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マネジメント不全とはどういう状態か?

「河童の目線で人世を読み解く」市井カッパ(仮名)です。
「すべての組織と人間関係の悩みを祓い癒し、自然態で生きる人を増やす」をミッションに社会学的視点から文章を書いております。

御覧いただき、ありがとうございます。

こちらの記事で書きました通り、11月より、noteの毎日更新を再開しています。火曜は「マネジメントの日:マネジメントについて」のテーマとなります。このテーマは新しいマネジメントの教科書を作るつもりで、じっくりと書き続けたいと思っています。

なお、この連載では、マネジメントの定義について、下記のように定義しています。

マネジメントとは、自然状態で放置しておくと手に入れられない理想的な成果を得るために、人が意志を持って働きかけを行うことである。

前回の記事はこちらです。

そして前回の結論として、学校の勉強と言うのはマネジメント能力を修得するために行われているのではないか、ということを書きました。

今回はこれらのことを念頭に置きながら、「マネジメント不全」のケースを見ながら、それらに共通するものは何なのか、ということについて見ていきたいと思います。

そのケースは、こちらから採用します。

そもそもこちらで採用しているケーススタディ教材「LDノート」は、「日本のマネージャーがマネジメントという仕事を放棄している」という問題意識から生まれた教材です。1950年から現場の取材を通して収集されたケースを元に継続して発行され続け、その時代時代に起こっている「マネジメント不全」のケースを紹介してくれていますが、そのどれもが、同時代のビジネスマンから見れば「あるある」と思われるようなものになっています。

例えばこちらのケース。

一読すると、カスハラ発言をする顧客の側に問題がありそうですが、そうした状況を引き起こさないためにマネージャーが何かをしているのかという視点で見てみると、客観的目線で感想を述べたり、内省してばかりいて、何らかの言動が見られない。となると、働きかけがないわけですから、顧客は自然とカスハラ発言が引き出されるような状況になっているのだと考えられ、そうならないために対応できていない以上、「マネジメント不全」のケースである、と考えられます。

続いてこちらのケース。

この会社、この工場には似つかわしくない新人の配属。誰にでも愛想の良い態度。これはこのまま放っておけば早晩、辞めるな、と思うべきところでした。しかし実際には「いい子が来てよかった」とラッキーと喜んで終わり。彼女がなぜ、そういう態度をとっているかを理解しようとしないために、退職代行の電話に驚くハメになるのです。これも打つべき手を打てなかったというところに「マネジメント不全」があります。

こちらのケースはもう少し特殊ですが、マネジメントにマネジメントをさせない事例になります。人事から1on1をやるように、という行動レベルの指示が飛び、意味ないと思いながらもその時間を作らざるを得ない支店長と、それにつきあわされる部下。マネジメントというのは複雑な要因が絡み合うものですので、その現場現場に合った、その時に必要なやり方があるはずなのですが、このように上から「絶対命令」のように「手段」が降りてきてしまいますと、それに逆らえない中間管理職のマネジメントを無効化してしまうことにもなりかねません。もちろん、1on1が機能しないこの組織に問題がないわけではないでしょうが、だからといって、その問題が1on1で解決するわけではないことは現場の人間はわかっているのではないでしょうか?

これらのケースの共通点は何でしょうか?

それは、マネジメントの役割を行う者の中に、「現状維持」以外の「理想的な成果」のイメージが無いことです。

もういちど、新しいマネジメントの定義を見てみましょう。

マネジメントとは、自然状態で放置しておくと手に入れられない理想的な成果を得るために、人が意志を持って働きかけを行うことである。

「現状維持」というのは、一見、ソフトな言葉のように見えますが、「自然状態で放置しておく」という言葉と実は同義です。そして、物理学のエントロピーの法則から言っても、生命の老いのロジックから言っても、あるいはVUCAと言われるような環境の変化から見ても、真の意味での「現状維持」というのは、不断の変化なしにはあり得ません。

ちなみに蛇足ですが、VUCAというのは怪しげな言葉で語られていますが、そのロジックは、情報のアウトプットが即インプットとして取り込まれることによって発生する効果によるものだと私は考えていて、情報の伝達速度が限りなく無限大に、あるいは情報の伝達コストが限りなくゼロに近づいている状態であると考えています。そのために予測不可能な変化が断続的に起こりうる状態。となれば、情報を規制しよう統制しようという動きも出てくるわけで、さらに混乱が助長されるような世の中になっていきます。まあ、その辺のロジックはともかく、環境変化が激しく予測できない状態、という認識については一致する人は多いのではないでしょうか?

真の意味での「現状維持」というのは、不断の変化なしにはあり得ない、ということを語るのに、私が必ず思い出すのが、進化論の「赤の女王仮説」の話です。詳しくは下記を参照ですが、引用してみます。(ジョン・テニエルに敬意を表して、トップ絵にも採用させていただきました。)

「赤の女王」とはルイス・キャロルの小説『鏡の国のアリス』に登場する人物で、彼女が作中で発した「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない(It takes all the running you can do, to keep in the same place.)」という台詞から、種・個体・遺伝子が生き残るためには進化し続けなければならないことの比喩として用いられている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E3%81%AE%E5%A5%B3%E7%8E%8B%E4%BB%AE%E8%AA%AC

まあ、全力で走る、というのが適切な比喩だとはあまり思えないのですが、理想的な姿を目指して常に微調整を繰り返す、というのはマネジメントが機能している組織では必ず行われていることでしょう。

そして当たり前のことですが、そのためには、「理想的な姿」を描く、というのがとても大事な前提条件になってきます。これは個人であっても組織であっても事業であっても同じことです。

上に紹介したケーススタディ&ビジネスコーチング研究会では、こうしたケースに登場するマネジメント不全のマネージャー達へどのようにコーチングをするのか、ということをディスカッションするのですが、どうしても最初は、そのマネージャーが「どのような職場にしたいのか」「どのようなチームにしたいのか」、あるいは「どのようなマネージャーと思われたいのか」といった、「理想的な姿」を描いてもらうことから始めることは多いように思います。

マネジメントが理想的な成果を得るために行われるのであれば、その理想的な成果をまずはイメージできていなければならない。さもなくば、マネジメントは目的を失い、機能不全に陥る。

ドラッカーの有名な言葉、「何を以て憶えられたいか」という問いについて、ドラッカーはこう書いています。

この問いを問わなければ、人は焦点をなくし方向を失い成長を止める。

『非営利組織の経営』P.238

理想的な成果をイメージできなければ、マネジメントは目的を失い、機能不全に陥る。

実にシンプルで、当たり前の結論のように思えるのですが、いかがでしょうか?

現場からは以上です。お読みいただき、ありがとうございました。面白かった、参考になった、という方は是非、高評価いただけると嬉しいです。フォローも大歓迎です。

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