隠れオタクの本音と建前に少しの初恋をブレンドしました(9)【創作大賞応募作】

あらすじ&1話 ↓

第9話

 カラオケの後のボーリングを計画的に……丁重にお断りして、私は八時過ぎに家に帰ってきた。そして、母と一緒に夕食をとる。テーブルにご飯を並べながら、母がまたあの言葉を口にした。

「お父さんね、今日も遅いみたい」
「一緒の家にいるのに、ほとんど会わないもんね」

 お味噌汁を受け取りながらそう言うと「そうね」と、母が安堵するように笑う。

 商社で統轄部長の父。
 料理上手で家庭的な母。
 学校でそれなりに人気者の娘。

 そんな三人が暮らす白くて綺麗な一軒家は、外から見ればとても良い家庭なのかもしれない。

 暴力を振るう父。
 家出を繰り返す母。
 嘘の仮面を被った娘。

 けれど箱の中味は、こんなにも壊れている。
 母が初めて家出をしたあの日以来、私は母の前でも仮面をつけるようになった。胸の痛みに気づかない振りをして、両親の事などもうどうでもいいのだと無関心を装っている。

 不意に、初めて高杉の声を聞いた日のあいつの言葉が脳裏を過った。

『僕はもう、全部どうでもいいんです』

 そう言った高杉は、今まで本当に言いたかった言葉をどれほど飲み込んできたのだろう。私は高杉の声ではなく、初めて、彼自身のことを考えていた。

 *

 夕食の後、私は部屋に戻り高杉に電話をかけた。

「ただいま。 高杉」
『若槻さん。 おかえりなさい』
「あのさ、高杉……」

 高杉の家族のことを聞いてみようとして私は口籠くちごもる。自殺まで考えていたのに、簡単に質問していい事ではないのかもしれない。

「そ、そう言えばね。ふと思ったんだけど」

 私は誤魔化すように、無理やり違う話を始めた。

「必ず語尾を伸ばして喋る子っているでしょ」
『え?』
「だからぁ〜とか、そうなのぉ〜とか」
『は、はい。いますね』
「すごく可愛いけど、ちょっとお馬鹿っぽいよね?」
『え? はい、まぁ。言われてみればそうですね……』

 なんの脈絡もない私の会話に戸惑っているのか、歯切れの悪い相槌をうつ高杉に私はそのまま話し続ける。

「これって、どっちだと思う?」
「どっち、と言いますと?」
「語尾を伸ばすからお馬鹿っぽいのか。お馬鹿だから語尾を伸ばすのか」

 自分で話しながら、本当にどうでもいい質問だなと私は嫌になった。
 そんな知りたくもない質問をする私に、電話越しの高杉が小さく笑ったような吐息が聞こえる。

「むしろこんな質問をする私が馬鹿だと思ってるでしょ」
『思ってないです!』
「嘘。思ったくせに! 私だって本当はそんなのどっちだっていいのよ。お馬鹿が先だろうが、語尾伸ばしが先だろうが、別にどっちだっていいのよ」

 私は高杉に、今までみたいに何も気にせず、本当に聞きたい事を聞けないでいる。

「だけどね! どーでもいい事に疑問でも持たなきゃやり過ごせない時ってのがあるの。わかる? 今まで数々の人類はね、どうでもいい疑問に頭を悩ませてきたの。哲学よ、哲学! いい? 馬鹿と人類は奥深いのよ!」

 もう無茶苦茶だなと思いつつ、一気にそうまくし立てると、高杉が急いで言葉を返してきた。

『僕も……ば、馬鹿と、人類は……奥深いと思いま、す!』

 所々、笑って喋れないのか。高杉の声が若干震えている。きっと訳の分からない熱弁をする私に、呆れているのだろう。

「やっぱり私を馬鹿だと思ってるじゃない!」
『思ってないです!』
「じゃあ、何で笑ったの。どうして必死に笑いを噛み殺してるのか言いなさい」
『それは、ただ……』
「ただ、何?」
『ただ、その……可愛いなと、思って』

 は……?

 可愛いなと、思って。可愛いなと、思って。可愛いなと、可愛いなと、可愛い可愛い可愛い……。

 ヒィィイイイー!!!
 イケメンにのみ許されし「可愛いなと思って」を、高杉の声で……!

 私はうまく呼吸する事ができずに床に倒れ込んだ。

『あれ? わ、若槻さん? あの、もしもし……』

 突然の沈黙に、高杉の声に焦りの色が混じりだす。
 私は衝撃のあまり言語中枢がシャットダウンし始め、何も言葉を返せなくなっていた。

『あ、あのっ……あの、若槻さんっ! え? 突然、何が』

 焦る高杉の声を最後に、私は無意識に電話を切っていた。
 現実の恋愛経験初心者の私に、不意打ちの『可愛いなと思って』は、刺激が強過ぎる。

「た、高杉のくせに……! たかすぎの……くせにっ!」

 サラッとあんな事を言うなんて、私が考えた「漫画でありがちなエロい台詞」は言ってくれないくせに、さっきみたいなことをサラッと言うなんて、キュンが上限に達して胸から溢れかえっている。
 私はしばらくの間、呆然として床に転がっていた。

 どうにか正気を取り戻した私は、部屋の壁掛け時計に目をやる。正気に戻るまでに一時間も要していた。
 そして、神が吹き替えを担当している洋画を見忘れていた事に気づく。

「あ」

 私には考えられない失態。録画まで忘れている。洋画の吹き替えは、二時間連続で神の声を堪能できる最高のコンテンツだと言うのに。

「ショック」

 しかしそう呟いたものの、それほど悔しがっていない自分がいた。今までの私なら、泣いて悔やんだはず。自分ではありえない心境の変化に戸惑いを隠せない。

 その時、握りしめたままのスマホが鳴った。

 ディスプレイに高杉の文字が表示される。心が騒いで、電話に出る事が出来なかった。鳴りっぱなしのまま困っていると、途中で留守電に切り替わった。その後すぐに、録音をチェックする。

『高杉です。 あの……さ、先程は、何か失礼がありましたら、すみませんでした。色々と考えてみましたが、どの会話が失礼だったのか気付く事ができず……やはり僕は、じょ、女子の気持ちを分かっておらず申し訳ありません。 そ、それでは……おやすみなさい』

 高杉からの初めての電話。録音された声を繰り返し、何度も何度も再生する。あれから一時間、高杉は私の態度に悩んでいてくれた。

 ありがとう、それから、ごめん。
 
 嬉しくて、申し訳なくて、そしてやっぱり嬉しくてたまらない。耳元で優しく響くその声に、私のやわな心臓が悲鳴をあげる。

 鼓動が早くて息苦しいよ。
 
「高杉のくせに」

 そっと左胸に手をあてる。
 トクリットクリッと繰り返すその心音は、今までにない感情が込められた、初めての音色のような気がした。

 → 10話


★第1話に各話のリンク有りです

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