【アラフォー】人は40歳できっと生まれ変わる
今回はだべり記事。アラフォーのオッサンが金曜の夜に物思いに耽る。そんな記事です。
アラフォーになった所感
今回は人生テーマ的な記事になる。吾輩blueは現在アラフォーのオッサンである。結婚予定はまだない。
小中高はいじめに遭い、大学はボッチで新卒就職はコケて、公務員試験は面接で全敗して、何とか正社員で入った会社はブラックで3年周期位で転職を繰り返している。そんな感じで低空飛行の冴えない感じの人生をやっているのだが、、
「これはおかしいだろ!」とネットを調べると発達障害グレーゾーンの自覚もあり、しょうがないよなぁと思いつつも最低限の努力と抵抗は続けている。だがこの年代に差し掛かると最近人生観がちょっとだけ変わってきたかもしれない感じもある。
みっともなく足掻いて一生懸命生きた結果、うっかりその年齢まで生きてしまった男の話だ。今回はそんな話になる。
人はどこかで「人生の曲がり角」を経験する
この年齢まで生きた所感として思ったのは、人は遅かれ早かれ「曲がり角」を経験するということだ。若い頃は人生の可能性が開かれていてやり直しがきく。何をするにも世の中から許容されていて、自分の努力と行動次第でその人生を変えることができる。
ところが人生も曲がり角に差し掛かるとそれが段々と難しくなってくる。人は大なり小なりどうにもならない事情や境遇を抱えていて、その理想とはかけ離れた人生を送ることになるのだが、それを強く意識せざるを得ないターニングポイントを経験することになる。
ある人は結婚かもしれないし子供ができたことかもしれない。子供が中心の生活となって忙殺され、家や車を買ってローンのカタにハメられ、会社も辞められずに理不尽なノルマや長時間労働、単身赴任を経験したとき、自分の人生って何だろうと思う人はいるはずだ。
女性では彼氏のいない期間の方が短くて、就活も成功して間接部門や公務員の恵まれた正社員身分を得てパワーカップルとなり、子宝にも恵まれてずっと上澄みの人生を歩む人もいるが、それでも男性視点では見えづらい苦労や理不尽は必ずあるはずで、若い頃とは価値観が変わることはあり得る。
自分の場合は独身なのでそれはないのだが、それでもターニングポイントはいくつかあった。父親が死んだこと、心のどこかで憧れていた初恋の人の結婚を知ったこと、キャリアチェンジが難しくなったこと、ネットが炎上したこと、あとちょっと人には言えないことなどがキッカケになる。
喪失感とどう向き合うか
そのターニングポイントというのは基本的には喪失感である。昔はできたことができなくなったとか、人間関係が失われていったとか、そういう感じになってくる。
若い人だとピンとこないし、筆者も若造の頃は何も持たざる者だったので全く気にしなかったのだが、この年代になると得た物の少ない人生ながらも多少は出てくる。自身が感じた喪失感の原因をいくつか書いてみたい。
①若さ
喪失感の際たるは、まあダイレクトに若さである。若い頃にできたものが段々できなくなってくる悲しさはある。たとえばスポーツが得意な人は衰えてくるしプロなら引退もある。女性の若い頃の無敵モードも時間制限があるので、やがて結婚して子供を授かり次のステージに進むだろう。
病気のリスクもあって、慢性的な症状に悩まされたり、後遺症があったりするとそれ中心の生活となってしまい、色々成約も出てくる。見た目が変わってしまうのも地味にしんどい。女性の場合は産めなくなるという現実は重くのしかかるだろう。
筆者はそういう若さの「恩恵」は全くなく、反面病気もないのでその喪失感はない。外見・知能・運動・コミュ力‥‥元の能力が弱すぎたので上がっていくしかないのである。必死に努力をして食らいつく生き方をしていると老いや衰えを感じている余裕がない。
そしてグレーゾーンであるが故、いつ何時ピンチに陥るか、場合によって命を落とすかもしれない覚悟は持っている。万事手を尽くして「‥‥ここまでか!」と手詰まりになった瞬間が死に場所になる。だから筆者が死ぬときは八方手を尽くしたときで、したがって大往生の死に方しかない。
でもそれは筆者の中での話であって、キャリアや人間関係はアラフォーの待遇になる。だから身をわきまえて生きるのは必要で、周りから期待された役割に徹したり、また求められない役割は振る舞わないようにするなど、自分にウソをつくことは増えてきたなと感じる。
②家族
この年齢になってくると段々家族とも疎遠になってくる。筆者の場合、父親が2年前に死んだのだがこれは影響が大きかった。仲は良かったが反りが合わず、衝突することも大きかったのだが、いつしかその衝突も避けて対話することを諦めてしまい、相互理解も築けないままの別れとなった。
母親とも距離はある。これも表面上の仲はいいが内面的な対話はやはりできない。抽象的思考がほぼできず具体のスケールしかない人なので、日常生活の話はできても、金の話や将来の話、人間関係の話をすると理解できず、馬鹿にされたと感じるのか怒り出してしまう。
妹も家を出て行ってから疎遠である。結婚して子供がいるのでそれはそれで忙しい。もうすぐ3人目が生まれるようだ。年が近く同じような顔なのに性格や生き方は全く似ていない。まあきょうだいって得てしてそんなもんだ。
余談だが筆者はMBTIの記事を書く。INFJということにしているのだが、父ESTP、母ISFP、妹ESFP、妹ESFPである。その妹の旦那がISFP、長男がISFP、次男がISFPという感じだ。このアウェー感は如何ともし難く、かといってまとまる感じもしないので、なるようになるしかならないだろう。
③人間関係
それから人間関係だろう。筆者は友人はほぼいない。人間関係が切れてしまうからである。まあ全くいなくもなくて、こちらから誘うと会ってくれる人もいるが、それはせいぜい数年に1度だし常に誘うのは筆者の側だ。
小中校でいじめを食らい、大学でボッチだったのもあるが、フリーター期間(公務員試験浪人)が長く、会社も一社あたり平均3~4年が限界なので、昔の友人が残っていないのだ。必死に生きてきた結果がコレなので不甲斐無さもあるのだが、もう少し友人は作っておけばよかったと思う。
筆者がそうだとは言えないのだが、性格が悪くないのも関わらず孤独な人というのは意外と少なくない。特に男性は同性同士でつるまないので、上記のような事故がなくとも、結婚や転勤などでやがて離れていきやすい。今思えばスポーツ、音楽、お酒はやっておけばよかったなと。
あと地味に引きずったのは中高時代の初恋の人が結婚したこと。これは非常にみっともないのだが率直に申し上げて結構ダメージがでかかった。中高以降は縁が切れた人だったのだが、目標として意識せざるを得ず、背を追っていたところがあったからだ。
誰かとパートナーになるにして、それまで若い頃の地続きの人間関係で結ばれた人は割とラッキーな人だと思う。大人になってからの恋愛というのは打算も絡んで割り切りがいるし、婚活になると条件から入るのでもっとドライだ。ルックスや年齢差も最近はうるさくなってきている。
マチアプやコンカツでポッと出の相手と付き合って結婚する人も意外と少なくないと思う。筆者もそうなりそうだが幸いにして抵抗もなく、上記のダメージで免疫はできたのでここは得しているかもしれない。恋愛に市場原理や中間業者が入るのはちょっと納得はしないがこれはペナルティかねぇ。
④キャリア
それからキャリアだ。40代になるとキャリアの可塑性はほぼ失われ、現職からの職種変更(キャリアチェンジ)が困難になってしまう。どれほど実績を挙げようが、難関資格を取ろうが、加齢による付加価値の低下を食い止めることはできない。これは悲しい。
筆者は営業職が向いていないし心底嫌っているが、別の職種に転職できる可能性は高くない。難関資格を取ろうが、営業で成果を挙げようが、本望である総務人事経理などの職や、本来の適職であるマーケティング職に転職できる可能性は低く、名前の通り古巣のブルーカラーが精々だろう。
万が一念願が叶ったとしても想定年収はかなり下がるため、その意味でもキャリアチェンジが難しくなってくる。アラフォーは何かと金が必要な世代で、独身なら婚活の条件になるし、既婚なら子育てで金を使うので、キャリアチェンジは予算の問題でも難しくなってくる。
なのでこの年齢に差し掛かると、副業を考えた方が建設的かもしれない。会社で手取り1万円上げるのは結構大変だが、副業なら割と楽だ。トレードでもブログでも勿論noteでもいい。まずは会社を介さずに金を獲得することに慣れて、それを当然の感覚にすることが重要だ。
年間100万円の利益は頑張れば難しくないし、一度到達すれば数年以内で切らなくなってくる。そうなると300万円も見えてきて、やがて法人化して個人事業化も不可能ではない。そして副業は自分の名前で仕事ができる。著作物や成果物は自分の資産だし、お客さんがつけば勿論自分の顧客である。
中小企業のヒラ社員はせいぜい年収500万円が限界だ。管理職になればまだ上がるが明らかに割に合わない。大企業なら800万円くらいまでは行くが、今度はリストラにおびえることになる。そう考えると副業でリスクヘッジを噛ませるのは下手な資格勉強より有用じゃないかと思う。
あるがままの現実を受け入れ淡々と生きる
アラフォー以降の人生で大切になってくるのは「あるがままの現実を受け入れる」ことだろう。世の中は不条理なものだし、理想とかけ離れた人生を歩む自身が不甲斐ない。SNSもあって他所の目や暮らしも気になってしまうかもしれないが、それは今更比べても仕方がない。不惑とは言ったものだ。
友人と疎遠になろうが、婚活に難儀しようが、キャリアが閉じようが、人生はまだ続いていく。平均寿命で見ればこの辺でようやく折り返しである。人生は長いようで短いし、短いようで長い。そう考えると悲観している暇はあまりなく、今できることを淡々とやっていく感じになる。
筆者は一見すると悲惨な人生にも見えるが、割とその辺は達観していて割り切れている。このnoteは思う所を気晴らしを兼ねて書いているが、権力欲や功名心も皆無で、割と気負いなく書けているところからもそのスタンスは垣間見えるかもしれない。
最近やって面白かったゲームにこんなくだりがあった。それは40代半ばになろうというベテラン軍人のセリフで、厳しい戦場で生き残ってきた経験から普段はドライで割り切った性格をしている。ところがある時深酒が入って腐れ縁の相方にこうこぼすのだ。
なあお前さんよ。俺たち年を取ったよなぁ。若い頃はお前と前線で暴れ回って、口だけ野郎の上官にケンカ売って、皆で酒飲んで色宿にも遊びに行って、互いに夢を語りあったりもした。‥‥‥楽しかったよなぁ。
ところが何度か出撃しているうちに少しずつ同期の数が減っていった。1人、また1人と死ぬ奴が出てきて、40になる頃に残っているのはオレとお前だけだ。そのお前は軍人辞めちまうし。
なあ、俺たちはいったいどこに向かっているんだ‥‥?
その軍人を辞めた相方は従軍牧師をやっていて、「‥‥さあな」とかわしつつ彼にこう諭す。
酒はもうそのくらいにしておけ。次の出撃に響くぞ。‥‥ほら、運んでやるからゆっくり歩け。
別のくだりでは、アラサーのエリート将軍がこんなことを言っている。
人を好きになるということは素晴らしいことだ。何も恥ずかしがるようなことではない。もし彼のことが好きならばその想いはすぐに伝えるべきだ。
我々前線で戦う騎士はいつ死ぬかもわからない。後悔無き事を祈るよ。
これらのやり取りは地の文からチョットいじっているがすごく好きで、「人間いつ死ぬかわからない」という観念は共感する。自分は軍人ではないが、グレーゾーンでサバイバルを生き抜いて、相当の負けも経験した上でアラフォーまでズルズル来てしまった人間なのでこれはすごくわかる。
この人生がどこまで行けるのかはわからないし、どこに向かっているのかもわからないけど「とりあえず今できることをやる」というのはこの年代になってくると大事になってくるのかな。
色々諦めて肩の荷が下りるのはもう少し先の年代でもいいと思う。なまじその諦めが完全に付く年齢でもないので一番苦しい時期ではあるけど。
まとめ
今回はアラフォーの所感ということで書いてみた。これ書いた経緯というのが普段お世話になっていたnoterさんで三日月こころさんという方がいて、noteをお辞めになると聞き、その金曜夜に物思いに耽りながら書いた経緯になる。今週末消すらしいけどまだ間に合うかな‥‥?
こころさん、お疲れさまでした!今までどうもありがとうございました。
noteは結構若い人が多いのだが、たまに同じくらいの世代の人も見る。これを乗り越えてきた先輩方もいるだろう。この記事も読む人の年齢によって違った印象を受けると思う。
けれどもこうした困難はいつ何度でも起こるし、曲がり角は誰もが経験することだ。それを乗り越えた先に人生があるのだが、これを理不尽と取るか、やりがいと取るかはその人次第といったところか。
■前回記事?
