隠れオタクの本音と建前に少しの初恋をブレンドしました(7)【創作大賞応募作】

あらすじ&1話 ↓

第7話

  学校から帰宅すると、母が玄関のたたきを水拭きしていた。

「こんな所も拭き掃除してるの?」

 自分の部屋以外の掃除を母に任せている私は、驚いて母に尋ねる。

「玄関はオウチの顔だから、特に綺麗にしておかないとね」

 答えて、また雑巾で熱心に拭き始める。
 私はそんな母の邪魔にならないよう端っこでローファーを脱ぎ、シューズボックスにしまった。母がバケツで雑巾を洗いながら、いつもの言葉を呟く。

「燈子ちゃん。お父さん、今日も遅いみたい」

 父が早く帰ってくる事など一ヶ月のうち二度あるかないか。
 そして、まれに早く帰宅した父は、決まって母に暴力をふるった。

 母を殴り、母の姿が見当たらなければ私を殴る。
 捕まえて、押さえ付けて、まるでそうする事が当然のように暴力を振るう。

『お父さん、今日も遅いみたい』

 この言葉の本当の意味を理解したのは、いくつの時だっただろう。母は父の帰りを待っているのではない。今日も帰りが遅い事に、安堵しているのだ。

 父に殴られた後、母はその現実から逃げ出すように家出する。どこへ行っているのかは知らないし、どうして離婚しないのとも聞いた事は無い。父を愛しているからなのか、それとも経済的な問題なのか。
 この家の中にいる私は本当に弱虫で、それを母に聞く勇気も、父から母を庇う勇気も両方持っていなかった。
 幼い頃から私は、そんな自分が大嫌いだ。

「ごちそうさまでした」

 夕食の後に部屋へ戻り、私は早速高杉に電話をかけた。八時に電話をすると指令を出しておいたので、高杉はワンコールで電話に出てくれた。

『はい。た、たか、高杉ですっ』

 このカミまくりの一声だけで、心が幸せに包まれていく。
 まるで魔法みたい。ずっとこの魔法が続いてほしくて、自ら話しを振らない高杉に、私は質問ばかり繰り返していた。

 好きな食べ物、趣味、そして最寄駅。たくさん話しをするうちに、高杉の色んな事が分かってくる。
 みかんが好きで、趣味は読書とゲーム。読書は私と違い漫画ではなく小説がメインだった。
 驚いたのは、高杉の家が私の家から歩いて数十分程の近い距離だった事。

「近っ! 最寄駅一緒じゃん。自転車だと五分もかからないね」

 高杉と私の家は、駅の近くを流れる川を挟んで右か左かの違いだけで、駅から自宅までの距離はほぼ同じだった。

「こんなに近いのに、小学校も中学校も一緒じゃないね?」
『川を境に校区が別れるんです』
「なるほど。だから別々だったのか」

 受話器越しの高杉の声は、直接顔を見て話していた時よりずっとずっと心に響いた。無機質な機械を通す事により、その声質の良さが際立つのだろうか。私は高杉に喋って欲しくて、必死になって話題を振る。

「ねぇ。小中の頃から、クラスで誰とも喋らなかったの?」
『小学校の頃は、まだ何人か友達がいたんですけど……』
「どうしたの?」
『クラスの中心人物だった相手に苛められるようになって、それを期に友達まで僕から離れていきました』
「何それ、酷っ! それで誰とも喋らなくなったの?」
『はい。 なんか……何もかも嫌になってしまって』
「そりゃ、嫌にもなるよ。よく今まで頑張ってたね」

 私がそう言葉を返すと、電話の向こうの高杉が無言になった。

「あれ? 高杉、聞こえてる?」

 通話が切れたのかとスマホの画面を見ると、しっかり繋がっている。もしかしたら、急に踏み込んだ事を聞き過ぎたせいで、怒らせてしまったのかもしれない。

「高杉? ねぇ、怒ったの?」
「すみません。嬉しくて……!」
「え?」
「今までよく頑張ったって。僕が過ごした時間を認めてくれたのが、嬉しくて」

 少し声を詰まらせた高杉は、泣いているのかもしれない。

「じゃあ、頑張ったご褒美に理科準備室にオレンジジュース持って行ってあげる」

 私がそう言うと、「オレンジではなく、みかんが……好きなんです」と高杉が遠慮がちにこだわりを主張した。

「そんなに違う?」
「違います! 全然、違います!」

 こんなにムキになる高杉は初めてで、私は可笑しくなって吹き出す。

「分かったよ。ちゃんと『みかん』ジュース持っていくから!」
「あ、有り難うございます。あの、若槻さんは、何が好きですか?」

 初めて高杉の方から私の事を尋ねられ、その愛しい低音に鼓動が跳ねる。食べ物の好みを聞かれている事は分かっているのに、「高杉の声が好き」と即答していた。

「え? あ、あの……ありがっ……有り難うございます」
「ねぇ高杉。ちょっとエロい事、言ってくれない?」
「……は?」

 せっかく高杉と仲良く会話ができていたのに、オタクな性癖を抑えられずに失言してしまった。

 この声に、どうしても毒舌系S王子なワードを言わせてみたいのだ。それでも電話越しの高杉が明らかにテンパっているのが声でわかったので、私はまたの機会を伺う事にした。

 そうだ、高杉は奥ゆかしくて上品なお嬢様なのだ。

「そんなに焦んないでよね。今日は引き下がるけど、いつか絶対エロいこと言ってね」
「言い方!」

 珍しく高杉が速攻でツッコミを入れた。
 確かに、下品な言い方だった。だけど言い方を注意されるという事は、言い方さえお上品にすれば、毒舌ちょいエロな台詞を言ってくれるのだろうか。

「今日は引き下がりますので、いつか必ず、おエロいことをおっしゃって下さい?」

 言った後で私は吹き出す。
 高杉も可笑しかったようで、小さな笑い声が聞こえた。少し呆れているような、そんな声だ。けれどその声は、それでも包み込むような優しい音色をしている。

 こんな声で、笑うんだ。

 私は目を閉じて、その声をじっくりと胸に刻んだ。一瞬で心を温かくしてくれる高杉の声。父の事で辛い時に思い出そう。負けそうな時に思い返そう。それだけできっと、今みたいに心がポカポカになる。

「それじゃ、またね。今日は長い時間ありがとう!」
「こ、こち、こちらこそ有り難うございました」

 電話を切った後に高杉の声の余韻に浸っていると、机の上のスマホが鳴った。

「誰だろう」

 まさか高杉?
 そう思った瞬間、秒で入る私の妄想スイッチ!

『おやすみって、言い忘れてただろ?』

 高杉の声で脳内再生する。
 ひぃぃいい……エモ過ぎる!

 現実の高杉がそんなことを言えるはずもないのに、それでも私はドキドキしながらスマホの画面を確認した。

【着信・横山】

 怒りが、込み上げた。

8話


★第1話に各話のリンク有ります

#恋愛小説部門

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