世界史名将ランキング100 20〜16位
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みなさま、ごきげんよう。前回は記事にミスもあり、お恥ずかしい限りである。気を引き締めて書いていきたい。
さて、Sランク帯も後半戦に入る。素晴らしい指揮官たちの功績を、ぜひとも吟味して欲しい。では、本篇へ。
20位 ティグラト=ピレセル3世(BC?〜727)

【戦略】S【戦術】S【政治】S【天運】S
【魅力】S【成長】S【影響力】S【総合】S
新アッシリア帝国のオリエント統一の基盤を築いた帝王。人類史に残る卓越した指揮官にして、時に冷酷な統治者。
アッシリア帝国は、多くの人が抱いているよりずっと、かなり初期からある国家である。彼らは古代オリエント世界の周縁部に居を構えながら、混乱のたびにそれに適応していき、最後には統一帝国を打ち立てる覇業をなす。
彼は、そんな覇業の大詰めを担った賢王であった。内乱を制した彼は恐るべき手腕でもって、当時アッシリア人が存在を認識していた地域をほぼ全て手中に収めることになる。戦車等の騎馬戦術、攻城兵器など最新技術と高度な戦術のハイブリッドは、のちの世界を制覇する多くの英雄たちの軍の雛形とも言え、アッシリア軍を最強に到達させた。
彼は、まさしく古代帝国の覇者として、典型的な歴史像を我々に与えてくれる。もちろん、極めて詳細な戦術、戦略記述が残っていないために必要以上には評価できないが、極めて完成された人物であることに間違いあるまい。
19位 パチャクテク(AD1418〜1471)

【戦略】S【戦術】S⁺【政治】S【天運】A
【魅力】A【成長】S【影響力】S【総合】S
クスコ王国を広大な領土に押し広げた南米の大征服者。インカ帝国(タワンティンスゥユ)の創始者とも表現される。
彼について、極めて巧緻な記録というものは期待できない。実際、戦闘の規模も、文字史料等では考察に限度がある。しかし、このランキングにおいて、この高位についているのはキチンとした(私なりの)理由がある。
彼が活躍したのは現在のペルーにあたる地域である。森深く、標高も高い征服困難地域といって問題ないだろう。その中で、彼の成し遂げたことはどうだ。曲がりなりにも、中央集権的国家体制を築き、各地にて敵対勢力を打ち破った。この地域性を思えば極めて素晴らしい軍事能力を窺わせる。
18位 スブタイ(AD1176〜1248)

【戦略】A【戦術】SS【政治】C【天運】A
【魅力】A【成長】S【影響力】S【総合】S
モンゴルの大遠征を支えた1番の功臣。四俊四狗の1人にして、モンゴル最強の名将。
将としてなら、おそらく彼がモンゴル最強であろう。ユーラシアを股にかけ、東奔西走、モンゴル軍を世界最強に至らしめた。
最も著名な戦いはカルカ河畔の戦いだろう。実際、この戦いはモンゴル軍の性質が遺憾なく発揮されているし、スブタイの将才も光っている。ただ、個人的には彼のハイライトは三峰山の戦いとしたい。
三峰山への一連の金帝国へ向けられた戦争は、一筋縄で行くものではなかった。特に、敵の完顔陳和尚は極めて優れた将軍だ。彼は数少ないモンゴルに勝利した男である。スブタイ自身も、金侵攻の際には苦渋を舐めることもあったのだ。
しかし、真の偉大さは苦難の中にこそ現れる。危機にあって何を成し遂げるのかも、名将の腕の見せ所である。スブタイ(並びにトルイ)は作戦を変更し、三峰山の戦いに至る。この戦いにて、モンゴル軍はあらゆる危機を跳ね返し、数で勝る敵を見事殲滅、完顔陳和尚も討ち取ることにも成功する。
彼を取り立てた英雄も、敗北をよく味わったものだった。それこそ、彼がこうべを垂れその幕下に加わりたいと決心したキッカケは、その英雄の負け様を見たからだ。英雄は英雄を知り、敗北は将の真価を問う。ユーラシアを呑み込む巨大は、負け多き英雄の苦難から始まったのである。モンゴルの厳しい大地の中で、若きチンギスは人を見ていた。
17位 アラーウッディーン・ハルジー(AD1266〜1316)

【戦略】S⁺【戦術】S⁺【政治】S【天運】A
【魅力】A【成長】S【影響力】S【総合】S
モンゴルを撃退し、デカンを越えハルジー朝を大帝国にした偉大なる帝王。
ガズナ朝以降、イスラーム勢力が侵入し現地ラージプートと争いを繰り返しているというのが北インドの状況であった。その中で、奴隷王朝をはじめとしてマムルークの活躍するデリー・スルタン朝と呼ばれる諸テュルク系イスラーム帝国が開花する。
その盛衰の中で、最も勢力を拡大したのがハルジー朝であり、その最繁栄期を導いたのがアラーウッディーンである。彼は、苛烈ながらも名君で、国を富ませ、インフラを整備し、軍隊を強化した。
特に、この時代の最強勢力であるモンゴルをも、彼が容易に打ち砕いたのは驚嘆に値する。モンゴルの威信をかけた遠征も、彼は見事に打ち破りデリーを守り抜いた。また、南のデカンへの遠征も見事だ。敗北もなく威風堂々と、征服困難なインド南部まで支配を広げていった。
彼もまた、英雄に憧れていた。かつて、はるか西から襲来した大英雄に。イスラームの潮流の中で神話化されたかの者は遂に称号として名乗られるにまで至ったのである。
「第二のアレクサンドロス」
その名をインドの王が名乗ったと、彼本人が知ったとしたら、彼は何を思うだろうか。
16位 キュアクサレス2世(BC675〜585)

【戦略】S⁺【戦術】S⁺【政治】S【天運】S
【魅力】S【成長】S【影響力】S【総合】S
メディア帝国の創始者にして、人類史最初期の大征服者。アッシリア帝国を滅ぼし、スキタイを西アジアから放逐した。
この後、ハカーマニシュ朝ペルシアに引き継がれ、また、マケドニアやローマも手を伸ばした世界統治の帝冠たる「大征服」という観念そのものを作り出したような男である。
彼はスキタイの軛の中より身を起こし、宗主国たるアッシリアを見事に打ち滅ぼし、また、自身らを支配していたスキタイをも倒した英傑である。ヘロドトス曰く、「スキタイが全アジアを席巻した」この時代の中で、彼には、憎むべき敵から多くを学び取り、自身の蓄えとする知的な強かさを確かに備えていた。
ウラルトゥ、アッシリアを模範とした常備軍を作り出す一方で、スキタイの騎馬戦術を取り入れた高機動な部隊をも編成し、これらを自在に組み合わせてその覇業を成し遂げたのだ。また、アッシリアに対し反乱を起こしたバビロンと極めて早期に同盟を結んだその外交手腕も卓越している。同盟を結ぶことになる相手こそ新バビロニアのナボポラッサルとネブカドネザル2世の親子だ。
彼は結局、アッシリアを滅ぼし、スキタイを西アジアから放逐し、アッシリアとエジプトの連合軍相手にも勝利をした。唯一の引き分けがリディアへの遠征である。その戦果を思えば、まさに古代オリエント世界の最強は彼に相応しい称号でないだろうか。
まとめ
いよいよ次でSランク帯もラストとなる。この辺りから、ようやく大征服者と言えるような世界史に尋常ならざる功績を打ち立てた統治者たちが顔を出すようになった。
大征服とは何か、私は一応ここで定義つけておきたいと思う。私の定める大征服者とは「それまでの文明においては周縁でしかなかった地域にまで覇権を及ぼし、かつそれを内部に収めて統治した者」である。例えば、今回紹介したキュアクサレスなどは、ペルシア高原を越え、パルティアやサカを勢力下におき、遥か遠いスキタイと同盟関係を構築した。(メディアについては極めて多くの議論がある。もちろん、メディアに限ったことでなく、ここでは話をある程度簡略化し、現在進んでいる諸研究を必ずしも取り入れてはいないことはご容赦されたし。)
ここからはそんな人たちが、ようやく顔を出してくれる。残り少ないランキングだが、この先はより色濃くなっていくのでお楽しみに。
では、ごきげんよう。
