【イベントレポート】飯田正人×久禮亮太「本を発注するとき書店バイヤーと個人書店主が考えていること」@フラヌール書店に参加してきた!
考えてみればリアルイベントにこうやってお客さんとして参加するのはかなり久しぶりかもしれない。ここ3年くらいは店とライター仕事で手一杯過ぎたからなあ。そろそろちゃんと直接足を運んで場に参加するというのをしなくては。
ということで、7月12日(日)19:00~21:00にフラヌール書店で開催された飯田正人×久禮亮太「本を発注するとき書店バイヤーと個人書店主が考えていること」に参加してきた。
久しぶりのイベント参加はライブ感のあるやり取りがやはり楽しかったのだが、内容はというと、飯田正人さんが出された通称「エビのZINE」、おてあげ叢書第一弾『本を発注するときに書店バイヤーが考えていること』の出版を記念したもので、飯田さんがナショナルチェーンの仕入担当という立場(かつ書店現場にも経ったことのある立場)から、対して久禮さんがチェーン店ではあるものの単店の副店長・店長であった立場、そして現在は個人書店の店主であるという立場、それぞれから仕入について話すというものである。
まず、話はお二人の出会いから始まり、『本を発注するときに書店バイヤーが考えていること』の話に移っていった。
『本を発注するときに書店バイヤーが考えていること』
いままで教えられてきた立場で不満に思っていたことを形にしたという同書は、つまり、現場の立場からだけではなく、仕入という行為を構造的に捉えて、その上でどのようにすればよいのかにつながることを書いてあるのだが、執筆の経緯が話される。
いわく「新刊書店にはある種の新陳代謝があることからはじめる」「例えば面陳棚が少しずつ挿し(背を見せる陳列)になっていく理由とそれが良くない理由を言語化したい」など。
さらに話は同書の詳しいところに踏み込んでいく。
同書には本を発注するときに書店バイヤーが考えていることには4つあり「品物を見定める」「配本を決める」「販促物の手配」「現場に伝える」である。久禮さんがそれぞれを
商品を選ぶ→売れそうかどうかだけでも、良いかどうかだけでもないという目利きの感覚
配本を決める→店ごとの地理感覚、計量感覚
販促物の手配→時間の流れを含めた動的感覚
現場に伝える→コミュニケーションが大きな課題、現場と目線を揃えること
と言い直していて、これはつまり、動詞をスキルの名前に言い換えていたということなのだと思うがこれが非常にわかりやすかった。「書店をチームでやるときに困ることを網羅している」と指摘する久禮さん。Xでの投稿では「こういったモデル的思考を読んでくれているであろう新人たちになんとか噛み砕いて伝えようとしているんじゃないか」とも言う。
そんな感じで本部のバイヤーとして考えていることを久禮さんのナビゲートで少しずつ詳らかにしてくれていったイベントだった。
おもしろかったことはいくつもあるがあえて挙げるとすれば「エントロピーの増大に抗う」「チェーン書店の金太郎飴化・独立書店の金太郎飴化」「返品ありきの売り場づくり」の3点だろう。
エントロピーの増大に抗う
なぜこの言葉が出てきたかというと、発言主は久禮さんの師匠に当たる人で「本屋とはなんですか?」みたいなことをその師匠に聞いたときの返答だ。響きが格好良すぎるがどういう意味なのか。
久禮さんいわく、新刊書店というのは大きなゾウのお世話係のようなものなのだという。返品ありきで日々の新陳代謝とどう向き合うかというものなのだ。開業時こそリスト的に「良い本」みたいな基準で選書ができるがオープン後はどんな本が売れるのかをチェックしてそれに応じて本を入れ替えていく。お客さんにとっては育てゲー(育成ゲーム)のようなもので1,2年かけて使いやすいものにしていくようなものなのだという。
だが、書店員が売れている本を分かっていないと売れている本はなくなり売れていない本が残っていってしまうことになる。これを「エントロピーが増大する」とくだんの師匠は表現したのだ。良い新刊書店の条件は良き新陳代謝を維持することなのである。
と、言いながらも、エントロピーが増大するすごい不健康な状況の店は業界人が見たら分かるけど、日々利用しているお客さんは分からないのかもしれないとエクスキューズを入れるのがさすがというか謙虚というか。お二人の言葉に説得力がある理由だと思う。
チェーン書店の金太郎飴化・独立書店の金太郎飴化
『だれが「本」を殺すのか?』が出版された頃の時代(2001年出版)だと思うが、新刊書店はどこに行っても同じような品揃えで金太郎飴みたいだ→金太郎飴書店という言葉が流行った時期があった。
いまでこそあまり聞かない言葉だが(そもそも書店時代がなくなっているのだからそりゃそうだ)、否定的な意味で遣われていたこの言葉を、飯田さんも久禮さんも肯定的に使っているというのがおもしろかった。
例えば、一万冊を並べる店をつくるとしてどういう本を並べるか考えるのなら、それは売れ筋ランキング通りでも良いのではないかというのだ。さすがにそればかりでは寂しいからランキングの下位と入れ替えで良い本(長い期間売れる本)を入れてもいいと思うが、書店員の置かれている状況は厳しく、簡単に言えば人員が足りないので時間がない。それでもどうにかランキングのみにはならないように現行ルールの中での最適解を探って、実践していくしかない。結果として、どこも似たような店になったとして、それは日々通うようなお客さんにとって何の問題があるのかということである。
というのは飯田さんの言だが、久禮さんも手っ取り早くPOSデータをぶち込んでつくることに嫌な面はあまりないと思うのだという。POSデータに出てくるのは売れた本で、それはつまり必要とされている本なわけで、むしろ、そういった必要とされている本を並べないことは「あの本がない店」という店にとっては不名誉な評判になるというのだ。
一方で、独立書店は、チェーン書店と比べるとより狭いが故に、そして買切りであるが故に、さおして最後に配本がない故に、チェーン書店よりもセレクト感が強くなる。これが金太郎飴書店と揶揄されてきたチェーン書店のオルタナティブであるとも言えたのだが、ここ数年で年に百店以上の独立書店が増えている状況下では逆に「どの独立書店に言っても似たような品揃え」という、逆の意味での金太郎飴書店という概念が発生しているということだ。
この概念についてのアンサーは筆者も去年書いた。上記で飯田さんと久禮さんが言っていることと同じだ。それはそもそも問題ではないのである。
ここからがおもしろくて、久禮さんは、チェーン書店など新刊書店のコンサルティングをしつつ自身の独立書店フラヌール書店を経営している。両方の視点を持っているわけだ。そこで迷いが発生しているという。
つまり、わざわざ行きたくなるようなセレクト書店の期待に応えたい面、西五反田の最寄書店としてのニーズにどこまで応えるかという問題である。普通の本屋の顔をどこまで頑張るべきか問題であり、一方で、先に挙げた独立書店(久禮さんはセレクト書店と表現していたが)版金太郎飴書店になりたくなくてそれっぽい本を外してばかりいたけどもそれはそれで良いのかということである。
そうして迷っていった結果、フラヌール書店を開店してから4年目にしてよやく二重の意味で金太郎飴で良かろうと思えるようになったそうだ。
ところが、ここでひとつ問題が立ち上がってくる。独立書店はほとんどの場合、配本制でも委託制でもないのである。そのため、久禮さんが前職のあゆみBOOKS小石川店時代に作ってきたノウハウをそのままフラヌール書店には適用できないのである。なぜなら、チェーン書店というか一般的な書店の棚作り・売り場づくりは返品できることが大前提であるからだ。
返品ありきの売り場づくり
それを象徴する言葉が飯田さんの「返品から始めなさい」である。新人にはこう教えるのだ。
現場だけを見ているとついつい何を仕入れるか・どんな本を置くかを念頭に考えてしまうが、売り場づくりのコツはまず問答無用でまず場所を作ることからなのだという(これはたしか『本を売る技術』(矢部潤子)にも書いてあった)。棚の鮮度は何を外すのかの繰り返しであるからだ。
しかし人の心というのは難しいもので、現場ではやはり返品を強制するのは難しい。それはそうだ。棚に残しておけばいつか売れるかもしれない。その可能性をなくしてしまうことは感覚的にやりたくないだろう。例えば、現場はどうしても「本部から言われたものは外すと怒られるんじゃないか?」となってしまう。本部が「返品してください」と何度も言っても「別にまだ良くない?」となりがちなのだという。現場からすれば緊急性がないから伝わらないのだ。「売れるから仕入れて」は通じるが「要らないから返品して良いよ」は緊急性がないため通じにくいのだ。
だから飯田さんはむしろ仕入がちゃんとできるように仕向けるそうだ。人間というのは難しい。
さて、このやり方は大雑把にまとめると「返品ありきの手法」だと言える。返品ができるからこそ常に棚を流動させていられるのだ。独立書店だって棚の鮮度は保つようにしているが、買切である以上、予算もあり、流動率が低くなる。そのため、フラヌール書店は長く丁寧に売るやり方を取らざるを得ない。
ところがである。では、長く丁寧に売る、と簡単に言うが、本にもそれぞれ賞味期限の長い本と短い本がある。例えば、タレント本は賞味期限が比較的短い。一方で夏目漱石など刷りが重なっているものは分かりやすく長い。そんな感じであるが、しかし最新刊の賞味期限がどのていどかというとその判断は難しい。
判断基準としてあり得るのは全体の数字でこれは現場では分からず、そのため「この本は売り切った」という感覚が生まれにくく、結果、これまでに何冊売れたという実績に引っ張られてしまいいつまでも返品することができなくなってしまうのだ。
(一つの店の中で売り終わったという感覚を得るには『スリップの技法』が有効だという話もあった)
では買切を増やせばよいのか
ここから、ブックセラーズ&カンパニーをはじめとした「返品率を下げるために買切を増やす。その代わりに掛率を改善する」という議論についての話となった。
飯田さんはこの議論には先に書いたような「本の賞味期限」が入っていないことが問題だという。例えば、直木賞は受賞作が決まらないとどの本が売れるかわからない。決まった後にたくさん買切で入荷させてほしいのだが、しかし、出版社としてはそんなことしなくても売れる本なのだからわざわざ女権を変える理由がないのだ。
そう考えると、売れていない本を買切にしたいだけなのではないか? という邪推すら成り立ってしまう。それは言いすぎだとしても出版社はどんな本でも書店が目をかければもっと売れると素朴に思っているのではないか。これについては、『この時代に本を売るにはどうすればいいのか』(飯田一史)さんが「そもそも出版点数を減らして一点あたりにかけるプロモーションコストを上げれば良い」と書いていてまさにその通りだと思うのだが、現状でうまく行っている(と認識している)出版社からすればわざわざやり方を変えるリスクがないのである。
(私見であるが、出版業界の構造問題は、書店が返品率を下げる話ではなくて、出版社が出版点数を減らす話なのだと(どちらも必要なことだが比重として)思っている)
とはいえ、やはり書店側からもあらたなロングセラーの発掘は必要だしそれらを売り伸ばすための売り場づくりも必要だという話もあった。当たり前のことだが出版社だけ、書店だけではなく、両方必要なのである。
それにしても、久禮さんが環境を整えて「私が良い本だ」と言えば売れる舞台装置をつくるのも書店員の仕事と言っていたのがおもしろかった。
本の賞味期限
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