見出し画像

備忘録*ペンテコステと最後の晩餐と聖杯(契約の血)

新約聖書(使徒行伝2章)のエピソードに「ペンテコステ(ラテン語: Pentecostes)」というのがあります。日本語では聖霊降臨

イエスが復活・昇天した約10日後、信徒がある家の上の部屋(後述)に集まっていると、激しい風のような音が聞こえ、天から「炎のような舌」が降ってきたという出来事があり、そのあとで彼らは異言(グロソラリア)を話しだしたことが書かれています。

聖霊降臨の場にいた約120人の中には十二使徒(イスカリオテのユダに代わって来たマティア) 、イエスの母マリア、その他多くの女弟子、イエスの兄弟たちがいました。
「炎のような舌」は聖霊で、信徒ひとりひとりの頭の上に降りてきたそうです。タロットカードに描かれているヨド(粒々)と似ています。

異言がどういうものだったかわかりませんが、弟子達は「他国のことばで話しだした」とあります。
私が時々話す宇宙語のようなものかしら?


https://youtu.be/noF-Rrdd-HQ

私はしょっちゅう宇宙語を話すわけではありませんが、宇宙語を話すとスッキリします。ただ、自分でも何を言っているかわかりません(苦笑)



五旬節(ペンテコステの祝祭)

キリスト教会では毎年、ペンテコステを祈念して祝います。
会派によって違いがあるようですが、だいたい「五旬節」と呼ばれることが多いです。

五旬祭、7週の祭り(シャブオット)とも言うそうです。英国国教会とメソジスト教会は、ウィットサンデー、ホイットサンデーとも呼びます。


ペンテコステは、コイネー語(ギリシャ・コイネー語)で 「50番目」を意味するそうで、復活祭(イースター)から50日目がペンテコステになります。
2025年は6月8日に典礼が行われます。

復活祭(イースター)は、磔刑にされて死んだイエス・キリストが三日目に復活したことを記念・記憶する、キリスト教においては最も重要とされる祭。
正教会ではギリシャ語から「パスハ」とも呼ぶ。カトリック教会では「復活の主日」とも呼ばれ、聖公会などでは「復活日」とも呼ぶ。
基本的に「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」に祝われるため、年によって日付が変わる移動祝日であるが、必ず日曜日に祝われる。

エル・グレコ『聖霊降臨』 (1596-1600年)、


ペンテコステが「50番目の日」になる理由は、ユダヤ教において大麦の初穂の揺祭の50日後に祝われる祭日シャブオット"שבועות"(「週」を表すシャヴーア "שבוע" の特殊な複数形)に由来しているそうです。

ヘレニズム時代の収穫祭は、創世記9章17節に記されている、神と「地上のすべての肉なるもの」との間に結ばれたノアの契約を更新する日でもありました。

ノアの契約は、前回の記事をご覧ください。

東方正教会では、祝祭自体は3日間続きます。初日は「三位一体主日」、2日目は「聖霊月曜日」(または「聖霊の月曜日」)、3日目の火曜日は「三位一体の第三日」と呼ばれます。

聖霊降臨祭の祝い方は各国さまざまで、イタリアとフランスでは、新約聖書に記されている炎のような舌を象徴するバラの花びらを撒いたり、激しい風のような音を表現したトランペットが吹かれます。
南ドイツやスイス、オーストラリアなどでは、牝牛に花冠をつけパレードをするそうです。

※ペンテコステの時に聖母マリアも同席していことから、聖母を象徴するバラを撒くようになったという説もあります。

ローマカトリック教会では、ペンテコステは復活祭の季節を締めくくる日となります。また告解と聖体拝領を受けることが義務付けられていた年間3日間(クリスマスとイースターと共に)の一つでもありました。


ペンテコステの象徴色
ペンテコステの象徴色は赤色です。赤色は喜びと聖霊の炎を象徴しており、司祭や聖職者、聖歌隊は赤い祭服を着用します。
赤い旗が壁や天井から吊るされ、それは大風と聖霊の自由な動きを象徴しているとのこと。


聖霊の穴
教会建築で私が面白いと思うのは天井の穴(聖霊の穴)です。

屋根にある小さな円形の開口部で、聖霊が降りて来たことを象徴しています。ペンテコステでは、これらの聖霊の穴は花で飾られたり、鳩の像が降ろされることもあったそうです。

オクルス(oculus、複数形は oculi)は、元々はラテン語で「眼」を意味し、ローマのパンテオンのドーム頂上部にある円形の開口部(天窓)の名前として使われ、似たような形状の丸い窓や開口部を指すのに使われる。眼窓あるいは円形窓とも。

最後の晩餐とペンテコステが起きた場所

レオナルド・ダ・ヴィンチの有名な『最後の晩餐』の絵は、イタリア・ミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁画として描かれました。


フレスコ画の上にはスフォルツァ王朝の3 つの紋章が描かれている


教会自体は、ミラノの支配者フランチェスコ・スフォルツァの指示により、ドミニコ会の教会と修道院として1469年に完成しました。

フランチェスコ・スフォルツァは、スフォルツァ家最初のミラノ公であり、ヴィスコンティ家の娘と結婚した後は、フランチェスコスフォルツァ・ヴィスコンティ(Francescosforza Visconti)と名乗りました。

レオナルド・ダ・ヴィンチのパトロンは、そのフランチェスコスフォルツァ・ヴィスコンティの息子ルドヴィーコ・マリーア・スフォルツァでした。
ルドヴィーゴの後ろ盾は、神聖ローマ皇帝のハプスブルク家でした。

ダ・ヴィンチは、1495年から制作に取りかかり、1498年に420 x 910cmの巨大な絵を完成させています。
当時、その部屋は食堂ではなかったそうです。ルドヴィーコ・スフォルツァが教会を家族の霊廟として改築することを計画し、この絵は霊廟の壁を飾るためにスフォルツァから依頼されたものでした。

「最後の晩餐」の絵画は、『ヨハネ福音書』で語られている、ユダヤ教の過越し祭の前の聖木曜日の夜(復活の3日前)に行われたイエスと十二使徒の食事会で、具体的にはイエスが使徒の一人(ユダ)に裏切られると告げた後の瞬間が描かれています。


左から右に、バルトロマイ小ヤコブアンデレユダ(財布を持っている)、ペテロヨハネ、イエス、トマス大ヤコブフィリポマタイタダイシモン

バルトロマイ、小ヤコブ、アンデレ
ユダ、ペテロ、ヨハネ
イエス、トマス、大ヤコブ、フィリポ
マタイ、タダイ、シモン

ダ・ヴィンチの絵についてはまた別の機会に。

反対側の壁には、ジョヴァンニ・ドナート・ダ・モントルファーノによる磔刑のフレスコ画が描かれています。



「二階の大広間」

『マルコ福音書』14章12節に、最後の晩餐が行われた部屋についての記述があります。

除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日、弟子たちがイエスに、「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」と言った。
そこで、イエスは次のように言って、二人の弟子を使いに出された。「都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会うその人について行きなさい。 その人が入って行く家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をするわたしの部屋はどこか」と言っています。』 すると、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために準備をしておきなさい。」
弟子たちは出かけて都に行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。

これは、次の「みずがめ座の時代」を暗示していると言われています。

その二階の大広間は、エルサレムの西、シオン(ザイオン)の丘にある高殿(セナクル)で、ペンテコステの出来事も同じ場所で起きたと言われます。
この遺跡はイスラエル当局によって管理されており、 1階に 「ダビデの墓」と言われるものがあります。


シオン(ザイオン)の山

シオン(ザイオン)という語の語源は定かではない。エルサレムおよびイスラエルの地全体 の同義語としてよく使用されるが、その起源はイスラエル人よりも古いと思われる。
紀元前6世紀中頃のサムエル記下5:7 によれば、モリヤ山(神殿の丘)の南に位置するシオン山を指していた。サムエル記下5章の物語では、シオン山には同名のエブス人カナン人の部族)の要塞があり、ダビデ王によって征服されてダビデの町と改名された。

ダビデの町
エルサレム旧市街とその周辺の自然地形
シオン門
ダビデの墓にある「上の部屋」


イエスが復活して、弟子たちに(世界のすべての国々に福音を広めるように)大宣教命令を発したのも、同じ部屋セナクルだったと考えられています。

そして使徒行伝に書かれている「上の部屋」も同じセナクルです。
2章15では、聖霊が降りて来たのは午前9時頃であったとも述べています。
また2章41では、「ペテロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受けた。その日のうちにおよそ三千人が仲間に加わった。」と書かれています。


契約の血と聖杯伝説

最後の晩餐ではイエスがパンを取って弟子たちに分け与えて「これは私の体」、またぶどう酒を分け与えて「これは私の血」、と言って自分が亡くなった後もこのように行うように言っている。

以前の記事で「聖体拝領」について書きましたが、最後の晩餐でイエスが語ったことにより、ぶどう酒はイエスの「契約の血」を表していると伝えられています。
ただの血ではなく「契約の血」。
旧約、新約を貫いているテーマは「神との契約」です。


Testament(遺言)

以前に画家ハンスボルバインについての記事を書いたときに参照した下の絵は、旧約聖書の世界(左)、新約聖書の世界(右)を対比させています。
左側で、モーセがシナイ山の頂上で神から法(LEX)の石板を授かっていますが、これが古い契約。右側の架刑のイエスが新しい契約です。

ハンス・ホルバイン - 旧約聖書と新約聖書の寓話(1530年代)


旧約聖書には神に動物の犠牲を捧げる記述がたびたび出てきますが、『マルコ福音書』14章12節で最後の晩餐の日を「除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日」と書いているように、その子羊に代わるものがイエスだったのです。

神の子の犠牲の血が流されたので、それ以来キリスト教では動物の犠牲を捧げることはありません。(たぶん(苦笑)
「新しい契約」はモーセ契約とは別の契約なので、イエス・キリストの架刑以降は旧約は無効となったと考えられています。


つい先日のことですが・・・トランプ大統領の呼びかけによって公立学校が「十戒」を掲げるというのは時代遅れでしかないし、そもそもアメリカはユダヤ人じゃないのに・・・という違和感が下のようなポストになりました。

キリスト教における「契約」は、testament(遺言)という語が適用されています。

『ヘブライ人の手紙』
9章15節
こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。それは、最初の契約のもとで犯された罪の贖(あがな)いとして、キリストが死んでくださったので、召された者たちがすでに約束されている永遠の相続を受け継ぐためにほかなりません。
9章22節
それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。

イエスが手に持っているのが「聖餐式」で用いられるパンです。
下の記事にも少し書きましたが、なるはてさんが錬金術的視点からも詳しい記事(素晴らしい!!)を書かれているのでぜひそちらもご覧ください。


聖杯

さて、この最後の晩餐でイエスが「これは私の血」と言ってぶどう酒を注いだ杯は「聖杯(Holy Grail)」と呼ばれるようになり、中世には聖杯を捜し求める騎士の物語が書かれたり、実際に聖杯を探そうとした人もいたようです。

12世紀のアーサー王伝説とも結びついて、聖杯は魔法の力を持つとされました。

最後の晩餐に使われたと信じられている聖杯はいくつか存在します。
1.エルサレム近くの教会にあったとされるもの
銀でできており、把っ手が2つ対向して付いていたという。現在の所在は不明。
2.ジェノヴァ大聖堂にあるもの (sacro catino)
対角37cmの6角形で、杯よりも鉢に近い。エメラルドでできていると信じられていたが、ナポレオン・ボナパルトがイタリアを占領したときパリに運ばれ、後に返還されたときには割れており、緑色のガラスであることが分かった。

ジェノヴァの聖杯


3.バレンシア大聖堂にあるもの (santo cáliz)
イエスの弟子ペトロがローマに持込むが、弾圧の危険に聖杯はいったんピレネーに難を逃れる。その後スペイン内を転々とした後バレンシアに持ち込まれたと伝えられる。直径9cmの半球状、高さ17cm。暗赤色のメノウでできている。

バレンシア大聖堂の礼拝堂にあるバレンシア聖杯


西ヨーロッパでは聖杯伝説の人気は高く、古来から様々な物語に用いられてきた。ヴァーグナーの『パルジファル』、それに触発されて書かれたジュリアン・グラックの『アルゴールの城にて』と『漁夫王』、エリオットの『荒地』、近年では、映画の『インディ・ジョーンズ』や『ダ・ヴィンチ・コード』等で取り上げられている。

1982年にヘンリー・リンカーンらにより英国で出版されたノンフィクションHoly Blood, Holy Grail(邦題『『レンヌ=ル=シャトーの謎─イエスの血脈と聖杯伝説』)で、 聖杯をイエスの血脈と関連付ける考えを示した。これは、ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』にも借用されている。

レンヌ=ル=シャトーは、南フランスのオクシタニー地方にあります。

今日はこのへんで。
お読みくださりありがとうございました。ではまた。



いいなと思ったら応援しよう!