【昭和限定】なぜ『欽ドン!』を思い出すと、クール・ファイブのその後が気になるのか
懐かしい曲で、いろんな想いが一気に蘇る。
それは、こちらが構えているときに起きるものではない。
完全に、こちらの都合でやってくる。
「アレクサ、なんかいい曲かけて」
おふくろがそう言うと、
アレクサは
「お好みの曲に近いセットリストを再生します」
と返し、
普段かけている曲の流れから、そのまま好みの曲を選んで流す。
本当に便利な時代だ。
まあ、結果としては演歌系が並ぶだけなのだが、
その中で流れてきた
『中の島ブルース』は、さすがに懐かしすぎた。
一瞬で、時間が戻る。
思い出したのは、歌じゃない。
『欽ドン!』だ。
あの番組の空気。
セットの感じ。
独特の間。
今思えば、完全にあの時代のノリだった。
当時は、
誰が歌っているかなんて意識していない。
グループ名も、肩書きも、正直どうでもいい。
ただ、
「欽ドン!に出てた、あの人」
という記憶だけが、
やけにくっきり残っている。
この感覚、
この世代にはバッチリ刺さる。
子どもだったから、
芝居がどうとか、演技がどうとか、
そんな言葉は知らない。
それでも、
欽ちゃんの世界の中に、
違和感なく混ざっていた大人
として、はっきり覚えている。
そして、
懐かしさはそれだけで終わらない。
『中の島ブルース』をきっかけに、
欽ドン!を思い出し、
そこから、
当時ははっきり言葉にしていなかった疑問まで、
一緒に吹き出してくる。
そういえば――
前川清が抜けたら、クール・ファイブって終わりじゃないか
と、子どもながらに思っていた。
クール・ファイブに拾われたのに、
売れたら一人で出ていくんだ
という構図だけは、
なぜかはっきり見えていた。
世話になった場所から、
力をつけて、
名前が売れた瞬間に抜ける。
「それ、残された側はきついだろ」
そう感じた記憶だけが、
今も妙にリアルに残っている。
一人いなくなったら、
同じ名前でも、
もう別物になる。
そうなる予感は、
子どもでも分かった。
今思えば、
あの頃のテレビは特別だった。
『欽ドン!』も『8時だョ!全員集合』も、
ただのバラエティ番組じゃない。
歌番組の機能まで兼ねていた。
歌手が歌うだけじゃない。
芝居をして、
転んで、
いじられて、
そこで別の才能を開花させていた。
だから、
歌手はグループより先に、
個人として記憶されていく。
顔が残る。
キャラクターが残る。
番組の空気と一緒に、
その人だけが強く焼き付く。
そうなると、
残された側はきつい。
クール・ファイブ。
正確に言えば、
内山田洋とクール・ファイブ。
音楽としての完成度は高い。
ムード歌謡としても、
間違いなく一つの完成形だった。
それでも、
記憶の入口を
一人が全部持っていってしまうと、
グループはどうしても後ろに回る。
キーマンがいなくなったバンドは、本当に大変だ。
音楽がどうこうの話じゃない。
活動を続けたかどうかでもない。
思い出すとき、
誰の顔が最初に浮かぶか。
その一点で、
流れが決まってしまう。
だから、
『中の島ブルース』を聴いても、
思い出すのは歌番組じゃない。
レコードでもない。
欽ドン!のセットと、
あの時間帯のテレビの空気だ。
そこから自然に、
「内山田洋とクール・ファイブは、
その後どうなったんだろう」
と考えてしまう。
懐かしさは、
思い出だけで終わらない。
あの頃、
置き去りにした疑問まで、
まとめて連れてくる。
だから今になって、
クール・ファイブの“その後”が、
気になって仕方なくなる。
それでいい。
そうやって残り続けるから、
記憶は今も動き出す。
