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世界史の名将ランキング100 part0

趣旨は前回述べたのでよろしく。

みなさま、ごきげんよう。早速、このランキングの評価基準を述べよう。以下、説明となる。


評価基準

今回は8つの評価基準を用いたいと思う。将として大切な要素を集めたつもりである。ただし、7つもの要素を評価軸にしたために、単なる将軍や指揮官より、王やそれに準ずる国家指導者的立場の者の方が評価が高くなる傾向がある。一応、部下たちの功績を考えて順位を下げたりもするが、そもそも部下の名前がほとんど分かっていないような古代のオリエント等の王たちは少し甘めの評価になっていることは言っておかねばならない。
8つの評価軸を一つずつ解説する。

戦略

「名将は戦わずして勝つ」とはよく言ったもので、真の勝利者というものは徒に戦闘をせず、相手が下らざるを得ないような妙手を繰り出すものだ。将にとっては最も重要な能力と言っていいだろう。戦略と戦術というものは、ある意味対極的な要素で、片方が優れていてももう片方はからっきしダメ、ということもよくある。勿論、どちらかだけでも優れているのは大したものだが、今回は明確に戦略>戦術という立場をとらせてもらう。何故なら戦いにいくら勝っても戦争に勝てるとは限らず、逆に戦術の上で負け続けても目標を達成できれば勝利は得られるからだ。

例を挙げれば、オスマン帝国のスレイマン大帝は対ペルシア戦争にてほとんど負けなしに進軍し続けたが、最終的にメソポタミアおよびペルシア西部を放棄せざるを得なくなった。サファヴィー朝の君主タフマースプ1世が巧みな焦土作戦を敷き、インドのバーブルなどと協力し、戦略的撤退を成功させたからだ。

つまり、将たるものは時に目先の勝利に囚われず、戦争目標を達成することを第一としなければならないということである。

一応、リデルハートの理論も付け加える。いわゆる間接的アプローチと大戦略、小戦略だ。今回、これを分けて評価はしないが、いわゆる大戦略、間接的アプローチを試みているものは戦略の評価を上げている。だからこそ、そのような立場を取れる王などの最高指揮官たちは評価は高くなりやすくなってしまった。

戦術

戦っていかに勝つか、というのが戦術能力だ。大まかに戦術というものの内実をさらせば、突破 包囲 迂回の三つに分けられるだろう。いかに戦うかの能力といえる戦略とはまた違う要素で、ある程度、長期的な計算を短期的な閃きが上回ることも十分考えられる。ここがある種のロマン要素であり、基本的にあり得ないことだが小が大を打ち破ることもあるのだ。当然このような事例がある人物は、戦術をかなり高く評価することになる。

実例を挙げるなら、ナポレオンが良いだろう。彼はアウステルリッツの地にて、数で勝る敵を見事な、本当に見事な戦術で翻弄し打ち破っている。

また、数に関わりなく軍の質が近しいもの同士の決戦を考えることも必要だ。その場合は、必然的に指揮官の戦術能力が勝敗を分けることになる。つまり内戦や内乱の勝利者である。質が高い者同士の戦いは、ローマの内乱でよく見ることができる。

中でも最高の例は、コンスタンティヌス大帝の戦いだろう。ローマ軍という全体的な質も高い者同士の決戦において、彼は一度として負けていないことから優れた戦術能力を持っていたと言える。

そして、戦術能力の粋といえるのは殲滅だ。文字通り敵軍のほとんどを消し去ることであり、これを戦場で成し遂げたものは最高峰の戦術家と言って差し支えないだろう。

殲滅といえば欠かすことのできないのが、カルタゴの将軍ハンニバルだ。彼はカンナエの地にて2倍近い8万のローマ正規軍団と決戦し、その殆どを屠った。

各々の将たちが如何なる戦術をとったかは、彼らの紹介に任せるが、とにかく、最も端的に強さを窺わせるのがこの戦術能力だろう。

政治

戦略のところでも述べたが、実のところ戦争の行末を決定づけるのは、一度の決戦ではないことが多い。極端な話、政治で敵を封じ込めることができれば、戦いなど挑まずとも、目標を達成することはできる。逆にいえばどれだけ優れた人でも、政治の舞台で遅れを取れば、良い戦果を得ることはできない。それ以前に、戦場の外の裁判で、首を落とされるかもしれないのだ。

史上、多くの例があるが、最も著名なものの一つとして韓信を紹介しよう。彼は極めて優れた軍事指揮官だが、朝廷での身の振り方を間違え、皇后から殺されることになる。

また、外交というのもこの政治の一つだ。たとえ国力に劣り、状況が悪くても外交能力を使えば、戦争目標を達成できることがある。

典型的な例は東ローマ帝国のミカエル8世パレオロゴスだ。彼は豆粒のようになった上に首都を奪われ虫の息の国を、欧州やアジアの大国たちの利権を巧みに操ったことで、首都を奪回し国を建て直した。

明治日本の日露戦争もまた、そのようなことだろう。結局のところ、そうした視点を持てるかどうかも、勝利を得るには必要なのだ。

他にも、えげつない策を繰り出し、敵に不和を起こし本来の力を発揮させなくすることも、また、極めて重大な力だ。何故なら戦での勝利とは、とは人の心を制することとも言い換えられるからだ。

例としては、オスマン帝国のセリム1世とサファヴィー朝ペルシアのイスマーイール1世との戦いが顕著だろう。この2人はどちらも卓越した指導者で、お互いに謀略を仕掛けあった。セリム1世は宗教指導者としての面も持つイスマーイールへの信仰心を削ぐために、彼を事あるごとに誹謗中傷した。それに応えるように、イスマーイールはオスマン帝国の最精鋭イェニチェリの中にスパイを忍ばせたと噂を流し、彼らとオスマン皇帝との仲を裂こうとした。

このように、戦争というものは人の心への毀誉褒貶もかなりの威力を発揮する。単なる噂一つ広めるだけで、数万の軍が足踏みせざるを得なくなることもあるのだ。賢者の言は時に、数万の軍にも勝る武器となり得る。それだけに、それを行う能力、また、それに対応し物事を正確に見る能力が名将に不可欠なのだ。

天運

戦の勝敗は、最後の最後には天が決める。人間には思いもよらない事態が起こって、戦場の空気を一変させることがあるものだ。天候や気候も、作戦を立案する段階からなら、策にすることはできる。しかし、始まった後は本当のところどう転ぶかなど、最後までわからないものだ。

恐るべき例として、サーサーン朝が滅んだ原因も、人知の及ばない地球環境の影響だという見方ができる。イスラームの侵入時期と同時に、彼らの経済基盤を担っていたメソポタミアの灌漑農業が、異常気象により壊滅していたのだ。

また、人の生き死にも分からないものだ。暗殺を仕掛けたならまだしも、本当に当人の全く知らない事情で敵が死ぬこともありえる。

そのような幸運に恵まれたのはプロイセンのフリードリヒ2世だ。彼は七年戦争の際、奮戦するも敵の多さにとうとう耐えかね、敗死寸前に陥っていた。しかし、敵側の主力であったロシア帝国の女帝が亡くなり、フリードリヒの大ファンであったピョートル3世が即位したため、ロシアはそのまま戦争から離脱してしまった。プロイセンはギリギリ命脈を保ち、反撃に出ることが叶い、何とか勝利をもぎ取ったのである。

このようにツイてる人はいるもので、そんな奴が最後には生き残るのである。家康のこともあるように、最後まで息をしていたものが勝ちなのだ。

魅力

魅力ある人物であるか否かは、かなりの割合で勝敗に影響する。兵士たちが、指揮官のために命を懸けるかどうかは、直接的な勝敗の要にもなりうる重大要素だ。つまり士気というものに直結した能力と言える。殆どの戦いは、お互いの戦力が潰滅することはない。敗北は味方の大半が死んだ時に訪れるのでなく、味方が戦う気がなくなった時にやって来る。それは他の部隊が敗走しているのを見た時の恐怖からの崩壊かもしれないし、時には無能な指揮官へ見切りをつけての戦闘放棄かもしれない。何にせよ、指揮官が配下から信奉されていることは、勝利への近道にもなるし、敗北を遠ざけることでもあった。最も兵たちに好まれる指揮官は、彼らがするのと同じように、部下のために命をかけてくれるような者だ。

良い例と悪い例を同時に紹介する。戦争中において、カエサルは常に兵たちと同じ境遇を好んだ。彼らに混ざって彼らと同じ食事を摂り、彼らと同じ作りのテントで宿営した。また、危機にあっては最前線に出ることも厭わず、彼の姿を見るとどんな苦境の中でも兵士たちは再び剣をとり、敵に向かっていくことができた。それに対して、カエサルより少し前の将軍ルクッルスは、5倍の敵にも打ち勝つほど優れた指揮官であったが、自分だけ豪華な食事を摂り、兵たちには略奪を禁じたことから蛇蝎の如く嫌われていた。結局彼は、困難極まる戦争の中で、一度の敗北もすることなく敵首都を攻略したが、敵地に深入りしたことで、補給が危うくなった時、兵たちは1人として命令に従おうとしなくなった。結果的に彼は敗北を知らないまま、撤退を余儀なくされた。

また、魅力には人間的魅力も含まれる。これが意外と侮れない。我々の周りでも、不思議と人が寄りつく人、というのがいるだろう。歴史上でも、そんな「なんか味方になりたい奴」としか言えないような、不思議な魅力を持つ者がいる。

顕著な例は、チンギスハンや足利尊氏だろう。彼らは人間的な魅力に溢れる人物であり、戦いに負けた時に、勝った側から負けた側に付く人間が出て来るのである。それはもちろん、具体的でないイメージからくる魅力もあるが、彼らは褒賞を惜しまない人物という共通点もある。

下世話な話ではあるが、負けても金を配る者なら多くの味方が集められるだろう。ただし、「負けても金がもらえるが、負けたら彼に申し訳ない」と思わせるような人間でなければならない。また、例に挙げた2人も基本的に、褒賞は惜しまないが、公平性を欠くこともない。この難しいバランスをとり続けられる者は、戦場においても不覚を取りにくいだろう。

成長

才能というものがあったとして、それが初めから完全無欠であることなどはあり得ない。どんな人物も、才能により磨きをかけるのである。そしてそれを生涯に亘り繰り返した者は、間違いなく経験豊かで老練な将となれる。

例としては、唐の英雄たる郭子儀が挙げられる。彼が歴史の表舞台で活躍をするのは齢50近くなってからのことであった。彼は稀に見る名将であったことは、恐らく、安史の乱が起こらなければ、誰にも分からないままだったろう。また、彼がコツコツと節度使として働き続けた経験がなければ、その名声も限りあるもので終わったのも間違いない。

また、凡人なように見えるものや、短気や突撃好きといったような悪癖のある者でも、経験を重ねたり、良い上司に巡り合うことで、才能が花咲くこともある。必死に努力した凡人が、天才に上回られることももちろんあるが、それと同じくらい、逆のことも起こり得るのである。

例としてはナポレオンの元帥の1人であるランヌだ。彼が若き日は、命知らずで向こう見ずな蛮勇を持つだけだったが、ナポレオンの元で数多の苦難を乗り越えると、それと比例するように深い戦略思考や戦術機動を展開し、攻め手は迅速、守り手では堅守というオールマイティな名将となっていった。ナポレオン自身も彼について、「彼は出会った時は小人であったが、余が彼を喪った時には巨人になっていた」とまで記すほどである。

偉大であればあるほど、己の弱さを知り、それを克服するのは難しくなる。それを恥とせず、糧とした者のみが立ち入れる境地もあるのだ。

影響力

これは歴史的、というよりも軍事的な影響力という意味である。その人が採った戦術や兵法が、その後にどれほど影響を与えたかを見る。

例としては、テーバイのエパメイノンダスが挙げられる。彼は斜線陣という陣形を考案し、ギリシアの重装歩兵戦術を新たな次元に押し上げた。彼の発想から生まれた戦術を駆使し、アレクサンドロス大王はギリシア世界を制すのである。

新たな武器を取り入れたり、発明品を用いたりというのもここに入る。

例としてはフス戦争でのフス派、特にヤンジシュカの活躍だろう。馬車に銃火器を装備した人間を乗り込ませ、即席の野戦陣地を作る彼らの戦術は、容易に重装騎兵を屠った。

しかし、このような戦術革命は世界で同時多発的に起こるのが常だ。誰がオリジンであるかは分かりにくいことも多いのはお断りしなければならない。

総合力

これは7つの要素を総合しての能力評価でもあり、それらに入れられなかった要素を掬い上げるための項目である。例えば地域の特異性や民族の特異性を武器にすることは、上に挙げた要素では中々測り難いものである。
他にも、敗北への耐性というのもその一つだ。経験が長ければ長いほど、敗北を知らずには普通いられない。百戦百勝は基本的に、人間の能力の外側で、それこそ天運があるかないかでしかない。
一敗地に塗れ、ダメになってしまったり命を落としてしまう者も多い中で、敗北から立ち直り、それを糧にする者は一際輝いて見える。

例としては東ローマのヘラクレイオスだろう。彼の時代、サーサーン朝ペルシアに大敗北を味あわされ、シリア、エジプト属州という要を失っていたが、彼はそんな逆境に打ち勝ち、初戦で敗れたにも関わらず、敵首都に迫り、戦争に勝利した。

不撓不屈は口で言うほど簡単ではない。しかし、名将には絶対必要な力の一つである。本当に強い者は、負けてもなお強く、敗北を糧に再び戦う準備をするのだ。

評価づけの方法

これはシンプルなものにしたかった。前回の通り、それはTier表に準じるべきだと思い、その要素を取り入れる。つまるところ、上に挙げた8つの要素をそれぞれSSS〜Eまでで評価する、ということだ。
簡単にそれらの評価の目安を書く。

SSS: 基本的にありえない。人を超えた領分
SS: 人類史上最高峰
S: その時代における頂点
A: その時代における上位
B: 地域における上位、逸脱者
C: 並の人物を上回る
D: 並
E: 並以下

たまに微妙なラインはA⁺とかに逃げるかも...
その時は、その人物の紹介の中で説明するつもりである。

ランキングの見方

1〜100までの100名を紹介するわけだが、もちろん全ての歴史人物を網羅できているわけではない。どうしても同率だろうと言う人がいたりするし、それを言い出したらキリがない。よってランキングにはTier表のようにランク帯があるものとする。それを以下のように分ける。

SSSランク帯: 1〜5位
SSランク帯: 6〜10位
Sランク帯:11〜30位
Aランク帯:31〜50位
Bランク帯: 51〜70位
Cランク帯: 71〜90位
Dランク帯: 91〜100位

このようにする。このランク帯は便宜上つけただけで上の評価基準とは関係ない
また、ランク帯ごとに同率が幾人かいるというつもりでご覧いただきたい。つまりDランクで紹介する10名はあくまで、そのランク帯の代表者たちということで、明確に順位づけできているわけではないということである。

各ランク帯を5名ずつほどに分けて記事にしていき、各ランク帯を書き切ったタイミングで、選考外となったそのランク帯と思われる人物も、ランク帯ごとに紹介したい。ただし、それはどんなにあってもSランク帯までだと考えている。それより上の者たちは、比べるまでもなく、比類ない天才たちだと胸を張って言えるように選考したつもりだ。

このへんで説明を終わりたいと思う。このシリーズの更新を楽しみに待っていてくれると嬉しい。普通の投稿を合間に挟むこともあると思うが、必ず更新は続けるので悪しからず。

もちろん、批判、ご意見、文句は大歓迎である。コメントを是非是非、書き込んでほしい。むしろ地獄は大歓迎なので、一緒に口汚く歴史談義をしましようではないか!
では、ごきげんよう。

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