Ⅵ.科学革命と世界の再編(1400〜1800)(シリーズ「解放の歌」)
「河童の目線で人世を読み解く」市井カッパ(仮名)です。
「すべての組織と人間関係の悩みを祓い癒し、自然態で生きる人を増やす」をミッションに社会学的視点から文章を書いております。
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noteのできるだけ毎日更新を実践しています。現在の曜日ごとのテーマはこちら。水曜は「読書と思想の日/哲学するのススメ(短期連載)・哲学・思想書紹介・概念整理」のテーマとなります。
下記の記事で「人類思想史」からの「哲学」の再定義、そして「人類にとって宗教とは何か?」という内容の記事をAIに読み込まれて、書籍化するとしたら、全体の中でどういう部分が記事化されていて、逆にどういう部分が記事化されていないのか、探ってみました。
その結果、いくつか欠けている記事がある、ということがわかりましたので、今回はその補完のための記事になります。
しばらくは、「第2部:人類二千五百年の夜を歩く」の「人類思想史年表を作ってみた」の解説記事を書いていきます。元記事はこちらです。
この部分は下記の構成になっています。今回はこのうち、「Ⅵ.科学革命と世界の再編(1400〜1800)」についての解説記事になります。(過去のものにはリンクを貼っておきます。)
Ⅰ.神話的宇宙秩序と王権の時代(−3000〜−2000)
Ⅱ.倫理的一神信仰の成立(−2000〜−800)
Ⅲ.枢軸時代(−800〜−200)
Ⅳ.普遍宗教と帝国の結合(−200〜600)
Ⅴ.理性神学と中世秩序(600〜1400)
Ⅵ.科学革命と世界の再編(1400〜1800)
Ⅶ.近代的合理性の拡張とその応答(19世紀〜21世紀)
Ⅵ.科学革命と世界の再編(1400〜1800)
なぜ世界は再び広がったのか
中世の知識人たちは、神が創った秩序ある世界を理解しようとした。しかし15世紀以降、人類は再び世界の広さに直面することになる。航海技術の発展によって未知の海域が開かれ、異なる文明が接触し始めたのである。コロンブスの航海は単なる地理的発見ではなかった。それは人類が持っていた世界像そのものを揺るがす出来事だった。
第Ⅳ章で見たように、広域世界の認識は普遍宗教を生み出した。しかし今度はさらに大きな変化が起こる。新大陸の発見、海上交易の拡大、印刷術の普及、翻訳活動の活発化によって、人々はこれまで以上に多様な知識や文化に触れるようになった。世界は想像以上に広く、複雑で、多様だったのである。
こうして人々は、権威や伝統だけでは世界を理解できないことに気づき始める。世界について語られたことを信じるだけではなく、自ら観察し、測定し、検証する必要が生まれた。科学革命とは単に新しい理論が登場した出来事ではない。それは人類が世界と向き合う方法そのものを変えた出来事だったのである。
世界はどのように観察されるのか
中世の知識人たちは世界を理解しようとした。しかし近世の知識人たちは、その前にまず世界を観察しようとした。世界の理解は、観察と記録の積み重ねによって支えられるべきだと考えられるようになったのである。
この変化は様々な地域で同時に進んでいた。李時珍は膨大な薬草や動植物を調査し、『本草綱目』を編纂した。そこでは伝承や権威だけではなく、実際の観察結果が重視された。オスマン帝国のタキ・アル=ディンは天文観測を行い、天体運動を精密に記録した。日本では渋川春海が暦学改革を進め、実測に基づく暦の作成を目指した。
西欧ではガリレオが望遠鏡を用いて天体を観察した。月面の凹凸や木星の衛星の発見は、天上界は完全であるという従来の世界観を揺るがした。重要だったのは彼の結論だけではない。自ら観察し、その結果を根拠として議論するという態度そのものだった。
こうして世界は、神学的解釈の対象であると同時に、観察と測定の対象にもなっていく。人類は初めて、世界を自らの目で確かめ始めたのである。
知識はどのように作られるのか
世界を観察するだけでは十分ではない。異なる観察者が異なる結論を導けば、知識は共有できないからである。こうして近世の知識人たちは、世界を理解するための方法そのものを問い始める。
フランシス・ベーコンは、その代表的人物だった。彼は古代の権威や演繹的な思弁だけに依存する姿勢を批判し、観察と経験から知識を積み上げるべきだと主張した。自然を支配するためには、まず自然に学ばなければならない。知識とは受け継がれるものではなく、探究によって獲得されるものなのである。
同じ頃、中国では徐光啓がイエズス会士たちと協力し、西洋科学の翻訳と紹介を進めていた。ここで重要なのは、単なる知識の輸入ではない。異なる文明圏の知識を比較し、検討し、再構成するという営みそのものだった。科学革命とは西欧だけの出来事ではなく、世界規模の知識交流の中で進行していたのである。
こうして知識は、権威から与えられるものではなく、観察と検証によって構築されるものへと変化していく。重要なのは誰が語ったかではなく、どのような方法で確かめられたかになった。近代科学の本質は、新しい答えを生み出したことではない。新しい問い方と、新しい確かめ方を発明したことにあったのである。
世界は法則で説明できるのか
観察と検証によって世界を理解しようとする試みは、やがてさらに大きな問いへと向かう。もし自然現象が単なる偶然の集積ではないのなら、その背後には共通する原理が存在するのではないか。人々は個別の事象を記録するだけではなく、それらを貫く法則を探し始めたのである。
この転換の象徴がコペルニクスだった。彼は天文学の複雑な計算を整理する中で、地球ではなく太陽を中心に置いた方が宇宙の運動をより簡潔に説明できると考えた。もちろん、直ちに広く受け入れられたわけではない。しかし重要だったのは結論そのものではなく、宇宙の構造を一貫した原理によって説明しようとしたことである。
ガリレオは観察によってその世界像を支えた。望遠鏡によって得られた数々の発見は、古代以来の宇宙観を揺るがした。しかし彼の真の功績は、自然を数学的に理解できる対象として捉えたことにあった。自然界は気まぐれな現象の集合ではなく、一定の規則に従って動いていると考えられたのである。
そしてニュートンは、その流れを一つの体系へと統合した。リンゴの落下も月の運動も、同じ重力の法則によって説明できる。地上と天上は異なる原理によって支配されているのではなく、一つの宇宙の中で同じ法則に従っている。これは古代から続いてきた世界観を根本から変える発見だった。
こうして人類は、世界を神々の意思や偶然によって説明するのではなく、普遍的な法則によって説明できると考えるようになる。もちろん神への信仰が消えたわけではない。しかし少なくとも自然界については、観察し、測定し、法則を見出すことによって理解できるという確信が生まれたのである。
科学革命の本質は、新しい知識が増えたことではない。世界そのものが合理的な構造を持ち、人間の理性によって理解できるという確信が共有されたことにあった。
理性はどこまで自由になれるのか
自然界に法則があるのであれば、人間社会にも法則があるのではないか。科学革命が生み出した最も大きな変化の一つは、この問いだった。観察と検証によって自然界を理解できるのであれば、国家や経済や社会もまた理解できるはずである。こうして人類は、自然だけではなく社会そのものを分析の対象とし始めた。
その先駆けの一人がマキャヴェリだった。彼が関心を持ったのは理想的な統治者の姿ではなく、国家が現実にはどのように維持され、どのように崩壊するのかという問題だった。そこには善悪の判断に先立って、政治を観察し理解しようとする姿勢が見られる。政治もまた自然現象と同じように、人間が分析できる対象になり始めたのである。
同じ頃、人類はもう一つの問題にも直面していた。世界を観察する主体そのものは、どこまで信頼できるのかという問題である。中国では王陽明が、人間の内面に備わる良知を重視した。真理は外部の書物の中だけではなく、人間自身の内側にも存在すると考えたのである。人間の内面への探究は、枢軸時代以来、各文明で繰り返し現れてきた。
しかし科学革命期の西欧では、その問いが「人間はどのように認識するのか」という問題として改めて浮上することになる。デカルトはあらゆる権威や常識を疑い、思考する主体を哲学の出発点に据えた。世界を理解するためには、まず理解している自分自身を確かなものにしなければならないと考えたのである。
その一方で、スピノザは人間を自然から切り離された特別な存在とは考えなかった。神と自然を対立するものではなく、一つの統一的な存在として捉え、人間もまたその一部であると考えたのである。世界を理解するとは、自然の法則を理解することであり、人間自身を理解することでもあった。
そして18世紀になると、その問いはさらに深まる。カントは世界そのものよりも、人間がどのように世界を認識しているのかに注目した。人間は何を知ることができるのか。何を行うべきなのか。そして何を希望することができるのか。科学革命によって獲得された知的成果は、ここで初めて人間自身へ向けられることになった。
こうして思想史は再び大きな転換点を迎える。中世の学問が世界の秩序を理解しようとしたのに対し、近代の思想は認識する人間そのものへと目を向け始めたのである。人類は世界を観察するだけではなく、観察している自分自身をも問い始めた。そしてその問いは、やがて社会そのものをどのように作り変えるべきかという問題へと発展していくことになる。
科学革命は何を実現したのか
神話の時代、人類は物語によって世界を理解した。歴史の時代、人類は時間の流れの中に意味を見出した。哲学の時代、人類は自らを問い始めた。普遍宗教の時代、人類は文明を統合する原理を獲得した。中世の学問は、世界の秩序を説明しようとした。そして科学革命の時代、人類は初めて世界を自ら観察し、検証し、その背後にある法則を発見しようとした。
航海者は世界を測り、天文学者は宇宙を観測し、博物学者は自然を分類し、哲学者は認識そのものを問い直した。こうして人類は、権威によって保証された世界から、自ら観察し検証する世界へと歩み始める。そしてその成功は、新たな確信を生み出した。世界が理解できるのであれば、社会もまた理解できるはずである。社会が理解できるのであれば、それはより良いものへ変えられるはずである。人類は初めて、自らの手で未来を設計できると考え始めたのである。
もちろん、この確信は後の時代に多くの成功をもたらした。同時に、多くの悲劇も生み出した。しかし少なくとも18世紀末の人々にとって、それは人類史上かつてない希望だった。神々の気まぐれや伝統の束縛によってではなく、人間自身の理性によって社会をより良くできるかもしれない。その可能性が初めて現実のものとして意識され始めたのである。
次の時代、人々はこの希望に「進歩」という名を与える。そして人類は、自らの手で未来を設計できるという壮大な実験へと踏み出していくことになる。
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