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「道をまっすぐにする」洗礼者ヨハネと夏至

イエスの親戚のヨハネは、大人になってヨルダン川流域で活動したユダヤ教の説教者でした。
彼は「洗礼者(バプテスマ)ヨハネ」と呼ばれていました。

※新約聖書の『ヨハネ福音書』の記者ヨハネとは別人です。

ヨハネは、イスラム教、バハーイー教ドゥルーズ派マンダ教において主要な宗教的人物であり、キリスト教でも「聖人」として讃えられています。

ヨルダン川

ヨハネは、イエスと同じエッセネ派に所属していたと見られています。


洗礼者ヨハネの誕生

ヨハネの父はユダヤ教の司祭ザカリア。ザカリアは、モーセの兄であるアロンの子孫でした。
母はエリザベト(或いはエリシェバ)、エリザベトはイエスの母マリアの従姉妹だったそうです。

『ルカ福音書』第1章には、エリザベトがヨハネを身ごもった経緯や、イエスを身籠っていたマリアがエリザベと訪問した事が書かれています。

マリアは自分の「受胎告知」を受けた際に、エリサベトが妊娠6か月になることを教えられて、エリサベトを訪ねたそうです。
マリアの訪問によって、エリサベトと胎内の子(洗礼者ヨハネ)は聖霊に満たされました。

マリアは、エリサベトのもとに3か月ほど滞在しました。

キリスト教会ではこの訪問を記念して、主に5月31日に祝われています。

5月31日(一般ローマ暦)
7月2日(英国国教会、ドイツ、スロバキア)
3月30日(東方正教会)受胎告知の季節の第3日曜日(シリア)

1969年のローマ暦の改訂(ミステリー・パスカリス)で、福音書の物語とより調和するように「主の告知(3月25日)と洗礼者ヨハネの降誕(6月24日)の間の5月31日」に移動しました。

ミステリー・パスカリスとは、 1969年2月14日に教皇パウロ6世が自発的に発布した使徒書簡である。
この書簡は、ローマ典礼の典礼年を再編成し、一般ローマ暦におけるイエス・キリストと聖人の典礼の祝典を改訂した。
この書簡により、1969年の一般ローマ暦が公布された。

聖家族

聖家族と洗礼者聖ヨハネの家族、1536年頃、ロレンツォ・ロット

左から聖ヨセフ、聖母マリア、白い服を着て祈る3人の天使、洗礼者ヨハネと(白い布に寝かされている)イエス、聖エリザベス、聖ザカリア。
この場面は、おそらくエジプトに逃げる途中、若い洗礼者ヨハネが家族とともに幼子イエスを訪ねたという外典の伝承に基づいていると思われる。

ザカリアとエリザベトは、長い間、子どもに恵まれませんでした。
ある日(ユダヤ暦9月24日)、大天使ガブリエルがザカリアのもとに現れ、
「あなたの妻エリサベツは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。
その子の誕生を喜ぶ人は多く、主の目に大いなる者となる。その子はぶどう酒や発酵した飲み物(アルコール)を決して飲んではならない。
また、生まれる前から聖霊に満たされ、イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。」 (ルカ1:13–15)と述べました。

天使ガブリエルはその後、マリアのもとに現れ、「聖霊によって身ごもってイエスと名付けられる男の子を産むであろう」と告げました。
キリスト教では、マリアの受胎告知は3月25日に祝います。

パオロ・デ・マティス作『受胎告知』

3月25日が聖週間(復活祭前の1週間)に重なる場合は、西方教会では祝日は復活祭の翌月曜日に延期されます。
東方教会は、受胎告知の祝日はいかなる状況下でも変更されることはありません。

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キリスト教では、洗礼者ヨハネの降誕は毎年6月24日に祝われます。
(先にイエスの生誕を12月25日に定めたため)、ヨハネは半年前の6月24日に生まれたと定められました。

キリスト降誕日をはじめ、受胎告知やヨハネの降誕の祝日は、正確な日付を祝うことではなく、単にそれらを相互に関連させて記念しています。
ちなみにマリアの誕生日は9月8日です。


洗礼者聖ヨハネの降誕、ザカリアが「彼の名はヨハネ」と書いている。
ポントルモ、デスコ・ダ・パルト、1526年頃。

ザカリアは大天使ガブリエルのメッセージを信じなかったため、ヨハネが生まれるまで口がきけなかった。
親族は生まれた子供に父親にちなんで名付けたいと考えたが、ザカリヤは(ガブリエルから聞いたように)「その子の名はヨハネです」と書き記しました。すると、彼は話す能力を取り戻しました(ルカ1:5–25 ; 1:57–66)。


ヘロデ王による幼児虐殺はでっちあげ?

5世紀のローマ教皇インノケンティウス1世の「ゲラシアの法令」によって外典に指定された『ヤコブ福音書』にはヘロデ王による「幼児虐殺」のことが記されています。
(幼児虐殺・・・ヘロデ王が預言された救世主を阻止するため、2歳以下の男子全員の虐殺を命じました)
ザカリアは息子(ヨハネ)の居場所を明かすことを拒否したため、ヘロデの兵士に殺害されたとなっています。


しかし、幼児虐殺の話自体が架空の話だったという説があります。(田川建三『訳と註』)
ヘロデ王がエドム人であったため、エドム人差別による生じたでっち上げと見られています。

聖書ではエドム人はイスラエルの兄弟民族であり、ヤコブの兄エサウの子孫とされている(『創世記』25章29~34節)
預言書ではしばしばヤハウェの怒りの対象として挙げられている(『アモス書』など)他、エドムの地から仇討のため孤独に戦い赤く染まったものが来るという預言もある(『イザヤ書』63章、オバデア書)。

ヨハネの使命

『洗礼者聖ヨハネ』ティツィアーノ画、1540年頃

『マタイによる福音書』3章によれば、ヨハネは「らくだの皮衣を着、腰に革の帯をしめ、いなごと野蜜を食べ物とする人物」と記述されている。
ヨルダン川河畔の荒野で、神の国が近づいたことを人びとに伝え、悔い改めるよう迫り、罪のゆるしに至る洗礼を授けていた。

ヨハネは、旧約聖書『列王記』に出て来る預言者エリヤ(イスラム教においてはイルヤース ) の再来とも言われています。

ヨハネは荒野で隠遁生活を送りながら、彼のもとにやって来る人々にヨルダン川の水で洗礼を施していました。
『マルコ福音書』1章4節によれば、ヨハネは「悔い改めの洗礼」を人々に宣べ伝えたと書かれています。


ヨハネの役割は「旧約」から(イエスによる)「新約」への転換点でした。
またまたハンス・ホルバインの「旧約聖書と新約聖書の寓話」の絵を参照すると、中央の木の根元に座っている人は、右の洗礼者ヨハネのほうを向いています。

ハンス・ホルバイン「旧約聖書と新約聖書の寓話」


旧約聖書の『マラキ書』3章の「見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える」というのが、洗礼者ヨハネを表していると言われており、新約聖書の『マタイ福音書』11章10節には「『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの前に道を準備させよう』と書いてあるのは、この人のことだ」と書かれています。

旧約聖書で告げられたことは新約聖書で完成される」(アンティティポス)がここでも証言されています。


イエスの洗礼

ヨハネは、キリストが来る前に「道をまっすぐにする」役目をしたというのは、私も子どもの頃に日曜学校(ほんとは土曜学校)で聞いたことがあり、覚えています。

ヨハネ自身も「私は、預言者イザヤが言った、『主の道をまっすぐにせよ、と荒野で叫ぶ者の声』です。」と述べています。(『ヨハネ福音』1章23節)


民衆は、ヨハネが預言された救世主ではないかと思うようになっていましたが、ヨハネはそれを打ち消して「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」と宣言します。

そしてある日、ヨルダン川西岸のカシール・アル・ヤフドにイエスがやってきて、ヨハネから洗礼を受けることになりました。

現代ではカシール・アル・ヤフドには正教会の修道院があるが、イスラエル軍の軍事監視区域となっており、一般人の立ち入りが制限されている。
だが、イエスにゆかりのあるヨルダン川で洗礼を受けたいという人々が多く集まるため、一部に開放区域が設けられている。
同じ区域のヨルダン川東岸も古代よりキリスト教徒たちに尊重されてきた。ヨルダン政府観光局は東岸こそイエスの洗礼の場所であると宣伝しており、実際に東岸の遺跡アル=マグタス(ベサニー)はイエスの洗礼の地として2015年に世界遺産リストに登録された。

新たに建てられた東方正教会の洗礼者ヨハネ聖堂
アル=マグタス
遺跡を訪れるプーチン大統領( 2012年)
チャールズ3世とカミラ王妃(2021年)


『マタイ福音書』3章でヨハネは、「私の方が、あなたから洗礼を授けられる必要があるのに」と戸惑っています。
神の子であるイエスが洗礼を受けるのはなぜでしょう?

イエスは「今はそうさせてほしい。このようにして正しいことをすべて実現することが、わたしたちにはふさわしいのです。」と答えられました。

つまり、イエスの洗礼はプロセスの一部ということです。

イエスは、のちにこの世のすべての人間の罪(神の教えに従わなかった)の贖いとして十字架に架けられることを既に知っていたので、ヨハネから「悔い改めの洗礼」を受けることで自分を罪を持つ人々と同等の条件に置いたと言われています。
(ややこしい話や)


『キリストの洗礼』アンドレア・デル・ヴェロッキオとその弟子達の合作


イエスが洗礼を受けると、天が開いて、神の霊が鳩の形でくだり、「これはわたしの愛する子、わたしの心に叶う者」という声が、天から聞こえた」と書かれています(マタイ4:17) 

洗礼者ヨハネのその後

当時のガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスヘロデ大王の子孫)が、兄弟の妻であったヘロディアを妻にしてしまった事をヨハネが非難したため、ヨハネは捕らえて処刑されてしまいました。

ヨハネが捕らえられたのは、イエスに洗礼を授けてほどなくで、イエスがガリラヤで伝道を始める直前でした。その際に、ヨハネが捕らえられたため帰省して漁師に戻っていたペトロとアンドデレの兄弟を、イエスは自分の弟子になるようにスカウトしました。
(ペトロとアンデレは12使徒の最初の二人です)


ヨハネの処刑については、ヘロディアの娘(サロメ)が褒美としてヨハネの首を求めたためとされています。(マタイ14章、マルコ6章)

『洗礼者ヨハネの首を持つサロメ』、ティツィアーノ画1515年頃。

新約聖書には、サロメの名は記されていませんが、実在した女性と言われています。
サロメはヘロディアの連れ子で、へロディアにそそのかされて「ヨハネの首」を所望したそうです。

『ヘロデ王の前で踊るサロメ』ギュスターヴ・モロー画1876年


ヨハネの頭部の行方

洗礼者ヨハネの遺体は弟子たちが引き取って埋葬したそうですが、首がどうなったかはいろいろな説があり、複数の箇所にヨハネの頭部なるものが聖遺物として展示されています。
(そもそもヨハネは本当に存在したのか?)

2つのカトリック教会と1つのモスクが、洗礼者ヨハネの頭部があると主張しています。
ダマスカス(シリア)のウマイヤ・モスク、ローマのサン・シルヴェストロ・イン・カピテ教会、フランスのアミアン大聖堂(フランス王が第4回十字軍の後に聖地から運ばせたと思われる)。
ドイツのレジデンツ博物館で、バイエルンのヴィッテルスバッハ家が聖ヨハネの頭部であると信じていた聖遺物箱を保管しています。


ローマのサン・シルヴェストロ・イン・カピテ教会のローマ式礼拝堂に安置されている、
洗礼者聖ヨハネの頭部とされるもの。
シリアのダマスカスにあるウマイヤド・モスク内のイスラム教の聖堂
洗礼者ヨハネの首が安置されていると言われている。

中世には、テンプル騎士団が頭部を所有していたという噂があり、14世紀初頭の異端審問の記録には、何らかの形で頭部崇拝が行われていたことが複数記されている。

カトリック教会は、洗礼者聖ヨハネを次の 2 つの祝日に記念します。

6月24日 –洗礼者聖ヨハネの降誕
8月29日 –洗礼者聖ヨハネの斬首

ルーテル教会、英国国教会を含む他の多くの聖公会の教会も同様です。
東方正教会とビザンチンカトリック教会も8月29日。ユリウス暦のこの日付は、21世紀ではグレゴリオ暦の9月11日に相当します。


イエスに尋問したヘロデ

さて、ヘロデ・アンティパスの名前は、聖書ではイエスの処刑直前にも出てきます。イエスが逮捕されてあと、ヘロデのもとに送られ尋問を受けます。

ヘロデはイエスの噂を聞いてずっと会いたいと思っており、イエスが奇跡をおこなうのを観たいと思っていたそうです。
しかし、イエスが何も話さなかったため、律法学者たちとともにイエスをあざけり、派手な服を着せてローマ総督のピラトに送り返したと言われています。

エッケ・ホモ(「この人を見よ」)、アントニオ・チセリによる画
赤い服を着せられているイエス


夏至のヨハネ、冬至のイエス

キリスト教では、聖人の命日が祝祭日になりますが、洗礼者ヨハネと聖母マリマは生まれながら「聖」とされているので、誕生日が祝日になります。

ヨハネの誕生日は6月24日。この日は古代ローマの夏至祭に当たります。
イエスより半年早く生まれたから6月24日にしたという単純な理由だけでなく、夏至という重要な日に合わせています。

夏至の日に太陽は最高点にあります。イエスを太陽で表象すると巨蟹宮(蟹座)に位置します。
そして12月24日は古代ローマの冬至でした。太陽は磨羯宮(山羊座)

それから、マリアの受胎告知の3月25日(3月24日という説もあり)は、ちょうど春分の頃です。

受胎告知=春分
ヨハネ生誕=夏至
イエス生誕=冬至

春分、夏至、冬至は西洋占星術でも重要です。



フリーメイソンと夏至

アメリカ建国の父たちがフリーメイソンだったことは、今やよく知られていると思いますが、独立宣言7月4日も星の動きに合わせて考えられました。

またフリーメイソンは、福音記者ヨハネと共に洗礼者ヨハネを守護聖人と仰ぎ6月24日を祝います。



男性王族のほとんどがフリーメイソンのイギリス王室では、王位継承1位のウィリアム皇太子は6月21日生まれ。なんと日食の日に生まれています。
偶然としてもすごいタイミングと思いました。

今日はこのへんで。
お読みくださりありがとうございました。

ウィリアム皇太子


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