「哲学する」の始め方 ー 自分の「好き」を自分の思想に育てる:「哲学する」のススメ その3
「河童の目線で人世を読み解く」市井カッパ(仮名)です。
「すべての組織と人間関係の悩みを祓い癒し、自然態で生きる人を増やす」をミッションに社会学的視点から文章を書いております。
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noteのできるだけ毎日更新を実践しています。現在の曜日ごとのテーマはこちら。水曜は「読書と思想の日/哲学するのススメ(短期連載)・哲学・思想書紹介・概念整理」のテーマとなります。
しばらくは、「哲学するのススメ(短期連載)」をお送りしています。今回の記事は第3弾です。ちなみにこの連載は「哲学するの解放」「哲学を持つということ」「哲学するの始め方」の三部作になっています。
前回の記事はこちら。
「哲学する」の始め方 ー 自分の「好き」を自分の思想に育てる
第一弾では、「哲学する」は特別な資格を必要としないと述べました。第二弾では、「哲学を持たない」とは基準を引き受けないことだと整理しました。
では、実際にどう始めればよいのか?
難しく考える必要はありません。私たちはすでに一度、原理に触れています。思春期の頃です。あの時期、多くの人は現実をそのまま受け入れなくなり、大人の言葉の矛盾や社会の不合理に違和感を覚えます。そしてしばしば、マンガやアニメ、SFやファンタジーの世界に強く惹かれます。そこでは善悪が明確で、選択に意味があり、世界の構造が整理されている。現実よりも純化された価値の枠組みに触れているのです。
それは逃避ではありません。世界を原理で理解したいという衝動です。
しかし多くの場合、その感覚は現実の判断とは切り離されたままになります。社会に出れば、曖昧さに適応する方が生きやすい。衝突を避け、空気を読み、波風を立てない。その過程で、原理への欲望は棚上げされる。
人類もそうでした。世界をどう解釈するか、という問いに対して神という存在を置き、物語によって解釈しようとしました。そしてその後、もっと普遍的な原理を求めて哲学や思想、科学へと学びを探究していったのです。その始まりであった時代を「枢軸時代」と呼びますが、これは人類の思春期であったと考えても良いでしょう。
あなたも人類の一員です。何も難しく考える必要はなく、再び「思春期」から始めればよいのです。
まず、あなたが好きな物語やコンテンツを思い浮かべてみてください。思春期に強く惹かれた作品でも、いま繰り返し触れているものでもよい。
なぜそれが好きなのか。なぜ感動してしまうのか。キャラクターなのか、言動なのか、世界観なのか、価値の描き方なのか。そこには必ず、あなたが望ましいと感じている世界の構造があります。それは日常の世界に十分存在していないからこそ、惹かれている可能性が高い。
その「好き」や「感動」の源を言語化してみる。自分はこの世界がどうであってほしいと感じているのか。どのような判断を美しいと思っているのか。
AIを使ってもいい。評論家やYouTuberの解説を参照してもいい。しかし、それをただ消費するのではなく、その解釈を自己理解の材料として使うことが重要です。
文章にしてみる。noteに書いてみる。誰かと議論してみる。
アウトプットは、単なる発信ではありません。自分の基準を説明可能なものとして保持する行為です。
江戸時代に教育を受け、明治初期に活躍した人物たちの中には、同じ書物を繰り返し読んでいた人が多かったといいます。それは知識量を増やすためではなく、自らの判断原理を磨くためだったのでしょう。
自分のコアとなる思想は、広く浅く触れることで生まれるのではなく、好きなものを掘り下げ、その構造を引き受けることで育ちます。
哲学するとは、遠い学問領域に入ることではありません。自分がすでに心を動かされているものを出発点にし、それを現実の判断に接続することです。
まずは、好きなものを探究するところから始めてみてください。
そこにすでに、あなた自身の思想の種があるはずです。
現場からは以上です。お読みいただき、ありがとうございました。面白かった、参考になった、という方は是非、高評価いただけると嬉しいです。フォローもコメントも記事の引用・紹介も大歓迎です。
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