世界史名将ランキング100 25〜21位
前回はこちらから。
みなさま、ごきげんよう。今回は中々の有名人も登場してくる。名将の代名詞のような、偉大な男だ。また、他の人々も当然肩を並べる怪物たちである。では、さっそく本編へ。
25位 アッシュール=ナツィルパル2世(BC910〜859)

【戦略】S【戦術】S⁺【政治】S【天運】A
【魅力】A【成長】S【影響力】S⁺【総合】S
新アッシリアの中興の祖にして、偉大なる征服者。
アッシリア帝国といえば、アッシュール=バニパルが有名だが、彼よりも軍事的に強い統治者が少なくとも、私の考える限りでは2人もいる。そのうちの1人がこの男である。
彼は、外国人の混ざった混成軍を指揮しながら、ヒッタイト、ウラルトゥ、フリュギア、バビロニア、フェニキア、カナン、アラムを打ち負かし地中海まで覇権を広げた。このアッシリアの拡大は古代オリエント史においても重大な要素であることは言うまでもない。
軍事的要素で言えば、彼は一度だけティルスの包囲に失敗している。ただし、古代という時代は基本的に防衛側がかなりの有利を保てるものだし、ティルスという都市の堅牢さを考えれば、そこまでのマイナスにもなるまい。しかも、攻囲に失敗はしたものの、ティルスはアッシリアへの服従を余儀なくされている。その統治は目を覆いたくなるような苛烈な行為もあったが、間違いなくそれは国益となった。
余談だが、ティルスという海上都市については、少し記憶に留めておいてもらいたい。このランキングの最高峰に位置するSSSランクには、この難攻不落の都市を見事に陥落させた者が登場する。海に浮かぶフェニキア人の母市ティルスは、ある大征服者によって灰燼となったのだ。
24位 シャープール1世(AD215〜272)

【戦略】S【戦術】SS【政治】S⁺【天運】S
【魅力】B【成長】A【影響力】S⁺【総合】S
偉大なるサーサーン朝ペルシアの覇王。その生涯において、幾度となくローマ軍を打ち破り、難攻不落の北メソポタミアを征服し、中央アジア、インドにまでその武名を轟かせた。
彼はえげつない強さを誇った。彼の父アルデシール1世はアルサケス朝パルティアに反旗を翻し、見事勝利してペルシアを建国するわけだが、その殆どの戦いを補佐し、時には指揮官として偉大な勝利を積み重ねたのが、この男の青年期である。
そして、目を見張るのは2度にわたるローマ帝国への大勝利だ。彼は、基本的にローマとの争いに勝利しているが、マッシナとエデッサでの戦いは凄まじい戦果を齎した。マッシナでは、ゴルディアヌス3世を敗死させ、エデッサではウァレリアヌスを捕虜にするという信じがたい功績(ローマ皇帝の敗死も、捕虜もこれが初。)は、かつて東地中海を制覇した大帝国アケメネス朝の復活を確かに予感させるほどの大衝撃を与えたと言って良いだろう。
また、中央アジアにおいてはサカ人たちへの防衛策を施したし、その南東アフガニスタン、北インドにおいてはクシャーナ朝を完膚なきまでに叩き潰し、実質的に滅ぼした。
彼の唯一の敗北は、パルミラに対してのものだ。パルミラのローマ同盟者オダエナトゥスと、その妻ゼノビアは、補給の限界をよく見極め、見事シャープールの出鼻を挫いた。(ゼノビアはこのランキングにも登場した。詳しくはこちらを。)
ローマの混乱に乗じ、シリアへ侵入、一気に東地中海を脅かすという作戦は、これにより崩れ去ることになる。この一点の敗北さえなければ、彼はSSランク入りもありえただろう。
もっとも、その後に待ち受けていたであろうアウレリアヌスやプロブスらといったローマ帝国の生え抜きの精鋭軍人たちが容易く打ち破れるわけはないだろうが...。直近の怪物であるアウレリアヌスとの対決が叶わなかったのが返す返すも残念でならない。
23位 朱元璋(AD1328〜1398)

【戦略】S【戦術】S【政治】A【天運】S
【魅力】S【成長】SS【影響力】SS⁺【総合】S
明帝国の建国者たる洪武帝こと朱元璋。その統治の評価は揺らぐものの、その軍才に関しては申し分ない怪物。
彼は本来なら、SSもしくはSSS帯にいけるポテンシャルがある。物乞いから一国の皇帝になるという成り上がり物語もそうだが、何より、中華の歴史上で南方から北伐を敢行して成功した者は1人もいない。(人によっては毛沢東を挙げることもある。)しかし、彼は成し遂げた。これは前人未到の大業である。
では、なぜここにいるのか。その理由は太宗李世民と同じである。彼は部下に、徐達、常遇春、劉基といった綺羅星のような天才たちがいた。彼らの働きを考えれば、最高到達点には至らないだろうというのが私の考えだ。
22位 ハンニバル・バルカ(BC247〜183)

【戦略】A⁺【戦術】SS【政治】S【天運】B⁺
【魅力】S⁺【成長】A【影響力】S⁺【総合】S
カルタゴの産んだ至宝、西洋に知らぬ者のない名将である。第二次ポエニ戦争において、ローマを滅亡寸前まで追い詰め、戦史にその名を刻んだ。
みなさまご存知ハンニバルである。この順位をどう思うかは、人それぞれだろうが、案外低いと思われる人も多いかもしれない。だが、ハンニバルはSランク帯の中では粗の目立つ将だ。
特に戦略面で、ファビウスにしてやられた感があるのが大きい。また、戦争の中盤においては、かつての輝きを疑わせるようなポカも目につく。さらに、案外戦術面でもマルケルスやクラウディウス・ネロらに黒星をつけており、完全無欠ではない。そういったことを鑑みて冷静に評価すると、ここら辺りが妥当でないかと思われる。
ここまで腐すようになってしまったが、しかし、その凄まじい強さは絶対に間違いない。
アルプスは越える、艦隊に陸地を渡らせる、数的不利をものともせず勝つ...。これらが並の天才に、ましてや凡人になど達成できるわけがない。
何より、カンナエは本当に素晴らしい。これほどの勝利は人類史の中でも滅多に見られない。戦術の粋とはまさにこのことだろう。彼の戦歴がカンナエの勝利のみでも、50位くらいになる。それほど、完璧な戦術マニューバがあの戦いにはある。
また、これは彼の戦術能力に比べてあまり主張されていないが、彼の凄さはその統率力にもある。彼の率いた軍は、カルタゴの正規軍などあまりいない。親父の代からのヒスパニアの駐屯軍と、カルタゴ含む北アフリカ各地の傭兵、そして、遠征中に獲得したガリア兵である。彼は、そんな寄せ集めの兵を率いてアルプスを越え、ローマ正規軍を幾度となく殲滅し、時には病気の溜まり場である湿地帯まで通ってイタリア半島に遠征したのだ。そして、その戦役の中でハンニバル軍内での反乱は見られない。これほどの統率力を備えている人物は、歴史上でもほぼいない。
彼は結果的にはローマの前に敗れ去ることになる。それは、ファビアン戦略の賜物ともいえるが、なによりハンニバルすら上回る英雄がローマにいたからというのが大きい。ハンニバルも本望だろう。国力ですり潰されるよりも、彼は自らを上回る男に将として負けることができた。己が最初に踏み潰したローマ人の息子に、カンナエにて手ずから葬った執政官の義理の息子に。
それは奇しくも、父の仇打ちを胸に秘めたハンニバル自身と重なる境遇でもあったのだ。ハンニバルを打ち破ったローマ最大の英雄はSSランクにて登場することになる。
21位 ヤン・ジシュカ(AD1360〜1424)

【戦略】A【戦術】SS【政治】S【天運】B
【魅力】S⁺【成長】A【影響力】A⁺【総合】S
フス戦争の指導者の1人。中欧最強にして、戦術の改革者。
知る人ぞ知る名将が彼だ。彼は、火薬を用いた新兵器たる銃火器を重点的に用いることで、神聖ローマ軍に地獄を味合わせた。
基本的に、彼の戦いはとんでもないキルレを誇る。それも、>いつも数倍の敵と戦って<だ。クットナーホラの戦いや、ヴィトコフ丘の戦いでは5倍の敵をほぼ一方的に殲滅している。
彼が極めて重視した火力戦術は、数に劣る彼らに輝かしい勝利を与え続けた。マスケット銃(コメント欄にてご意見をいただけた。ここでは初期火薬兵器ということで、やや地域錯誤ではあるが火槍が実態に近い単語かと思われる。)やハンドキャノン、重砲の類はもちろんだが、なにより恐怖されたのはワゴンブルクと呼ばれる武装馬車だ。単純な、銃手をのせた箱型の馬車からの射撃によって、神聖ローマの重装騎兵は次々と斃れていく羽目になる。
そして、この戦術は、バルカンを猛進してきたオスマン帝国に取り入れられ、世界の覇権を握らせる鍵の一つにもなる。こう考えると、世界の歴史は一つ一つ紡がれて、織物のように完成していくのが分かる。
まとめ
今回は、王様のほか、ものすごい戦術家が2人紹介されることになった。ハンニバルはもう少し上だと思った人がやはり多かったかな、と思う。
まあ妥当性をすごく気にしている人がどれほどいるかは分からないが、私としては凄くしっくりくるランキングになったなぁと感じる。皆様はどうだろう?
今回に限らず、ファンが多そうな人物をしっかりと分析した結果、世間の評価より低めになったなと思った時、大抵それを表沙汰にすると顰蹙を買う。私はかつて明智光秀をこき下ろした結果大変な目にあった。
遅いことではあるが、こんな所で英傑たちを評価する傲慢を大目に見ていただきたい。
誰かが絶対に不快になるようなものは、そう分かるように記事として出すつもりである。それこそ光秀下げ記事でも書いてやろうか、ベルナドットでもいいなとか考えている。気を遣ってはいるが、なにぶん歴史とはセンシティブな要素でもある。誰にでも好意的に、とはいかないだろうが、目指す先はそこである。
次回もすごい人で溢れている。解釈違いも受け入れて頂けるよう、いい記事を書くべく努めるつもりである。
では、ごきげんよう。
