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うさんくささを乗り越えるために必要なこと

このnoteを書く際に参考にした書籍には、他にも心に響く言葉がありました。

実は道徳教育には、「道徳教育のジレンマ」ともいうべき問題があります。道徳教育をすればするほど、子どもたちにはなんだか"うさんくささ"を感じさせてしまうという問題です。

苫野一徳さん著『勉強するのは何のため? 僕らの「答え」のつくり方』(日本評論社)

道徳を教える先生が必ずしも完璧であるとは限りません。 また、授業で教わった道徳が、生徒たちの日常のクラスで実践されていないのを見るにつけ、生徒は「うさんくさい」と感じることもあるでしょう。親の立場からすると、わが子が親や家庭環境に対しても同じような疑念を抱いているのではないかと思ってしまいます。

重要なのは、道徳の授業を増やすことでも、内容を詰め込むことでもなく、「生徒自身が問題に気づき、考え、行動できるよう、感度を高める環境を作ること」だと述べられています。学校生活全体でそれをどう作り上げていくか、難易度の高いだと思いますが、その観点が必要になるということだと理解しました。

道徳教育の範疇には、家庭も当然含まれています。 学校と家庭が連携して感度を高める環境を作り上げることこそが、効果的な道徳教育には不可欠だと考えます。

私は、社内研修の運営や時には講師をしています。学校における道徳教育とは異なりますが、それでも共感が止まらなくなっています。

うさんくさいと思われてるだろうな・・・

社内研修で話す機会をいただく際、いつも考えてしまうことがあります。実績の乏しい自分が、理想論を語ることが、参加者にとって「うさんくさい」と感じられているのだろうなと。外部講師の方に大半のパートをお任せするのですが、自分がちょっと話すパートですらつらく感じています。

参加者の皆さんは大人なので、直接的な批判はありませんが、会話の中でふと出てくる言葉から、どうしても「うさんくさい」というフィードバックをもらっている感覚になってしまっています。

独立系の研修講師とは異なり、社内研修の運営や講師をされている方であれば、この葛藤に共感していただけるのではないでしょうか。

自分の役割を、再定義してみる

改めて考えると、私は教える立場にあると勝手に勘違いし、悩んでいたようです。私に求められていた役割は、そうではなく「学びの環境を作ること」なのだと気づきました。

その視点であらためて考えてみると、自分が何をすべきかが見えてきました。具体的には、研修の場と現場の結びつきをより強くすること、研修当日は参加者が学びやすく気づきが多い環境を作ること、そして研修で学んだことをそのまま現場で実践できるよう社内の仕組み全体を変えていくことです。

これであれば、これまでの私の経験を活かすことができます。(もしかしたら、それを見越して今の業務を任されていたのでしょうか?気がつくのが遅すぎたかもしれません。)

うさんくささを乗り越える

人から言われたことをすべて素直に受け入れる人は稀です。重要なのは、「今この場では表面的な言葉としてうさんくさく聞こえるかもしれないが、これから過ごす環境の中で、必ず自ら気づき、理解してくれるはずだ」と信じ、そのための環境整備ができていることではないか、という結論に至りました。私は、この信念を持って、今後も研修や子供と向き合っていこうと思います。

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