失っていたものに気付いた言葉 - 西炯子の世界 #3 -
(前回 ↓ )
「君は頭はええが想像力が足らん」
別に自分を賢いと思ってはいない。
むしろ 考える時間ばかりが長く、
人が簡単にたどり着く答えにすら
なかなか たどり着けない
愚者であるとすら思っている。
強いて言うなら、
自分が愚かである自覚がある分
「無知の知」という認識は持っている。
でも所詮、自分は愚かだという
認知の域は出ない。
それでも なぜか つぐみへ向けた
カイエダ氏の この言葉が
妙に引っ掛かったのだ。
若い頃から仕事に励み結果を出し、
独身が長いこともあってか
身の回りのことについても
何でもソツなくこなす つぐみ。
自分で言うのもなんではあるが、
恋愛と運動以外に関しては
私も同じように
見られていたふしがある。
強がりがないとは
言い切れなかったけれど、なんとなく
"自分は ひとりで生きて
ひとりで死んでいくのだ"
と考えていた。
「独身を拗らせる」という言葉が
あるけれど、この本と出会った当時
間違いなく私は独身を拗らせていたと思う。
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平穏 ときどき 憂鬱
子どもの頃からゲンコツありきで
育てられてきた私は、わりあい
物分かりのいい方だったと思う。
心理学の用語に「学習性無力感」
というものがあるけれど、
今にして思えば
完全に自分にも当てはまっていた。
教育的な理由が多かったとはいえ
定期的に殴られて育った自分は、
「実家を出るまでは この生活に
耐えねばならぬのだ」
と思っていた。
何度か本気で
反抗したことはあったけれど、
当時の私と父親では
ケンカをしても敵わなかったから、
最終的には表面的に
従うことに落ち着いた。
(腹の中では反抗していたが)
それがどこまで強く関与しているかは
分からないけれど、いつしか私は
将来に夢や希望というものは
持たなくなっていた。
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