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世界史名将ランキング100 30〜26位

前回はこちらから。

みなさま、ごきげんよう。いよいよSランク帯に突入することとなった。ここ最近、だんだんと記事の閲覧が伸びてきて嬉しい限りである。また、ご期待のコメントまで頂き、恐悦至極だ。期待に添えるよう手を尽くしたので、ぜひお楽しみを。では、本編へ!

30位 マウリヤ朝のチャンドラグプタ(BC340〜298)

【戦略】S【戦術】A【政治】S【天運】S
【魅力】A【成長】SS【影響力】S【総合】S

月護王の異名を取るインドの帝王。北インドに覇権を築く初めての統一帝国たるマウリヤ朝を建国した。奴隷という身分から(異説あり)旗をあげ、最終的にはナンダ朝を滅ぼし、ディアドコイたちを北インドから放逐し、ディアドコイ最強の一角セレウコスを撃退した

ナンダ朝との戦いは、かなり劣勢の中で連戦連勝している。何より、その戦略性が光っており、着実に首都パータリプトラを攻略していくところに、非凡さをうかがわせる。

また、何よりセレウコスを撃退しているという一点が彼をSランクに到達させた。あの用意周到かつ老獪な名将に、決戦を躊躇させる力が、間違いなく彼にはあったという証左となる。後にセレウコス朝とは領土と引き換えに戦象を引き渡し、娘を嫁がせるという条件で同盟関係となっている。

彼は治世の最後まで厳格に君臨した。ジャイナ教にかぶれてはいたが。その統治はまさに大帝国の基礎固めであり、道を敷き、税制を整えるものだったようだ。まさに完璧な君主の姿がそこにはある。ただ、カウティリヤという天才の補助もあったということで、この順位とした。

29位 郭子儀(AD697〜781)

【戦略】S【戦術】S【政治】A【天運】A
【魅力】S⁺【成長】S【影響力】S【総合】S

唐の誇る晩成の名将。英雄としての素晴らしい活躍と共に、その誇り高く穏やかな人格も後世の語り草となった。

彼は、50あたりから活躍したという異色の経歴を持つ。彼は恐らく、平和な時代に生まれれば、それに従い決して名を広めることはなかっただろう。しかし、そんな彼を一躍英雄にしたのは安史の乱だ。

彼は安史の乱において配下の李光弼と共に大活躍をする。ある時は苛烈に、またある時は頑強に反乱軍と向き合い、その尽くで勝利した。また、その後の唐帝国が味わった混乱においても、全て彼は勝利した。

彼は名将でありながら、極めて優れた人格者として知られた。時に異民族の軍も率いていながら、彼は傲岸不遜な行いをせず、信賞必罰を旨とし、出自に関係なく人に接したために漢民族のみならず多くの異民族からも畏怖されていた。僕固懐恩の乱においては、彼が率いていることを知っただけで、ウイグルの一軍が彼の元に降伏したぐらいである。(彼らは郭子儀が死んだと懐恩に騙られ兵を上げた。)
「郭子儀未だ存命なり」というのとを、言葉だけでは信じなかった城中の彼らに対し、郭子儀は鎧を脱ぎ捨て単騎で司令官と面会を求めたという。

そのひたむきさ、また、一度乱が治れば必ず軍権を皇帝に返上し謙虚に宮廷に仕えたその忠義心は、中華の歴史においても稀有なものである。韓信あたりは、彼の爪の垢を飲ませて貰えばいい。真なる英雄にして、攻守隙のない名将に敬意を表してこの順位とした。

28位 セリム1世(AD1470〜1520)

【戦略】S【戦術】S⁺【政治】S【天運】A
【魅力】S【成長】S【影響力】S【総合】S

オスマン帝国の誇る最強のスルターン。周辺の強国を軒並み叩き潰し、オスマンの全盛期の下地を築いた。

画像を見て何となくお分かりだろう。彼ほど恐ろしい奴はそういない。厳格にして恐るべき統治者とまで言ってもまだ表現が足りないほどだ。しかし、彼はその冷酷で血腥い性分を、高貴で尊い責務である統治に遺憾無く発揮した。

最も著名な戦歴はチャルディラーンの戦いだ。彼は、新興国家サファヴィー朝を叩き潰すべく戦を仕掛け、英名にして人類屈指の天才イスマーイール完膚なきまでに叩き潰した(何の躊躇もなく近衛精鋭軍団イェニチェリを粛清しつつ)。また、マムルーク朝を滅ぼし、聖地を全て手中に収めることに成功した。

彼の恐るべき強さには、きちんとした理屈がある。この時期のオスマン帝国は極めて積極的に火力を取り入れようとしており、多くの銃火砲を保持していた。また、それを支える兵站能力を目を見張るものがあり、騎兵の質もかなり高かった。この恐ろしい戦果には、このように、根底にきちんとした戦略思想がある。

これらは恐らく、かつて自分たちが舐めた辛酸を克服せんがために成し遂げたのだろう。西と東において、彼らは当代最強に苦しめられたことがある。バルカンにおいて1人の天才傭兵隊長が産み出した銃火器武装の野戦陣地、オアシスの帝王が世界中の叡智を集め到達した火砲や攻城兵器の野戦利用、このような悪夢の如き軍略がオスマン帝国に流血を強いた過去があったのである。しかし、そんな経験こそが、オスマン帝国を世界の覇権を握る大帝国にしたのだ。人は痛みを友として教訓をなし、教訓を積み重ねて天に至る。かつてローマ人も語ったことは歴史の真理の一つとして未だ、光り輝いている。


27位 永楽帝(AD1360〜1424)

【戦略】A【戦術】S⁺【政治】S【天運】S
【魅力】B【成長】S【影響力】SS【総合】S

燕戝こと、明の名将にして大皇帝。

そんなに説明することはない。内戦では極めて素早く軍事行動を起こし、電撃的に侵攻、見事不利極まる状況から勝利をもぎ取りクーデターを成功させた。また、最も著名なのはモンゴル高原での戦いだろう。ものの見事に、ちぎっては投げ、ちぎっては投げ、モンゴルに統一勢力が現れぬように叩き潰し続けた。これは明の国力を考えれば自然なように見えるが、モンゴルや中央アジアへの遠征は、大軍であればあるほど難しい。補給路の確保や、敵軍の捕捉が難しくなるからだ。最も容易く(みえるほど)この地で勝利を重ねたのは、まさに彼の軍才の成せる技だろう。

ただ、五度のモンゴルへの親征は、何か行き当たりばったりのシーソーゲーム感も見える。モンゴルを叩けばオイラトが、オイラト叩けばモンゴルが、という具合である。永楽帝の責任に全てを帰すのは気の毒だが、その点も考慮してこの順位とした。

26位 L・C・スッラ(BC138〜78)

【戦略】A【戦術】SS【政治】S⁺【天運】S⁺
【魅力】S【成長】S【影響力】S【総合】S

共和政ローマを己の色に染め上げた魔王。唯我独尊を絵に描いたような不遜さを持ちながら、あらゆる幸運を掴み取り地中海を血で染め上げ終身独裁官として君臨した。

教科書では彼の名を閥族派の有力者として習う。だが、それは全く彼の魅力を消してしまっている。彼は派閥に収まるような器ではなかった。
彼が活躍したのは、ユグルタ戦争、同盟市戦争、第一次ミトリダテス戦争、スッラのローマ侵攻といった戦役である。彼は生涯数十度の戦場に身を晒しながら、無敗を貫いて死んだ

彼の軍事経験は、ほとんどが困難を極める危機の中にあった。しかし、彼はいかなる危機においてもその力を示している。中でもとんでもない戦例はミトリダテス戦争時のカイロネイアの戦いだ。彼は2倍の敵に戦いを挑み、僅か12名の犠牲で敵を打ち破った。

スッラは己の添え名(称号に近い)をFELIXとした。幸運者という意味の言葉である。確かに、彼の凄まじい戦歴を見ると運によるものも大いに絡んでいるように見える。しかし、サルスティウスはハッキリと断言している。幸運というその添え名は彼の努力の成果に過ぎないと。彼は最初は誰よりも不慣れだが、必ず不断の努力で誰よりも上に立ち、パトリキでありながら、平民とも隔てなく接した。彼がローマ正規軍団を手足のように使役できたのは、ひとえに彼の人心掌握の賜物である。

私は、彼に不思議な魅力を感じるが、その最たるものは墓に刻ませた言葉だ。

彼より友に報いた者は無く、敵に仇なした者はない。

プルタルコス『対比列伝』より

そして、歴史好きなら、ここまでの記述を見て、ある大英雄が朧げに脳裏に浮かんできているのではないだろうか。困難な戦争を勝利し、苦難を兵と共にし、共和国の軍を自らを神のように信奉する私兵にして、本国にクーデターを仕掛けたもの、実はこれらはスッラだけが成し遂げた功績ではない。スッラが殺そうとまでしたある若者は、この数十年後、凄まじい戦績を歴史に刻み込むことになる。それはかつてスッラも歩んだ道のりであった。その英雄は、いよいよ己の運命を決することになった時、類い稀な名言を残した。

ALEA IACTA EST 賽は投げられた

そう、ルビコンにて賽を振りし英雄は元老院に挑んだのではない。ユリウス・カエサルは己がスッラを超えられるかという命題を賽に込めて、運命に挑んだのである。共和政ローマ最大級の英雄はもう少しのちに登場することになるだろう。

まとめ

最後にスッラが全てを持っていってしまった。実際、私は彼を非常に面白い、魅力に溢れる人物だと思っている。ここまで絵に描いたような悪役は、恐らく創作の世界でもまずいないだろう。いつか、スッラは単独で記事を書いてみたい。

本題に戻そう。今回からSランク帯に入るわけだが、やはりここまで来るとその難しい人格くらいしか貶しようがない英傑たちしかいない。郭子儀に至ってはその人格も、まさに英雄と呼ぶに相応しいものだ。他の4人も見習った方がいい。

また、時代を同じくした名将を打ち破っている者も多くなってくる。セリム1世やチャンドラグプタ、スッラはまさにそれである。特に前者2人はこのランキングで紹介している人物を打ち破っている。そして、ここから先はそういう連中が、多分一記事に1人は入っているだろう。いよいよ、魑魅魍魎の渦巻く危険地帯に迷い込んだような心持ちである。
次回もお楽しみに。では、ごきげんよう。

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