手に合わせることよりも、本当に大切な人に心をつかうことを大切にしています。

気を使う関係は、自分をすり減らします。

でも心をつかう関係は、お互いを大切にしながら自然につながっていきます。

だから私は、誰にでも好かれようとするのではなく、本当に大切な人との関係を深めたい。

人間関係もまた、気を使うものから、心をつかうものへ。

この病気は、そんなことも教えてくれました。

私が今、意識している生き方


この病気を経験してから、私は「何者になるか」よりも、「どう在るか」を大切にするようになりました。

桜には桜の。

梅には梅の。

桃には桃の。

李には李の生き方があります。

桜梅桃李という言葉が好きなのは、その人にしか咲けない花があると思うからです。

人と比べるのではなく、自分自身を生きる。

自分は何をしたいのか。

どう在りたいのか。

どう生きたいのか。

どうであれば幸せなのか。

その問いを持ち続けること。

そして、多くを見て、多くを聞き、自分の価値観だけで判断しない。

私が惹かれる「飛耳長目」という言葉もまた、その生き方につながっています。

おわりに


他人の目や物差しで生きるのではなく、自分の人生を生きる

人生に起こる出来事に意味があるかどうかは分かりません。

それでも今なら思います。

この病気は、私から髪の毛を奪ったのではなく、「他人の目や物差しで生きる自分」を手放す機会を与えてくれたのだと。

そして、自分らしく生きることの意味を教えてくれたのだと。

発症から3年。

頭には少しずつ白い産毛が生え始めました。

体の変化

眉毛やまつ毛、鼻毛にも変化が現れています。

身体はゆっくりと再生しようとしているのかもしれません。

でも、それ以上に再生されたのは、私自身の心の在り方でした。

抱え込むより、手放す。

正しさより、受け止める。

気をつかうより、心をつかう。

好かれるためではなく、自分らしく生きる。

そして、誰かになるのではなく、自分自身を生きる。

それが、汎発型円形脱毛症と向き合った3年間で、私がたどり着いた今の最適解です。

今回のnote記事をAIに作成していただきました。

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