とうもろこしの季節に祖母を思い出す
私の住む地域では、産地直送でとうもろこしを安く買えるような市場も近くにありませんので、スーパーで1本200円を切ったら、「安くなったなあ、旬だなあと」感じます。
私は早速生とうもろこしを買って、コーンスープを作っています。
玉ねぎとコーン、それに塩と無塩バター、牛乳のシンプルな味わいですが、本格的な味わいです。私のこの季節のお気に入りのレシピなのです。
ペンシルママのレシピに、コーンスープがありますので、よろしければそちらもご覧になってください。
そしてとうもろこしを見ると祖母や父母、ご先祖様を思い出します。
祖母や父の住む地域では、近くで農家さんから直接とうもろこしを買うことが出来ました。そのため、10本近くを買うこともありました。
買った後は母と私たち姉妹で皮をむき、母はそれを塩ゆでしました。
母と父はおいしそうにかぶりついて食べていました。私はかじることが出来ないので、手で少しずつ身をほぐしながら食べていましたが、これが思った以上に手間がかかる為、大変でした。そのため子どもの頃の私はそれほどとうもろこしが好きではありませんでした。
あの頃このコーンスープの作り方を知っていたら、もっととうもろこしが大好きになっていたでしょう。
祖母もとうもろこしが大好きでした。
毎年夏にとうもろこしを食べるのをとても楽しみにしていました。
しかし祖母はとても倹約家でした。大好きなとうもろこしも、たくさん買うことはしなかったようです。毎年数本の楽しみにしていたようです。
祖母の倹約化の精神は若い頃の苦労からくるものであり、私に倹約精神や、お金の使い方に関して1番教えてくれたのは祖母の生き方だったように思います。祖母から直接言われたことも少々はありましたが、何より祖母の生き方が私にお金の使い方について影響を与えてくれたのです。
そんな祖母は、若くして祖母になったので、私が大人になるまで生きていてくれました。ですが、思ったよりも長生きは出来ませんでした。きっとこんなに早く突然亡くなってしまうなんて、本人も天国でびっくりしていることでしょう。
だからこそ、大好きなとうもろこしをもっと沢山食べても良かったんじゃないかと思うのです。もっと食べてもらいたかった。
大好きなものなら(体にあまり良くないものならともかく)我慢せずにもっと食べても良かったと思うのです。
祖母は倹約のお陰で老後の資金を蓄えることが出来、60歳で退職してからは不自由なく暮らすことが出来たと思います。
それは若い頃から苦労した祖母の固い意志であり、長年の倹約精神のたまものだと思います。ですが、年をとってからも倹約を頑張りすぎる必要はなかったのではないかと今でも時々思うのです。
散財はいけませんが、祖母はせっかく貯めたお金をどう使うかきっと迷って、自分の好きな食べ物には使えなかったのかもしれません。代わりに夫婦の旅行には使っていましたし、祖父の好物の魚は毎日のように買いに行っていました。そんなところにも夫を立てる祖母の姿が思い出されます。
(インデックス)投資家は日々お金を貯め、どれくらい運用に回せるかを考え続ける生き方の人たちだと思います。「私もそうなりたい」と若かりし日に思い、インデックス投資家の仲間入りをしました。
ですが、それは若い頃に使えるお金を将来に先送りしているものです。
若い頃にしかできないことに使うお金を、将来のおじいさんおばあさんになってからの生活費や不安解消のために先送りしています。
そして年を取ってからも、やはり大きく生活習慣は変わらないので、節約を意識する生活を続けることになるのでしょう。
だからこそ、「何に使うか、どう使うか」、は若いうちから考えていかなければならない問題なのだと思います。
”DIE WITH ZERO”で生きるつもりもありませんし、何にでも散財するのは嫌です。でも、お金を有効活用できず死ぬのも嫌です。
私はここ1か月あたりずっと不調を抱えていました。高熱も出てしまいました。高熱で水とフルーツしか受け付けない中、いろんな考えが浮かびました。そんな時は精神も心細くなるものです。
「自分は子どもの頃からずっと祖母や父、母よりも体力もないし体も弱い、胃腸もずば抜けて弱い。将来もあまり長生きできないかもしれない」と思ったのです。
そうしたら、どんどんとブログの記事の内容が頭に浮かんでくるではありませんか。「これも書きたい、あれも書きたい」と浮かんできます。
お金のことも浮かんできます。「今どれくらいあって、どれくらい使えるのか」と、「次はどんなことに使おう」かとどんどん浮かんできます。
若い頃将来に悩んでいた自分が思い出されます。
人生でとてもつらい時期はいくつもありましたが、あの時は大人になってから1番辛いと感じた時期でした。
あの時の悩みは全くなくなったわけではないけれど、あの時よりは今はずっと自由で、気持ちも楽になったと思えたのです。
あの時一生懸命悩んでもがいたことは少しは報われたのかもしれません。
あの時も祖母を思い出しました。
「祖母はもっとつらかっただろうか?」と、「私が生まれてすぐになくなった曾祖母はもっともっとつらかっただろうか?」と思い出されるのです。
とうもろこしの季節だけでなく、私の節目節目に祖母は私の中に出てきてくれるようなのです。
部屋にはとうもろこしの煮える香りが漂っています。
夕食はきっと美味しいコーンスープが待っています。
とうもろこしは祖母の季節なのです。
