隠れオタクの本音と建前に少しの初恋をブレンドしました(4)【創作大賞応募作】

あらすじ&1話 ↓

第4話

 昨日の雨から一転して、今日は抜けるような青空が広がっていた。
 爽やかな朝とは対照的に、私の心はどんよりしている。高杉にオタク天国の手提げ袋を見られた昨日のダメージがまだ回復していなかった。

 何か言い訳を見つけようと散々頭をひねってみたけれど、結局良い答えが思いつかないまま朝を迎えてしまった。
 打開策はなく、その上ひどい寝不足だ。

 高杉は昨日の事をもう誰かに話しただろうか。
 それが怖くてたまらない。そうなればきっと、今まで作り上げてきた私の体裁が、音を立て崩れ落ちてしまう。

 そんなの、絶対に嫌だ。

 それでも何もできないまま時間が過ぎて、もう家を出なければ間に合わない時間だった。
 遅刻をすると余計に目立つし、それに今日は母がいるのでちゃんと登校しなければいけない。私は仕方なく鞄を掴み学校へ向かった。

 教室の扉の前で足が止まる。
 どうしよう。やっぱり怖い。

 うつむいてモジモジしていると、後ろから声を掛けられ心臓が飛び出しそうになった。

「燈子、おっはよう! 今日、ちょっと遅くない……てか、どうしたのそんなに驚いて」
「み、未央! う、ううん! 何でもないよ。おはよ!」

 努めて明るい声を出して、私は覚悟を決めて教室に入った。窓際の自席へ歩きながら、変な目で自分を見ている人がいないかチェックする。

 大丈夫、今のところ、大丈夫。
 未央もいつも通りだ。

 席につくと、梨絵が寄ってきて「オハヨ」と私の肩を優しく叩いた。

「おはよ」

 同じように私も梨絵の肩をちょこんと叩く。この何気ないやりとりも、いつも通りで安心する。しばらくすると私を見つけた横山くんが、全力で駆け寄ってきた。こちらも変わりがなくてホッとする。

「今日もいい感じっスね。俺の燈子さん!」
「お前の燈子さんじゃねーけどな」

 そしてきっちり入る松田くんのツッコミ。全部いつも通りだ。
 教室の朝の雰囲気も、予鈴が鳴ってから息を切らせて走ってくる茜の姿も、昨日までと同じ、私の大切な体裁が保たれている。

 張り詰めていた緊張から少し解放され、私は唯一見ないようにしていた方向に視線を向けた。背中を丸め、うつむいて机の一点を凝視している高杉がいる。

 良かった。こいつもいつも通り。
  魂の抜け殻のままだ。

 安堵で大きく息を吐く。振り向いていた体を元に戻そうとした時、高杉が静かに顔を上げた。私と高杉の、視線が重なる。
  驚きで目を逸らせないまま固まっていると、授業開始の鐘が鳴りハッとなって体勢を前に戻した。

 ビックリした、ビックリした!

 あの感情の全く読めない瞳と目が合った。何を考えているのか分からない。昨日の事を、誰にも言わないかわりにお金を寄越せと脅されたりしたらどうしよう。
 ネガティブな考えばかり出てきてしまい、授業が始まってからも高杉の事が気になって仕方なかった。

 昼休み。
 お弁当の後で、またダイエット話で盛り上がる未央達に一言告げて、私はトイレに向かった。後ろのドアから教室を出る時、ふと高杉がいない事に気づく。

 あいつ、どこに行ったんだろう。
 まさか誰かに昨日の事を話しに行ったんじゃ……。

 また不安が押し寄せてきて大きな溜息をついた。
 このままでは鬱になりそうだ。トイレを済ませ手を洗いながら、もう何度目になるのか分からない溜息を吐く。

 女子トイレを出ると、全く同じタイミングで男子トイレから出てきた誰かとぶつかった。

「高杉!」

 思わず出た私の声に、彼が驚き肩を震わせる。

 このタイミングでまさかの高杉。
 ヤダ、どうしよう。

 昨日からずっと、この「どうしよう」ばっかりだ。もういい加減、この「どうしよう 」にも飽きてきた。それなら……、動くしかないっ!

 私は周囲を見渡し、誰もこちらを見ていない事を確認して高杉に耳打ちした。

「お願い。話があるから旧校舎の理科準備室に来て!」

 驚きで口を半開きにしたまま固まっている高杉に、もう一度早口で念を押す。

「旧校舎の方よ。わかった?」

 高杉は表情を強張らせたまま、それでも首を縦に振って頷いた。そして、すぐさまトイレ横の階段を駆けおりて行く。驚く程の従順さ。一言の反論もないまま私の指示に従う高杉の後ろ姿を見えなくなるまで見つめてから、私は急いで教室に戻り未央たちに声をかけた。

「私、担任に職員室に呼ばれてるみたい。ちょっと行ってくるね」
「えー。 どうしたの?」
「たぶん昨日の遅刻の事だと思う」
「そっか。行ってらっしゃ〜い」

 三人に手を振り教室を出た。そして、旧館に急ぐ。
 各学年の教室が揃う本館の渡り廊下から、古くなり取り壊しが決まった特別教室棟旧館に行く事ができる。
 昼間でも電気のついていない旧館は薄暗く、グラウンドから聞こえてくる遠い喧騒けんそうが、この場所の静けさをより強調していた。

 人がいない校舎って、なんでこんなに不気味なんだろう。

 心拍数が上がっていくのを感じながら、私は準備室の扉に手をかける。ゆっくりと扉を開けると、途端に埃っぽい臭いが鼻についた。

 空気悪っ!

 セーターの袖を伸ばして口を覆い中へと足を進める。教室の中は空っぽなのかと思いきや、まだ沢山の備品が残っていた。

 あれ?
 先に着いているはずの高杉の姿が見当たらない。

「高杉、どこ行った?」

 独り言を呟いた瞬間、棚の後ろで物が揺れる音が響き心臓が跳ねる。

「え? ……た、高杉? いるの?」

 恐る恐る奥の小部屋を覗くと、直立人体模型と高杉が並んで立っていた。

「ギャー! ちょっ、ちょっと! なんで人体模型と仲良く並んで突っ立ってんのよ!」

 私の叫びに高杉が何か言おうと口を開く。

「待って! やっぱり何も言わなくていい!」

 僕の友達です。などと紹介されても困る。高杉から言い出し兼ねない陰気な雰囲気が漂っていた。ここは用件のみを伝え、素早く立ち去るのが一番。そう思いすぐに本題に突入した。

「話っていうのは昨日の事なんだけど、その……雨の中、ぶつかったの覚えてる?」

 なんなら忘れ去っていて欲しい。少しの願望を込めて確認したけれど、高杉は首を縦に振った。

「やっぱり覚えてるか……。じゃあ、私が何を落としたとか……それを誰かに話したりした?」

 探るように高杉の顔を覗き込む。距離が近付いたせいか驚いたように体を後ろに引いた高杉が、今度は首を横に振った。嘘をついている様子は無く、私はようやく安堵の息を吐く。

「絶対に誰にも言わないでね! 言わない為の条件とかあるなら可能な限りは聞くし。例えば……欲しいものとかある? 高過ぎるのは無理だけど、しっかり口止め料払うんだから絶対の絶対に言わないでね」

 私が両手を合わせてお願いポーズをすると、そこで初めて高杉が言葉を発した。

「口止め料なんかなくても、言わないから」

 その声が、萌え中枢に突き刺さる。
 それは、少し癖のある低音でほのかに甘い響きをまとっていた。

「え? やだ、何、今の声。嘘、待って! え、混乱する! 今のは高杉の声? まぼろし? ちょ、ちょっと、お願い! もっかいしゃべって!」

 抜群に良い声だった。けれどそれだけの事で、私はこんなに取り乱したりなどしない。この声に、神の声でさえ感じる事のなかった何かを感じて胸が震えたのだ。その何かの正体は、このたった一言だけではまだ分からない。

 確かめたい。
 その何かを。

 確かめる。
 今すぐに!

「お願い、何でもいいから喋って!」

 猛烈な勢いで私が詰め寄ると、高杉は怯えたように後退りした。

「き、急にそんな事を言われても……な、なにを喋ればいいか……」
「あぁ、良い声……。って、浸ってる場合じゃなくて、私が今から色々と質問するからそれに答えて! それなら話せるでしょ?」

 そう問い掛けると、高杉は困惑の表情のまま頷いた。

「今のクラスになってから、教室で一言も喋ってないよね? 先生にあてられた時、どうしてたの?」

 本読みなどで高杉がこの声を発していれば、私がそれを聞き逃すはずはない。

「黙ってうつむいていたら、そのうち次の誰かに代わるから」
「どうして話さないの?」
「全部、もうどうでもいいんだ……」

 切なく掠れる語尾に、自暴自棄なこの台詞。
 何これ、好き!

 条件反射で声に悶えながらも、この会話で高杉の声が持つ魅力の分析が出来た。

 まず、神の声は低音で甘い。 その甘さに色気も感じている。けれど高杉の声には、それを上回る艶があった。高杉が発する音に、しっとりと濡れたような色気を感じるのだ。

 好き!

 更にこの声は、癒やしの要素まで兼ね備えている。前方へ突き刺さるような力強さはないけれど、後方から全体をじんわりと包み込むように、この声は柔らかく柔らかく響いてくる。
 高杉の声には、色っぽさと癒し、かけ離れた二つの要素が同時に存在していた。

 好き!

 声の考察をする合間に、ちょいちょい萌えが漏れ出てしまうのを抑えきれない。

「お願い! さっきのエモい台詞、もう一回言ってくれない」
「……え? せ、台詞?」

 興奮のあまり台詞などと言ってしまい、私は慌てて誤魔化す。

「や、えっと……。あの、全部どうでもいいって、何かあったの? 嫌な事とか? 友達とケンカしたとか?」
「友達はいません」

 この問いで、高杉の目からさらに生気が抜けた気がして私は焦る。

「で、でも! 家族は大事にしてくれるでしょ?」
「いえ」

 即行で否定され、とうとう私は口籠くちごもった。

「両親は弟がいればそれで満足で、家の中にも僕の居場所は無くて……」

 何かフォローしなければと思いつつ、不謹慎な笑みを浮かべてしまい私は急いで口元に手をあてた。

 だって!
 震えるほどいい声なのだ。

 その言葉や表情から、高杉が絶望している事は伝わってくる。私だって普通なら、励ましの言葉を掛けて元気づける。だが今はこの極上の声のせいで、私は萌えの奴隷と化していた。

「僕には何も無い」

 イイィーー!!
 凄く良いいいいーー!!!

 ありふれた台詞でありながら、唯一無二のエロさとエモさを兼ね備えた艶のある声。それが私の鼓膜を震わせ、胸まで響いてじんわりうずく。

 やはりこの声は、神を超えている。

 思わず、犬のように遠吠えしたくなるほどの興奮が胸に湧き上がる中、更なるイケボのお恵みが私に降り注いだ。

「だから今日、終わりにしようと思ってた」

 アオーーーン!
 遠吠えだ、遠吠えだ。
 叫び散らかさずしてこの興奮を抑える事などできない。
 終わりにしようと思ってた。これもイイ! めちゃくちゃ良い台詞だぞ!

 終わりにしようと……ん? 
 終わり? 
 終わりにするって……何を?

「誕生日に死ぬ事で、ほんの少しでも両親への復讐になればいいって思ってた。僕はもう全部どうだっていいんです。だからあなたの事も誰にも言わないので安心して下さい」

 私の事は誰にも言わないって……そんな事、今そんな事……どうだっていい。
 終わらせるとかふざけるな。

「何考えてんのよっ!」

 私の怒声に高杉が逃げるように後退りして壁際の棚にぶつかった。

「ヒッ……だ、だだだから言わないです、言わない……言いません」

 私の怒りの理由を勘違いしたのか、高杉が必死に言わないと連呼している。

 そうじゃない。
 そうじゃないのよ、このバカ!

「あんた。その声、無駄にする気?」
「声……?」

 困惑の色に染まった高杉の目が私を凝視する。

「許さないから、そんなの絶対、許さないから! あんたの声は、私の神を超えたのよ!」

 高杉は死のうと思うほど絶望している。
 辛くて死にたいと思ってしまう心境は、私にだって理解できた。

 母が初めて家出した日。
 母はもう戻って来ないのだと思った。

 それは幼い私が知った初めての絶望で、あの日の私は高杉と同じ気持ちに追い込まれていたと思う。

 泣いて、泣いて、知らないうちに眠ってしまい、それでも目が覚めれば、そんな時でさえお腹はすいた。食パンをかじって、水を飲んで、空腹が満たされるとまた涙があふれて止まらなくなる。

『諦めるな! 勝負はこれからだ』
 
 いつテレビの電源を入れたのか。
 響いたその声を、私はただ信じた。

 今日からこの声が私の全てだ。だから大丈夫。もう大丈夫。これだけで私はきっと生きていける。
 そう思いたくて、そうだと思い込んだ。

 そして今日、この神を超える声に出会った。
 それなのに……。

「その声は死なせない!」


 高杉のネクタイを掴み上げてそう叫んだ直後、午後の授業を知らせる予鈴が遠くで鳴り響く。

 その瞬間、私は我に返った。

 どうしよう! 誰にも言わないで下さいとお願い事をしているのは自分の方なのに、あろう事かその相手のネクタイをガッツリと掴み上げている。
 私は急いで手を離し、さり気なくネクタイの皺を伸ばして整えた。

「……と、とにかく、そう言う事なので、宜しくお願いします」

 深々と一礼して、逃げるように理科準備室を飛び出す。

 何が、とにかくなのか。
 何が、そう言う事なのか。
 何が、宜しくお願いしますなのか。

 自分でも混乱し過ぎてよく分からないし、何も考えられない。
 そうだ、こんな時は考えるのを辞めよう。やめだ、やめだ。もうどうでもいいよ。そう。高杉とかどうだっていいし。
 
「嘘だ……」

 どうでもいい訳が無い。
 だってまだこんなに、あいつの声が心の一番深い所で響いている。
 あの声を、忘れる事などできなかった。

5話


★第1話に各話のリンク貼ってます!

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