隠れオタクの本音と建前に少しの初恋をブレンドしました(1)【創作大賞応募作】
あらすじ
オタクを隠す為の工夫、オタ隠しに全力を注ぐ若槻燈子17歳。
学校ではオシャレ女子を演じているが、実際は神と崇める声優にガチ恋している現実の恋愛経験ゼロなオタクだった。
ある日、自殺しようとしていたカースト最下層男子・高杉の声を聞いた燈子は、推しを超える最高な高杉の声に衝撃を受け……。
「その声は死なせない!」
思わず、高杉の胸倉を掴み宣言してしまう。そこから始まった燈子と高杉の秘密のやりとり。
そして、徐々に明らかとなる燈子が抱える家庭問題。そんな燈子を救ってくれたのが高杉だった。いつしか燈子は声だけではなく高杉の人柄に惹かれていく。隠れオタクの全力青春物語!
プロローグ
オタクとはーー。
その道の変態を極めし者にのみ与えられた称号である、と私は思う。
けれどその称号をひた隠しにする事に、私は全力を注いでいる女だった。
第1話
また、家出した。私ではなく母が。
恒例行事となりつつある、母の家出は目覚めてすぐ気づく。トーストが焼けた時の音や、パタパタと音を立てて歩く母の足音。それら消えてしまった音の代わりに、決まってキッチンのテーブルに同じ文面のメモが残されている。私がその文面を初めて見たのは十年前。当時まだ七歳だった私は、泣きながら裸足で家を飛び出し母を探した。
けれど今の私には、母の恒例行事なんてどうでもいい。そんな事より、気にするべき事が沢山あるのだ。月曜の朝から雨が降っている事の方が問題だし、その雨のせいでフワリと流れるはずの斜め前髪が額のど真ん中でグズグズしている事の方がよっぽど大問題だ。
本来なら、サッカー日本代表の攻めのように額の上を右サイドから左サイドへ絶妙なラインを描き流れるはずの前髪。それが今、監督命令を無視し中央突破を試みている。即座に選手交代を命じてやりたい所だけど、私のチームにヅラと言う名の控え選手はいない。こうなったら、意地でもこの地毛に言うことを聞かせるしかない。
「前髪、覚悟しなさい!」
前髪に向かってそんな宣言をする自分に若干引きつつ、温めておいたコテで軽く巻いていく。いつもならふわっと流れるはずの前髪が、今日に限って設定温度を間違えたのかグリングリンの極強カール前髪が出来上がった。
なにこれ、うける。
自分の顔の面白さにとりあえずスマホで自撮り。この写真が何に役立つのか分からないけれど、学校のお昼休みの笑いのネタくらいにはなるはずだ。
「小ネタはいいとして……」
この前髪をどうにかしなければいけない。
ベッドサイドの目覚まし時計を見ると、あと数分で家を出なければいけない時間だった。
前髪を洗い直して学校を遅刻するか。ヘアピンで留めて今すぐ家を出るか。
私は五秒悩んで前者を選び、自室を出て洗面所に向かう。階段を降りて一階の廊下を歩きながら薄暗いままのキッチンに目をやると、テーブルの中央にいつもの便箋が置いてあるのが見えた。勿論、その内容は読まなくても分かる。
『燈子の事が嫌いになった訳ではありません。ただ、少しだけお母さんに時間を下さい』
そう言って母は家出する。
家出期間は一日。
決行日は父の出張日と決まっている。
そんな母に、私は家出の理由を聞いた事がない。幼い頃の私は、それを聞いてしまったら母がもう戻ってこなくなるのではないかと怯えていたし、今の私はそんな母の行動にも、何一つ気づかない仕事人間の父にも既に興味がなかった。
洗い終えた前髪をタオルで挟みこんで優しく水分をとる。洗面所を出てリビングの壁掛け時計を見ると、針はちょうど八時三十分をさしていた。
大遅刻だ。
それでも私には、遅刻してでもオシャレにこだわらなければいけない訳がある。
私は自室に戻り、ブルーレイレコーダーの予約録画が作動する機械音を確認して頷いた。
「撮れてる撮れてる」
私が録画しているもの。
それは、放送終了から五年経っても根強い人気を誇るアニメの再放送だ。テレビのスイッチを入れると、主人公を力強く励ます先生の姿が画面に映った。
『諦めるな! 勝負はこれからだ』
私は瞳を閉じて主人公の少年を励ます先生の声に意識を集中させた。
澄んだ声ではない。 どちらかと言えば、声の通りは悪い方なのかもしれない。それでも胸の奥に沁み込んでくる。それは、独特の甘さを帯びた低音。この声を聞くだけで、いつだってハッピーになれた。この声は、私が私でいられるパワーの源だ。
「あぁああー! やっぱイイ! 超イイ! すっごくイイ! 好き! 最高からの最高!」
興奮のあまり一人でマイムマイムを踊り出していた自分の姿が鏡に映る。高らかに両手を上げる鏡の中の自分と目が合った瞬間、私は現実に引き戻された。
「また取り乱してしまった」
カーペットを敷いた床に崩れ落ち、気付けば独りぼっちで推し最高の舞を披露していた自分を悔やむ。
そんな私は重度の声フェチのオタクで、この声優を『神』と崇めガチ恋している。神からもらった指輪(という妄想設定で自分で買った)婚約指輪が私の宝物だ。私は神さえいれば現実の恋なんていらないと本気でそう思っている。名誉オタクの称号を賜りし英雄キモオタだった。
勿論学校にも、漫画・アニメ・声優好きなオタクは沢山いる。
そのうえ漫画やアニメは今、日本が世界に誇る最高のエンターテイメントだ。そんな時代に、わざわざ『隠れ』オタクでいる必要などないのではないか……?
その答えは「NO」だと私は思っている。
なぜなら、自称オタクの大半はリアルがしっかり充実しているリア充兼オタクな『ライト層』ばかりだからだ。
オタクではあるものの、ちゃんと恋人がいたり、大人なら結婚もしていて大切な子供もいる。
学生でも推しは推し、現実の恋は恋と、しっかり線引きして現実の世界を生きているライトオタクが大多数で、まだまだ私のような純度百パーセントのガチオタのキモさまでが世間に受け入れられた訳ではない。うっかりライトオタクの前で神へのえげつない崇拝心を語ってしまうと、秒の速さで引かれ散らかす事態となる。
ライトオタクは浅瀬でバタ脚を楽しんでいるのであって、ガチオタのように深海までは決して潜ってこない。
オタクがどれだけポップになろうと、ライトオタクとガチオタクの間には越えられない壁が存在している。オタク文化に詳しくないどこかの偉い大人がオタクを一括りにしていたけれど、お酒のアルコールに度数の違いがあるように、激辛ラーメンにレベルがあるように、オタク濃度にも透明に近い明度から光が見えない漆黒まで存在する。一般に受け入れられているのは、恐らく透明度五十パーセントまでだろう。
だからこそ私は、この隠れオタクを貫いていた。
オシャレに興味がある訳でもないのに服装や髪型に気を遣い、オタグッズに捧げるはずのお小遣いを泣く泣くファッション代に回している。太りにくい体質だった事もあり雑誌の読者モデルをしている私は、一応、学園ヒエラルキーの上位に属している。いわゆる一軍で、いわゆるイケてるグループで、このポジションを守る為に、私はほんの少しのオタク臭さえ醸し出さないよう普段から家族の前でも『隠れ』を貫いていた。
本当の自分を隠すこと。
今の私にとって、それが何より大切なことだ。
「オタ隠しは清潔感、命!」
鏡の前で全身をチェックする。フワッと流れる斜め前髪よし。サラサラのロングストレートよし。先生に見つからない程度のすっぴん風メイクよし。
今日も私の大切な体裁が整った。
一度大きく頷いてから、私は自室を後にしたのだった。
***
「少し体調が悪くて」
私は教室に入ってすぐ消えそうな声でハックにそう告げた。事前練習の成果か、自分でも驚くほど儚げな声が出た。
とりあえず私は、風邪で遅刻した事になっている。本来なら保護者が到着時刻を学校に連絡しなければいけないけれど、母は実家の両親の介護で不在という事にして自分で連絡を入れた。
ハックというのは、短く刈った髪に日焼けした肌、筋肉質な体格で、一年中白の半袖Tシャツ姿の国語教師だ。しかし保護者の八割は、ハックを体育教師だと勘違いしているらしい。ハックの名前は中村義明という。自分についたあだ名がどうしてハックなのか疑問のようで度々それを聞いてくるけれど、私達は毎回誤魔化して理由は教えない。それでもハックという可愛らしい語感を気に入っているようで、「ハック」と呼べばいつも笑顔で返事をしてくれた。
歯が臭いから。
それが理由だと知らずに......。
「担任の湯川先生から話しは聞いている。 両親不在の時に体調不良なんて、大変だったな。大丈夫か?」
ハックが私に一歩近づく。
「大丈夫です」
私はさり気なく一歩後ろへ下がる。 あまり近距離になると危険だ。
「そうか。無理はするなよ」
女子に優しいハックは、 黄ばんだ歯をむき出しにして微笑んでくれた。
席に座ると、後ろの未央が「風邪ひいたの?」と私の背中を突いてきた。
「うん……。 ちょっと、だけ」
嘘ついてごめん。
私は心の中で未央に謝る。
未央は、ストレートの髪を毎朝コテで三十分かけて巻いたゆるふわヘアーをつくっていて、今日みたいな風の強い雨の日でさえ、ちゃんとゆるふわをキープしていた。
「コテ職人。今日もいい仕事してるね」
未央のクルンッと丸まった毛先を指で摘む。
「燈子こそ、風邪ひいても前髪完璧じゃん」
「でしょ?」
未央と二人で小さく笑ってから、国語の教科書を取り出し開いた。
ハックが松尾芭蕉の句を読み上げ、 その句の解釈を順番に質問している。ハックはいつも廊下側の一番前から当てていくので、窓際列の私はとても安全だ。私は暇つぶしに、教科書に載っている芭蕉の似顔絵の帽子をマーカーペンでピンク色に塗る事にした。モノクロだった芭蕉に一箇所だけ色がつき、途端におちゃめになる芭蕉。
うん、なんか可愛い。
ついでに着物までピンク色にすると、俳句よりもラップを披露しそうなセクシーポップな芭蕉が出来上がった。ハックが芭蕉の句を詠み始めると、私の脳内に軽快な五・七・五ラップが流れ出す。
――夏草や! 兵どもが! 夢の跡!
チェケラー。
――五月雨を! 集めて早し! 最上川!
イェーイ。
韻は全く踏んでいないけれど、五・七・五の言葉の区切りが意外にもラップとマッチしていて私は驚く。もしかすると、五・七・五の調は、あらゆる分野の音楽にすんなり馴染む最強のリズムなのかもしれない。
そんな事を考えていると、ハックが気になる句を詠んだ。
「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」
声は、しみる。
分かるな、と思った。
音は、じっくりとしみ込んでくるのだ。教科書に載っているその句を指でなぞり、私は句の意味を考える。
芭蕉は静まりかえった場所にいて、そこに蝉の声だけが響いていたのかもしれない。まるで、母が初めて家出をしたあの朝のように静まりかえったキッチンでは、冷蔵庫の唸りだけが響いていた。
たった一つ鳴り響く音。それは、その場にはその音しか存在していないのだという孤独を強調する。
芭蕉はその声を、どんな思いで聞いたのだろう。私は、不安で不安で堪らなかった。
そんな風に想像してみると途端に芭蕉に興味が湧いて、私は芭蕉の文学と年譜という見出しの年表を真剣に読んでみる事にした。勉学に励む自分というものに、少しテンションが上がる。
『一六四四年、伊賀上野に松尾与左衛門の次男として生まれる。幼名金作、長じて甚七郎と改名、宗房と名のる』
金作からの、甚七郎からの、宗房……。
ここまで読んで、私は改名し過ぎている芭蕉に苛々した。そんな苛々の憂さ晴らしに、私は芭蕉の顔面までピンク色に塗ってやることにした。そんな彼に私は相応しい名を与える。
幼名金作、長じて甚七郎と改名、宗房と名のる。【……が、そののち顔魔出ピンクと宣言。数日で己の過ちに気づき芭蕉と改める】と年表に書き足した。
「よし」
いや、満足している場合じゃない。私はハッとして閉じた教科書を開き直す。
このままでは誰かに教科書を貸した時にこの落書きが見られてしまう。こんなものが見られたら、確実に芭蕉ではなく私のあだ名が『顔魔出燈子』に改名されるだろう。
危ない、危ない。
追加した文字と自分で塗ったピンク色を消しながら、本当に『消せるマーカーペン』って最高だねと、私は文具メーカー様の素晴らしい企業努力に感謝した。
きっと芭蕉も、ピンクマンから解放されて胸を撫で下ろしているに違いない。
「よし」
その時ちょうど授業終了の鐘が鳴り、大満足して私は教科書を閉じたのだった。
→ 2話 へ
:「オタク心、わかる!」や、「自分も隠れオタクだ!」などなど、少しでも共感してもらえたり笑って頂けたら、お気軽に【スキ】してもらえると嬉しいです。
★2話以降の各話リンク
| 第2話 | 第3話 | 第4話 |
| 第5話 | 第6話 | 第7話 |
| 第8話 | 第9話 | 第10話 |
| 第11話 | 第12話 | 第13話 |
| 第14話(完結)
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