ご馳走は老舗の味?
こんにちは。ぼーんぐんです。
大阪・ミナミの代表的な繁華街「道頓堀」をみなさんはご存じでしょうか。カニ道楽やグリコの看板、中座のくいだおれ人形などの映像で一度は目にした事があると思います。
その「道頓堀」は江戸時代より日本最大の劇場街「道頓堀五座」として名を馳せていました。
「道頓堀五座」とは浪花座・中座・角座・朝日座・弁天座の五つの劇場のことで、現在は残念ながら平成バブル崩壊を受け事実上すべて消滅してしまいましたが、往時は道頓堀の南側に大層立派な劇場が並んでいたんです。
「道頓堀五座」が元気なころの道頓堀は、大勢の見物客でとても賑わったそうです。人が集まってくると、必然として食べ物屋も繁盛しました。冒頭でご紹介した多種多様な看板や建物の店舗は当時からの名残といえるのです。
老舗のきつねうどん店として今も賑わうのは、江戸時代に中座向かいの芝居茶屋「稲竹」を創業した「今井うどん」店です。大阪らしい美味しいきつねうどんが安価で味わえると情報誌には必ず登場する有名店です。玄関先の柳の木が目印ですから是非道頓堀へお出かけの際にはお立ち寄りになってください。大阪の味が堪能できますよ。お勧めです。
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さて、世の中には”老舗”といわれるお店が多数存在していますがその実態をみなさんは適切に説明できるでしょうか。
私はこの「老舗」という言葉に、いつも心をくすぐられてしまうのですが、実は長く続いているということ位にしか良く分かっていないんです。
老舗蕎麦屋のざるそば、老舗和菓子屋のお饅頭、老舗旅館のおもてなし、
何の魔法なのか、”老舗”とつくだけで「それなら大丈夫だ」と勝手に思ってしまいます。老舗飲食店の料理なら、たとえお腹が一杯であっても「食べてみたい!」と思いますし、老舗文具店の万年筆なら「是非使ってみたい!」と心が浮き立つのです。
「いやぁ、小市民ですね」
この「老舗」。調べてみますと次のように出ています。
①先祖代々の業を守りつぐこと。
②先祖代々から続いて繁昌している店。また、それによって得た顧客の信用・愛顧。
なるほど。「信用」や「繁昌」というのがキーワードですか。今でいうところの「口コミ」でしょうか。食べてみて美味しかった。品質が良かった。おもてなしが良かった。そして、多数の同じ意見の賛同が得られた。リピートしたくなった。人を連れて行きたくなった・・。こんなことですね。
ですから単に古いだけで”老舗”とは呼ばれないんです。
・長年変わらない味や雰囲気
・製法や原材料にこだわりを持って
・お客様に愛されて続けている味
・時代が変わってもなお支持されている
そして人気のお店や商品は時の権力者の耳に届きやがて格式化されるのです
天皇陛下献上の品、天皇家ご用達の品、時代を遡れば、幕府や大名、旗本や公家、寺社などに出入する特権的な御用商人の格式などです。 また、近代以降においては、皇室や王室等からの取引指定を受けて物品等を納めることかもしれません。
そして後にその「格式」や歴史上の「エピソード」だけで物が売れるようになり、そのような品を扱う百貨店で扱われているものは全て高級で高価なものというイメージが先行してしまうのです。
・かの有名人が好んだ味
・かの歴史上の人物が好んだ文房具
・かの偉人が泊まった旅館
そういったものが、すべて良いものとイメージされるのです。
私は子供の時分、高級と言われる老舗の品を頂いたことがあります。何か重厚そうな包装紙で包まれ「これが美味しいものなのだ、本物の味なのだ」と舌に覚え込ませた記憶があります。親からは「子供では価値が分からないものでも大人になれば分かるさ」と言われて納得したことがあります。
今、私は当時より随分大人になりましたが、先日当時と同じ老舗の品を頂いてもまだ価値を十分理解できないようです。「違いが分かる大人」になるまで、あと何年かかることでしょうか。
料理も、人も、サービスも、それに付随するプロパティ(いわゆる権威や格式、肩書や歴史といった類のもの)は、本質を判断する際の邪魔になるだけだとし「そのもの自体と直接向き合おう」とする私の癖が邪魔をするのかもしれません。
「老舗であろうがなかろうが自分の感覚を信じよう」
そう思うのです。
みなさんは如何ですか?もう「老舗の味が理解できる違いが分かる大人」になりましたでしょうか。
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第五回:ご馳走はコンビニの味
https://note.com/booooooongun/n/n65849ca2e5ef
第七回:ご馳走は思い出の味
https://note.com/booooooongun/n/nda50f0d6702e
