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【無料】/【第1章】30代で人生をやり直す決意に至るまで─崩れ落ちていく20代と、“努力の方向性”を間違えた話


■ 公務員へのぼんやりした憧れと、最初の挫折

20代の頃、私はなんとなく「公務員になれたらいいな」と思っていました。
理由は単純で、「安定していそうだから」です。

生まれてからずっと、親や周りの大人たちに言われてきました。
「公務員は安泰だぞ」
「不景気でもクビにならない」

使命感や「この仕事がしたい」という明確なビジョンがあったわけではありません。
ただ、ふわっとした“安心感”だけを頼りに、
私は警察官採用試験を受けました。

予備校に通い、参考書を買い込み、模試も受けた。
「これだけやったんだから、きっと大丈夫だろう」
どこかにそんな甘い期待もありました。

でも、結果は不合格。

面接で本気度の薄さを見抜かれたのか、そもそも適性がなかったのか。
それは今でもわかりません。

ただひとつ言えるのは――
「受かったらラッキー」くらいの温度感で受けていた自分には、人生を預けるほどの覚悟も戦略もなかったということです。

ここから、私の20代の“迷走モード”が始まりました。


■ 憧れだけで飛び込んだ不動産業界

次に目に入ったのが、不動産業界でした。

街を歩くたび、新築マンションや新しいビルが目に入る。
「こういう仕事に関わるって、なんかカッコいいな」
そんな単純な憧れから、不動産会社の求人を探し始めました。

しかし当時の私は、宅建すら持っていない状態。
20代後半という微妙な年齢で、資格なし・実務経験なし。

面接に行っても、宅建がないとわかった瞬間、面接官の表情がほんの少しだけ曇るのがわかりました。

さらに追い打ちをかけるように、周囲からはこんな言葉も浴びせられます。

「20代後半で宅建なし? そんなのどこも採らないよ」
「もっと若い人なんていくらでもいるし、現実見たほうがいいよ」

あからさまに馬鹿にされているようで、正直、かなり堪えました。
でも、言い返せない自分もまた悔しかった。

このとき感じた「見下された感覚」が、私の中で小さな炎になりました。
「絶対に宅建を取ってやる。このまま終わりたくない」

そこから本気で勉強を始め、1回目は不合格。
2回目で、ようやく合格通知を手にしました。

封筒を開けて、自分の受験番号を見つけたとき、胸の奥がじわっと熱くなったのを今でも覚えています。

「これでやっとスタートラインに立てた」
――そのときは、本気でそう思っていました。

でもこのときの私は、まだ知らなかったのです。
資格は万能ではない。努力の“方向性”こそが未来を変える鍵だったということを。


■ 中小の“専門っぽい会社”に潜んでいた罠

宅建取得後、
私は「専門的な仕事ができそうだ」と感じた中小の不動産会社に、
自分から電話をして面接をお願いし、採用されました。

面接のとき、どこか違和感がありました。

  • やたらと「ウチは頑張る人が好き」と根性論を語る社長

  • 給与や労働条件の話になると、急に言葉が濁る

  • 「うちは家族みたいな職場だから」という謎のフレーズ

今思えば、ここで全部のフラグが立っていました。
でも当時の私は、その違和感に目をつぶりました。

「せっかく拾ってもらえたんだから」
「小さい会社のほうが、いろんなことを任せてもらえるかも」
「ここで結果を出せば、将来も広がるはず」

そう自分に言い聞かせて、入社を決めました。

しかし現実は、想像以上でした。

  • 研修はほぼゼロ。現場に放り込まれる

  • 営業数字のプレッシャーだけは一人前

  • 休日でも容赦なく電話が鳴る

  • 契約が取れなければ、人格を否定するような叱責

そして致命的だったのは――
自分に営業の適性がほとんどなかったことです。

人と話すのは嫌いじゃない。
でも
「数字のためにグイグイ攻める」
「強引にクロージングする」
そういうスタイルは、
自分の性格と明らかに合っていませんでした。

それでも私は、どこかで信じていました。

頑張れば、いつか報われる。
積み上げれば、いつか評価される。
年収は低くても、そのうち上がっていく――。

だから休みの日も仕事に関する勉強をし、
資格試験にも挑戦し、任される業務の幅も増やしていきました。

……ですが、現実は残酷です。


■ 報われない努力ほど、人を擦り減らすものはない

努力を続けても、何も変わりませんでした。

  • 給与はほぼ横ばい

  • 残業代は“空気”のように消える

  • 賞与は「社長の気分次第」であったりなかったり

  • 評価制度はあるようで、実態はない

どれだけ頑張っても、「便利に使える人材」として扱われるだけ。
昇給も役職も、遠い国の話のようでした。

その一方で、周りの友人たちは少しずつ年収を上げ、
ボーナスで自分へのご褒美を買ったり、
将来を見据えて貯金や投資を始めていたりしました。

飲み会で年収を聞くたびに、胸のどこかがスッと冷え込む感覚。
「自分だって頑張っているはずなのに、
なぜこんなに差が開いているんだろう」

私は長い間、それを「自分の努力不足」のせいにしていました。
でも本当は違った。

努力の“量”ではなく、“方向”がズレていたのです。


■ 「このまま40代、50代を迎えたら…」と想像した瞬間の恐怖

ある日、ふと職場の先輩たちを眺めていて、電流が走るような感覚に襲われました。

  • 何年もこの会社で働いている

  • それでも年収は大きく変わっていない

  • 心身ともに疲れている

  • それでも「他に行き場所がない」と言っている

そこに、数年後・十数年後の自分の姿が重なりました。

「このまま、こうやって40代・50代になっていくのか?」

そう思った瞬間、全身から血の気が引いていく感覚がありました。
今の自分の延長線上に、“明るい未来”がまるで見えない。

頭ではうすうす気づいていたことが、「確信」に変わり始めていました。


■ 「同僚の逮捕」という決定打

そんなある日、決定的な出来事が起こります。

いつものように朝出社し、同僚と一緒に業務の確認をしていました。
その同僚は、いつも通り外回りに出ていきました。

しかし――
昼になっても、夕方になっても、職場に戻ってこない。
電話もつながらない。

「何かトラブルでもあったのかな」

そう思っているうちに、翌日も、そのまた翌日も姿を見せませんでした。

数日後、会社に一本の電話が入ります。

「◯◯さんは、無免許運転で逃走したため、身柄を拘束しています」

頭が真っ白になりました。

その後、関係者ということで事情聴取のために警察署へ向かうことになり、私は担当の警察官と対面しました。

その警察官は、腰にコルセットを巻きながら、淡々と状況を説明し、こちらの話を聞き、調書を取っていきました。

私はその光景を見ながら、ふと現実から切り離されたような感覚になっていました。

「自分は今、いったい何をしているんだろう」
「なんで、こんな職場で、こんなことのために警察署にいるんだろう」

その瞬間、心の中で何かがプツンと音を立てて切れました。

後から聞いた話では、その会社には他にも逮捕歴のある社員が数名いたそうです。
うすうす噂は耳にしていました。でも、「まさか」と思って、見ないふりをしていました。

でも、それが現実でした。

そのとき、はっきりと思いました。

「ああ、自分は本当に“ヤバい場所”にいる」


■ やりがい搾取と“洗脳構造”に気づいた瞬間

思い返せば、その会社では、こんな言葉が頻繁に使われていました。

「うちは普通の会社とは違う」
「ここで通用しない奴は、どこに行っても通用しない」
「こんなに裁量を任せてもらえる会社、他にないぞ」
「辞めてどうするの? 他に行っても、もっとキツいだけだよ」

当時の私は、それを“正論”のように受け止めていました。

「ここで結果を出さなきゃ、自分は本当にダメな人間だ」
そうやって、自分を追い込む材料にしていたのです。

でも今なら、はっきり分かります。

あれは、洗脳に近い構造でした。

  • 人件費を抑えたい

  • 辞められると困る

  • でも待遇を上げるつもりはない

その都合を、「根性論」「やりがい」「成長」という言葉で包んでいただけ。

このままここにいたら、
ボロ雑巾になるまで使い倒される

そういう未来が、急に現実味を帯びて見えました。


■ 「努力そのもの」を疑い始めた瞬間

このあたりから、私の中で変化が起き始めます。

それまでの私は、
「結果が出ないのは努力が足りないから」
「自分の根性が弱いから」
そうやって、すべてを自分のせいにしてきました。

でも、あるとき、ふと思ったのです。

「努力の“量”じゃなくて、“方向”が間違っているんじゃないか?」

営業の仕事で成果が出ないのは、
気合や根性の問題ではなく、
単に適性が合っていなかっただけかもしれない。

  • 人と対立するのが苦手

  • 押し売りのような営業がどうしてもできない

  • 慎重に考えてから動きたいタイプ

こうした性格と、
数字を追い、短期成果を求められる営業職は、
根本的に相性が悪かったのです。

この事実を認めるまで、正直かなり時間がかかりました。

向いていないと認めることは、
今までの努力を否定するようで怖かったからです。

でも、認めた瞬間、驚くほど肩の力が抜けました。

「ああ、自分がダメなんじゃない」
「単に“場所選び”をミスっていただけだったんだ」

ここで初めて、
「じゃあ、合う場所を探せばいい」
という発想が生まれました。


■ 一筋の光─ビルメンという働き方との出会い

ちょうどその頃、
知人がビルメン(設備管理)に転職したという話を聞きました。

話を聞くと、

  • 勤務時間は比較的安定

  • 仕事は「時間で区切られている」

  • 精神的プレッシャーは営業ほど強くない

それでいて、年収は当時の私とほぼ同じ。

むしろ、
私のほうが長時間働いているのに、年収は大差ない
という状態でした。

このとき、雷に打たれたような感覚がありました。

「同じ300万円台でも、ここまで“中身”が違うのか」

それまで私は、
「ホワイトカラー=安定」
「ブルーカラー=キツい」
という、かなり偏ったイメージを持っていました。

でも、知人の話を聞くうちに、その前提が崩れていきました。

「専門性を持った技術職として働く」
という選択肢が、初めて現実味を帯びた瞬間でした。

とはいえ、すぐに踏み出せたわけではありません。


■ 職業訓練校=「人生終わった人が行く場所」だと思っていた

知人から「職業訓練校」という言葉を聞いたとき、正直、良いイメージはありませんでした。

  • 仕事に失敗した人が行く場所

  • 人生に行き詰まった人の最後の手段

  • 社会不適合者の集まり

今思えば、かなり偏った見方でした。

でも当時の私は、
「自分もそこまで落ちたのか」
と、妙なプライドが邪魔をしました。

それでも心のどこかで、こうも思っていました。

「このまま今の会社にしがみついていても、人生は何も変わらない」

プライドを守るか、人生を変えるか。
天秤にかけたとき、
ほんの少しだけ「変わりたい」が勝った。

それが、すべての始まりでした。


■ 自分の“限界”を受け入れたから、やっと前に進めた

自分は営業に向いていなかった。
努力の量ではなく、方向を間違えていた。

それを認めるまでが、正直いちばんきつかった。

でも、そこを認めた瞬間から、行動はむしろ早くなりました。

「このまま40代を迎えて後悔するくらいなら、
30代の今、一度ちゃんと立て直したい」

そう決めて、私はハローワークに向かいました。


■ ハローワークの小さな窓口で始まった、“静かな再スタート”

自分は営業に向いていなかった。
努力の量ではなく、方向を間違えていた。

それを認めるまでが、正直いちばんきつかった。

でも、そこを認めた瞬間から、行動はむしろ早くなりました。

「このまま40代を迎えて後悔するくらいなら、
30代の今、一度ちゃんと立て直したい」

そう決めて、私はハローワークに向かいました。


■ ハローワークの小さな窓口で始まった、“静かな再スタート”

当時住んでいた隣駅の近くに、小さなハローワークがありました。

ビルの一角を使っているような、決して大きくはない場所です。

正直、入口の前で一瞬、足が止まりました。

「ここに入るってことは、
今までのキャリアが一度リセットされるようなものだよな……」

でも同時に、こんな思いもありました。

「このまま何もしなかったら、
確実に“今の延長線上の未来”を生きることになる」

怖さと、わずかな期待と、
それでも前に進みたい気持ちを抱えたまま、
自動ドアをくぐりました。

中に入ると、思っていたほど暗い雰囲気ではありませんでした。

淡々とパソコンに向かう人、
相談員と話す人、
求人票を眺める人たち。

「ここから、もう一度やり直そう」

心の中で、そっとそう決意しました。

この日を境に、

  • 職業訓練校との出会い

  • 電気という専門分野を学ぶ日々

  • 電工二種との格闘

  • 電験三種への挑戦

  • そして、公務員技術職として働く今

へと、人生が静かにつながっていきます。


■ 第1章のまとめ:報われない努力から抜け出すために

この第1章は、
「努力しても報われない場所から抜け出すまでの話」です。

もし今、あなたが

・今の職場で、自分だけが取り残されている気がする
・どれだけ頑張っても待遇が変わらない
・このまま40代・50代を迎えるのが怖い
・でも、何から変えればいいのかわからない

そんな状態なら、当時の私とかなり重なる部分があるはずです。

おそらくあなたも、
努力が足りないのではなく、
努力の方向性と、いる場所が合っていないだけ
かもしれません。

第2章以降では、

  • 職業訓練校という選択肢のリアル

  • 文系・未経験から電気を学んだときの現実

  • 電工二種 → 電験三種 → エネルギー管理士へと続く道

  • 「積み上がるキャリア」に乗り換える具体プロセス

を、ストーリー形式で書いていきます。

同じように迷ってきた人間が、
どうやって“積み上がる道”に切り替えていったのか。

それを、できるだけ正直に残します。

ここまで読んで、
「続きを読みたい」「自分もどこかで変わりたい」
そう感じたなら、フォローして次章を待ってもらえたら嬉しいです。

第2章では、
「職業訓練校との出会いと、電気という世界に飛び込んだ最初の一歩」
をお話しします。


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・30代未経験からのキャリア再設計
・職業訓練校のリアル
・電気系資格の積み上げ方
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