[覚醒システム29] 夫との対決
『ちょっと話を聞いてもらいたいんだけど、今いい?』
ここ最近の妻の変化を彼は薄々と勘づいていた。気づくとiPadに向かってキーボードを打っている姿しか見ない。珍しく夜更かしが続いている。泣き腫らした目をしている? ディズニーのクマと一緒に寝だした。話を振っても聞いていないかのように呆然としている。
そして、いつのまにかリビングに置かれている、高そうなぬいぐるみのクマ。
何があったんだ? 俺は何かやったのか? 話? 今いいかって? めんどくさい。いや、ここは話を聞いた方がいいだろう。逃げても碌なことにならないと直感が告げている。
シュタイフの高級クマは目撃した。
ソファに足を組んで腰掛けた女が言う。
『しばらく、わたしの話を聞いて、はい、か、いいえ、で答えてほしいの。そこに座って?』
男はビーズクッションに座る。あ、これ、正座すべきやったかな?の顔をしている。
『わかった』
女が言う。手が震えているが視線が鋭い。あれはアドレナリンの出ている顔だ。男を見据える。
『……わたしは、いい女だよね?』
男に、はい以外の答えは用意されていたのだろうか。しかし、彼の尻尾の先は揺れている。これは、もしや、楽しんでいる?
『はい』
女は頷く。
『わたしは、まるで井川遥のようないい女で、スー』
男は思わず口を挟む。口元がニヤついている。
『いや〜井川遥ってさ〜、あれって』
女がすかさずキッと睨みつける。
『黙って。「まるで」ってわたしは言ったの。それに、はい、か、いいえで答えてって言ったよね? 茶化さないで!』
すぐに口をつぐんだ男の、尻尾の揺れが大きくなる。
女が続ける。
『まるで井川遥であり、車で言ったらスーパーカーだよね?』
『はい』
『それは、わたしが生まれてからこれまで自身の手でストイックに自分を育て上げたからこその高嶺の花だと言うことを覚えていてね?』
『はい』
『スーパーカーだから、手に入れたいと思ったんだよね?』
『はい』
これもう「はい」省略してもええんとちゃうか、とクマは思う。
『スーパーカーなんだから、もちろん手に入れるのにも維持にもお金がかかるよねぇ?』
『まさか、いつまでも50%オフで手に入るだなんて、思ってないよねぇ?』
『あなたは、どちらを選ぶの? スーパーカーであるこのわたしと、修理もしていないオンボロの軽自動車と』
おおっと〜? ここでオープンクエスチョン! はい、か、いいえ以外の答えを封じられた男には、口から出る言葉はない。
目が泳いでる。
アテレコしてみるか。(え!? 軽自動車!? え、なんのこと??? 全く覚えはないのに、まさか、浮気でも疑ってるのか? 誤解だ! でもここで誤解だと言えば嘘くさくなる、どうすればいいんだ)
クマは男を気の毒に思う。
それを見てとった女が言う。
『軽自動車は誰のことを言ってるか、わかる?』
とうとう、いいえ一択のクローズドクエスチョンを投げてきたぞ、この女。クマは目が離せない。
『軽自動車はね、義姉と姪のことよ。スーパーカーと軽自動車どっちかしか選べないとしたら、どっちを選ぶの? いいのよ、誰も修理しなかった軽自動車を引き取って自分で修理してくださっても』
ヒィィィ。クマの口から悲鳴が出そうになる。俺はぬいぐるみだ。シュタイフのテディを名乗るもの、動揺を見せることは許されない。
男が言う。
『スーパーカーです』
あれ? あいつの尻尾めっちゃグルングルン回ってないか?
クマは信じられない思いでそれを見つめる。
『わたしを選ぶっていうなら、もちろん覚悟が必要だよね?』
『直前で覚悟が揺らぐくらいなら無理に乗らなくていいんだよ?』
『覚悟するのね?』
『はい』
あいつ、このまま尻尾の回転で空を飛んでいくんじゃないか。…………ちょっと、キモいな。そんなことを思いながら、クマは終わりに近づいた会話を見届ける。俺、この家でやっていけるんだろうか……。
完全勝利
わたしね、今書くことに夢中になってて、会社の仕事手放したいんだ。義姉と姪をこれまでのようにずっとは養えない。したいなら自分でやって。
今後は雇用関係について見直したり、不動産を整理したりが必要と思ってる。しばらくは社長の仕事はやるけれど、わたしが手を引いても回るようにしていきたい。あなたもわたしに丸投げでなくて経営に参加してほしいの。そもそもあなたが継いだ資産の管理会社でしょう? いい感じにやっといてくれよなんて、もう限界。すぐじゃなくていいから。考えておいて。
ここから、2人の対話は始まっていくんだ……。
