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『チャレンジャー井上円了』を読んでみたら、円了さんがファンドレイジングのプロだった件

「河童の目線で人世を読み解く」市井カッパ(仮名)です。
「すべての組織と人間関係の悩みを祓い癒し、自然態で生きる人を増やす」をミッションに社会学的視点から文章を書いております。

御覧いただき、ありがとうございます。

今回の記事は、これから何回かに分けて書いていこうかな、という記事の第一弾です。キックオフというか、イントロダクションは下記の記事になります。

募集要項はこちら。

募集締切が7月15日なので、既に締切直前。まずは『チャレンジャー井上円了』を読んでみました。

が、これ、262ページもあるんですね。井上円了の伝記になっています。

こういう伝記は基本的に、偉人を偉人として証明するために書かれますので、日本経済新聞社の「私の履歴書」シリーズもそうですが、嘘はないにしても、不都合な事実は記載されないので、一応、眉に唾をつけて読む必要があるかと思います。

とはいえ、円了さんの話、面白いですね。大学時代に既に学校を作ろうとしていたようです。

まず印象に残ったのが、下記の言葉。

人生一生のうちにおいて、その愉快なるときは、学生時代に及ぶものはない。その幸福愉快なることは、とても言葉で表現し尽くすことはできないものである。

『チャレンジャー井上円了』P.54

井上円了さんは東京大学出身ですが、哲学会というサークルを作ったりして、ずいぶんエンジョイしていたようです。

とはいえ、実は仏門に生まれ、本願寺の奨学金で大学に入っていた円了さん。卒業時にこういう話をしています。

わたしは本願寺の宗費生(奨学生)として大学で学んできましたから 、(中略)わたしは日ごろの誓いとして、将来は宗教的教育的事業に従事して大いに世の中の人々のために一生懸命に力を尽くしたいと思っています

『チャレンジャー井上円了』P.56

そのために、既に大学四年生になった際、東本願寺に下記のような上申書を出していたそうです。

日本が鎖国から開国して、内務ばかりでなく、外務を設けたように、教団も内務にあたる自教の性質を研修すると同時に、外務にあたる西洋諸学やキリスト教を研究する時代にはいっている。この外務を研究・教育するために 新たに仏教館、哲学館の両館を創立することが必要である。

『チャレンジャー井上円了』P.57

その目的は下記の3つ。

第一に、西洋哲学諸科を研究して、仏教の諸説に応合させる
第二に、物理生物諸学を講習して、仏説と理学との争論を調和する
第三に、政治道徳の性質、社会の事情を探索して、実際の布教を思考する

『チャレンジャー井上円了』P.57

非常に面白いですね。円了さんは本願寺始まって以来の学士だったそうで、学問の世界と仏教の世界が、この頃にはそれほど交わっていなかったようです。

ただし、東本願寺からは、結局、インド哲学取調係を続けるようにという命令だけがあったそうで、この上申書は採用されなかったようです。とはいえ、国費給費生として東京大学の研究生になり、

「俺はよそから月給をもらわないで、ひとつ人間一生で、どのくらいの事業ができるか試してみよう。」

『チャレンジャー井上円了』P.61

と思い立ち、出版活動を始めます。その中で仏教を活性化させることを目的とした書物である『仏教活論序論』がベストセラーになったそうです。

一方で肺結核を患い、自分の命に限りがあることを悟った円了は、本願寺の動きを待ってはいられないと、自ら動いて学校を作ることを決意するのです。

そうして最初に設立されたのが哲学館でした。初めは文京区湯島にある臨済 宗妙心寺派麟祥院というお寺の境内にある建物を借りてスタートしたようです。新聞・雑誌に掲載された「哲学館開設の旨趣」には、

一年ないし三年で論理学、心理学、倫理学、社会学、審美学、宗教学教育学、純正哲学、東洋諸学などを教授する

『チャレンジャー井上円了』P.77

と書かれていて、学問分野のチョイスが独特で面白いですね。規模としては、定員50名のところ130名くらい集まったようです。さらに翌年からは通信教育も取り入れ、学生数はなんと1831名。なかなかのビジネスセンスですね。

井上円了が開館式で行った演説は、(中略)哲学館の目的を詳しく述べている。円了は哲学館における教育の対象者を、つぎの三点にまとめている。
第一 若い頃に学べなかった人(晩学にして速成を求める者)
第二 貧困にして大学に入ることが不可能な者
第三 原書に通ぜずして洋語を理解できない者
 そして、哲学館はこれらの人々に哲学を教授するが、その目的は、「哲学者の養成」ではなく「哲学を学ぶ(哲学をする)ことにある」としている。
哲学は諸学の基礎となるものであるから、法律家や工業家など、社会に出て一つのことを達成しようとする人は、哲学諸科を心得ているべきであり、また、また教育家や宗教家になる人が学べば、専門の学問の理解を助けることにもなる。哲学館は、このように活用範囲の広い哲学を日本語で教え、速成するための学校であると言っている。

『チャレンジャー井上円了』P.81

いや、この部分、めちゃめちゃ共感しますね。当時、円了さんは29歳だったようです。若いっていいですねー。

さて、肝心のお金面ですが、このように書かれています。

入学者は確保できたが、学校を開設するには基金が必要であった。このため、円了は、現在でいうクラウドファンディング方式により、広く個人から寄付金を募ることで資金調達を行い、哲学館を創立した

『チャレンジャー井上円了』PP.89-90

さらっとすごいことが書かれています。どうやら雑誌の付録のような形で寄付募集をしたらしく、280名から780円程度集めたようです。平均してひとりあたり3円弱。哲学館の月謝が1円だったそうなので、年間授業料を4人で賄うくらいの寄付ということで、ひとりあたりはそんなに巨額の寄付というわけでもなかったようです。

その後、新校舎を建てることになるのですが、これが台風で倒壊。借金をしてなんとか建てますが、資金的には苦しくなります。この時、円了が出会ったのが勝海舟だったといいます。この方、いろんなところで人の人生に影響しますが、円了さんの場合にも、より大きな範囲での寄付集めを応援したようです。

円了は知恵を使ってこの危機を打開しようとしていたが、海舟はその考え方を完全に否定し、「誠の心」以外に、この危機に当たる方法がないことを懇々と説いた。

『チャレンジャー井上円了』P.115

勝海舟は円了に、「裸になれ」と言ったそうで、裸の心かーい。あいみょんかーい。と個人的に思いました。

円了の計画とは全国各地の依頼に応じて学術・教育・宗教に関する講義・演説をするため、一〇月下旬から東海道筋、翌年一月から四国・九州地方、三月から中国地方、五月から北陸筋、七月から奥羽・北海道へと、全国を巡回しようというものである。この講演会のときに、あわせて哲学館の大学設立のための専門科開設の資金を、広く社会・大衆から募ろうという計画であった。

『チャレンジャー井上円了』P.115

そして肝心の寄付額ですが、

哲学館の場合、大口の寄付者は、五〇円以上が一名、一〇円以上が三名で、ほとんどが一円や五〇銭であった。

『チャレンジャー井上円了』P.117

ということで、言い方は悪いですが、非常に効率の悪いドサまわりですね。でも円了は4年かけてこれをやり抜きます。

結局、この苦労の多い、全国巡講によって、哲学館の存在はより広く庶民層にまで知られ、最終的には三五〇九円九〇銭の寄付金が寄せられ、円了は危機を突破した。

『チャレンジャー井上円了』P.120

いや、この話、すごくないですか? しかも、この全国巡講によって円了が得たもの、というのがまた面白いです。

北は北海道から南は九州まで、四年間かけて全国を一周したことによって、円了は多くのことを学んだ。 一番目は、哲学館の経営者としての自覚を高めたこと。二番目は、明治維新から文明開化をスローガンに国家社会の発展を目指して二〇年が過ぎても、各地には江戸時代とあまり違わない所が少なくなかったこと。 三番目は、各地で妖怪談を調査するフィールドワークができたことである。

『チャレンジャー井上円了』PP.120-121

なるほど、ここで妖怪研究とつながるのかー、と納得しました。

もともと円了さんが妖怪に興味を持ったのは大学時代だったようですが、ここにきてフィールドワークが加わり、「妖怪学」として大成したとのことです。

このあと、東洋大学や中学校、幼稚園、そして哲学堂公園という公園も作ったりしています。すべては講演行脚して寄付を集める、という成功パターンが踏襲されており、こうなると円了さんはファンドレイジングのプロと言っても過言ではないのではないか、と思ってしまいます。

ではなぜ、円了さんがファンドレイザーとしてこれほど成果を出せたのか? ということは、研究対象として面白い研究になるのかもな、と思いました。

現場からは以上です。お読みいただき、ありがとうございました。面白かった、参考になった、という方は是非、高評価いただけると嬉しいです。フォローも大歓迎です。

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