【第1話】「自己卵は厳しい」絶望宣告から始まった、私の7年間の自己卵治療
30歳で結婚。
20代後半で医師から「早発閉経ぎみ」だと告げられていたにもかかわらず、私はどこかで「自然に授かれるはず」「タイミングさえ合えば、そのうち妊娠できる」と信じこもうとしていました。体外受精の知識がほとんどなく、その治療に進む勇気も持てなかった私は、漢方などを試しながら「自然妊娠」という可能性に固執してしまっていたのです。
気づけば、妊活歴はもうすぐ4年。それでも、私はタイミング療法にこだわり続けていました。ようやく重い腰を上げて総合病院に転院したのは、33歳11か月のときのことです。
まるで機械のような診察室で突きつけられた残酷な現実
転院後、最初に受けたのはホルモン値を調べるための採血でした。「1か月後に結果を聞きに来てください」と言われ、指定された日に病院を訪れます。
診察室に入ると、先生は無表情のまま、用紙をじっと見つめていました。そして、私から目を合わせることなく、淡々と告げたのです。
「この数値だと、50歳の人と同じです。閉経しているのと変わりません。自己卵での妊娠は厳しいですね。本当に妊娠を望むなら、卵子提供を考えるのも一つの方法です」
「卵子提供」? それって現実的にできることなの?
卵子提供――。その言葉が、私の頭の中でこだまし続けました。
「え? 卵子提供って、他人から卵をもらうってこと? 姉はいるけれど、本当にそんなこと可能なの?日本でそんなことできるの?」
そもそも、自分の子じゃなくなるような気がして……。突然突きつけられた現実に、混乱と戸惑いで頭の中は「?」でいっぱいになりました。
診察室を出たあと、震える手で夫に電話をかけ、泣きながら伝えました。「自己卵での妊娠は難しいって、言われた……」。声に出すと、さらに現実味を帯びて、涙が止まりませんでした。
医師の言葉は「出口のない宣告」。それでも私は、自分の卵に懸けたかった
医師の言葉は、まるで出口のない宣告のように私に重くのしかかりました。目の前が真っ暗になり、希望が見えなくなったような絶望感に包まれました。
でも、私の中にはどうしても、「自分の卵子で授かる可能性に懸けてみたい」という強い思いが消えなかったのです。
もしかしたら、もう卵は残っていないかもしれない。ゼロかもしれないけれど、完全にゼロじゃないかもしれない。わずかな可能性にすがりたい――。そう思って、私は自分の卵を信じる選択をしました。
偶然がつないだ、体外受精への道
ありがたいことに、私の周りには体外受精で赤ちゃんを授かった友人・知人が2人いました。思い切って相談してみると、偶然にも2人とも同じクリニックで授かっていたことが判明。まさに、私にとっての希望の光でした。
正直なところ、体外受精に対しては、どこか「特別なこと」のような偏見を持っていました。だからこそ、ずっとステップアップに踏み切れずにいたのだと思います。
でも、医師からの「自己卵では厳しい」という言葉が、私の背中を強く押しました。この言葉がなければ、私はきっと、体外受精への一歩を踏み出す決心はできなかったでしょう。
あの日、私は希望を手放さなかった
どれだけ厳しいと言われても、私は諦めきれませんでした。たとえわずかでも可能性があるなら、自分の卵でチャレンジしたい。
あの診察室で絶望を突きつけられた日、私はそう心に決めたのです。そして、この決意が、33歳11か月から40歳まで、私の自己卵での治療の始まりとなりました。
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