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「この悲しみを怒りに変えて!」はイケナイという話

「河童の目線で人世を読み解く」市井カッパ(仮名)です。
「すべての組織と人間関係の悩みを祓い癒し、自然態で生きる人を増やす」をミッションに社会学的視点から文章を書いております。

御覧いただき、ありがとうございます。

木曜は本からインスパイアされた内容を投稿していきたいと思っていますが、今回から本だけではなく、アニメや映画など、コンテンツ全般に範囲を広げて書いていきます。

今日、取り上げるのは、麻雀です。それも、プロリーグとしてabemaで放送されているMリーグについてです。ただし、今回のタイトルの元ネタはこの人です。

この悲しみを怒りに変えて 
立てよ!国民よ!
ジーク、ジオン!

で有名な演説ですが、この「悲しみを怒りに変えて」が、実はまずいんじゃない?というのが今日の記事の趣旨です。

この話を書こうと思ったきっかけは、「サクラナイツ」の内川選手の契約が終了した、というニュースからです。

よくわからない方のために説明しますと、Mリーグは1チーム4人制で、2年連続で準決勝に進出できなかったチームはメンバーを変更しなければならない、というレギュレーションがあります。「サクラナイツ」というチームは今年準決勝に行けず、エースの内川さんを契約更新しないと発表しました。レギュレーションまであと1年あるとはいえ、ここ毎年、そんなに上位で争う状況でもなく、メンバーがそのままだとハンデキャップを背負った苦しい戦いになることを想定しての監督としての決断だったと思いますので、私は個人的にはニュートラルに受け止めています。そのときの発表動画もシェアしておきます。

で、これが炎上しました。監督の責任だ、とか、他のチームメイトへの批判にもつながり、もう怒りまくっている人がたくさん居ました。で、その炎上を見ていて、なんでこのケースでこんなに炎上するのだろう、と不思議に思ったとき、先ほどのギレンの演説の言葉「悲しみを怒りに変えて」という言葉が頭に浮かんできたのです。

今回の場合、ファンであれば、普通は「悲しい」という感情が、まずは出るはずではないかな、と思ったのですが、SNS上では怒りや犯人探しの声が目立ちました。これが個人的にとても気になって、これっていったい、どういうことなんだろう?と思いました。

御本人によるnoteはこちら。動画でも、監督や他の選手達にキレている人に対して違和感を表明していて、大人だな、と思いました。

そこでふと、思いついたのが、最近、お話を伺う機会があった人の悲しみをケアするという「グリーフケア」というものについてです。今回は、その専門家として、一般社団法人みんなのグリーフケアの代表である森田藍子さんに意見をいただきたいと思い、お忙しい中ですが、急遽、コメントをいただきました。

一般社団法人みんなのグリーフケア 代表理事
森田 藍子 さん

森田さんは、2008年に在宅医療現場でご遺族の話をお聞きしたことをきっかけにグリーフケアに出会われ、その後、2013年~2022年までシンガポールに在住中、息子たちが通うインターナショナルスクール、UWCの日本語教師として多様で様々な背景を持つ家族の相談を受ける中でグリーフケアをライフワークとして実践し、2020年のコロナを機に、グリーフケアの普及活動を開始され、2023年には一般社団法人みんなのグリーフケアを立ち上げられました。

下記はこの件に関して、森田さんにお聞きしたお話です。


感情の合理化と怒りへの転換について

森田:
最近注目しているのが「合理化」という心理的な防衛機制です。何かショックなことが起きたとき、その原因を誰かのせいにすることで、自分の苦しい感情を抱え続けなくて済むようにする心の働きを言います。

本当は「悲しい」という感情を感じきるためには、それを共感してくれる相手や、安全な環境が必要です。そうでなければ、「悲しみ」を誰かにぶつけることができず、「怒り」に転換してしまう。それが炎上の一因ではないかと思います。

SNSと感情表現の難しさ

─ SNSでは悲しみよりも怒りの感情を爆発させる人が多いように思いますが、これについてどう思われますか?

森田:
SNSでも「私は悲しい」と表明することが本当は大切なんでしょうけど、誰かに「そんなことで?」と言われるとさらに傷ついてしまいますよね。悲しみはとても繊細な感情で、適切な相手や環境がないと表現すること自体がリスクになります。

「怒り」はぶつけられるけど、「悲しみ」は共感されないとしんどいんですよね。

環境がないとそれを持ち続けることや認知することができないので、早くこの火の玉のボールをどっかに投げないと自分は立ち行かないと、という生存本能や恐怖の方が強くなって誰かを攻撃したりということが起こるんじゃないかと思いますね。

─ 悲しいと思った時に悲しいと思う人同士で共感し合うっていうことができれば、本当はいいってことなんですかね?

森田:
うん、そうですね。でもそれってやっぱりそれこそ今みんなのグリーフケアで立ち上げようとしているサービスにも関係してくる話ですが、本人がそのよかれと思って、不用意な一言で相手は傷つくみたいなことも起こり得るので、SNSという場は結構危険だろうな、と思います。

もちろん大前提として、例えばAIでチェッカーとか作ってひどい言葉を抜くことはできると思うんですが、そうではなくて、この文脈でそういうことを言ったら、一見優しそうだけど、ものすごく傷つくよね、みたいなこととかも、人って奥深く見ていけばあるから、そういう意味でも悲しみを打ち明けるっていうことは危険性が高いと思いますし、オンラインで安心な状態というのを作り出すのはすごく難しいと思います。

─ つまり、安心して「悲しい」と言える場が必要ということですね。そうすれば、怒りよりも悲しみの声が増えて、ネット上の雰囲気も変わるかもしれません。

森田:
そう思います。安全なコミュニティやファンクラブのような場であれば、悲しみを共有できる可能性がありますね。

あと、もう一つあるなと思うのは、これは私の個人的な感情なので、これについては、コメントをしたりとか、それについてなんかとやかく言われないで済むような形の表明の仕方があるといいですよね。 誰かが返信したりコメントしたりできちゃうと、いろんな人がいるから、とても危険なものになってしまいます。

─ それってとても重要な話だと思います。これは私の個人的な感情なので、誰かが何かを言おうが、別にあなたには関係がないと。あなたにはわからないことなんです、と。

森田:
そうですね。あなたのことを何か言ってるわけではないから、別にあなたを攻撃しているわけでもないし、あなたが違うと言っているわけではなくて。 あくまでも私の個人的な感情ですっていう風に言う。

─ 逆に言うと、向こうから言ってきても、別にそれはあなたの話であって、私の感情とは関係がないですよっていうスタンスが取れればいいのかもしれませんね。

森田:
そうですね。でもそれってかなりパイオニア的な強い性格の人じゃないと難しいから、ちょっと時間がかかると思いますけどね。でも、そういうふうになったらいいですよね。

日本社会と怒りの耐性

森田:
特に日本では、家庭内や学校、部活動などで怒りの感情が受け入れられてきた歴史があります。戦後、戦争で辛い思いをして帰って来た人たちは、本当は癒されなければならなかったのに、それができず、経済復興の方にエネルギーを向けざるを得なかった。そこで、家庭内で父親が怒りを爆発させることが普通だった時代が続き、結果として「怒りには慣れている」社会になってしまった。一方で、「悲しみを表現する」ことには慣れておらず、むしろ損になると考えられてしまう「合理的」な傾向があるんです。

─ 現代の日本人は、怒りには慣れてるけど、悲しみを表明することに慣れてないのかもしれませんね。

森田:
私たちが進めているグリーフケアの活動は、悲しみを表現することで楽になるという体験を広めることです。そういう人が増えることで、悲しみも自然に受け入れられる社会に変わっていくと思います。

─ ネットの炎上騒ぎを少なくするためにも、大事な活動ですね。本日は貴重なお話、ありがとうございました。

一般社団法人みんなのグリーフケア

note

はじめての方はこちらを


はい。ということで、最初にご紹介したギレンの演説は、国民を命を賭した戦いに追い込むための演説ですが、そこでは「悲しみを怒りに変えて」ということが強調されていました。

これは戦争だけではなく、ハラスメントや過労死や自殺などの問題にもつながる話だとは思います。よくわからないままに怒りの感情を操られて突き動かされて、結果として自分の命を落とすことになる前に、自分の悲しみに向き合う、ということを取り戻すことも、今の日本人にとって、大事なことかもしれません。

現場からは以上です。お読みいただき、ありがとうございました。面白かった、参考になった、という方は是非、高評価いただけると嬉しいです。フォローも大歓迎です。

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