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【伊丹十三】『食べたり、呑んだり、作ったり』宮本信子×松家仁之トークイベント感想レポ


ここが私のアナザースカイ。伊丹十三記念館です。今回はそこで起こった「神イベ」について語ります。


2017年4月8日、“伊丹十三とテレビ”について語る「是枝裕和×今野勉 対談」に足を運びました。それから実に9年。2026年5月17日に、私は愛媛の地にある伊丹十三記念館まで自分の車で3時間ほど運転し訪れました。

今回は“伊丹十三と料理”について。企画展『伊丹十三の「食べたり、呑んだり、作ったり。」』の鑑賞と、その関連イベントに参加するためでした。聞き手に小説家であり編集者の松家仁之氏を迎え、宮本信子館長が伊丹十三の食の世界について“おおいに語る”トークイベントです。

会場は記念館内の「カフェ・タンポポ」、定員はわずか40名。このプラチナチケットを手にした瞬間からワクワクしていました。当日までに『伊丹十三の台所』を予習しておくと良いのではと思った予感は的中しました。




1.伊丹十三記念館はいつでも歓迎してくれる


2026年5月17日、12時。伊丹監督のベントレーコンチネンタルE-BDが駐車してある正面に自分の車を停めるときはいつも緊張します。その緊張は尊敬の爆発からくるものなのだと思います。


ところが、いざ車を降りると、記念館は誰でも遊びに来られそうな優しい佇まい。私のことも歓迎してくれるのではとあたたかい気持ちになります。愛媛松山の雲一つない高い青空。何度も来たくなる、とても居心地のいいミュージアムなのです。まずは入館し常設展と企画展を楽しみます。

伊丹十三の常設展は1から13までのコーナーに分かれており、映画監督になるまでの資料が並んでいます。映画好きだけではなく、乗り物好き、音楽好き、絵画好き、テレビ好き、猫好き、料理好きまで幅広く楽しめて、とてもおすすめです。


企画展『伊丹十三の「食べたり、呑んだり、作ったり。」』は若い頃から器や台所道具を吟味し、和洋中あらゆる料理で人々をもてなした伊丹十三の「食」のこだわりに迫る企画展。

愛用の酒器やカトラリーのほか、映画『お葬式』の舞台となった湯河原の自宅から実物のガスコンロや冷蔵庫も展示されています。直筆のエッセイ原稿や挿絵、スペシャル動画の公開されています。

伊丹十三が追い求めた「食べる、呑む、作る」の情熱と息遣いを間近に体感できる、見どころ満載のイベントです。

業務用か!と思うほどのプロの調理器具、器が並んでいました。展示されている有次の包丁の、研ぎ澄まされた刃の鋭さ。実際に使っていたグラスや古伊万里の、金継ぎの跡の美しさ。そこから伝わる伊丹十三のこだわりや愛情を物語っています。

スペシャル動画は、伊丹マニアたちの伊丹イズムを継承した料理紹介。伊丹十三はみんなの精神に息づいている。みんなが伊丹十三を継承していると実感して、心強い思いでした。

少し思っていたことの答え合わせが宮本信子さんのお話ででき、涙を流して感動するのはこれからの話です。




2.宮本信子×松家仁之の伊丹マニア大歓喜ここだけトーク


16時。閉館後の柔らかい夕暮れの光が差し込むカフェ・タンポポに、選ばれし40人の熱気が満ちていきます。

愛媛新聞より引用

今回のファシリテーターである松家仁之氏は、『伊丹十三選集』や『伊丹十三の台所』を編集した、いわば伊丹マニアの超上級者です。彼が掲げた方針は明快でした。「質問を13用意しました。宮本さんにこれまで聞けなかった気になることを聞いていきたい」でした。テレビや本でも語られてこなかった、伊丹ファミリーの真実の食生活から人生のドラマをどんどん引き出していきます。

私の知る限り、この世界には「伊丹十三マニア」と呼ぶべき凄まじい先達たちがいます。宮本信子さん、次男の池内万平さん、一六本舗社長で伊丹映画のプロデューサー玉置泰さん、建築家の中村好文さん、小説家の松家仁之さん、そして学芸員の中野さんです。皆さんが舞台や客席、機材スペースに集結。

その錚々たる顔ぶれの末席に、25年以上、人生の9割にわたって伊丹ファンを続けて日常で実践し続けてきた自分自身をそっと並べてみます。その確かな自負があるからこそ、この濃密な密室で交わされる言葉のすべてが、私の五感を激しく揺さぶる一瞬となりました。




3.助手席に乗せられて。二人の出会いと信子さんの「覚悟」


トークの幕開けは、若き日の伊丹監督と宮本信子さんの二人の、驚くほど生々しい日々の記憶でした。

「伊丹さんにいろんなお店に連れていってもらったの。最初は断っていたけれど、断る理由がなくなるくらいに誘ってきたんです。映画の撮影を見てもわかるけれど、本当にしつこい性分なの、伊丹さんは」

宮本館長は、昨日のことのように悪戯っぽく笑いながら当時を振り返られました。若き日の彼女は、伊丹の愛車であるロータス・エランやアルファロメオの助手席に乗せられ、東京の最先端、カルチャーの結節点へと連れ出されました。

銀座の小笹寿司、六本木のキャンティ、麻布の野田岩、そして原宿のイタリアンへ。当時としてはまだ珍しい極上のイタリアンに連れていってもらい、エスカルゴが出されたとき、「どうやって食べるの?」と戸惑う彼女に、伊丹は優しく、しかし完璧な作法を手ほどきしてくれたといいます。

だが、その華やかなデートの裏には、重く苦しい現実の影が張り付いていました。当時、伊丹十三にはまだ妻がいたのです。
「伊丹さんには奥さんがいる。なのに、私は遠慮しながら会っていました」

「会うときはいつも、二人きりではなく二組の男女によるダブルデートでした。夜中の4時までボウリング。その足で広島の牡蠣を食べられるお店へ転がり込んでね」

そんな狂騒の中に身を置きながらも、彼女の心は引き裂かれていました。
「私は、太陽の下でみんなに祝福されながら恋愛をしたい」

その一心で、彼女は何度も伊丹さんから逃げ出そうとしたそうです。泥沼の渦中にいるからこそ、自分からは絶対に好意を寄せる言葉は口にしないと心に決めていたそうです。

「でも、伊丹さんは私を探し回りましたね」
しつこさが表れています。やがて、伊丹さんから「結婚してください」という言葉が発せられたとき、宮本信子は退路を断ちました。

この人と、一生を添い遂げる」という、途方もない覚悟を決めたのです。




4.完璧主義者の台所。時空を超える思考のリンク


「結婚すれば、少しは優しくしてくれるかもしれない」と信子さん。そんな甘い期待は、打ち砕かれました。

料理から何から、異常なまでのこだわりを持つ伊丹さんは、一回り離れた同じ酉年の妻に対し、容赦のない指導を始めました。

特に厳しかったのが、卵料理の仕上がり。そして食器の扱いでした。
信子さん「料理を作っても、決して褒めてはくれないの」

古伊万里の焼きものを愛し、もし割れてしまったら金継ぎをして大切に使う。割ること自体には怒らないのですが、息子たちが食器を片付けるときには、伊丹さんによる冷徹な「採点」が待っていました。「今、カチャッと音が鳴ったから減点だね

美学という名のルールが家中を支配する生活。大物や美男美女が集まる麹町の独身時代のパーティでは、周囲の話についていけず、自分の身分に合わないと萎縮した信子さんがひたすらキッチンでお皿洗いをしていたこともあったそう。

「何やってんの!」と伊丹さんに笑い飛ばされたその記憶の底には、完璧主義の夫と向き合い続け、心が折れそうになりながらも踏みとどまった彼女の、壮絶なまでの意志の強さが通底しています。

そんな伊丹十三の「食と道具への偏愛」が語られる中で、私は自身の内側が激しく共鳴し、歓喜に震えるのを感じていました。

宮本館長の口から明かされた、伊丹十三のウイスキーの流儀。
「ウイスキーは、水割りなんてとんでもない。水を横に置いておいて、必ずストレートで」

初めて聴く情報でした。しかしそれを耳にした瞬間、私は「ああ、やっぱりそうか」と、深い納得の笑みを浮かべていました。なぜなら、私自身が今大好きなウイスキーの飲み方と、一致していたからです。

エッセイの行間を読み解き、情報として知る由もなかった彼の思考と、100%の純度でリンクすることができた。その瞬間、私は確信しました。

伊丹十三は過去の人物などではありません。彼が遺した美学の「問い」に対して、私たちが日常の中で実践という「答え」を返し続ける限り、彼は今も我々マニアの心の中で、鮮烈に生き続けているのだと。

それは、お猪口のエピソードも同様でした。伊丹さんはゲストが来ると、その人の好みや佇まいに合わせて、膨大なレパートリーの中から最適なお猪口を選んでおもてなしをしたといいます。

私はリーデルのワイングラスを集めるのが好きで、「このワインには、絶対にこのグラス」と決めたくなる性質があります。そのストイックなまでの器へのこだわりが伊丹さんのそれと重なり、たまらない親近感を覚えるとともに、それが独りよがりの収集癖ではなく、ゲストに最高に楽しい時間を提供するための「利他の美学」であったことに、深いリスペクトを抱かずにはいられませんでした。

さらに音楽の趣味です。華やかなスター性で一世を風靡したカラヤンとベルリン・フィルではなく、本物志向を貫き、伝統の響きを実直に探求したカール・ベームとウィーン・フィルを好んでいました。

ベームのレコードを擦り切れるほど聴き、カルロス・クライバーを、バッハを、モーツァルトを愛した伊丹さん。今年の11月に私もウィーン・フィルの生音を浴びる予定がありますが、その時私の耳に届く音響は、かつて伊丹が湯河原の自宅で追い求めたあの豊潤な響きと、時空を超えて地続きになるのです。




5.湯河原の風がほどいたもの。他者を「許す」ということ


しかし、この日のトークイベントが真の傑作となったのは、松家仁之氏が放った、ある極めて批評的な切り口によってでした。それは、個人の強烈なこだわりという「美学」の話から、一人の人間が成熟していく「家族のドラマ」への、鮮やかな転換点でした。

伊丹十三の、あの息が詰まるほどの完璧主義とエリートの権化のようなシルエットが、劇的に変化する場所があります。それが「湯河原での暮らし」でした。

有次の鍋や包丁を揃え、完璧な料理を追い求めていた男が、湯河原の自然の中で家族と向き合ううちに、ある決定的な真実に行き着きます。

妻も、息子たちも、自分の思い通りにはならない

すべてをコントロールし、自分の美学の枠内に収めようとしてきた天才が、他者という「予測不可能性」の前に立ちすくみ、そして、それをそのまま受け入れることを選んだのです。

「思い通りにできない」とわかったとき、伊丹十三は自ら課していた厳しいこだわりを解き、他者を、家族を、「許せる」ようになりました。

松家氏は、伊丹のこの精神的な柔軟さと成熟のきっかけこそが、湯河原での暮らしだったのではないかと指摘したのです。

この言葉を聴いたとき、転換点はここなんだと感心するとともに、自分へのエールとして捉えていました。

他者を許せるようになること
それは、現代を生きる私にとっても、人生における大きな課題であり、真の大人へとステップアップするために、どうしても目指したい切実な目標だったからです。

世間がイメージする伊丹十三は、常に鋭利で、他者の妥協を許さない冷徹なクリエイターかもしれません。しかし、その完璧主義の鎧を自ら脱ぎ捨て、思い通りにならない他者を愛し、許していくプロセス。これこそが、これまであまり語られてこなかった「人間・伊丹十三」の、最も美しく成熟したシルエットではないでしょうか。

完璧主義という「個人の誇り」から、他者を許すという「家族の愛情」へのシフト。その変化は、彼の作る食卓にも如実に現れます。

映画『スーパーの女』の鮮魚部門に登場する「しんちゃん」には、湯河原の自宅近くの魚屋の店主という実在のモデルがいたそうです。食卓にはそのしんちゃんから仕入れた魚が並んだそう。たまにステーキを自宅で焼くときは信子さんの担当。かつてあれほど料理に口を出した伊丹さんが完全に委ねるようになったのです。

宮本館長「伊丹さんから教わったキューカンバーサンドを冷蔵庫に欠かさず用意し、きんぴらごぼうや筑前煮といった素朴な小鉢料理をタッパーに詰めて冷蔵庫に入れておきました。誰かがお腹を空かせたときに、いつでも好きなように食べていいように」

自由で大らかな食卓。そこにはかつての「音を立てたら減点」という緊迫感はありません。

そして、伊丹さん自身が冷蔵庫の残り物を使って、目分量で作ってくれたという、干しエビの入ったパンケーキのようにふわふわなお好み焼き。

いつも残り物で作るから、レシピがないの。だから、二度とあの味を再現できないのが、本当に寂しくてね……

信子さんと万平さんが、寂しそうに、しかしこの上なく愛おしそうにそう語られたとき、私は胸が締め付けられるような感動を覚えました。完璧なレシピを世界中から集めていた男が、最後に家族に残した一番美味い記憶が、「二度と再現できない、レシピのないお好み焼き」だったという事実。

これこそが、彼が他者を許し、家族を愛した何よりの証拠ではないでしょうか。




6.「愛すること」を愛した天才の代わりに


10年以上前、私は伊丹十三記念館の「収蔵庫ツアー」に参加したことがあります。その際、提出した感想文に、私はこう書き残しました。
伊丹十三という人は、『愛する』ことを愛する人だ

一流のルールやアイテム、芸術を冷徹に「愛していた」エリートが、宮本信子という一人の女性と出会い、泥沼の葛藤を経て一生を添い遂げる覚悟を決め、息子たちを授かり、彼らを「愛する」ようになっていく。「愛情を持って」テレビ番組や映画作りなど、目の前の現実や他者と何事にも真剣に対決し続けたプロフェッショナル。それが私の描いていた伊丹十三の肖像でした。

湯河原での彼のエピソードを聴きながら、私は「やっぱりそうだった、自分の直感は間違っていなかった」と、10年越しの答え合わせに深く震えていました。

客席最前列で座る次男の池内万平さんが、父・伊丹十三の思い出を楽しそうに語っていました。そして、その横顔を、宮本信子館長が本当に、本当に嬉しそうな、優しい笑顔で見つめておられました。

その幸福な光景を見た瞬間、私の目から、熱い涙が溢れて止まらなくなりました。

もしあの時、信子さんが「太陽の下で祝福されたい」という願いを胸に秘めながらも、日陰の身の苦しさに耐えてくれなかったら。

もしあの時、一生を添い遂げるという強靭な「覚悟」を持って、伊丹の異常なまでの完璧主義と真正面から向き合い続けてくれなかったら。

目の前にいる池内万平さんも存在しません。
映画監督としての「伊丹十三」も誕生していません。
『マルサの女』も『ミンボーの女』も『スーパーの女』も、この世に生まれてはいなかったのです。

今日のこの場所に、私が座っているという奇跡さえも、存在し得なかったでしょう。

宮本信子という、一人の偉大なる女優であり、最強の奥さんが、あの激動の時代を戦い抜き、伊丹十三という天才を「家族」として完成させてくれた。その途方もない愛の歴史に対する圧倒的な感謝の気持ちでいっぱいになりました。

気がつけば私は、すでにこの世を去って久しい伊丹十三監督の代わりに、泣いているような、そんな奇跡的な錯覚の中にいました。

信子さん、伊丹監督を支えてくれて、本当にありがとうございました。

40人だけの贅沢な時間が終わり、記念館の外へ出ると、5月の愛媛の風はどこまでも穏やかに吹いていました。

他者を許し、愛すること。その優しくも重い課題を胸に抱きながら、私の中の伊丹十三は、これまでになく深く、血の通った一人の「人間」として、静かに息づいていました。

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