「事故物件、浄化いたします。」第4話
☆4☆
「今日はモップ掛けをして、エントランスの床の土埃を綺麗にしよう」
8月に営業から突然異動を命じられ、管理員の仕事に従事してから早3か月。11月ともなると、裕司は清掃作業も板についてきた。もともと綺麗好きだったこともあるが、清掃をすることで自分の身の回りが整うことや、試行錯誤しながら業務改善することが単純に楽しくなっていた。
「どこに行っても、俺は俺のできることをするだけさ」
独り言は、ちょっと増えたかもしれない。
機嫌よく、エントランスのタイルをモップで拭いていると、後ろから声をかけられた。
「あの、先日は、ありがとうございました。」
鈴を鳴らすような小さな声だ。
振り向くと、小沢真理亜が立っていた。先日は体調がすぐれない様子だったが、今は顔色も良さそうだ。薄手のベージュのコートに青いロングスカートという服装で、白いスニーカーを履いている。派手ではないのに華がある。
そして、裕司の最初の予感通り、目を合わせたら最後、視線を逸らせなくなるような、見る者を惹きつける光を宿した瞳をしていた。
「あっ、どうも、こんにちは……体調は、もう大丈夫ですか?」
裕司は、危うく見つめ過ぎそうになる自分を抑え、挨拶を返した。
「はい、何とか。先日は助けていただいて、本当にありがとうございました」
深々とお辞儀をする真理亜。どうやら、礼儀正しい子のようだ。ふと裕司は自分の娘のことを思い出した。娘にはこの3ヶ月間、会えていない。来月には18歳の誕生日を迎えるので、目の前にいる真理亜とは、一歳しか違わないはずだ。娘と比べると、真理亜はずいぶん大人びて見える。
「元気になったのならよかったです。もう新しいおうちには慣れましたか?」
そう言って裕司は、はっとした。
(そうだ、この子たちが住む部屋はいわゆる事故物件。親はともかく、子どもたちにも知らせているのだろうか。もし知らせていないなら、おかしな態度を見せてはいけない……)
内心冷や汗をかきながらも、営業時代に鍛えた笑顔を崩さずにいた裕司を、真理亜は澄んだ瞳で見ている。
「はい、まだ慣れたとは言えないのですが、少しずつ、良くなっています。管理人さんはあのお部屋に詳しいようですが、もしよろしければ、少しお話をきかせていただけますか?」
裕司は、営業スマイルがすっと消えるのを自分でも感じた。
「えっと……なぜでしょうか?自分、何か変な素振りしていましたか?うそ、しまったな……」
そう言って眉間に皺をよせて反省していると、今度は真理亜が困った顔をして、勢いよく胸の前で手を振った。
「いえ!管理人さんは大丈夫です!そうじゃなくて……その、私の勝手な都合なので。こちらこそ、変なこと言ってごめんなさい!」
真理亜は勢いよく直角にお辞儀をすると、パタパタと足早にエレベーターホールへと走り去っていった。
マンションのエントランスに一人取り残された裕司。秋の風がひゅうっと吹き抜けた。
「ええと、俺、どこでやらかしたかな……」
裕司は自分の振る舞いを振り返る。ただ、少し動揺はしたものの、そこまでの失態はなかったはずだと、自分に言い聞かせた。
真理亜は確かに大人びた雰囲気ではあるが、大人になりきるのでもなく、子どもでもない、多感なお年頃なのだろうしと、裕司は娘のことを思い出しながら無理やり納得することにした。それと共に、娘によくダメ出しされていた、どこか抜けている自分の性格を思い出して、苦笑いをしながら息を吐いた。
いつの間にか握りしめていたモップの柄。裕司は手の力をぬいて、ゆっくりと開き、温めるように息をかけた。
