【無料】/【第2章】“ハロワの一言”で人生が動き始めた日─自分で閉ざしていた可能性の扉が、ゆっくり開く瞬間
30歳を過ぎた頃の私は、頭の中でいつも同じ言葉を再生していました。
「未経験で異業種なんて無理だ」
「文系から電気の世界なんて飛び込めるわけがない」
「今まで積み重ねてきたものが全部ムダになる」
「新しい道を選ぶことは、過去の自分を否定することだ」
誰かにハッキリそう言われたわけではありません。
でも、いつの間にかそれが“常識”になっていて、
気づけば自分で自分の可能性にフタをしていました。
警察官試験に落ち、公務員の道はいったん途絶えた。
その後、20代後半で不動産業界に入り、
営業として数字に追われる毎日を過ごしました。
周りから見れば、「ちゃんと働いている大人」に見えたかもしれません。
スーツを着て、満員電車に揺られて、ノルマやクレームに追われる日々。
外側だけ切り取れば、ごく普通の社会人です。
でも、心の中はずっとざわざわしていました。
「この仕事を続けた先に、何が残るんだろう」
「自分だけ取り残されていくんじゃないか」
「気づいたら、あっという間に40代になっているんじゃないか」
将来のことを考えれば考えるほど、胃のあたりが重くなっていく。
それでも“何かを変える決断”をするのが怖くて、同じ場所に踏みとどまり続けていました。
「ここで頑張れない自分はダメなんだ」
「結局どこへ行っても通用しないんだ」
そうやって自分を責め続けることで、
“動かない理由”を正当化していたのかもしれません。
そんな中で迎えた31歳。
ある日ふと、「このままじゃまずい」と思いながらも、
具体的な答えは出ないまま、
なんとなくの気持ちでハローワークへ向かいました。
正直、そのときはこう思っていました。
「どうせ相談したところで、大した答えは返ってこないだろう」
半分あきらめ。半分やぶれかぶれ。
それでも、少しだけ「何か変わってほしい」という期待も、心のどこかに残っていました。
この日が、後から振り返ると“人生の分岐点”になるとは、
そのときはまだ想像もしていませんでした。
■ 職業訓練校への反応─「行く意味なんてない」という声たち
ハローワークへ行く前、私はすでに何人かに「職業訓練校に行こうか迷っている」と話していました。
反応は、驚くほどバラバラでした。
Aさん(知人):「行くのは時間の無駄。すぐ就職した方がいいって」
Bさん(家族):「へぇ、そうなんだ」(特にリアクションなし)
Cさん(知人):「もう若くないんだから、行く意味ないでしょ」
Dさん(家族):「行けばいいじゃん!」
AさんとCさんは、どちらも私の知人。
BさんとDさんは家族です。
興味深いのは、一番強く否定してきた AさんとCさんのどちらも、安定したキャリアを築けていなかったということです。
Aさんは、職業訓練校そのものを「底辺が行く場所」と決めつけていました。
Cさんは、「年齢が…」と口にしながら、行動には移しませんでした。
その結果を「ほら見ろ、やっぱりダメだった」と言うこともできるかもしれない。
でも、私から見ると、そうではありませんでした。
失敗は痛い。
でも――
挑戦もしないまま、否定だけしていた頃の言葉は、誰の役にも立っていなかった。
むしろ、こう感じるようになりました。
「失敗してもいいから、一歩踏み出した人のほうが、よほど前に進んでいる」
■ 否定的な意見の多くは、“無知”から生まれる
Aさんのように職業訓練校を批判する人の多くは、
制度をきちんと知らない人たちです。
実際に通った経験はない。
ハローワークの窓口で説明を受けたこともない。
なのに、ネットの断片的な情報や偏見だけで、
「無駄」
「意味がない」
「行くやつは負け組」
と、平気で言い切ってしまう。
でも、現実の職業訓練校は――
半年コースまでは授業料がほぼ無料。
失業保険を受け取りながら、新しいスキルを身につけられる。
就職支援や企業とのマッチングもある。
ブラック企業で消耗している人や、キャリアチェンジを考えている人にとって、
「人生を立て直すための、数少ない“公的なステージ”」だったりします。
たとえ今の状況が厳しくても、
年収が300万円に満たなくても
非正規雇用であっても
未経験であっても
2〜3年かけて計画的に動けば、状況は変えられる。
これは、制度をちゃんと知った人なら理解できることです。
実際、私は職業訓練校で学んだことをきっかけに技術職へ転身し、
あの頃には考えられなかった「安定した生活」を手に入れることができました。
だから今ならハッキリ言えます。
周囲の「なんとなくの否定」より、
自分が“本気で変わりたい”と思う気持ちのほうが、よっぽど信頼できる。
■ ハロワ相談員の“たった一言”で、世界が裏返った
ハローワークで対応してくれたのは、落ち着いた雰囲気の年配の相談員でした。
番号札を呼ばれ、席に座ると、
私は少しうつむきながら、心の中の迷いをそのまま言葉にしました。
「もう30歳も過ぎてしまって……
未経験で、新しい分野に行くのは、さすがに遅いですよね」
自分で口にしながら、「なんて情けないことを聞いているんだろう」と思っていました。
でも同時に、心のどこかでこんな期待もしていたんです。
「そうですね、遅いですね」
と言われれば、諦める理由にできるかもしれない。
挑戦しないための“免罪符”が欲しかったのかもしれません。
しかし、返ってきたのは、予想とはまったく逆の言葉でした。
相談員の方は少し首をかしげ、まっすぐ私の目を見て、こう言いました。
「何でそう思うんですか?」
一瞬、言葉に詰まりました。
理由は山ほどありました。
もう若くないから
未経験だから
文系だから
これまでの経験が活かせないかもしれないから
でも、どれも自分が勝手に積み上げてきた「言い訳」でしかありません。
私が沈黙していると、その方は続けました。
「あなたなんて、まだ30歳そこそこですよ」
「社会人としても、やっとスタートラインに立ったくらいです」
「そんな若さで“もう遅い”なんて言っていたら、40代・50代の人はどうするんですか」
「私から見たら、あなたにはまだ十分、可能性がありますよ」
その瞬間、本当に頭をハンマーで殴られたような衝撃が走りました。
“遅い”と決めつけていたのは、社会でも家族でも前の職場でもない。
――他ならぬ、自分自身でした。
誰かに「無理だ」と言われた一言を、
何十回も頭の中でリピートして、
いつの間にか“絶対の真実”のように信じ込んでいただけだった。
胸の奥で固まっていた自己否定のかたまりが、
少しだけ溶けていく感覚がありました。
「もしかして、自分はまだやり直せるのかもしれない」
そのとき灯った火は、本当に小さな、本当に弱々しい光でした。
でも、その小さな火が、後の人生を全部塗り替えることになります。
■ 初めて真剣に「異業種」という道を考えた
ハローワークを出て駅へ向かう道すがら、
頭の中ではいつものように愚痴や不安が回るのではなく、
「これからどうするか」という考えが、少しずつ形を持ち始めていました。
「どんな職業訓練があるんだろう」
「どんなスキルを身につけたら、今の人生を立て直せるんだろう」
今までぼんやりと眺めているだけだった“異業種転職”が、
初めて「現実的なテーマ」として目の前に現れてきた感覚でした。
当時、知人がビルメン(設備管理)の仕事に転職したという話を聞いていたこともあり、
まずは設備系の訓練コースを調べました。
夜勤はあるけれど、仕事は時間で区切られていて、
私が営業職で馬車馬のように働いていた頃と、年収はほとんど変わらない。
その事実は、かなりの衝撃でした。
「同じ300万円台の年収なのに、どうしてこんなに生活の質が違うんだろう」
「努力の方向性を間違えると、人生ってこんなにも差がつくのか」
そう痛感したのを、今でもはっきり覚えています。
ところが実際に訓練コースを調べてみると――
入校時期が今の仕事と噛み合わない
定員がすでに埋まっている
希望しているコースが自宅から遠すぎる
「ここだ」というコースとなかなか巡り合えませんでした。
焦りもありました。
でも、その中でひとつ決めたことがあります。
「とりあえず、ビルメン4点セットくらいは取っておこう」
そう決めて、危険物乙4、2級ボイラー技士と、
ひとつずつ資格を取得していきました。
勉強を進める中で、だんだんと視界の中心に入ってきたのが――
“電気”という分野です。
調べてみると、こんなことが分かりました。
第二種電気工事士は、未経験からでも挑戦しやすい
電気設備はどんな建物にも必要で、将来の需要が続きやすい
さらに上位の「電験三種」「エネルギー管理士」にもつながる
「電気を軸にしたキャリアなら、やり直せるだけじゃなく、“積み上げていける”かもしれない」
そう思うようになりました。
「どうせやるなら、長く戦える専門性を身につけたい」
そして私は、電気工事士の資格が取れる職業訓練コースを、次の目標として定めました。
■ 退職を告げる日──最後に聞いた“呪いの言葉”
もちろん、決めたからといってすぐに動けるわけではありません。
職業訓練に通うには、失業保険との兼ね合いもあり、
退職のタイミングを慎重に計算する必要がありました。
「辞めます」と告げる日が近づいてくると、
心臓の鼓動が一段階ずつ大きくなっていくのを感じました。
そしてついに、その日が来ました。
上司の前に座り、喉が少し渇いているのを感じながら、ゆっくりと切り出しました。
「……職業訓練校で学びたいと思っています。
退職させていただきたいです」
これまでの経緯と、自分なりの考えを話し終えたあと、返ってきたのは、
予想していたようで、やっぱり胸に刺さる言葉でした。
「お前なんか、どこに行っても通用しないぞ」
「そんな甘い考えじゃ、次の職場でもやっていけない」
「ここを辞めたら絶対後悔するからな」
それは、心配でもアドバイスでもなく、
“この場所に縛りつけておくための呪い”のような言葉でした。
正直、グサッときました。
図星をつかれたような気もしたし、
自分の存在そのものを否定されたような感覚もありました。
でも同時に、心のどこかでこうも思いました。
「ああ、やっぱりここには未来がないんだな」
こちらが本気で決意していることに気づくと、引き止めは急に弱まり、態度もあっさりしたものに変わりました。
その瞬間、“この会社との関係は終わったんだ”と、静かに実感しました。
■ 生活のために、実家へ戻るという決断
職業訓練に通う間は、基本的にフルタイムでの仕事はできません。
失業保険を受け取りながら訓練校へ通うことは制度上可能ですが、
冷静に計算してみると、生活はかなりギリギリです。
「生活費の不安を抱えたまま、1年間勉強に集中できるのか?」
自分に何度も問い直した結果、たどり着いた答えはひとつでした。
──実家に戻ろう。
正直、プライドは大きく傷つきました。
「今さら実家に戻るなんて」
「なんだか負けたみたいじゃないか」
そんな感情が、頭の中でざわつき続けました。
でも、それよりも大事なのは――
「環境を変えて、人生を立て直すこと」
だったはずです。
ここでプライドを優先して、また同じ場所に留まり続けたら、きっと何も変わらない。
冷蔵庫や家具、家電を少しずつ処分し、
段ボールに荷物を詰めながら部屋を見回したとき、ふとこんな感情がこみ上げてきました。
「もう、この部屋には戻ってこないんだな」
鍵を返し、アパートを出たときの、あの少し冷たい空気の感触は、今でもはっきり覚えています。
実家へ戻る電車に揺られながら、窓の外の景色をぼんやり眺めていると、
いつも見慣れたはずの街並みが、なぜか少しだけ鮮やかに見えました。
不安もありました。
でも、それ以上に、
「ようやく、自分で人生の舵を切った」
そんな安堵が、静かに胸の奥で広がっていました。
■ 願書提出、鏡の前での面接練習、そして“運命の封筒”
実家に戻って落ち着いた頃、すぐに職業訓練校の募集要項を取り寄せました。
志望動機の欄を前にして、ペンが止まります。
なぜ電気なのか
なぜ職業訓練校なのか
なぜ今なのか
これまでの経緯と、「ここで本気でやり直したい」という気持ちを、
何度も書いては消し、書いては修正しながら、少しずつ言葉にしていきました。
書類が通れば、次は筆記試験と面接です。
面接対策のために、自分の部屋で鏡を前に置き、何度も何度も自己紹介と志望動機を声に出しました。
「なぜ電気系を選んだのか」
「どんなキャリアを描いているのか」
「どうしてこの訓練校なのか」
うまく言葉にならない思いを、どうにか“相手に伝わる文章”に変えて、
自分の口から自然に出てくるまで繰り返しました。
本番当日。
会場の椅子に座り、順番を待ちながら感じる、あの独特の緊張感。
面接室へ入るとき、手のひらにはうっすらと汗がにじんでいました。
正直、「うまく話せた」という手応えはあまりありませんでした。
でも、ひとつだけ確信していたことがあります。
「今の自分にできることは、全部出し切った」
そう思うようにして、結果を待ちました。
そして数週間後。
ポストを開けると、ひときわ分厚い封筒が入っていました。
「これ……だよな?」
鼓動が早くなるのを感じながら、震える手で封を切りました。
中には、「入校手続書」という文字。
思わず、その場で小さくガッツポーズをしていました。
誰もいない部屋で、小さな声で「よし……!」とつぶやいたのを、今でも覚えています。
「もう一度、やり直せる」
「ここからが、本当のスタートだ」
ただの紙切れ一枚。
でも、その紙には、自分の未来を塗り替える許可証のような意味が宿っているように感じました。
■ 新しい人生へ踏み出すための“強い決意”と、今も残る小さな後悔
合格の報告をするために、もう一度ハローワークへ行きました。
相談窓口で結果を伝えると、担当の方は笑顔でこう言ってくれました。
「よかったですね。ここからですね」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなったのを覚えています。
一方で、自分の中には、今も小さな心残りがあります。
最初に「まだ可能性がありますよ」と言ってくれた、あの相談員の人。
実家へ引っ越したことで、その人にはそれ以来一度も会えていません。
「あのとき、訓練校に行くことになったと報告できなかったな」
「あなたの一言で道を変える決心ができましたって、ちゃんと伝えたかったな」
そう思うと、今でも少しだけ胸がきゅっとなります。
でも、その後悔も含めて、あの言葉は今も心の中で生き続けています。
入校準備を進めながら、私は心の中で何度も誓いました。
「絶対に人生を立て直す」
「技術を身につけて、まともな職場に就職する」
「二度と、自分を粗末に扱う職場には戻らない」
選んだのは、1年コースの設備系訓練校でした。
最初は正直、不安もありました。
「1年も通って大丈夫か?」
「ブランクが長いと思われて、企業から変な目で見られないだろうか」
でも今振り返れば、あの1年がなければ――
第二種電気工事士の合格
技術職公務員への道
電験三種
エネルギー管理士
このどれも手に入らなかったと思います。
すべては、あの日ハローワークで言われた、たった一言から始まりました。
「あなたには、まだ可能性がありますよ」
本当に、人間は言葉ひとつで動き出せる。
今でもときどきあの日を思い出して、そう実感します。
■ 終わりに:第2章のテーマは「可能性の再発見」──そして、あなたへ
この第2章は、
「もう遅い」と思い込んでいた自分が、
「まだやり直せる」と知った瞬間の物語
です。
もし今、あなたが――
年齢を理由に挑戦を諦めかけている
未経験で別の分野に飛び込むのが怖い
自分にはもう可能性なんてない、と感じている
そんな気持ちを抱えているなら、
その“限界”は、もしかすると自分が作った壁かもしれません。
周りのAさんやCさんのように、
何も知らないまま「無駄だ」「意味ない」と言い切る人は、いつの時代にも必ずいます。
でも、あなたの人生に責任を持ってくれるのは、その人たちではありません。
あなたの人生は、あなたが決めていい。
この先の章では、
「電気 × 職業訓練校」という世界に飛び込んだ最初の3ヶ月で、
何が起きたのか
文系 × 未経験でも、
どうやって電工二種・電験三種・エネ管まで積み上げていったのか
30代からのキャリア逆転が、
どれくらい「現実的な選択肢」なのか
を、できるだけ具体的に、
ストーリーとして書いていく予定です。
もしここまで読んで、
「続きも読んでみたい」
「自分の将来のヒントになりそうだな」
そう感じてもらえたなら、
フォローしていただけると、とても励みになります。
このnoteが、あなたの心のどこかで
「まだ、やり直せるかもしれない」
という小さな火を灯すきっかけになれたら、書き手としてこれ以上の喜びはありません。
次の第3章では、
「訓練校で初めて“手応え”を感じた日」のことを、
ありのままに書こうと思います。
よければ、このまま一緒に進んでいきましょう。
続きを楽しみにしてもらえたらうれしいです。
▼ フォローのお願い
このnoteでは、
・30代未経験からのキャリア再設計
・職業訓練校のリアル
・電気系資格の積み上げ方
を、すべて実体験ベースでまとめています。
続きを読みたい方は、フォローして次の章をお待ちください。
具体的な行動プランは、下のガイドからどうぞ。
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【第1章】30代で人生をやり直す決意に至るまで─崩れ落ちていく20代と、“努力の方向性”を間違えた話─
【第3章】訓練校で初めて手応えを感じた日~工具の名前も知らなかった30代が、初めて未来を掴んだ瞬間~
【職業訓練ガイドのガイドページ】
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