冷やし中華食べたい、革命中なのに #21
21話 産湯と産声
「脱ごうとしてない?脱げなくて苦しそう……おれまで辛い」
「なにを」
あなたの問いや答えはナチュラルにずれ込み、往々にしてそれを当人が察しないまま着地する。
楽しげに暮らし傍迷惑度も低いと看過してきたものの、目の前のさゆちゃんは露骨に苛立ち、返事も待たずワセくんからナノナノボックスを奪い取った。撫でられてたさびおも起き上がり、チロンと見上げる。箱を見ている。
「カラもだし、薄ーいティッシュみたいの……あああ乱暴にしないで。おれ持つよ危ないから」
「なにが」
「質問でキレないでさゆちゃんてば」
眉間へシワを刻みつつも慎重な動きで、彼女はケースをテーブル中央へ置いた。腰を屈め、隅っこのひび割れた卵へ顔を突っ込まんばかり覗く。
「湿気がすご!」
中から熱風にでも吹かれたようにおでこを赤くし、さゆちゃんは箱から離れた。
「大丈夫?ベビーちゃんムレムレにならない?」
「ドライ入れよっか?」
「やめてさゆちゃん入れないで!危ないこと禁止」
「冗談じゃんわたしも気分をほぐしたいだけ。なんでワセくんが興奮してるの?」
羽根広がってる、と指摘され、ぼくもようやく気付いた。
半分開いたあなたの翼が、ナノナノドライヤーボックスの入り口へ黒い影を作ってる。腹毛は逆立ちTシャツを押しあげてる。首の揺れも不安定。そしてさっきからずっと、その場で足踏みが止まない。
急にひどく不穏な考えが過ぎった。
植えられた動物たちの、本能を借りてヒトの生殖を補強するという名目の交配制度。
動物たちの本能が残したいのはヒトの種にあらず。
ダチョウにも、おそらくはオオワシにも、自らの種をこそ残そうとする、唯一無二の欲望が備わっているのでは?
カラスはカラスの子がほしい。
ヘビはヘビの、ダチョウはダチョウの子がほしい。
あにまるずの成功ママラウンジでオフホワイトのおくるみを抱き、画素へ滲む曖昧な笑みのままピンナップされてた女性たち。
全員間違いなく、純度100%ヒト科の赤ちゃんを出産したのだろうか。
偏光する鱗を夜な夜な削っていませんか……
「とりあえず出そう、ワセくんタオル取ってきて。暑苦しいからぴったり横に貼りつかないで」
「取ってくる!なにタオルがいい?」
「いいやわたし行く。手も洗いたいし」
「おれ守っとくね。安静第一で」
いちいち身を乗り出すあなたを引き剥がし、「誰から守るのよー」とさゆちゃんは立ち上がる。
さびおからだ。
興味津々、ひょっとしたら母性満々、さびおは重そうな上半身を懸命に持ち上げ、あなたと全く同じ方向を一心に見てる。
背中の至るところカシャカシャと鳴らしながら、あなたは阻む。産んだオスと温めたメスの鍔迫り合いだ。ぱや……
『ぱやちゃんこれどけてあげた方がいいよね?苦しそうだもん』
ゆで卵じゃないんだから、勝手に触ると怒られますよ。
『けど訴えてくるから。おれ受信した』
何をですか?
『ベビちゃんのメッセージ。おとうさーん、出たいようカラが嫌だよう』
聴こえません。ワセくんの幻聴ですって。
『聴こえる。おとうさーん、太ったハムスターがいるよう』
ワセくんはお父さんなんですか?
『え。違った?お母さん?それだとさゆちゃんのポジがあとで揉めるから初動はお父さんでいいよ』
なるほどです!それはすごくバランス感覚のある発想ですね。
『でしょでしょ。先回りでコウハイの孵化ばっちり調べといて』
サーチ。
リサーチ。
リ、リ、リ、サーチ。ありません。交配種産卵例。孵化例検出結果は0件。卵子はどこから来たんでしょう?
恋の切なさとワセくんの下々の諸々の管がついに結実し、薄紅に炭酸カルシウムを染め上げ、人生初のハグがうれしくてうれしくて有精卵を産み落とす?
それが適うならこの国は早々に子だくさんでは??
『赤んぼダチョウって意外とこじんまりしてんのね』
サイズ計測では、エレファスゾウカブトの3齢幼虫が完全一致してます。
『大きめカブト虫のずんぐり姿連想させたら、さゆちゃんの手首に憎悪こもっちゃうでしょ。それナシ』
ごめんなさい。
怒られてしまった。
ぼくはデリカシーが欠如してるダメノイドだ。しかも多分あなたと同じくらい、興奮してる。
「ワセくんは少し離れてて。さびお抱っこ……じゃないケージ入れてきて。お腹空いてるはずだし」
「ここにいるよー」
「いない方がいい。さびおが飛びついたら大変でしょ」
「んじゃ入れてくる!」
「エサもあげてほしい。水もたっぷり飲ませてね」
「嫌だよおれは立ち会い出産する。ベビちゃん早く救出しないと」
さゆちゃんはハイスペさんとでも相談中なのか、手元を荒らされたくないのか、あなたを邪魔くさげ脇へ追いやった。釣られてさびおも、もちゃもちゃと体をずらす。目線はナノナノへ釘付け、両腕で抱え上げられたのに驚いてバタ足でもがく。
誰も離れなかった。固く身を寄せ合い、その家の主に逆らった。
「もお……さびお捕まえててね」
呆れ声で、さゆちゃんはウォーターグローブをはめた腕を丸い入口へ差し込む。そろそろと、桃色の割れかけた卵を取り出す。
使い捨て滅菌タオルの上へ、息を詰めたまま置いた。ふ、と短く呼吸し、半透明の卵殻膜をふるり揺らす。
ああ、ダメだ。これはダメ。あなたも同じものを観てる。
胎児の態でまるく身を固めたミニワセくんだ。塞いだまぶたのたっぷりした幅に、狭いおでこ。
「クチバシがないじゃんねえキミ。こんな硬いの割れないよ可哀想に」
ヒビを指先でなぞるさゆちゃんは冷静で頼もしい。心配するあなたはせわしなくまばたきする。隙あらば彼女の肩へ、角張った顎がめり込みそう。
「自分で割ったんじゃないの?」
「出来ないと思う。さびおの重さでヒビが入ったか、さびおが割ったか」
「おまえー。ベビちゃん出そうとしてくれたん?」
ピユ、と返事した。ワセくんの生白い腕からボトリとこぼれそうに、ハムスターは空腹も忘れ、たぷついた首の肉を引き延ばして卵を向く。
「痛くないからね……」
あなたたちへ命じてたのとは打って変わった柔らかい声だ。
さゆちゃんは丁寧にまず頭部の殻を外し、脱力させた指で、ひよこの雄雌でも検分するみたいにミニワセくんを裏返した。おしりがつっかえるのか何度も持ち替え、水が滲み続けるウォーターグローブで残りの殻を剥がしていく。
「痛そうじゃない?今指ギュッてしたよ?」
「大丈夫だから静かにしてて」
ふうー、と大きな深呼吸で、さゆちゃんは掌の赤黒いかたまりを完全に卵から分離した。臍帯ともカラザともつかぬぐりぐりしたコードの残骸を指で取り除き、うわあ……やっぱりカブトムシの幼虫サイズだ!
「洗ったほうがいいってスペちゃんが」
「お風呂行く?おれ準備するよ」
「ううんキッチンがいい。温度変化ないし明るい。ワセくんボウル出して。いい加減さびおはケージ行きなさい」
オオワシが獲物を巣へ投げこむ如き俊敏さで、あなたはさびおをケージへ収納し、厳重に二重ロックした。タイマーが満杯にした餌入れを横目で確かめ、ダチョウの大股歩きでキッチンへはせ参じる。
サナギちゃんはさゆちゃんの手のひらで、ライスペーパーにラッピングされた顔をクーンと上向けた。
なんて呼べばいいの?
ミニワセくん?ひよこカブトムシちゃん?
「そのドロドロ取ったげてさゆちゃん。気持ち悪そうだよ」
「うん」
首筋から背中へ、乳白色の粘液が糸を引いている。ところどころちぢれた膜が表皮へ張りつき、乾き始めた縁だけがどん曇りの空の薄灰色だ。
さゆちゃんはそれを直ぐに剥がそうとはしなかった。
「ここ、もう固まりかけてるの。焦ってこすったら傷になる」
「痛い?」
「わかんない。乾燥したら膜状に硬化して、無理に剥がすと肌まで持ってかれそうじゃない?」
「皮膚ごと破れるってこと?なんとかして!病院行く?」
行けるわけないでしょ、と頭部を支え、ゆらゆら、ゆらゆら、ぬるい洗浄液に浸す。
ふやかしては指の腹で少しずつ、根気よく、さゆちゃんはサナギちゃんからライスペーパーを取り除いてく。
「んぇゆ」
「なんか言った!今喋ったよさゆちゃん」
「言ったね、苦情かな?フフ」
あなたは浮足立つ。翼は息をつく暇もない。
さゆちゃんはやっと表情を緩め、両掌でしっかりと、産湯を汲んで丸いプールを作る。
まだ目の開かないサナギちゃんは黒い短髪を水面へ出したり沈めたり、口だけ元気にぱくっと再度あけた。
「んぇゆ」
