見出し画像

日本海海戦の亡霊

1905年5月27日、日本は世界を驚愕させた。

極東の新興国が、ヨーロッパの大国ロシア帝国を海上決戦で打ち破ったのである。

後に「日本海海戦」又は「對馬海戦」Battle of Tsushimaと呼ばれるその勝利は、日本近代史における最大級の成功体験となった。

だが、この勝利はあまりにも完璧過ぎた。

そして時に国家を誤らせるのは、敗北ではない。

むしろ、

あまりにも美しく、あまりにも鮮烈な成功

なのである。

本稿は、日本海海戦そのものを論じたいのではない。

論じたいのは、その後、日本という国家を長く支配し続けた「亡霊」についてである。

亡霊とは、死んだものではない。

死んだはずなのに、なお現在を支配し続けるものである。

日本海海戦とは、単なる戦勝ではなかった。

それは後の日本海軍、ひいては日本という組織文明そのものを縛る「神話」となった。

一 海を支配した日

日本海海戦は、しばしば「東郷ターン」や「艦隊決戦の妙技」として語られる。

しかし実際には、あの勝利は単純な砲術戦ではない。

あれは、

索敵

通信

哨戒

修理

補給

石炭輸送

港湾運営

情報分析

を含めた、国家総力による統合作戦だった。

日本海軍は単に「艦隊」を運用したのではない。

海に浮かぶものすべてを、一つの神経系として機能させたのである。

漁船に至るまで監視網へ組み込み、対馬海峡全体を巨大な感覚器官として使った。

一方、ロシアのバルチック艦隊は、本来バルト海向けの艦隊だった。

閉鎖海域を前提とし、

補給基地が近く、

修理港があり、

沿岸支援を受けられる、

そうした「内海海軍」である。

それを地球半周させた。

北海から大西洋を下り、喜望峰を回り、インド洋を越え、日本海へ至る。

これは艦隊運用というより、巨大な漂流に近かった。

石炭は不足し、艦底は汚損し、機関は疲弊し、乗員は消耗し切っていた。

つまり対馬海峡へ現れた時点で、バルチック艦隊は既に半ば死んでいたのである。

しかし重要なのは、ロシア海軍が決して無能だったわけではない点だ。

彼らの思想は「Fleet in Being」にあった。

すなわち、

艦隊は、存在するだけで敵を拘束する。

旅順艦隊が典型である。

港内にいるだけで、日本海軍は常に警戒を強いられた。

これは極めて合理的な戦略思想だった。

だが日本海海戦では、その前提そのものが崩壊した。

バルチック艦隊は「存在し続ける条件」を失っていたのである。

補給も修理も休養もないまま、存在艦隊は、ただ疲弊した漂流物となった。

そして日本海軍は、その「存在能力」そのものを破壊した。

艦を沈めるだけではない。

隊列を乱し、指揮系統を破壊し、夜間雷撃で心理を摩耗させる。

つまり、

艦隊を、艦隊でなくした。

ここに、日本海海戦の本質がある。

二 勝利の神話化

しかし歴史とは残酷である。

人は「勝った理由」よりも、「勝ったという事実」を信仰し始める。

日本海海戦の本質は、

情報戦

兵站

統合作戦

柔軟な現実対応

にあった。

だが後世の日本海軍は、それを徐々に単純化していく。

記憶に残ったのは、

東郷ターン

丁字戦法

艦隊決戦

巨砲による殲滅

だった。

つまり、

勝因の本質ではなく、 勝利の演出だけが神話化された。

本来、日本海海戦は極めて現実的な戦争だった。

だが記憶の中で、それは次第に「奇跡の海戦」へ変質していく。

そして日本海軍は、現実の海から、神話の海へと撤退を始める。

三 東郷平八郎という太陽

ここで避けて通れないのが、東郷平八郎の存在である。

東郷は偉大だった。

だからこそ問題は深い。

彼は無能な老害だったのではない。

むしろ逆である。

あまりにも巨大な成功者だった。

巨大な成功者は、組織内部で「反論不能の権威」となる。

そして東郷は長生きした。

長く生き過ぎたのである。

英雄は、本来もっとも輝いた瞬間で歴史へ封じ込められる時、美しい。

ホレーショ・ネルソンを見よ。

日本海海戦以前、世界海軍史に燦然と輝く トラファルガーの海戦 の勝者である。

だがその時、ネルソンは戦死していた。

英雄は死によって永遠化され、組織に「解釈の自由」を残した。

また、 山本五十六 もそうだった。

彼もまた巨大な英雄だった。

真珠湾攻撃によって神話化され、日本海軍最後の名将として記憶された。

だが彼もまた、戦死した。

死者は語らない。

だから後世は、

「山本五十六ならどうしたか」

を、自由に解釈する余地を持ち得た。

だが東郷平八郎は、生き残った。

そして、日本海海戦そのものが国家神話へ変質していく時代を、なお生き続けた。

本人の沈黙さえもが「絶対的な正解」として扱われる、沈黙の権威の時代が始まったのである。

その結果、日本海軍内部では徐々に、

「東郷ならどうするか」

が、思考基準となっていく。

これは戦略ではない。

信仰である。

しかも皮肉なことに、本来の東郷は極めて現実主義的な軍人だった。

慎重で、兵站を重視し、無謀を嫌った。

日本海海戦そのものが、

奇跡ではなく、周到な準備の勝利

だったのである。

だが後世の海軍が崇拝したのは、「現実の東郷」ではない。

「神話化された東郷」だった。

そして東郷を神格化した瞬間、日本海軍は東郷から最も重要な資質――

現実を見る能力

を失ったのである。

四 神話の管理人たち

英雄神話は、一人では成立しない。

必ずそこには、

語る者

解釈する者

儀式化する者

が現れる。

東郷の権威は、しばしば海軍の時計を止めた。

大正末期、海軍内部では英国海軍などに倣い、機能性を重視したダブルの背広型制服への変更案が検討された。熱帯地域での詰め襟は拷問に等しい。

近代化への必然的な一歩である。

だが念のため、 東郷平八郎 へ意見を求めたところ、

「いかん。この制服で日本海海戦は勝ったのじゃ」

の一言で、その案は立ち消えとなったという。

また、兵科と機関科の統合案についても、

「かま焚き連中は、まだそんな事を言うのか」

との一喝で潰れたと伝えられる。

日本海海戦を支えたのは、間違いなく機関兵たちの技術と労働、血と汗だった。

しかし勝利の神話は、時にその凄絶な現実すら覆い隠してしまう。

さらに、かつては ワシントン海軍軍縮条約 において、対米六割を容認した東郷も、後年の ロンドン海軍軍縮会議 では反対姿勢へ傾いていく。

そこには、一人の老人の頑迷さだけでは説明できぬものがある。

艦隊派の意向に加え、海軍少将・子爵であり、長年にわたり東郷の側近として行動を共にし東郷に関する著作で知られた、 小笠原長生 ――いわば東郷の「個人的秘書」であり、神話の管理人とも呼ぶべき存在―― らの示唆が、英雄の言葉を特定の方向へと導いていった。

小笠原長生は、単なる副官ではない。

彼は「東郷神話」の編纂者であり、管理人であり、増幅器だった。

東郷本人よりもむしろ、

「東郷平八郎という偶像」

を理解していた人物だったのかもしれない。

組織が英雄を祀り上げ、その偶像に自らの願望を語らせ始める。

日本海軍が「現実の海」を見失い、「神話の深淵」へと引きずり込まれていく予兆は、こうした滑稽なまでのエピソードの中に、静かに、しかし確実に刻まれていたのである。

笑い話の集積が、やがて国家を沈める。

そのことを、当時まだ誰も知らなかった。

五 浮かべる、その城

守るも攻むるも黒鉄の、浮かべる城ぞ頼みなる。浮かべるその城、日の本の御国の四方を護るべし

有名な行進曲「軍艦」の一節である。

そこには近代日本が抱いた、戦艦への信仰が凝縮されている。

巨大な鋼鉄艦は、単なる兵器ではなかった。

国家そのものの威信であり、文明の象徴であり、海に浮かぶ帝国の姿だった。

1905年、三笠は未来を見ていた。

世界最先端の技術を集め、「勝つため」に存在した。

だが1945年、大和は違った。

それはもはや兵器ではない。

国家神話の依代だった。

海を制するためではなく、

「日本海海戦の栄光」を証明し続けるため

に存在していたのである。

巨大戦艦大和。

それは、日本海海戦の亡霊を、物理限界まで巨大な鉄の塊へと結晶化させた「信仰の城」だった。

だから末期の日本海軍にとって、

港で巨大戦艦を温存したまま敗戦を迎えることは、単なる軍事的問題ではなかった。

それは、

帝国海軍という精神そのものが腐敗していく光景

だった。

ここで彼らを動かしたのは合理性ではない。

面子であり、恥であり、名誉だった。

このまま浮かべておくのは国恥。

せめて戦って沈むべきだ。

その感情は、現代人には滑稽に見えるかもしれない。

だが当時の海軍にとって、

恥を恐れる力

は、組織そのものを支える巨大なエネルギーだった。

規律も、忍耐も、自己犠牲も、その上に成り立っていた。

しかし末期になると、組織は、

国家を生き残らせる合理性

ではなく、

組織の面子を守る合理性

で動き始める。

そこに破滅が生まれる。

六 亡霊は沈まず

1945年。

坊ノ岬沖へ向かった大和は、既に勝利を期待されていなかった。

それでも出撃した。

いや、出撃せねばならなかった。

あれは作戦というより、

神話への殉教

に近い。

そして沈んだのは、一隻の戦艦ではない。

日本海海戦以来、日本海軍を支配し続けた「成功の記憶」そのものだった。

だが亡霊は、なお消えない。

現代日本ですら、

前例主義

成功体験への執着

神格化された創業者

面子を優先する組織

「空気」による意思決定

神話の管理人たち

として、生き続けている。

例えば、

松下幸之助

本田宗一郎

土光敏夫

瀬島龍三

のような巨大な成功者たちもまた、しばしば「人格」ではなく「倫理」として組織へ定着していった。

もちろん彼らは実際に時代を切り開いた人物たちである。

問題は、その成功体験が、

時代そのものが変わった後まで、 “絶対法則”として流通し続ける

ことなのだ。

亡霊とは、過去が現在を支配している状態である。

日本海海戦は、日本を救った。

そして後に、日本を縛った。

おそらく国家をもっとも深く蝕むのは、敗北ではない。

忘れられなくなった成功

なのである。

いいなと思ったら応援しよう!

Hans (巓嚮院海老胡瓜庵) 資料収集や文献購入に、充てたいと思っております。